第13話 帰郷

 福知山にたどり着いた一行は、新たな横山城主、塩見信房しおみのぶふさの助けのもと、由良川ゆらがわを下り大江の関へと入った。

 当時塩見信房は黒井城の赤井、八上城の波多野との連合軍に加担かたんしていた為、この時も、快く桂らの申し出を買って出てくれたのである。


 桂らはここで、同行した信房の家臣荻野一義おぎのかずよしによって、丹後の建部山たけべやま城、中山城がすでに織田方細川藤孝ほそかわふじたかによって占拠されていることを聞き、さらには丹後半島の東の付け根に当たる宮津までもがその手中に落ちたことを知ることとなった。

 一色家の家督を継いだ一色義定いっしきよしさだは弓木城にあって、宮津の細川方と対峙する格好になっているというのだ。

 よって彼らは、大江の関より由良川を下ることはせずに、天ヶ峰てんがみねの北の谷を渡ると、与謝よさ峠を抜けて丹後国へと入って行くことにした。


 与謝峠を越えてしばらく進むと、道は比較的開けた平坦地の間を進んでいる。

 はるか若狭の海から渡ってくる風が、誰の肌や心にも気持ちがよい。ちょうど一年ぶりに丹後の地を踏んだ五人は、思わずその空気を胸にいっぱい吸い込んでみた。


 与六が言う。

 「お初さん、ここが丹後の国じゃ。わしらが生まれ育った土地じゃ」

 初はコクリと頷くと、また与六の少し後ろを着いて歩く。

 あの時以来、初は片時も与六の側を離れようとはしない。与六がその身体をたてにして自分の命を救ってくれたと言うことだけではない、別の感情が心の奥に灯り始めたのかもしれない。

 里にとっては少し寂しい気もしたが、その分桂との時間も以前より多く持てるようにもなったのも事実である。

 冬馬や吉之助の顔にも自然と笑みがこぼれている。

 しかしそんな中、桂だけはひとり浮かない顔をしている。


 冬馬はそんな桂の横に歩を進めると、遠く北の方を見つめながら語りかけた。

 「如何したのじゃ、ようやくのことで国へと戻って来たのだぞ」

 桂も遠くの山並みを眼で追っている。


 「冬馬にはまだ言うて無い事があったのじゃが、わしと与六がこの丹後を離れた訳は・・・」

 桂は立ち止まると、冬馬の方を向き直った。

 「わしが以前、侍頭の内藤弘重ないとうひろしげ様の組長をしておったとき、訳あってその内藤様をあやめてしまったのじゃ」

 「殺めた・・・」

 冬馬は眉をひそめる。

 「与六は手を掛けておらぬが、恐らくはわしと同罪となるであろう」

 いつの間にか与六も冬馬のかたわらにたたずんでいる。

 「冬馬違うのじゃ、わしらは・・・」

 与六が言い終わらぬうちに、里が割って入る。


 「結城様と亀井様は、私の命を助けるためにあの者に手をかけたのでございます」

 いつにない彼女の形相ぎょうそうに、冬馬は只ならぬ気配を感じ取った。

 「しかし理由はどうであれ、お味方を手に掛ければ死罪はまぬがれぬ」

 桂はそう言うと、もう一度冬馬の顔を見つめた。


 その時、彼らの後方で突然吉之助が地面に座り込むと、その懐から麻袋にくるまれた短刀を取り出した。

 彼はその鞘をからりと抜き放つや、剣先を自分の胸へと当てている。

 「おぬしらが死罪となるのなら、わしとて同罪じゃ。ならばいっそう、この場で先に地獄へと行くまでじゃ」

 言うなり、吉之助はその手に力を張った。


 「馬鹿な!」

 冬馬は大声で叫ぶと、吉之助の眼の前にどっかと座り込む。

 「馬鹿な・・・ わしらは何の為にここまで幾多の知恵を絞り、そして何事にも我慢を重ねて来たのじゃ、吉之助」

 冬馬の眼から自然と涙が溢れる。

 「この丹後の地に生きる、民百姓の為ではなかったのか。その志のある者が、何故死を恐れ、また死に急ぐことがあるのか」

 桂も与六も冬馬と初めて出会った、あの菅坂すがさか峠で誓い合ったことを鮮明に思い出していた。

 吉之助のその手から短刀がすべり落ちた。


 「それに・・・」

 冬馬はもう一度東の空を振り返る。

 「それに、義道様の時代はすでに終わったのじゃ。今は義定殿のもと、これから新しい国造りを始めなければならぬ時に、一人でも多くの力が必要となるのではないのか」

 桂は改めて冬馬に一礼すると、自分に言い聞かせるように呟いた。

 「そうじゃ、冬馬のいう通りじゃ」

 与六も続く。

 「わしも吹っ切れた感じがするようじゃ」

 「それにいつかは、六路谷ろくろだににも行かねばならんしな」

 吉之助の言葉に桂も与六も頷いた。里はその眼に涙を浮かべている。


 「そうと決まれば、まずは腹ごしらえに弓木城下へと急ごうではないか」

 いつもながらに、こういう時の与六の決断は早い。

 皆が立ち上がり、再び北の方角を向いて歩き始めたときである。


 彼らの行き先をさえぎるように、一人の男が一町いっちょうほど先に立っているのが見える。

 武士という出で立ちをしているわけではない。だが、その風貌ふうぼうからは明らかに武芸にひいでた者のようにも感じられる。

 またそれぞれに戦う男達の勘が、明らかにその男を敵であると判断した。


 空かさず、与六は彼の槍の穂先をあらわにした。それを中段に構えると、眼だけはその男から片時も離さずに歩いている。

 隣では冬馬が刀を、吉之助も短槍を構えては与六に並び先頭を行く。


 皆が男に近付くに連れ、何やら彼らを囲む周りの草々がざわめき、波を打ってきたようにも感じられた。反面、不思議とその男からは一切殺気のようなものが感じられ無いのである。

 桂は歩きながら花茣蓙をむしり取ると、今は鉄砲をむき出しにしている。彼は懐から六匁弾を手に取ると、右手の掌の中で強く握りしめた。

 なおも男との距離が縮まっていく。


 今では男の顔もはっきりと見て取ることができる。やはり男は甲冑など着けてはおらず、全身青褐色の装束しょうぞくに身を包んでいる。長く伸びたひげは胸元まであるのだが、はたして歳は若いのか、それとも年老いているのか不思議と判断が付かない。


 その男が静かに右手を挙げた。

 とたんに、周りの草むらの丈が倍にもなったように見えた。そしてその草は徐々に人の形となり、地面を歩き始めた。

 少なくとも桂達にはそう感じられたのである。

 気が付くと、彼らの周りを取り囲むように、二十人ほどの忍びの者達が音も立てずに立っている。

 決して殺意があるというわけではない。それが証拠に、誰一人として剣を抜くわけでもなく、ただ彼らと眼を合わさず自分の足先だけを見つめているのだ。


 桂は火穴に刺した火縄を外した。

 けっして戦う意志が無いということを示そうとしたわけではない。彼にはすでに勝敗が見えているように感じたからだ。

 それでも与六だけはその槍を右の腰にえ、なおも男との距離を縮めた。とその時、初が彼の横を足音も立てずに通り過ぎて行く。


 彼女は与六よりもさらに十歩ほど前に進むと、くるりと身体を返し、桂らの方を向き直った。

 風に髪がなびいている為であろうか、初の顔は笑っているようにも見え、また悲しんでいるようにも見える。


 「かえで、苦労であった」

 初の背中越しに、その男の声が聞こえてきた。

 男は初の名を楓と呼んだ。

 恐らくは、それが初の本当の名であるに違いない。


 「お初さん、これはいったいどういうことじゃ?・・・」

 与六の問いかけに、初は黙って頭を下げる。

 「桂、どういうことじゃ。わしには訳がわからん、教えてくれ」

 与六は今にも泣き出しそうな顔で振り返ると、桂と冬馬の顔を交互に見ている。


 当然二人にはことの成り行きはすぐに理解できた。つまり、初は偶然京で冬馬達と出会したのではなかったのだ。

 彼女は誰かの命により、最初から自分達をこの丹後まで導く為に近付いてきたのだということ。また、その目的を達成させるために、あの忍びの者達をあやつっていたということ。

 そして何より、今ここで自分達を囲んでいる忍びの仲間の一人であるということである。


 なるほどそう考えると、京で刺客の木内源内に襲われたときも、丹波越えで織田の兵と出会したときにも、常に忍びの影があったことが納得いくのだ。

 桂は思い出していた。僧の恵瓊えけいが別れ際に、これから後のことは初に頼んだと言った言葉を。

 あれは冗談ではなかったのである。恐らく彼には、ことのすべてが分かっていたのであろう。

 「桂、どういうことじゃ?」

与六はもう一度尋ねた。


 「与六、お初さんはわしらを守るために誰かに使わされたのじゃ」

 「では、織田の兵から逃げてきたと言うことも、初めて丹後の地を踏んだと言うことも嘘なのか?」

 与六の言葉に冬馬が答える。

 「すべてはわしらを守るためだったのじゃ」

 与六の手から槍が滑るように落ちた。

 「わしの手の中で泣いたことも嘘なのか?・・・」

 彼はその場に力無くへたり込んだ。うつろな表情で初を振り返る与六に、彼女は小さく首を振る。

 桂と冬馬も片膝を付き、小刻みに震える与六の肩に手を掛けた。


 「それにしても、誰がそのようなことを?・・・」

 しかし、桂の疑問はすぐに解けた。

 初の横に立つ男の後ろから、いつの間にか一人の老武士が現れていた。

 老武士は肩衣半袴かたぎぬはんばかまに脇差しのみを抱えた出で立ちをしている。けっして大柄な訳ではないのだが、身体からは歴戦の勇といった雰囲気がかもし出されている。

 老武士は深々と一礼するや、そのしわ顔をさらに崩した。


 「わか、よくぞご無事で」

 「若?・・・」

 呆気あっけにとられる桂の横で、冬馬がすっくと立ち上がる。

 「主殿介とのものすけか?」

 一言呟くと、冬馬は桂に背を向けた。


 「桂よ、許せ。実はわしは先の大殿、一色義道様とみやという側室そくしつとの間に生まれたものじゃ。じゃが、すぐに家督の義定殿がお生まれになったため、わしは幼くして稲富いなどめの家へと預けられた」

 「稲富?・・・」

 桂が初めて耳にする名前である。

 「稲富家は代々弓木城を治めている一色家の重臣で、今は義定殿も身を置かれておる」

 冬馬の言葉に、桂は福知山を出るとき、塩見信房しおみのぶふさの家臣荻野一義が話していたことを思い出していた。


 「では、日下部冬馬というのも、本当の名では・・・」

 桂はゆっくりと冬馬の後ろに立ち上がった。

 「拙者の名は稲富義兼よしかねと申す。そこの者は、義道様の代よりこの一色家に仕えし日置主殿介へきとのものすけじゃ」

 桂は日置主殿介を冬馬の肩越しに垣間かいま見る。


 「では何故、その日置様が冬馬、いえ義兼様を丹後に呼び戻される算段をいたしたのでござりまするか?」

 桂は冬馬を義兼様と呼んだ。

 彼には、訳あって丹後を飛び出してきた冬馬が、今更そのもとへと帰る理由が分からなかったからである。

 「実はわしを家老の三方盛房みかたもりふさの手から救い出し、丹後の国より一時逃がしたは、主殿介のはからいでもあったのじゃ」


 「三方盛房?」

 桂にはようやく複雑に絡み合った糸が一本ずつ解け始めているようである。

 三方盛房と言えば、初めて菅坂すがさか峠で冬馬と出会ったときに、彼が口にしていた武将の名前である。確か藩の年貢米を横領したとかで、それを冬馬が大殿に進言したというような内容であったはずである。

 恐らくはこれも作り話であろう。しかし、例えそうであったとしても、冬馬が家老の三方盛房から実際に命を狙われていたと言うことだけは本当のことのようだ。

 事実、織田軍の丹後侵攻に伴い、万が一に備え一色義道の後継人としては、その子義定が上げられていたからである。


 しかし、建部山城の重臣達は、それでも後顧こうこうれいを心配した。すなわち、当時世間にはその存在すら知らされずにいた義兼が、この期に乗じて西丹後より立つことを恐れたのである。

 そしてつまりは、義道がもうけた側室との子、当時弓木城にあった義兼をいっそ亡き者にしようとたくらんだのであった。

 そこで、早速急用というおもむきで建部山城に義兼を招くと、家老の三方盛房の手の者が彼に仕掛けて来たのである。が、すんでの所で老臣日置主殿介の計らいによって義兼は逃がされることとなった。

 その後のことは、この主殿介よりもむしろ桂らの方が良く知っている通りであろう。


 主殿介は義兼を守るため、丹後より忍びの者を使わした。すなわちそれが、初こと楓とその一味である。

 ところが、状況は次々と変わり、当主一色義道は中山城にて味方の沼田幸兵衛ぬまたこうべえによって討ち取られ、その一色家を義定が後を継ぐこととなる。

 一方、織田方の細川藤孝、忠興ただおき親子は田辺たなべに城を造り、今また宮津みやづの浜に城を築こうとしている。

 勿論それは、細川家による丹後東の統治の為とうたわれたが、その実、弓木より西に集まる一色家の残党をこの丹後半島から追い出し、丹後一国を我が領土とする以外には考えられなかった。


 それに、元々生まれながらにして、別々の城で育った義定と義兼は仲など悪いわけではない。

 むしろ時代の波に翻弄ほんろうされることがなければ良き義兄弟として国造りに協同したはずである。

 そこで、盛房らも死に、新たな当主が義定に成った今こそ、一色家の為にその力を注いでほしいと、急遽きゅうきょ国元に彼が戻るよう仕向けたのであった。


 「義兼様、ひとつだけ教えていただきたい」

 桂は冬馬の背中に声をかける。

 「義兼様がいつも言っておった、『丹後の民百姓を守るため』という言葉に嘘偽うそいつわりはありませぬか?」

 冬馬は振り返ると桂の両肩をきつく掴む。

 「わしの心の中はいつまでも冬馬のままじゃ。けっして嘘偽りではない」

 冬馬の言葉に、桂の頬からは一筋の涙が伝わり落ちる。桂は手にしていた国友筒の銃床を返すと、それを冬馬へと手渡した。


 「桂、何がどうなっているのじゃ。わしにはもう何もかもわからん」

 与六は頭を抱えながら、地面に向かって一声えた。

 「与六これで良い。里も吉之助もわしのもとに来るのじゃ」


 桂は彼らを呼び集めると、冬馬の前にひざまづき、深々と頭をれた。

 「是非わしらも国造りのため、民百姓の為に働かせてはもらえんじゃろうか?・・・」

 桂の言葉に冬馬は彼らの肩をぐっと引き寄せた。

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