前橋京一 ~親無き子と、親を否定する子

「草間さん!」

 草間千早を探すことはそれほど難しくなかった。ヘルの影霊エイリアスが極寒の絶界アイランドが形成されていく中、周囲は冷たい風が吹いている。その中心点がヘルであるなら、風上に彼女がいることは自明の理だ。

 だが――

「……前橋……くん? どうしたの?」

 その顔は赤く腫れていることは予想外だった。それを隠そうともせず、痛々しい腫れ触りながらを薄く笑っている。

「その顔は……まさかお父さんに殴られたのか?」

「ふふ。そんなことないよ。どうしてそう思うのかな? 優しいお父さんがそんなことするはずないじゃない」

 どこか上の空で草間が答える。少しずつ、周囲の温度が低くなっていく。

「どうしてって……昨日見たんだ。草間さんが父親に暴力を振るわれて、物置に――」

「知らない! そんなお父さんは知らない! !」

 京一の言葉を遮るように草間が叫ぶ。そんな父親はいない、と大きくかぶりを振って。

「私のお父さんは! 優しくて! すこしあわてん坊で! 遅く帰ってきた私の事を怒るけど! 私を閉じ込めたりなんかしない! しないしないしないしないしないしないしない!」

 それは泣きじゃくる子供のように。それは殻にこもる貝のように。叫び、頭を伏せ、耳を閉じ、涙で視界をぼかして世界を拒否し。

「だから……私を殴ったは氷に閉じ込めたの。私が来ないでって念じたら、凍っちゃったの。別にお父さんじゃないから、どうでもいいよね?」

「草間さん……」

 京一は草間の精神状態を理解した。父親からの暴力に耐えかねて、現実逃避をしている。そしてヘルはそれに同調するように力を増している。

 京一は詩織の言葉を思い出していた。

『虐待から遠のけることでヘルの影響を軽減することができる』

(確かにこれは虐待から遠のいたと言えるだろう。……だけど、これは違う。むしろ虐待に捕らわれているんだ)

 そこから脱するには、父親に向き直らせてそこから選択させないといけないのだ。殻にこもった状態から引っ張り出し、そして父親との距離を自発的に取らせなければならない。

 無論、それは容易な事ではない。時間をかけてゆっくりやらなくてはいけないことだ。だが、その時間が今はない。このままではヘルが氷の絶界を生み出してしまう。そうなれば、ヘルを討つべく様々な神子アマデウスが草間の元にやってくるだろう。そうなれば……草間の命はない。

 今ここで、彼女の心に訴えかけなければいけないのだ。

「違う。それは草間さんのお父さんだ」

「誰が?」

「草間さんに暴力をふるって、閉じ込めたのは――」

「そんな人いない」

「草間さんのお父さんなんだ」

「そんな人はいない! ……あの人は、お父さんは……優しかったお父さんは!」

 髪を振り乱し、必死に否定する草間。学校の彼女を知る京一は、その姿をみて良心が痛む。草間を傷つけていることはわかっている。それでも、

「優しくなくても、暴力をふるっても」

 これだけは。これだけは言わなくてはいけない。

「草間さんのお父さんは一人だけなんだ」


「草間さんのお父さんは一人だけなんだ」

 それは、生物学的に遺伝子を受け継いだ相手と言う意味もあるのだろう。遺伝的な父は一人しかいない。

 だが、それとは違う意味も含んでいた。

「草間さんは今までお父さんと一緒に暮らしてきて、辛い事ばかりだったのか? 嬉しいこともあったんじゃないのか? それら全てを含めて、親なんじゃないのか?」

「……っ!」

「優しいところだけを見て都合のいい父親を作り出しても、そんなモノは何処にもいない。世界中のどこを探しても、そんな父親はないない。……優しさも、温もりも、汚らしさも、暴力的な所も、全てあるのが親なんじゃないのか?」

「何で……そんなことが分かるの? 前橋君に私の何が分かるの!」

「…………分からない」

 京一は静かに首を横に振った。これだけは、共感できないことなのだ。

「俺には……親と暮らした記憶がないから。だから、親がどういう存在なのはわからない」

「……ぁ」

 草間は京一の一言に我に返る。彼の家族のことは、草間も聞いている。親に捨てられた子。親の思い出を持たず、養護施設の人を『親』として生きてきた子。

「育ててくれた人はいた。親と言う存在がどのような意味合いを持つかも知っている。……だけど、俺は親の事を知らない。だから何が分かるかと言われれば分からない。

 だけど、草間さんのお父さんは一人だけ。その事実は確かなんだ」

 冷たい風は変わらず草間から吹いている。その風に押し負けないように、真正面から草間に語り掛ける京一。

「暴力を振るう力に対してそう言った力を使うのはいい。……いや、正確にはやりすぎだけど、反撃それ自体は因果応報だと思う。だけど草間さんがその事実から逃げちゃいけないんだ。

 親に対する子の想いなんか、それぞれなんだ」

 京一は様々な神子を見てきた。

 尾崎輝彦は父親を戦神として尊敬している。旗頭として群を作ろうとしている。

 山本光正は父親を憐れんでいる。父を排他した世界を壊そうとしている。

 飛山則夫は母親を愛している。母性的に、肉欲的に。

 それが一般的ではないことは、知っている。世間から見て、排他される存在なのも知っている。だけどそれは間違いなく親に対する思いなのだ。

 それを否定はできない。子を思う親。親を思う子。歪でもそこにそれはあるのだ。

「……ねえ? 一つ聞いていい?」

 一泊置いて、草間は問いかける。

「お父さん、許してくれるかな?」


「さあ。それこそ、父親に聞いてみないと分からない」

 その答えに、草間はわずかにほほ笑んで言葉を返した。

「……そうだよね」

 草間は父親に向き直った。そして一歩踏み出した。

 その結果がどこに到達するかはわからないが、それは確かに前進なのだ。

 だが――

『違う! お父様は私を捨てた! 父の愛なんて、存在しない!』

 それを認めない者がいる。

 草間千早に憑依した怪物。『父に虐げられ、地の底に追放された娘』は、父と会話することなど許さない。許すはずがない。自分を捨てた父と話しても、自分が傷つくだけだと、極寒の風を生みながら叫ぶ。

 そこに、草間千早とヘルとの違いが生まれていた。

 

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