決戦フェイズ

偵察ラウンド

ヘル ~ニブルヘイムと死者の女王

『憎い、憎い! わらわを裏切った父が憎い! わらわを生んで愛さなかった父が憎い! 極寒の地に追いやられたわらわの苦しみを知らず、享楽に興じた父が憎い!』

 生まれてすぐ極寒の地ニブルヘイムに追いやられた女神ヘル。彼女は氷の世界を生み出しながら、数多の死者をこの世界に顕現させている。死者の爪で作ったと言いわれる死爪の船ナグルファルに巨人を乗せて、この世界をしのくににかえようとしていた。

 

「ふむ……完全にあの娘とヘルを剥離したとは言えないが、それでも今ならヘルを倒してもあの娘への影響は大きくないだろう」

 輝彦は戦乙女を傍らに携え、手に自分の身長程の槍をもってその地に降り立つ。種は十分にまいた。勝利への道は確かにそこにある。京一を見ながら静かにほほ笑んだ。

「今こそ好機、という事でござるな」

 光正は抜刀し、滑るように前に出る。重心を揺らさない特殊な歩法。心は静かな湖面の如く。されど心は熱い炎の如く。光正と言う心の中はその二つが混在していた。火で打たれ、水で冷やされた日本刀の如く。

「っていうかに本当なんだから仕方ないんだな。あ、ボクは戦闘とか苦手なんで、後ろでサポートに徹してるんだな」

 若干後ろに下がっている則夫。彼の視線はヘルを見ていない。未だ憑依が完全に解けていない草間を見て、それほど感慨は受けていないようだ。楽器を手に、暖まるように自分を抱いている。

「……あんたら、来たのか」

 京一はやってきた三人の神統主義者テオクラートを見て、何とも言えない顔をする。京一の目的と、彼らの目的は完全に一致していないからだ。

 輝彦の目的は『この戦いで怪物化した自分を捕らえること』だ。ヘルとの戦いは、京一の心を絶望させるためのスパイスでしかない。親からの虐待、凍えるような極寒……そして人間への絶望。その三つを満たす為に。

 光正の目的は『ヘルの殺害』だ。それは草間の生存を二の次にしている。最も京一の目的に近く、そして遠い相手と言えよう。そうすることが輝彦の策通りだと知っていても、その刃が止まることはない。

 則夫の目的は……正直分からない。ある意味イレギュラーなのだ。

 そして――『アテナの執行者』。彼女の目的は『怪物を倒す』ことだ。それはヘルと草間、そしてもし怪物となれば京一自身も対象となる。

『草間を生存させて、ヘルを倒す』ことを第一義としているのは、京一のみなのだ。

「ああ、来たとも。……流石に言葉一つで、完全に父親を許しはしないようだな、かの姫君は」

 輝彦は草間の方を見る。ヘルに憑依された草間はその力を振るい周囲を冷たく変化させていく。そして視野がこの世界に現れ、世界は混乱に満ちていくのだろう。それを止めたければ、ヘルを倒すしかない。

「だが、僅かだが隙がある。今ならヘルのみを斬れそうか」

 光正はヘルと草間の意識のを見出す。わずかな間に生まれた心のずれ。だがそれは『父を恨む』と言う共通点により元に戻るだろう。

「そんなことより……来たんだな。『アテナの執行者』が」

 則夫が指さす先に現れたのは、神山詩織。槍と盾を手にして、戦場を睨む戦女神の執行者。その視線の先にはヘルと、そして京一がいた。

「ふん。ここにきて吾輩の策を邪魔されるわけにはいかん。前橋クンを殺させるわけにはいかんな」

「その槍術に興味はあるが、拙者の狙いはヘルのみだ」

「怪物を放置するわけにはいかないわ」

 輝彦、光正、そして詩織の三人が自らの目的を口にする。

「察するに、時間の勝負なんだな。手早くヘルを倒せればあの子を助けることができる。時間切れになれば助からないんだな。そして、前橋君が怪物になるならないに関しては……」

「俺の心が折れなければいい……という事か」

 やるべきことはわかった、とばかりに京一は頷く。その掌に宿る小さな灯。

(俺を捨てた親……正直、今どんな感情なのか自分でもわからないけど)

 拳を握る。炎は消えるが問題ない。それはすぐに生み出すことができる。いや、炎だけじゃない。親神の力は、少しずつ目覚めつつある。

(今はこの力を与えてくれたことを、感謝している)

 生まれて初めて、自分を生んだ親を意識して感謝をささげる京一。

 吹雪は少しずつ、強くなってきていた。

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