第15話 賢者の贈り物

■■プロローグ


「ひぇっ」

「どっひゃー」

「これはまた……」

「大っきいねぇー」

 四つの唇から四者四様の声が漏れた。

 ちなみに、最初が小鳥、次がダグラス、以下朱里、白野の順である。

 全員が自分たちの目の前にしずしずと運ばれてきたものを、凝視したまま固まっていた。


■■1


 クリスマスの夜である。

 四人はセント伯爵邸に招かれていた。普通、クリスマスとは当日よりも前日の方が華やぐものだが、イヴの日、セント老人には彼の運営する孤児院等、慈善団体への訪問という大切な行事があったし、ダグラスも刑事という職業柄忙しかった。それで、本日の集まりとなったのである。


 美味い料理に舌鼓を打ち、旨い酒に浮かれ騒ぎつつ、賑やかな夜は更けていく。宴もたけなわというところで、メイン・イベントであるプレゼント交換となった。銘々に美しく包装された箱や包みを贈り贈られ、それらが紐解かれるごとに嬉しそうな声が重なる。天井まで届きそうな大きなもみの木が、洒落た飾りとライトアップでその笑顔に彩りを添えていた。聖なる人の生まれしこの良き日、また集いし者達に乾杯。


「さてさて。わしからのプレゼントじゃがの」

 シャンパンで口を湿らせつつ、老人が言った。グラスを置くと、パンパンと手を打つ。予め、その様な手筈になっていたのだろう。心得顔のメイド頭が一礼して扉を開くと、召使い達が列を作って入室してくる。一人目の手には小さなホールケーキが入るくらいのサイズの箱が銀の盆に載せられて恭しく捧げられていた。次に続くのはモールで飾り付けされた台車である。その上にあるのはとても大きな箱だった。縦も横も成人男子の平均身長ほどは優にある。奥行きは二メートル以上あった。それを男達が数人掛かりで押してくる。演技とも思えぬ様子から推すに、大箱の中身はそれなりの重量のものらしい。その次はまた小さな箱。そしてまた大きな箱……。


 あっけに取られる四人の前に、それぞれ大、小の箱が整然と据えられた。どの箱も品良く丁寧な包装がされ、きちんとリボンも掛けられている。つまり、プレゼントなのである。


「じ、爺さん。こりゃ何だぁ?」

 ようやっと発せられたダグラスの言葉は、その場全員の気持ちを代弁していた。


■■2


「さて。ご覧の通り、お前さん達の目の前にはそれぞれ大小の箱がある」

 老人が言った。

「銘々、どちらでも好きな方を選ぶがええ。……たーだーしー」

 しわくちゃの顔が老獪というより妖怪めいて、にんまりとする。

「よぉーく考えて選ぶんじゃぞ。一つは当たり箱で、もう一方はハズレじゃて」

「……ああ?」

「だから、二者択一の勝負じゃと言うとる。当たりはお前さんらが飛び上がって舞い踊るくらい大喜びするもんじゃ。で、もう片方は……」

「もう片方は?」

「そうでもない」

 のほほん、と断言されて脱力した。

「そうでもないって、えーっ。そういうクリスマス・プレゼントってアリなのかよぉ?」

 ダグラスが頭を掻きむしった。


「……はぁ、なるほど」

 しげしげと大小二つの箱を見比べながら、朱里が言った。流石に、彼は立ち直りが早い。

「何かしらの本で読んだ覚えがありますよ。『大きなツヅラと小さなツヅラ、どちらにします?』という奴だ」

「ツヅラ?」

 耳慣れない単語に、小鳥と白野が同時に訊ねる。

「籐製の網籠の名称です。私が読んだというのはどこかの国の古い民話で……。つまり、ツヅラというのはこの場合、箱と同義と考えていただいて結構です」

「流石に朱里はよう知っとるわい」

 老人が苦笑う。

「ちなみにの、その民話では大きなツヅラの中身はお化けじゃった。で、小さなツヅラには素晴らしいお宝が詰まっとる」

 朱里が老人の言葉を引き継いだ。

「この民話は、教訓を含んでいるんですよ。『欲を掻いては痛いしっぺ返しを喰うぞ』と。まぁ、そういうオチなんですね」

「あ、それじゃあ……」

 小鳥がほっとした顔をする。

「残念ながら、答えはもうバレちゃったんですね。小さい箱が当たりなんだ」

 言って、横に立つダグラスと頷き合う。


 それに。フッフッフ……と声が笑った。

「あっまーいっっ! 甘すぎるぞ。小鳥ちゃんや。わしを誰だと思うとる? わしはセント伯爵じゃぞぉ」

 老人がワケの分からぬ威張り文句を吐いて、そして大いに胸を張った。

「今、朱里の言った民話的教訓も、わしの性格も、おぬしらそれぞれの個性までも、重々吟味した上で大小の箱のどちらかを選べ、とな。このセント伯爵の裏をかいてみせろやと。そういう勝負だと、わしゃそう言っとるんじゃい!」


 ダグラスと小鳥は口をあんぐりと開き、白野は目を何度目かしばたかせた。朱里は小さく吐息を吐く。

 なんともはや。伯爵様は一筋縄でないのである。


■■3


 さあさあ、選んだり、選んだり。

 困惑顔の若人らを前に、セント伯爵はさも楽しげだ。


 ふむ、と朱里は思う。

 流石に知恵者の老人らしいプレゼントだと思えた。

 超のつく金持ちで、本日ここに集まった気に入りの若者達に、例えどんな高額な贈り物をしたところでいささかの痛痒もないセント老人である。が、贈られる側にしてみればそこはやはり抵抗が生じる。こんな風に大きな箱、小さな箱をわざわざ用意してクリスマス・プレゼントをゲーム形式にしたのは、そこを慮ってのことであろう。ゲームの勝利者ということになれば、自動的にそれは賞品ということになり、こちらもすんなりと受け取りやすい。


「お考えになりましたねぇ」

「楽しかろうが?」

 にまにまと本当に楽しそうな老人の様子に、思わず知らず笑ってしまった。笑いを堪える執事の代わりに、白野少年が返事をする。

「うん。こういうのってすっごく楽しい!」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

 よしよし、白野クンは素直で可愛くてイイコじゃのぅ、と目を細める。

 ほれほれ。選べ。一度決めたら変更はナシ。ついでに返品も不可じゃぞぅ。

 恨みっこナシで、さあ、ダグラスから選ぶんじゃ。


■■4


 うげぇー、とダグラスが呻いた。

 心中ハゲシク葛藤する。

 うーむ、この爺さんの性格からして、裏の裏のそのまた裏まで読まなくては。

 大きい箱……は、怪しすぎだ。もしかしてこのサイズ、洗濯機かもしれん。自分のが壊れたのを口実に、現在小鳥に洗濯物を押しつけているが、『婿入り前の男がなんと惰弱な、自分の始末くらい自分で着けろ、へへーん』ってなことかもしれない。うう、折角の口実が失われるのはイヤだ。非常に困る。いや、しかし、いかにもな大箱で俺を欺いているかもしれんし。小さい方には養子縁組の書類が入ってるとかなんとか……。うわー、怖ぇ。これは、爺さんと時たま興じるチェスゲームよりも遙かに難解で複雑だ。

 考えれば考えるだけ、大の箱も小の箱もどちらもアヤシク思えてくる。

 俺はどうすればイイんだー?


「ほりゃ、はよせんかい。後がつかえとるぞ」

 むむむむむぅー。

「ち、小さい箱だ!」

 決めた。もうどうとでもなりがれい。ああ、チクショウ。クソ爺い。たかがクリスマス・プレゼントで心臓バクバクしやがるじゃねぇか。

「よし、ダグラスは小さいの、っと」

 ほくほく顔の伯爵が合図を送り、召使いがダグラスの前から大箱を片付ける。


「お次は、小鳥ちゃんじゃ。決まったかの?」

「え、もうわたしの番ですか? えーっと、えーっとぉ……」

 小鳥も大いに悩んだ末に、結局、ダグラスの方をチラリと見て、

「わたしも小さい方にします」

 と蚊の鳴くような声で答えた。それに従って、彼女の前からも大箱が持ち去られていく。


「さて。白野クンはどうするね?」

「うーん、僕も小さいのがいいかなぁ」

 ふんふん、と老人が頷いた。少年の前からもどデカい箱が運び出される。傍にあるだけで妙な威圧感のある巨大な箱が退けられて、少年がほっとした顔をする。


「最後に。朱里や、お前さんはどうする?」

 これまでは、みんな小さな箱を選んだが。

「そうですねぇ……」

 問われて、アゴに手を置いたポーズで考えた。逡巡し、やがて決める。

「それでは、大きな箱にしてみましょう」

 このままでは、重そうな箱を運んでくれた人達にも骨折り損になりますし、全員同じではつまりませんし。

「ふんふん」

 老人の合図と共に、朱里の前から銀の盆に載せられた小箱が消える。


 そうして、四人分の箱が決まった。

「じゃあ、みんなして、それぞれの箱を開けてごらん」

 老人がそう促す。


■■5


 男らしく勇敢に、先陣を切って箱を開いたのはダグラスである。中にあるのは黒くて四角い……。

「ん? こりゃ本じゃないか。爺さん、執事の箱と取り違えたんじゃあ……」

「バッカもん。わしがそんな初歩のミスを犯すかい。本のタイトルをよく見てみぃ」

 黒地の分厚い本を手に取ってみる。箔押しされた金文字を読むと。

「あ? 刑法と裁判事例?」

 間抜けた声に被るよう、老人の容赦ない一括が入る。

「お前は、再三、上から昇進試験を受けろと言われ続けておるのじゃろうが。いい加減あきらめてキリキリ勉強せい! 分かったか!」

「ぐげ~~~、なんで爺さんが知ってんだ~~~っっ!?」

 ダグラスがノイロった声を上げた。どうやら、彼の箱はハズレだったらしい。



 お次は小鳥の番である。恐る恐る覗いてみれば、小箱の中には懐中時計が入っていた。

 金の洒落た装飾のある時計である。細い鎖が付いていて、シャランと微かな音を立てる。

「わ、きれい」

 と、喜んだ。これは当たりだ。やったー。

 しかし、老人の声は小鳥の喜びとは裏腹に、なぜだかひどく重々しい。

「上蓋の刻印を見てみなさい」

 言われて、フタ部分に目をやれば、そこには、『まず、深呼吸!』の文字が。

「な、なんですか、これ?」

「時計の音というのは、心を静めてくれるものじゃからな」

 いいかの、小鳥ちゃん。舞い上がったら、見境いなく行動を起こす前に先ず深呼吸じゃ。そうして、その時計に耳に当てて静かに耳を澄ますこと。そうすれば、失敗も自ずと減るというもんじゃ。

 小鳥の手の中で、金時計がカチコチと時を刻む。

「……はい、分かりました。伯爵さま」

 そう神妙に頷いた。



 どうやら、ダグラスに続いて小鳥も選択を誤ったらしかった。「うがー」、「むぅー」と呻る両者を横目に、自分の箱を開けた白野がこくんと小首を右に捻った。

 出てきたのは、小さな液晶の付いた機械である。デジタルの数字が見て取れる。「なに、これ?」という顔で持ち上げてみる。

「白野クンのは歩数計じゃよ」

 老人がカラカラと笑った。

「歩数計?」

「ええかの、若いうちは歩かんといかん。それを着けて毎日決まった距離を歩くんじゃ!」

 特注品じゃからな。きちんと歩かなんだら、わしの声が催促するぞ、覚悟せい。

 横合いから、老人の指がボタンに触れた。途端に、

『こりゃ、さっさと歩かんかい。いい若いもんがナニしとる、外に出い!』

 と、歩数計から声が出た。目の前に立つ老人の声。かなりな音量。しかも、エンドレスで言い続ける。

「……音、止まらないよ」

「そりゃ、歩かんと止まらんわい」

「えぇー……」

 にべもない老人のひと言で、大慌てで、テーブルの周りをグルグル回り始めた少年である。

「朱里ぃ、見てないで助けてよ」

 歩き回りつつ、情けない声で執事を呼ぶ。

「助けて、と言われましても……」

 流石に、大きな箱は梱包を解くのに時間が掛かる。最後の一人になった朱里も、自分の箱を前にして、躊躇しているらしかった。


■■6


「賭けに負けたんじゃからな。助け船なぞダメダメ。第一、お前さんも先ずは自分の箱を開けてみんとな」

 老人が、主従の間に割って入る。

 どうかな? 朱里の箱は当たりかの、ハズレかのぅ。

 にんまりと笑う老人である。


 これまで、三戦三敗であった。してみると、小さな箱はハズレなのか?

「そうだ、朱里さんだけは大きな箱を選んだのよね」

「執事、勝て。勝ってくれー。この爺いの鼻を明かしてやれ~~~」

 ダグラスが、グラスにワインをダボダボっと注ぎ込むと、それを一気飲みにした。

 老獪爺いに全員がしてやられるなんざ、それは業腹過ぎるというものである。海千山千のセント老人に対抗しうるのは、最早、狡猾でずる賢い執事のみであった。

 お前が唯一の希望だー。頼む、勝ってくれ、腹黒執事ー。


「刑事、それはどう聞いてもエールを送っているとは思えない台詞ですよ」

 言いたい放題言われて、朱里が流石に眉を寄せた。そういう事に頓着することで、箱を開ける瞬間を少しでも引き延ばそうとしているとも見える。


 勝負に敗れ、脱力の余り椅子にヘタりこんでしまったダグラスと小鳥、そして、ひたすら歩いている白野には老人の表情は窺えなかったかもしれないが、朱里だけは既に己が運命をしっかと悟っていたのである。自分もハズレくじを引いたことを確信してしまった。老人の先程の笑みがそれをはっきりと知らしめていた。

 一体、大きなツヅラには何が入っているというのだろう? これはしたり。かなりコワイ。

「ほれ、さっさと開けんかい」

「……分かりました」

 先程の老人から小鳥への忠告ではないが、深呼吸を一つ。腹を括る。


 最後の箱が開かれる。


■■7


 もう、夜半過ぎである。

 伯爵邸はその当主も、召使い達もそれぞれの部屋に引き取って、シンと寝静まっている。

 だが、クリスマス・ツリーの飾られた広間にだけは未だ明かりが残っており、そして、ソファーの置かれた一角に、何故か山ほどの酒瓶がゴロゴロ転がっていたりする。


「う~~~」

 と、一方で唸り声が上がり、

「ッツ~~~」

 と、他方からは歯を食いしばる気配がした。


 小鳥が冷たい水を運んできて、男達に配る。ソファーにだらしなく転がっているダグラスは水を飲もうと頭を起こし、途端ズッキーンと襲ってきた頭痛に更なる唸り声を上げた。

「くっそー、爺いめ~~~」

「……喚かないでください」

 差し向かいのソファーに腰掛けた朱里も、こめかみ辺りを指でしきりに揉んでいる。小鳥から渡されたコップの水を一口含む。

「頭に響くじゃないですか」

「朱里さんも刑事も、大丈夫?」

 幾ら賭けに負けて悔しいからって、なにもこんなに飲まなくっても。

 そう、続ける小鳥に、

「あれが飲まずにいられるか!」

 と、ダグラスがまた一声吠えて、朱里の眉が寄せられた。どちらも相当な二日酔いであるらしい。いや、まだ二日目にはなっていない気もするが。

 ダグラスの二日酔いはそう珍しいことではないが、執事のそれとなると珍しい。

 二人は勝負に負けた腹いせとばかり、伯爵邸の酒蔵を空にしてやる勢いで、飲みに飲んでいたのである。

 全戦全勝を成し遂げたセント伯爵の、小気味良さげなカカカ笑いが甦った。


「うー、あの爺いめー、どうしてくれよう」

「……年季の差です。とても勝てはしませんよ」

 軽く両手を挙げて、降参のポーズをしてみせる。

「とんだ『賢者の贈り物』だったわよねぇ」

 小鳥が金の懐中時計をポケットから取り出して眺める。コチコチと時を刻む伯爵からのプレゼントである。

「なるほど、それは言い得て妙だ」

 小鳥の巧い言い回しに、朱里が苦笑いながら同意した。オー・ヘンリーの名作。話はかなり異なるが、どちらもクリスマス・プレゼントの話であるし、確かに『賢者の贈り物』と呼ばれるに相応しい成り行きだ。そう観念する。……するしか他にないではないか。


「どこが賢者だ! バカ執事っっ!!!」

 ダグラスの怒声に、朱里の眉根が深く寄った。

「ああ、もう限界です。アイタタタ……」

 言葉通り、耐えかねたという風情で、座っていたソファーに俯せに転がる。バフンと顔を埋めた先は、革製のソファーのそれではなかった。もっと、もこもことした毛触りで、柔らかくてフカフカの……。



 遡ること数時間前。

 巨大な箱を開けて中を一瞥した途端、氷の彫刻のごとく固まってしまった朱里に、老人は「してやったり」と呵呵と笑ったのである。

「お前さんの私室はな、どうにも殺風景でいかん、と思うでの」

 まぁ、これでも置いて、たまには抱きついたりしてなごみなさい。

「……」

 老人にそう猫なで声で諭されて、挙げ句背中をポンポンと叩かれ、朱里は我知らずしゃがみ込んでしまったのだ。ガックリと膝頭に顔を埋めてしまう。これは、如何に朱里とても、二の句が継げるどころではない。


 朱里が選んだ大きな箱に収っていたものは、なんと、超特大のテディベアであった。淡い茶色の細かい巻きのかかった毛並みで、首には極太の水色リボンを着けている。足の裏には『Dear Butler』の刺繍と、ご丁寧にピンクのハートのマーク付き……。


■■8


「ええかの。みんな、わしのプレゼントをくれぐれも大事にするんじゃぞ」

 老人が落ち込む若人達に向かってほくそ笑む。更にたたみ掛けている。もしかしたらイジメである。

「ちーゃんと、わしの贈り物を日々使っていると分かったら、今日お前さんたちが選ばなかったもう一つの箱の中身も、ご褒美としてやるのでな」

 そうして、セント老人は周到でもあるのだった。苦虫を噛み潰したような顔の四人に、アフターケアも忘れなかった。

「ま、そういうことじゃから。頑張んなさい」


 ちなみに。ダグラス用の大きな箱には、年代物のバイクが入っていた。彼がその名を聞いてヨダレを垂らした名品である。KO負け、というところか。

 小鳥の当たり箱の中身は、なんとも趣味の良いしつらえの鏡台だった。現在、小鳥は手鏡と化粧ボックスしか持っていないので、一目見るなり夢中になった。

 あんなステキな鏡台に向かって髪を梳かしてみたならば、わたし美人になれそうな、そんな気がする。欲しいよぉー。

 白野が取り逃したものは、チェス専用のテーブルと、それに合わせる椅子二脚である。

 螺鈿細工のアンティークもので、小さな円形テーブルの天板に、チェスボードが埋め込まれている。両脇に引き出しが二個あって、その中に黒白の駒が収納されている。黒駒が紫檀、白駒は象牙であった。なかなか贅沢な逸品だ。


 今回も、最後になったのが朱里である。

 彼が、小さな箱の蓋を開けると、中には一本の鍵が収められていた。それと一枚の封筒。怪訝そうな顔をする男に、老人が涼しい顔で言う。

「Q紳士倶楽部のな、書庫の鍵じゃて」

 格式ある由緒正しき倶楽部の名を聞かされて、鍵を凝視してしまう。

「……あの、貴重書の宝庫と言われる社交倶楽部の?」

「封筒の中身は仮会員証じゃ。それでも、正式メンバー五人の推薦が要るでな。それなりに苦労したんじゃぞい」

 ニタニタと笑う。好々爺とはかくや。

 正式会員に登録されるには、更に五人の承認が要る。まぁ、後は自力でやっとくれ。

 そう告げる老人の声音は、とても優しい。

「でも、まぁだ、おあずけじゃもんね~♪♪♪」

 フォーッホッホッホ。

 無情に、小箱が取り上げられる。


■■エピローグ


「完敗ですよ。歯向かう気すら起きません……」

 大きなテディベアに顔を埋めたまま、そう呻いたきり、ソファーの上で動かなくなった執事に、ダグラスと小鳥は二人で顔を見合わせる。

 確かに、老人の言うとおり、朱里の私室は本以外のこれといっためぼしい私物があるでなく、良く言えば実用本位、有り体に言えば無味乾燥、ひどく殺風景であったので、この人間ほどの大きさのあるぬいぐるみの存在は、インパクト溢れるアクセントとなることだろう。

 長身執事とテディベアという凶悪な組み合わせも、だんだんと見慣れてくれば、「そこそこ可愛いんじゃないかな?」と、思えてこないこともない。

 水色リボンでおめかしをしたテディベアが、愛くるしいガラス玉の目をくるるんと見開いて、自分の胴に抱きついたまま果てた男を見下ろしていた。


「朱里ぃー。誰かー。ねぇー、誰でもいいから助けてよー」

 これ止めてー。

 廊下から切れ切れに、白野の声が聞こえてきた。

『こりゃ、さっさと歩かんかい。いい若いもんがナニしとる、外に出い!』

 少年の歩みを促す歩数計の叱り声が、それに被る。


 呵呵笑いを屋敷中に轟かせつつ、既に寝室へと辞去した老賢者のご満悦顔が見える気がした。

 老人は四者四様、それぞれの個性をしっかと見極め、しかも周到に選ばせる順位までをも操作して、ものの見事に全員を手玉に取って見せたのである。

 さぞ、胸のすくことだったろう。この大勝利こそが、老人にとっての最高のクリスマス・プレゼントだったのかもしれない。そう思えば、腹の虫も幾らか癒えると言うものだ。


「僕、もうくたびれたよー」

 遠くから聞こえてくる少年の声に、朱里が肩を震わせる。ぬいぐるみに顔を押しつけている所為で音がくぐもっているが、どうやら、クックッ……と笑いを堪えているらしい。

 それに、ダグラスと小鳥の声が重なった。いつしか、みんなで笑い出す。


 もみの木に飾り付けられた電飾が、室内に優しい光を投げかける。

 今宵は聖なる夜である。

 

END--------------賢者の贈り物

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る