その5 本当にあった怖い名無し

 書いてもいいかな? これから語る話は10年前に私が実際に体験したことです。

 大学生だった私は同じサークルの仲間と毎日集まっていろいろな所へ出掛けていました。このサークルというのは、いわゆるオカルト研究会です。中には霊感のあるやつもないやつもいましたが、そこは大学生ですから、研究というより、むしろみんなでわいわい集まって心霊スポットに行っては少々の無茶をするというのを楽しんでいた感があります。今となってはお恥ずかしい限りです。しかしそんな中で、たった一度だけ心の底から震えあがった体験があるのです……。

 あれは2回生の夏休みでした。私たちは友人Aのアパートに集まって次に行く場所の計画を立てていました。その場にいたのは、私、男友達のA、B、C、女友達のD、E、Fの7人です。私はいくつか行ってみたい心霊スポットを提案するのですが、AとDはどうも渋い顔です。AとDは3回生だったので、ある程度のスポットは行きつくしていたからです。そうしているうちに、1回生のCが言い出しました。

「そう言えば知ってます? G病院のこと」

 G病院というのは、大学のあるH市の東北に位置するI山の山奥でかつて経営していた精神科病院です。何十年か前に倒産し、現在では建物は荒れ果て、野生動物やホームレスの棲処となっていました。

 Cに対してBが言いました。

「そりゃあ知ってる。このへんで一番メジャーな心霊スポットだろ。ていうか、オカ研恒例の新入生歓迎会の会場だろうが」

 お前も行ったろ、とつけくわえます。Bのいうことはその通りであって、私たちはCがなぜ今更そんな手垢のついた話題を出したのか不思議でした。ちなみに私も去年と今年、G病院に行きましたが、全く幽霊のゆの字にもお目にかかれませんでした。

「いやいや、こんな噂を聞いたんですよ。最近あそこで死体が見つかったって」

「はあ!?」

 聞いていた私たちは、一斉に素っ頓狂な声を上げました。

 Cの言うには、死体が見つかったのは先月。成人のものらしいが性別は不明。自殺や事故ではないようだが、警察は早々に捜査を打ち切った。それというのも、どうもこの一件には市の有力者であるJ家の長男Kが絡んでいるらしい。

 私は驚きました。Kは学科は違いますが、同じ大学の同級生なのです。私は唾を呑みこみながらCに尋ねました。

「絡んでるって、どういうふうにだ? まさかKがその人を殺したってことか?」

「さあそこまでは……。なにしろ、僕も数日前さる筋からこの話を聞いたばかりなんで。でも以来、夜にG病院の横を通りかかると、不気味なうめき声が聞こえるとか」

 “さる筋”について、Cは最後まで口を割りませんでした。

 その時です、女子学生のEが突然奇声を発したのです。「キーッ」というような、まるで獣のような声でした。白目をむいてのけぞっているのを隣にいたFが慌てて支えます。Eは、前々から霊感があると公言している子でした。私はそれを胡散臭いと思っていたのですが……。

「E! どうしたの、E! E!」

 ひとしきり騒動が終わったあと、Eは意識を取り戻し、言いました。

「ごめんなさい……。でもG病院には行かないほうがいいと思う。とてもいやなものを感じるの」

 しかし私たちは俄然行く気になっていました。今から考えると本当に愚かだったのですが、退屈な大学の夏休み、自分も知っている同級生の怪しい噂に魅惑されていました。それで男連中だけでも行く気になっていたのですが、最終的にはEも含めてその場にいた8人全員が行くことになりました。


 G病院はH市のI山のL峠を越える道を車で10分ほど登って横道に入った所にあります。夜を待って、私たちはMとNの運転する車に分乗してたどり着きました。MはDの彼氏で、NはFの彼氏です。アパートにいた8人は誰も車を持っていなかったので、そのふたりに頼んだのです。RPGゲームで言えば総勢10人のパーティでした。今から思えば、こんなに人数がいればたとえ幽霊に出くわしたとしても対抗できる、と甘く考えていたのかもしれません。

 生暖かい風の吹く、嫌な感じのする夜でした。街灯りはすでに遠く、ホタル1匹飛んでいません。空を見上げても、鬱蒼とした木々に隠れて月さえ見えないのです。

 病院は木や雑草に覆われた、荒れ果てた空き地に建っていました。何度か訪れたことはあるものの、やはり夜に見ると背筋がぞくぞくするようなものを覚えます。その上、死体がここで発見されたとなると……。

「でもそんな事件があったなんてテレビで見なかったがなあ」

 Aが言うとCが答えます。

「Kさんのこと知ってるでしょう。O財閥の御曹司ですよ。たぶん……もみ消したんだと思います」

 その時、「キーッ」という奇声が上がりました。またしてもEです。立ったままのけぞってDとFに支えられています。

「またひきつけを起こしたみたい」

「おいおい、また霊感か?」

 私たち男連中は少々うんざりしたものを感じていました。というのも、Eの霊感というものを、誰もあまり信じていなかったからです。ぶっちゃけEはあまりかわいくなかったので、別のところで目立ちたくて霊感のあるふりをしているのだろうと思っていました。

 Eはひとしきり叫ぶと、ぐったりとDの腕の中にくずおれました。本当に気を失っているようでした。

「ねえ、なんかやばいよ……」

「車で休ませてたら」

 とBが言います。

「でもEが今までこんなに激しく影響を受けることなんてなかった。今回はほんとにやばいんじゃない? やめといたほうが……」

「怖いんなら車で待ってろよ。俺らだけで行ってくるから」

 少し問答がありましたが、結果としてDがEを車で付き添うことになり、その他の8人で廃病院に踏みこむことになったのです。しかし結局Eが正しかったのです。その後の血の凍るような体験を思えば……。

 病院の玄関は鍵がかかっていませんでした。おそらくホームレスかなにかが意図的に壊したのでしょう。中は漆黒の闇でした。床には割れたガラスや土、埃、侵入者が残していったらしいゴミ屑が散乱しています。私たちは1本の懐中電灯だけで進んでいきました。懐中電灯の薄明るい光の円の中で、壁がほとんど崩れ、鉄骨がむき出しになっているのが見えます。それが人間の骨のように思えて思わず身震いしました。

 玄関から入ってすぐのホールは待合室のようで、壊れてバネの飛び出た長椅子が数脚並んでいました。私たちは進んでいきました。

「それで、その死体が見つかった場所ってどこなんだ?」

 AがCに訊いています。その声が奇妙に大きく響きます。

「ええと、P棟2階の病室、らしいです」

「Kはそんな所で何してたんだろうな。そこで殺したのか、それともどこかで殺したのを運んだのか」

「さあそこまでは……」

 こんな真っ暗い廃墟で、殺すだの殺さないだの血生臭い話を言いあっているだけで気が遠くなりそうです。情けない話ですが、私は一刻も早く車に戻りたくなっていました。

 病院の建物は、東のP棟と西のQ棟に分かれていました。Cの情報に従って、私たちはまずP棟の2階に上ってみることにしました。待合室を抜けると、狭い廊下に入ります。私たちは水先案内のCを筆頭に、M、A、私、N、F、Bの順に1列になって進みました。間もなく階段に差しかかります。そのころから私はなんとなく右の肩が重いような気がしていました。気がつくと、ほかのみんなも腕を回したりして、右肩を気にしているような節が見受けられるのです。

 そうして階段にCが足をかけたその時です。

 ピリリリリリリ……。

 携帯電話の音が鳴り響いたのです。何人かは思わず悲鳴を上げました。それはAの携帯電話でした。当時はガラケーです。Aはよほど怖かったのでしょう、なんだか悪態をつきながらふたつ折りのそれを開いて電話に出ました。

「なんだよっ! ……うるせえ、関係ねえだろ! もうすぐ帰るから黙って待ってろ!」

 普段穏やかなAがそう言うのです。それはタイミングの悪いEに対するいらだちというよりは、恐怖の裏返しだったのだと思います。

「なんだって?」Bが訊きます。

「Eからだ。さっき一瞬病院の玄関からうめき声が聞こえたって。帰ってきたほうがいいだと」

「うめき声? 俺らの声じゃなく?」

「話し声じゃなく、うめき声だって。男か女かもわからんが、数分続いたらしい」

 私たちは無言で顔を見合わせます。

「……どうします? 進みますか?」

 Cがおずおずと尋ねると、馬鹿な私たちはついついその場のノリで、ここまで来て引き返せるかなどと言ってしまいました。

 Aは携帯電話の電源を切り、一行は階段を上りはじめました。

 私たちは全員スニーカーでしたので、足音こそ鳴りませんでしたが、床に散乱するガラスを踏みしめるたび、キュッキュというような悲しげな摩擦音が響くのでした。

 P棟2階は病室がいくつかあって、問題の部屋がどこだか探さなくてはなりませんでした。

「マジで真っ暗じゃん」

「雰囲気あるう」

 などと軽口をたたきますが、私たちはバラバラになるのが怖く、しばらく荒れ果てた廊下に立ち往生していました。病室のドアを開けるのさえ怖いのです。開けた先に得体の知れない化け物でもいたら……。しかし考えてみると不思議です。一体誰がこんな恐ろしげな場所に死体を置きに来るのでしょう。また、どういう経緯で死体が発見されたのかも謎です。私たちのように肝試しで侵入してきたのならわかりますが、そういう人間でもなければ廃病院の2階の病室になど、誰が踏みこむのでしょうか。

「とにかく探してみようよ。それが目的だったんだし」

 と、女子学生のFが言ったので、私たちはついに勇気を振り絞ってドアを開けていくことにしました。

「いいか、開けるぞ」

 廊下の端のドアから開けることにします。先頭に立ったAが心なしか震える手でノブを回し、思いきったようにパッと開けました。それと同時に中から無数の黒いものが飛び出してきたのです!

「わああ!」

 口々に悲鳴が上がります。黒いものは頭上をかすめ、廊下の奥に飛んでいったようです。みんな頭を振り払い、手足をばたつかせ、大騒ぎです。

「落ち着け! コウモリだ!」

 誰かが言い、少し騒ぎが収まりました。今でも本当にコウモリだったのかわかりません。ですが、その時はその言葉にすがりつきたかったのです。あの奇妙な黒いもの……思えばあれが前兆だったのかもしれません。

 その病室は見渡す限り、異常なところは見受けられませんでした。置き去りにされたベッドがいくつか、埃にまみれて置かれています。死体があったとすれば、こういう所に寝かされていたのでしょうか。私たちはそれ以上中に入って探索して見る気にならず、そそくさと次の部屋に回りました。

 病室は10程度はあったでしょうか、端から順に見ていったのですが、特別なものはありませんでした。(最初のコウモリらしきものも、あとには出てきませんでした)。

「なーんだ、やっぱりただの噂に過ぎなかったんですね」

 Cが空元気を出して笑いましたが、その声が広い病棟に奇妙に響きわたってかえって不気味でした。

 そして最後のドアに手をかけた時です。

 ピリリリリリリ……。

 またしても携帯電話が鳴ったので、私たちは飛びあがって驚いてしまいました。

「やだ、またEからだわ!」

 外にいるEが、今度はFの携帯電話にかけてきたのです。Fはイライラ半分ホッとしたの半分といった感じで電話に出ました。

「なに? ……もうわかったって! さっきも聞いたよ、それ。ここ終わったらすぐに帰るから!」

 通話を終えたFにみんなが尋ねます。

「なんだって?」

「またうめき声だって。そんなこと言われたって、私たちにはなんにも聞こえないよねえ?」

 私たちはうなずきます。スニーカーがガラスを踏みしめる音以外に、今まで聞こえた音はありません。

 そこで気を取り直して、最後のドアを開けます。開けたのはやはりAです。

「うわあああああああああ!」

 とたん、絶叫がほとばしりました。私はその時のことを思い出すと、今でも全身に鳥肌が立ちます。しかも、その絶叫はAのものだけではなく、複数の声が混じったものだったのです。

「ぎゃあああああああああああああ!」

 今度は私たちの悲鳴です。病室の中も確認せず、一斉に逃げ出したのです。


 気がつくと病院の外にいました。どうやって帰って来たのか……。とにかく全員病院前の草むらに倒れてゼーハーと肩で息をしているのです。外も暗闇でしたが、建物の外にいるということにあれほどの安堵を感じたことはありません。

「マジ何なんだよ……」

 そうしているうちに恐ろしいことに気がつきました。

 人数が多いのです。

 病院に行ったのは、A、B、C、F、M、N、私……しかし明らかにそこにいる影は14人! 増えている!

 私以外にもそのことに気づいた人間がいるのでしょう、ざわざわし始めました。Fなどはひきつけを起こしたように泣きはじめる始末です。そこでAが言いました。

「点呼をとろうぜ。まず俺は……A。おまえは?」

 私にふられたので、自分の名前を答えました。そうやって順番に答えていくうちに、最後に3人が残りました。私たちは一斉に警戒します。

 が、その人影たちがあわてたように両手を振ったのです。

「待て待て、怪しい者じゃない! お前ら、R大学の学生だろ! 俺らもそうなんだって!」

「あれ……ひょっとしてS!?」

 そう声を上げたのはMです。なんと顔見知りのようなのです。彼らはR大学のS、T、Uと名乗りました。S、Tが男で、Uが女です。偶然にも、彼らはMとNと同じV教授のゼミの学生だったのです。

「お前ら、あんな病室で何してたんだよ?」

「いやー……」

 言い渋るのですが、遂に聞き出しました。それによると……実にくだらないオチなのですが、S、T、Uはそこで3Pをしていたのです。そんなことならホテルに行けよと思うのですが……そこならベッドもあるし金もかからないからということでした。だからってよくあんな恐ろしい場所でやる気になるなと思います。後に、MとNの車で待っていたDとEもやってきました。Eの聞いたのは、要するにアノ時の声だったのです。Eは霊感があるというより、異常に聴覚が発達していたのです。

 真相がわかるとしらけてしまい、私たちは家に帰ることにしました。S、T、UにKもここに来ることがあるのか尋ねると、そうだと答えました。KはWとXという女子学生たちとよく来ているそうです。金持ちの息子なんだからもっといい場所を借りたらいいと思うのですが……。私たちの知らないだけで、G病院はR大学の学生たちの悪い意味でのスポットになっていたのでした。ただひとつ嫌な話を聞きました。以前Kとよく遊んでいたYという女子学生がいるのですが、最近彼女が大学に登校していないようなのです。いつからかと訊くと、半年ほど前だと言います。思うに、こんな辺鄙な場所で、事件か事故かはわかりませんが、そうしたことが起こったにしても長いあいだ誰にも見つかることはないのではないか。とはいえ、Yはほかの理由で大学に来ないだけかもしれません。私たちはなんとなく嫌な気持ちになって、それ以上G病院についての研究を掘り下げるのをやめました。

 ここまでが私が体験したことの全てです。なんだ、幽霊も出ないし、真相がわかってしまえば恐ろしいことは何もないじゃないかって? いえ、あとになって思いかえして、実は私たちはある時から幽霊に憑りつかれていたことを知ったのです。本当に戦慄したのはそのことに気づいた時です。その霊が私たちをあの病院へと向かわせ、真相にたどり着かせたのではないか、そう考えるのです。そう、彼(または彼女)は、最初から私たちと共にいました……。これ以上は恐ろしくて書けません。みなさんの解釈に委ねます。

 長文を読んでいただきありがとうございました。長年誰にも話せなかったことを書いて少しすっきりしました。しかし今になって、ふと考えるのです。一緒にいたモノは、いつ消えたのだろうか? ひょっとして今でも私たちと一緒に……? 

 なんだか寒くなってきました。ああ、もう深夜2時ですね。きっとそのせいでしょう。明日も仕事なのでそろそろ寝落ちします。ZZZZZ

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インディゴ・ゾーン【オカルト短編集】 青出インディゴ @aode

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