第16話 弓木評定

 その夜、桂は義定が開く評定ひょうじょうへと呼ばれた。もちろん鉄砲頭の祐直すけなおも一緒である。

 評定場といってもそれは、畳三十畳ほども有ろうかという広さの板敷き間である。

 部屋にはすでに義兼よしかねの他、大江越中守おおええちゅうのかみ松田頼道まつだよりむち小西宗雄こにしそうゆうとあの老臣日置主殿介へきとのものすけが左右に並んでいた。

 もちろん、一番上座にはこの弓木城の城主稲富直秀いなどめなおひでが退屈そうにこちらを向いて胡座あぐらをかいている。


 しばらくすると、一段高く間仕切られた首座しゅざへと一色義定が腰を下ろした。


 「殿、此度こたびの大勝、まことにおめでとうございまする」

 大江越中守の掛け声と共に、一同は深々と頭を垂れる。この時ばかりは、義定の横に座る稲富直秀も義定への挨拶を忘れなかった。

 義定はひとつ頷くや、末席まっせきの二人に声を掛ける。


 「稲富祐直、結城桂ゆうきかつら、此度の活躍、まことに見事であった。これで当分、細川軍もおとなしくしているであろう」

 この言葉に、すかさず稲富祐直が答える。

 「更に精進し、次回も必ずや鉄砲で打ち払ってみせましょう」

 場内からも感嘆の声が漏れる。

 桂は、鉄砲で人を撃ち抜くことにある種の快感さへ感じている祐直の言葉とは、とても思えないと心の中でひとり苦笑した。


 義定は更に続ける。

 「ところで結城桂、試し撃ちで見せたあの技は何と言うのだ?・・・」

 義定は、桂が姥目樫うばめがしを添え木に使って二町以上先の兜を撃ち抜いたことを指して言ったのである。

 もちろん技などというものではない。それこそ実戦の中から必然的に用いたに過ぎなかったからである。


 それでも彼はあえて、こう答えた。

 「稲富祐直様の片膝立ちの撃ち方を真似まねただけでございます」

 「何、祐直の撃ち方を真似ただけじゃと」

 義定はあえてそれを強調した。

 勿論義定にしてみても、桂がこの日初めて祐直の撃ち方を見たことなど、先刻承知だったからである。

 「では祐直、今後そちの片膝立ちの撃ち方と、結城桂が実践した添え木を用いた撃ち方とを、一色家の中では『稲富流砲術いなどめりゅうほうじゅつ』と呼ぶことに致そう」


 「稲富流砲術」


 義兼が声を上げる。

 再び場内からは、驚きにも似た感嘆の声が広がった。

 それは、事実上結城桂が一色家の鉄砲隊の一員として家中に認められたことを意味するものでもあった。

 そんな中ただ一人、当の稲富祐直だけは口を真一文字に結ぶと、静かに義定へ一礼を返した。


 当然義定はそんな祐直の顔色を見逃さなかった。

 「祐直、場内の鉄砲の数、硝石しょうせき、黒色火薬の量は足りているか?」

 義定にしてみれば、これも祐直に対する精一杯の気遣いである。

 祐直はいつものように、努めて冷静な口調で答える。

 「では鉛を五十かんと硝石を少々、黒色火薬は多いに越したことはございません」

 「そうか・・・」


 義定は祐直ではなく、今度は義兼の方を向いて指さした。

 「亀井与六かめいよろくに銭、兵糧米ひょうろうまいを持たせ、但馬たじまへと発たせるのじゃ」

 義兼は赤井五郎、平治へいじの両兄弟に荷駄にだ隊の護衛を任せるよう伝えると、早速与六を但馬へと向けて出立させることとした。


 末席の桂は、なお真剣な眼差しで当主義定の顔を見つめている。再び義定が彼に声を掛ける。

 「結城桂、申したきことがあれば、何なりと申してみよ」

 桂は深く下げた頭を持ち上げると、りんとした眼で皆を見渡した。

 「では、申し上げまする。何故細川軍は城の南北ではなく、鉄砲隊が常駐している野田川の河川敷より城に攻め入って来るのござりましょうか?」


 桂の問には、松田頼道が絵図面を広げながら答える。

 頼道は、一色家の中でも理論派として知られている武将でもある。その反面、戦場では真っ先に敵陣へと掛けていく気概きがいも持ち合わせている。

 頼道は広げた絵図面の一端を指すと、その上に駒を並べ始めた。


 「知っての通り、弓木城は野田川に面して南北にと細長い作りをしてもうす。対して細川軍は川の南東、倉梯山くらはしやまを本陣としていることはすでにご承知のこと」

 頼道は弓木の北と南にも幾つかの駒を並べる。

 「仮にこの城を北より攻めるとした場合、野田川の河口を迂回うかいし岩滝の浜より進むことが得策と言えよう」

 頼道が細川方の駒を弓木の北へと動かす。


 「しかし、城の北側には険しい堀切ほりきりが施されている為、容易には駆け上がれんじゃろう。そこにこれ、岩滝からの援軍が背後を突くと言うことになるのじゃ」

 彼が指し示す先には、一色方の出城でじろが二つ並んでいる。二つは、共に弓木城の北に位置する岩滝城と岩滝北城である。


 「岩滝城を預かるは千賀常陸守せんがひたちのかみ荒川武蔵守あらかわむさしのかみじゃ。二人共なかなか待っての戦上手、それ故、細川方もおいそれと北へ回るわけにはいかんのじゃ」

 老臣の日置主殿介が得意そうに口を挟む。

 頼道はこの老臣に軽く頭を下げると、更に続ける。

 「それに、岩滝の更に先には、高岡貞正たかおかさだまさ殿の城、男山おとこやま城が控えておることも良きくさびとなっている訳じゃ」


 桂は絵図面を睨むように見つめている。

 なるほど、南北に等間隔に並んだ城は、そう容易には攻め込めるというものではないようである。

 彼は絵図面の南側に眼を移した。

 「では、弓木の南側も同様の理由で・・・」

 桂の眼の先には、すでに弓木から半里の所に位置する石田城がある。

 「さよう、南へ回れば石川秀門ひでかど文吾ぶんご殿らの思うがままであろうな」

 再び得意そうな老臣の顔がある。

 桂は弓木城を中心に、幾つもの城が鶴翼かくよくの陣を引いているかのような配置に、改めて驚きを感じていた。


 ここで、先程からの話のやり取りを静かに聞いていた大江越中守が静かにその口を開いた。

 「その方、名を結城桂と申したな。その方ならば、如何にしてこの弓木の城を攻める?」

 桂はしばらく絵図面を見た後、駒を石田城の前に進めた。


 「拙者せっしゃならば、まず南の石田城を攻めまする。鶴翼の一翼を崩さねば弓木城を落とすことは難しいかと存じます」

 大江越中守は微かに微笑む。

 「そよう、当然敵もそう考えるであろうな」

 越中守は祐直の方を向くと、その話の先を続けるように眼で促す。

 祐直は今そこで見ているかのように、事細かにその時の情景を桂に語り始めた。


 「先の石田城の戦は、寄せ手の細川方は徒兵かちを中心に一千、一方石田城の守備兵はおよそ二百あまりで始まりもうした。知っての通り、石田城は弓木同様小高い山城であるため、細川兵のほとんどが城の周りの切岸きりぎしにへばりつくようにと登り始めた。その姿はまるで砂山にありが群がるごとくであった。それを城のお味方は弓矢で応戦したのだが、その数が足りようはずもない」


 祐直はきらりと眼を輝かせる。

 「そこで弓木城より鉄砲隊がでばったわけじゃ」


 なるほど、敵が弓木城を襲う時とは、ちょうど逆の形となるわけだ。桂は話の流れから、おおよそのことを察した。

 祐直はいっそう声を張り上げる。

 「我らは、城の周りに張り付くウジ虫共を一匹一匹その銃で叩き落としてやったのよ。それは、我らにとっては瓜を撃つよりも簡単なことじゃからの」


 祐直の顔が徐々に興奮していくのがわかる。

 元来自分の表情を顔に現さない祐直ではあるが、こと鉄砲での、それも人を狙撃する時の彼は、周りから見ても常軌じょうきいっしているように見える。


 「崖にへばり着いている敵は、けっして反撃しては来んからのう」

 いさぎよい合戦こそ武士のほまれと思って止まない松田頼道は、皮肉を込めて祐直を一喝する。それでも祐直は、鉄砲こそ弓木を救う唯一の方法とばかりに、頼道に持論を返した。


 事実、南の石田城と同様、北の岩滝城へと続く切岸や堀切の底には、細川兵のむくろが未だに数多く放置されたままになっていたのである。

 「じゃから、弓木の城は我らが居る限り落ちはせん」

 ついに祐直は、その部屋の中でひとり最高の表情を作ってみせた。これには老臣日置主殿介をはじめ、居並ぶ重臣達も閉口した。


 そんな中、桂だけはすでに違う事に頭を巡らせている。彼はもう一度絵図面に眼を落とすと、突拍子も無いことを口にした。


 「何故こちらより倉梯山城を攻めぬのですか?・・・」


 義定をはじめ、皆が桂の方を向き直った。祐直も、すでにいつものような冷淡な顔付きに戻っている。

 「馬鹿な、こちらから攻め込むなどと」

 祐直の言葉に、義兼も同調しているようである。

 「桂よ、倉梯山城の敵は二千、弓木の三倍はおるのじゃ。それに射程は短いと言っても、向こうにも鉄砲は揃っておるのだ。野田川を渡ったところでこちらも蜂の巣じゃ」


 しかし、義定だけは真剣な眼差しで桂を見ている。

 「結城、そちの考えを申してみよ」

 義定の言葉に桂は一際ひときわ声を張った。

 「三方さんぽうの城より攻めるのでございまする」

 「三方の城より?・・・」


 「さよう、まずは深夜弓木城より兵三百をもって野田川を渡り、倉梯山城の北、岩滝側に潜ませます。続いてその後方へは稲富鉄砲隊を置きまする」

 これにはさすがの松田頼道も声をあげた。

 「そのようなことをしたら、弓木城は丸裸同然、一気に細川勢に攻め込まれてしまうではないか」

 桂はなおも冷静に答える。

 「松田様、敵は我が方から動くとは万に一つも思わないことでしょう。それに、敵も深夜の山城攻めは危険が多いことも、足下を照らす為に松明たいまつを使えば鉄砲隊の餌食えじきとなることも、痛いほど頭に染み込んでおりましょう」

 頼道には返す言葉もない。


 「更に岩滝城からは後詰ごづめの兵を、石田城からは倉梯山城の南面へと兵を進めておくのでございます」

 いつの間にか、部屋の誰もが桂の方ににじり寄っては、彼の口元に視線を集中させている。

 ただ一人、稲富秀直だけは、なおも退屈そうに話を聞いている。


 「虎のこく、最初の兵がときの声を作り、倉梯山城北側を攻めまする」

 「ほう・・・」

 「倉梯山城は北西側だけがなだらかな丘陵となっているので、敵方は必ずや騎馬で押してくることでしょう。そこで兵は一気にものと場所へと退却させまする」


 「退却させる?・・・」

 祐直はあきれ顔で桂を見ている。

 ところが、幾多の戦を経験してきている日置主殿介は、その膝をぱんとひとつ叩いた。

 「なるほど、釣り野伏のぶせの戦法じゃな」


 「敵は方向から見て岩滝城から攻めて来たものと思い、一気に野田川の河口まで追いかけてくるに違い有りません。そこを鉄砲隊が迎え撃つのでございます」

 「ほう、鉄砲隊で・・・」

 「そして、鉄砲の音を合図に、岩滝城、石田城、そして弓木城からも兵を押しだし、倉梯山城を北、西、南の三方から攻め立てまする」


 「しかし、それでは敵は城の東側より逃げてしまうではないか?」

 小西宗雄の言葉に桂は微かに微笑む。


 「そう、逃がすのです」

 部屋の中にいる誰もが、桂の打ち出す作戦にことごとく意表を突かれている。 彼は更に続ける。

 「明け方の、それも攻め込んでくるはずの無い敵が、一気に鬨の声を上げて押し寄せてくるのです。敵は逃げるだけで精一杯。上手くすれば、武器弾薬は勿論のこと、十分に蓄えているはずの兵糧までも手に入れることができるやもしれません」


 更に続ける。

 「それに、四方をふさぎ、敵が死兵しへいと化しては、かえってお味方の損害も増えましょう」

 そこにいる誰もが、もしかしたら本当に勝てるかも知れないと思いはじめている。

 それが証拠に、いちいち相槌あいづちを打っていた老臣の日置主殿介までもが、刀の柄に手を掛け武者震いをしている。


 不意に義兼が言葉を挟む。

 「じゃが桂、首尾しゅび良く城を奪ったとして、その後はどうするのじゃ。これ以上他の城に兵力を割くわけにはいかんぞ。細川とて黙ってはいまい。直ぐに押し寄せて来るは必定ひつじょう、かえって損害が大きくなるのではいか?」

 義兼が疑念を抱くのも無理はない。皆の顔も一瞬で、また元の顔へと逆戻りした。


 桂は手を横に振ると、そんな彼らに笑顔で返す。

 「城には兵を入れませぬ」

 またまた気勢をそがれる答えが返ってきた。

 「細川方が残していった物を戴いた後は、お味方は元の城へと戻り、倉梯山城はからの城と致しまする」


 「空の城。それでは折角奪った意味が無いではないか・・・」

 小西宗雄の言葉には、退屈を装っていた稲富秀直も続く。

 「空の城に、再び細川軍が入ってしまえば、またもや振り出しに戻ってしまうではないか!」


 二人の言葉に桂はきっぱりと言い放つ。

 「もう細川軍は城に戻っては来ますまい。敵が攻めて来ぬと分かっていればこそ、三方から囲まれようとも彼らは倉梯山城を、丹後における細川領の西のくさびにと使っておったのです。それがまさか攻め込まれたとあっては、無駄に兵や武器、兵糧を使うことは致すまいかと存じます」

 つまりは、丹後を左右に二分する楔の役割を果たしていたのは、一色家の弓木城ではなく、むしろ細川方の倉梯山城の方であったというのである。


 言い終わると、最初に日置主殿介が笑った。続いて松田頼道が声を出して笑い始める。気が付くと、そこにいる誰もが昂揚した歓喜の中にいた。


 「結城桂、そちの案を取り入れよう」 

 義定もその眼を細めては、満面に笑みをたたえている。

 そんな中、一人だけいつも通り能面のうめんな顔をした祐直がぼそりと呟く。

 「では、拙者は新吾しんご小十郎こじゅうろうを連れて先回りし、城より落ちてくる大将首をひとつでも多く狙い撃つことにいたしまする」


 「勝敗の決まった後で、大将首を幾つ取っても何の自慢にもならんじゃろう」

再び頼道が皮肉ったが、歓喜の声に掻き消されて、それは祐直には届かなかった。


 何れにしても、弓木城での攻防が始まって以来、はじめて一色家側より細川方へと攻め込むこととなったのであった。

 実行は今宵こよい、おあつらえ向きの新月の晩である。

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