第12話 姥目樫に祈る 

 その時である。街道から西へと延びる丘の向こう側から、複数の鉄砲が一斉に放たれる音が聞こえて来た。

 その音はかみなりともまた地響きともとれるもので、何度も山々にこだましながら消えていった。

 瞬間的に桂と与六は、その音のする方に向かって、うように丘を駆け上がる。冬馬も吉之助を里の元におくと、二人の後を追うように登り始めた。


 いち早く、丘の頂上までたどり着いた二人がそこで見たものは、まさしく織田方の鉄砲隊であった。

 ざっと見積もっても百人はいるであろうか。その人の塊が、腰高まで生えた射干やかんの花の中をうごめくように進んでいるのが見える。


 一見すると、大きな塊のように見えるその人の群も、よく見ると実に緻密ちみつな隊形を取っている。

 鉄砲を持った三十名ほどの兵がその塊の中心に位置し、その周りを半弓を抱えた射手が警護するようにと配置されている。

 さらにその外側を、長槍を手にした徒兵かちが辺りを警戒しながら取り囲んでいるという布陣を敷いているのだ。

 なるほど、これでは忍びの者といえども、容易には飛び込んでいく訳にはいかないであろう。


 さらにその鉄砲隊を指揮する武将の両脇には、遠目とおめの利く猟師りょうしとおぼしき者が二人、高い木の上を伺いながら見張っている。

 桂と与六は、眼の前でもう一度それらの鉄砲が一斉に火を噴くのを見た。

 鉄砲隊長は山の者が指さす方向を見上げると、鉄砲隊に木の上に向かって撃つよう指示を出した。

 『ダーンッ!』という轟音ごうおんと共に、鉄砲隊の頭上にはあたり一面白煙が立ちこめる。

 弾は幾つもの枝葉に当たり、草を刈り取るような奇妙な音を残した。


 ところが次の瞬間、二人は高い木の上から大きな黒い塊が落ちていくのを見たのである。

 それは紛れもなく人の形をしており、つまりは忍びの者が撃たれたのだということが、二人にもすぐに分かった。

 「何とも惨いのう」

 与六は声にもならない声を発する。

 桂は数が揃った鉄砲の威力に、今更ながら驚愕きょうがくすることとなった。


 「やはりこちらにも、すでに織田の手が回っておったか」

 あとから追いついてきた冬馬は、苦々しげに奥歯を鳴らす。

 山の者がまた、何やら見付けたようである。

 鉄砲隊長は、今度は房の着いた指揮棒を木の上ではなく、水平に掲げた。

 射撃手は一斉に鉄砲を水平に構える。


 するとその中の一人が、急に首をもたげて甲高い声で叫んだ。

 「女子おなごじゃー。あれに見えるは女子じゃー」

 他の者達も我先にと首をもたげる。桂と与六もその声に思わず振り返る。

 

 「あれにいるは、お初さんじゃ」

 二人の眼には、丘の上で頭上の木に手を振っているようにも、踊っているようにも見える初の姿が飛び込んできた。

 鉄砲隊と初との距離とは幾分離れてはいるものの、射程圏内であることには変わりはない。


 「馬鹿な!」

 言うが早いか、与六はすでに初を目指して駆けだしている。

 「やめろ与六、鉄砲の餌食えじきぞ」

 桂も後を追いかけたが、すでに与六は初のすぐ側まで来ていた。


 「お初さん危ない、織田の鉄砲隊が・・・」

 与六が初の身体を地面へと這わせようと手を伸ばしたその時だった、再び轟音と共に何挺もの鉄砲が火を噴いた。

 その音のこだまが鳴りやまぬ撃ちに、与六の身体が大きく傾く。


 「与六―っ」

 桂の声も虚しく、与六のその大きな身体は、丘の上から二間ほども転げ落ちた。

 「亀井様―っ」

 初は飛び掛かるように与六の身体にすがり付くと、素早く木の上を見上げた。

 すると、一斉にそこかしこの木の上からは、幾つもの黒い塊が織田の隊を目掛けて舞い降りた。

 忍びの者達である。しかし如何せんそこは多勢に無勢、ある者は待ち構えた槍で八方から串刺しにされ、またある者は無数の矢をその身体に受けながら殺されていく。


 しかし、織田方も無傷で済んだ訳ではない。

 今ではその数も半数ほどに減っている。黒い忍びの者達はあらゆる手段を駆使くしして、ひとりまた一人と自分の命と引き替えに次々と兵のむくろを築いていったのである。

 それでも、その隊列の中に黒い塊がほとんど居なくなると、鉄砲隊はまた円陣を組むように、今度は桂達の方へと歩みを進めて来た。


 桂は抱えた国友筒を花茣蓙はなござの中から取り出すや、冬馬に叫ぶ。

 「冬馬、太い枝を見つけてきてくれんか。先がこう、二股ふたまたに分かれているやつじゃ」

 言いながら、桂はその鉄砲に弾を込める。


 冬馬は丘の斜面を這うように探し回ると、一本の枝を持ち帰ってきた。朽ちた姥目樫うばめがしの枝である。

 「桂、これで良いか?」

 冬馬には桂の意図が、まるで見当もつかない。

 「冬馬、その枝を織田方の鉄砲大将がいる方に向け、地面に刺すのじゃ」

 冬馬は言われるがまま、枝を地面に深く突き刺した。


 桂は手際よくその鉄砲に六匁弾ろくもんめだまを込めると、冬馬が刺した姥目樫の枝にその銃身を架けた。

 枝は先が分かれているので、容易に乗せることができる。

 「今度はさらし布で筒と枝とをしばるのじゃ。国友筒は撃った試しがないゆえ、どんな反動が来るかもわからん。しっかりと縛っておいてくれ」


 桂は次々と冬馬に指示を与えながらも、火縄に火を点ける。冬馬も今では質問することなく、黙って彼の言いつけをこなしている。

 その間にも織田の兵はゆっくりとこちらに向かって来ている。

 それでも、彼らとの距離はまだ三町ほども離れている。つまり彼らは桂達を、その射程圏内には捕らえてはいないのである。

 それが証拠に、鉄砲兵達は火の点いた火縄をくるくると回すだけで、火穴に装填している者は誰一人としていない。


 「一発じゃ、一発で仕留められなければ、わしらの負けじゃ」

 桂は独り言を言うと、狙いをその鉄砲大将に向けた。

 「わしには重い国友筒を支え撃つことはできん。じゃが、こうして木の支えを使えば、六匁でも撃つことができるやもしれん」

 桂の言葉に、冬馬は祈るような気持ちで晒し布を巻き付ける。

 「一発じゃ。大将さえ仕留めればこちらにも勝ち目はある」

 桂は自分にそう言い利かせると、ひとつ大きく息を吐いた。


 織田の隊列との距離がそろそろ二町ほどになった時、桂は銃床じゅうしょうほおにあて、その引き金に指を掛け祈った。


 「ダーンッ!」


 一発の銃声が木々の間から抜け出ると、弾は織田の鉄砲大将目掛けて飛んで行った。

 少しの間をおいて、葦毛あしげの馬にまたがっていた鉄砲大将は一言も発せぬまま崩れるように馬から落ちる。

 桂が撃った六匁は、見事に大将の甲冑を貫いていたのである。


 はじめは何が起こったのか分からないでいた織田の兵も、横たわる大将の姿を見るとにわかに色めき立ち始めた。

 そして、最初の一人が鉄砲を放り投げその輪から逃げ始めると、後は蜘蛛くもの子を散らすように隊列は崩れていった。

 結局、桂は二発目の弾を装填そうてんすることもなく、織田の鉄砲隊を退散させることができたのである。


 冬馬は目の前で起こったできごとが、まだ受け入れられないのであろう。しばらくの間、銃身を結んだ晒し布を握ったまま、口も利けずに座り込んでいる。

 「与六、お前のかたきは取ってやったぞ・・・」

 桂は国友筒を手離すと、力の抜けた身体で与六が走っていった後を歩き始めた。


 少し歩くと初の姿が見えた。

 桂は彼女が無事でいたことの喜びとは裏腹に、少しのいきどおりも感じた。なぜなら、ことの発端もこの初の行方探しから始まったように思えたからである。

 「結城様・・・」

 初はその眼から溢れんばかりの涙を流すと、与六の顔を振り返る。

 彼の胸には初のものだろうか、紫色の手拭てぬぐいが当てられている。そしてそこには、仏のように安らかな顔をした与六がいる。


 ところがである。

 そんな与六が突然片眼を開けると、うなるように喋り始めた。

 「桂、もう織田のやつらは退散していったのか?」

 与六はニタっと笑うや上半身を起こした。


 「よ、与六―っ」

 びっくりしたのは桂だけではない。後から駆けつけた冬馬も、当然里や吉之助も、皆が自分の眼を疑っている。

 「与六、おぬし化けて出てきたのではあるまいな」

 冬馬が与六の足をつねる。

 「痛いではないか、冬馬」

 その言葉に、冬馬は泣きながらに喜んだ。


 「しかし、弾は確かにお前に当たったはずでは?」

 桂は丘の上で倒れた、与六の姿を思い出した。この言葉に、与六は恥ずかしそうに懐から何枚にも重ねた伸しもちを取り出すと、その包みを開いて見せた。

 「どうやら、これのお陰で助かったらしい」

 そこには、伸し餅に食い込んだ二発の二匁弾にもんめだまが見える。

 「何と、与六は餅に助けられたか。たまには食いしん坊も役に立つもんじゃな」

 冬馬の言葉に、与六はもう一度恥ずかしそうに頭を掻いた。

 そんな与六の前に、初は両手を着いて頭を伏せる。

 「亀井様、本当に申しわけございませぬ。何と言ってお詫びを・・・」

 与六は地面の上にある初の手を自分の掌の上に乗せると、そのまま導くように初を立たせた。

 「ところでお初さん、怪我はなかったか?」

 ニッコリと微笑む与六の言葉に、初は彼の掌の中に頬を埋め、声を出して泣いた。

 桂は初が何故自分達の元を離れ、そこでいったい何をしていたというのか尋ねてみたい衝動に駆られたが、与六の安堵あんどした表情を見ると、それを口にはしなかった。


 冬馬は再び国友筒を丁寧に花茣蓙に包み直してから、先程の射撃に使った姥目樫の枝を桂に手渡した。

 「それにしても、二町は離れておったと思うが、何処でそのような技を身に付けたというのじゃ?」

 冬馬には、織田の鉄砲大将を一撃の下に仕留めた、あの光景が眼に焼き付いて離れなかったからである。

 桂は国友筒を両手で持ち上げると、遠くの山を狙う素振りをしてみせた。


 「わしでは、この重量のある国友筒を簡単に扱うことはとてもできん。織田の鉄砲隊の中でも、雑賀さいが鉄砲衆の内、ほんの一握りの者が扱える程度じゃ」

 「先程の鉄砲隊のものとは違うものなのか?」

 与六が口を挟む。

 「一般の鉄砲隊は、せいぜい二匁から三匁弾じゃ。遠くは狙えんが、数さえそろえば先程見た通りじゃ」

 与六はもう一度、伸し餅に食い込んだ二匁弾を指でなぞる。


 「一色家だけではない、鉄砲の数ではとても織田に敵う国などこの畿内にはおりはせん。一色家が生き残るためには、違う鉄砲のあり方を探し出さねばならんと思っておったのじゃ」

 「それが先程の撃ち方だと言うのか?」

 桂の言葉に冬馬は身を乗り出して尋ねる。

 「まだわからん。じゃが・・・」

 言いかけて、桂はまた一点を見つめるように考え込んだ。

 冬馬は言葉をかけるかわりに、桂の肩にひとつ手を掛けた。


 そこに吉之助が、皆の分の荷物を抱えて戻ってきた。

 「おーい、反物の代わりに織田の鉄砲をひとつでも多く持っていったらどうじゃ」

 なるほど吉之助の言い分にも一理ある。

 冬馬はそんな吉之助をねぎらいながらも、急に真顔で皆に語りかけた。

 「吉之助の言う事も分かるが、二挺の鉄砲以外は全てここに置いていくことにする。わしらはこれから福知山まで強行突破で行くのじゃ。多少危険じゃが、いつまた先程の織田勢が戻って来るやもしれん」

 「さっきの銃声を聴いた他の鉄砲隊が、こちらに移動してくるかもしれんしな」

 与六が繋いだ。

 「それに、もうこちらには助けてくれる忍びの者もいないのじゃ。それ故これから先は、わしらの身はわしらで守るしかないのじゃ」

 言って桂は、初の方を見た。

 初は少し頷くように、目を伏せている。


 それからまた六人は、山桜の枝が覆い被さるようにと続く街道を、一路福知山を目指して歩き始めたのである。

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