第16話 パルプ・マガジン

■■プロローグ


 ダグラス刑事はドブ川を漁っていた。ネクタイを外し、靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、ズボンを膝までたくし上げ、ワイシャツの袖も肘まで折って、淀んだ流れのただ中にいる。手にした棒きれで川底を探る。水の深さはせいぜいがダグラスのふくらはぎ程度だが、生活排水の垂れ流される小さな川はとにかくもって視界が悪い。石に引っかかった棒が汚水を跳ねて、ダグラスの頬にヘドロを飛ばした。


「ちょっと、ダグラスちゃん、もうイイわよぅー。あたし諦めるわよぅー」

 川に掛かる橋の上から、女言葉のダミ声が響く。欄干から巨体を乗り出すようにしてダグラスを見下ろしているのは、メッシュ入りで脱色された短髪に大きなイヤリングを付けたオカマである。細く長い足には紫色のパンタロン、ピンク色のフリルのブラウス、どぎつい化粧。真っ青に塗られたアイシャドーの下の小さな目は、これが意外なほど「つぶら」で可愛い。


「うっせぇぞ、ビビアン。お前がココに財布を落としたって供述したんだろうが!」

「だって、あの夜はしこたま酔ってたし。自信がなくなってきたわよぅー」

「財布が出なけりゃ、お前立件されちまうんだぞ。分かってんのか?」

「分かってるわよぅー。でも、もうイイのよぅー」


■■1


 この界隈で、若い娘を狙ったひったくり事件が連続した。警察に被害届を出して来た娘達の話によると、全てが同一犯の犯行と思われた。


 被害にあった娘の一人は、その夜、家路を急いでいた。残業が長引いてすっかり遅くなったので、娘は思い切って近道を選んだ。人通りの少ない薄暗い道だ。でも、自分のすぐ後ろを女の足音が付いてきていて、娘はそれに安心していた。

 背後からカツンカツンとヒールの音が頼もしく響く。その間隔が速まった。後ろの人も早く家に帰りたいんだなーなんて、のんきな事を考えた。更に足音が早くなり、娘の真後ろまで迫った気配がした。何とはなしに振り返る。電球の切れかかった外灯の薄い明かりの下、浮かんだ顔を見てギョっとした。


 女性だと思っていた人物は、女の服こそ身につけてはいたが、紛れもなく男の顔だったのだ。男は「ひっ!」と喉を鳴らした娘の身体を思い切り突き飛ばすと、彼女のハンドバックを奪い取った。そのまま脱兎の如く逃げていく。犯人の耳元で大きなイヤリングが鈍く光ったことだけを妙に鮮明に覚えていた。

「……ド、ドロボー。女の振りした男のドロボー~~~」

 腰を抜かした娘がようやく声を出せたのは、ひったくり犯が遠く逃げ去った後だった。


 間もなく、一人の容疑者が逮捕された。ビビアンという源氏名のオカマだ。ゲイバーで働いていたが、二月ほど前不況の煽りで解雇され、現在求職中である。女装に似合わぬごつい体型と、いつも付けているという大振りのイヤリングが州警にマークされた理由だった。当然ながら、全ての犯行日時における彼女(彼?)の確としたアリバイはない。


 ビビアンは徹底して容疑を否認した。

 面通しを要請された被害女性達の証言も「絶対にあの人だ」から「似ている気がする」「よく分からない」「あんなに背が高くなかった」「化粧はしていなかった」まで様々で、どうも今一つピンと来ない。

 そのうちに、ビビアンは「最後のひったくり事件の日には、あたしアリバイがあるわ」と言い出したのだ。

「思いだしたわ。あの日、あたしはお目当ての彼氏にフラれちゃってぇ、それで繁華街でしこたまヤケ酒煽ってたのよ。幾つ店を回ったかとか店名なんて覚えてないけど、でも、酔い覚ましにチョコレートケーキが食べたくなって、それでコンビニに寄ったんだわ」

 ケーキとヨーグルトの入ったコンビニの袋を手に、終電で家に帰ったのだと言う。

「終電に間に合う時間だったんだから、コンビニに居たのはそれより前よ。その女の子が 襲われた時間にあたしは遠い場所にいたって証明になるでしょ?」


「それは何処のコンビニかね? 支店名は?」

 取調室。ビビアンと机を挟んで向かい合わせに座っているキンバリー警部補が訊いた。ビビアンを引っ張って来たのもキンバリーだ。彼女の付けている香水の匂いが気に障るのか、ずっとハンカチで鼻を押さえている。

「……それは覚えていないけどぉ」

「はっ。それじゃあ話にならんよ」

「だって、コンビニなんてどれも似たようなモンじゃない」

 ビビアンが赤く塗られた口唇をベソの形にねじ曲げる。


「コンビニでレシートは貰わなかったのか? アレにはレジを通した時間が印字されるぞ。支店名だって載ってる」

 横からダグラスが問いかけた。キンバリーがあからさまに嫌な顔をする。二人は同期だったが、国立大卒でエリート意識の強いキンバリーは、どういう訳か何かにつけてダグラスを目の敵にしているのだった。エリートらしく、出世街道に乗っているキンバリーは着実に昇進し、既に警部補になっていてダグラスとはその階級に差を付けている。

 だが、その事をダグラスが悔しがるどころか全く気に留めてもいない所が、キンバリーには我慢がならぬらしいのだ――とは、ダグラスの相棒のミシガン刑事の分析である。ダグラス本人はというと、本当に「そんなコトどうでもイイ」らしい。


「貰ったわよぅー。あたし、こう見えても几帳面なのよ。ちゃんと家計簿だって付けてるんだから。レシートはいつもきちんとお財布の中に取っとくの」

「じゃあ、財布を出せ」

「それがねぇー」

「何だ? ゴミに捨てたとか言うなよ」

「違うのよぉー。あたし、あの晩、しこたま酔ってたって言ったじゃない。家の近所の橋の上で転んじゃってさ、その拍子にお財布をポッチャーン」

 川に落としちゃったの、と呻く。


「はっ!」

 キンバリーが再び嘲笑った。

「もう少しマシな嘘を思いつけんものなのかね?」

「嘘じゃないわよ、本当よぉ。可愛いショッキングピンクのブランド財布。すっごい高かったんだからねぇ」

「もういい加減に、罪を認めて欲しいものだね」

「あたし、やってないわよぉー」

「……財布だけ川に落としたのか? 女は財布をハンドバックに入れて持つもんだろう?」

 ダグラスが尋ねる。

「橋の手前の自動販売機でお茶を買ったのよぉ。それでもうすぐお家でしょ? 鍵がお財布に入ってるからイチイチ出し入れするのがメンドウで、そのまま手に持って歩いたの」

 財布ごと鍵も落としちゃったから、家にも入れなくて、その日はお友だちの家に泊めて貰ったんだからぁ。転んだ時擦りむいた肘に絆創膏だって貼って貰ったんだからぁ。ほら、まだうっすら後が残ってるでしょ? そう言って袖をまくってみせる。

「……」

 ダグラスが腕組みをして考え込む。キンバリー警部補が机の上に置かれた照明をビビアン向けた。眩しさに目を手で庇ったビビアンの顔は厚塗りの化粧が剥げかけている。そして、アゴには哀しいかな、うっすらと無精髭が伸び始めていた。


「拘留期限はまだまだある。長期戦で行くつもりかね?」

「どうして信じてくれないのよぉ。若くて可愛い女の子の言うことなら信じるのね? あたしが不細工なオカマだから信じないのねぇ!」

 ビビアンが机に突っ伏して泣き始めた。うぉーうぉぉーとダミ声がくぐもって響く。キンバリーが口の端を上げて、皮肉そうに鼻を鳴らした。


「おい、ビビアン」

 ダグラスが口を開いた。オカマが恨めしげに見上げてくる。

「……ナニよぉ?」

「そりゃ、何処の川のどの辺だ? 案内しろ」

 マスカラの溶けた黒い涙を頬に伝わせたオカマが、つぶらな目を見開いてダグラスの顔を凝視した。


■■2


「……ハーックショイ」

 ドブ川を漁る男がくしゃみを連発する。秋深し。水の中は流石に冷える。

「ねぇ、ダグラスちゃん、もうイイわよぅー。お願いだから上がってよぅー」

「阿呆! 今さらやめられっかい」

 橋の上と下で交わされる怒声に、見物人が何だ何だと寄ってくる。だが、ビビアンの風貌とその手に嵌められた手錠を見ると、遠巻きにするだけで間近に寄ろうとはしてこない。


「いいのよぅー、あたしみたいなオカマなんか刑務所入って世間に顔を出さない方が、世のため人のためなのよぅー」

 どうせ、仕事もないんだし彼氏だっていないのよぅー。あたしなんかもう、どうなっちゃったって良いのよぅー。

「てめぇ、このオカチメンコ。本気で言ってやがるのならぶん殴るぞ! お前はやってねぇんだろうが」

「だって、お財布はもう川下に流されちゃったかもじゃない。見つけ出すなんてムリだわよぅー」

「先輩ー、僕も降りてってお手伝いしますよ」

 付いてきたミシガンも遅まきながら、背広を脱いでワイシャツの袖をまくり上げる。

「ミッジ、てめぇはちゃんとビビアンを見張ってろ。部長刑事にムリ言って容疑者を外に連れ出しているんだからな。もしも逃がしたりしたらタダじゃおかねぇ」

「あたし、逃げたりしないわよぉ」

 ビビアンが抗議の声を上げる。ダグラスが橋の上を見上げてニカリと笑った。


「……先輩はアナタが逃げ出すなんてゼンゼン思ってないですよ。あれは僕を手伝わせないための方便です。多分」

 ダグラスとキンバリーの間のいざこざにミシガンまで巻き込むまいと思っているのだ。普段目も当てられないほど大雑把な男のクセに、時折怖ろしく細やかな心配りを見せてくる。

 ダグラスは不思議な先輩だ。優秀な刑事だ。そんなダグラスとコンビを組めたことをミッジは幸運だと思う。本来なら、キンバリー警部補より上にいて然るべき人なのに。今日だって警部補の横やりがなければもっと捜査人員を増やせていたはずなのだ。警察機構は上下関係が厳しい。刑事部長も昇級試験を受けるようダグラスに打診しているらしいと噂で聞いた。それなのにどうして試験を受けないんだろう? 人並みの出世欲を持つミッジとしては、それが常からの疑問である。


「ちょっと、ダグラス刑事じゃない。そんな所でナニやってるのよ?」

「げっ!」

 橋の上から聞き覚えのある声に問いかけられて、ダグラスは思わず硬直する。何でお前がココにいる?

「あ、ホントだ。刑事だー」

 女の子の声に続いて、のほほんとした少年の声も聞こえてきた。あの二人が居るってことは、当然もう一人も居るんだろう。

「……州警にお勤めだとばかり思っていましたが、何時の間に清掃局に配置換えになったんですか? ダグラス刑事」

 案の定、残る男の声も届いた。ダグラスはガックリと肩を落とす。このまま水面下にブクブクと潜ってしまいたくなる。水かさからして無理だったが。


「やぁ、小鳥さんじゃないですか。白野さんも朱里さんもお揃いで。どちらかにお出かけだったんですか?」

 既にダグラスを介した顔見知りであるミシガン刑事が、突然現れた【幸福画廊】の三人組に、愛想良く笑いかけた。


 かくかくしかじか。まあ、そういう訳なんでして。

 ミシガン刑事がコトの成り行きを手短に説明してくれる。朱里がそれに相づちを打つ。

「なるほど。それで刑事はドブさらいをしているんですか」

「二回目の面通しでは、被害女性達の意見もビビアンが犯人だと思うって方にすっかり傾いて来てまして。このままで行くと、キンバリー警部補の思惑通り、物的証拠の必要なしに立件が成立しそうな雲行きなんです」

「どうして、女の人達の意見が急にまとまっちゃったのかしら?」

「人間というのは不思議なもので、『アレは黒です』と言われると、そこはかとなく黒っぽく見えてきてしまうものなんですよ、小鳥さん。その上、そういう心理には加速が付いていくものなんです」

 元々、暗がりという悪条件と恐怖感が先立って、犯人の顔などマトモに覚えていない女性が大半の筈なんですがね。そう、朱里が説明する。


「……そんなのってヒドくない?」

 オカマさんだろうがなんだろうが、人権はあるわよね。わたしはビビアンさんの味方よ!

 初対面の筈なのに、小鳥はもうビビアンと旧年来の親友のような口ぶりだ。ビビアンも「アンタってばなんて良いコなの、小鳥ちゃーん」と、抱きついて持ち上げて頬ずりせんばかりの様子である。どうやら気が合う同士らしい。


「この川から、財布が出てくるといいんですけども」

 既に下流に流されているかもしれませんしね、そうなったら……。

 ミシガン刑事が口籠もる。ビビアンが哀しげに川を見つめた。

「いえ、ビビアン嬢が財布を落としたというのが本当なら、きっと流されてはいませんよ。この周辺に沈んでいます」

 この川の流れは速くない。財布というのはこれが案外、小銭だの鍵だの入れば大きさの割には重いものだ。ビビアンが酔いつぶれたという夜から今日まで、強い雨が降って川が増水したということもない。誰かが先に拾っていくという心配もなかろう。落としたものなら必ずある。

 見た目や直感やその時々の感情だけで先走るきらいのある小鳥と違い、ダグラスはそれなりの勝算があって行動している筈だった。これまでに知り得た情報を繋ぎ合わせて、朱里はそう結論づける。



「濃いピンク色の財布、かぁ……」

 不意に。白野が橋の欄干から大きく身を乗り出して、灰色の川底を覗き込んだ。

「ん~~~」

「ちょ……白野様、落ちますよ!」

「んんんん~~~~~~」

 足を半ば宙に浮かせるようにして、真下の方まで覗き込んでいる。栗色の柔らかい巻き毛が重力の法則に従って、ふんわりと逆立った。朱里の手が慌てて白野の腰のベルトを掴む。

「……ソコ」

「え?」

 小鳥が白野の指差す水面を見る。

「アソコだよ。橋げたの影の落ちてるその境目辺り。ほんのちょっとだけ水の色が赤っぽい……ような気がする」

「えぇぇぇぇ~~~!?」

「せ、先輩、ダグラス先輩。こっち、こっちだそうですよ!」

「あ? なんだと? 何処だって?」

 バシャバシャと水を蹴散らしてダグラスが寄ってくる。跳ね上がる泥飛沫など、既に眼中にはないらしかった。


■■3


 【幸福画廊】の館。夕飯もすんで、皆が居間に集まっている。

「お手柄だったな、坊や」

 ダグラスがグリグリと白野の頭を撫でまくる。ぐしゃぐしゃにされたクセっ毛を自分の指で撫でつけながら、白野はくすぐったそうにふふっと笑った。蒼い目にいたずらっぽい表情が浮かんだ。

「僕って、目がイイんだよ」

 そう言って、テーブルの上の紅茶のカップを持ち上げると、美味しそうに飲み干す。


 供述通り、ビビアンの財布の中からはコンビニのレシートが発見された(財布の中は案外浸水していなかった。「だって、ブランド物だもーん」とはビビアンの弁である)。ビビアンは自分の服の汚れるのも構わずにドブ泥まみれのダグラスに抱きついた。このレシートと、コンビニの防犯カメラに写っていたビビアンの姿が確認され、ビビアンは晴れて無罪放免となったのである。



「お手柄は刑事こそでしょう。善良な一市民を冤罪から救ったのですから」

「そうよ、刑事。あーんな泥だらけになって、わたし感心しちゃったー。警察のお仕事って大変なのね」

 朱里に続いて、小鳥も言う。

「でも、その後ったら、キンバリー警部補が癇癪を起こして大変でした。とにかく警部補はダグラス先輩を目の敵にしているんです」

 夕食に誘われていたミシガン刑事がため息をつく。

 キンバリーは「ふん、あの容疑者を釈放するなら、きっと君が真犯人を捕らえてきてくれるんだろうねぇ、ダグラス」と言ったのだ。この件は君に一任しよう。たかがひったくり犯の捜査に州警が何人がかりでやるものでもないからねぇ。

「先輩、どうして昇進試験を受けないんですか? キンバリー警部補の横暴は目に余りますよ」 ミシガン刑事が声を荒げる。

 知ってますか? あの人ビビアンを釈放する時になんて言ったと思います?「昔は乞食罪というのがあってな、今もあって当然なんだが、オカマ罪もあればな。この国はもっとマシになるんだが」って言ったんですよ。

「非道い、そのキンバリーって人、許せない! ビビアンさん可哀想」小鳥が憤慨する。

「先輩が昇進試験を受けて、キンバリーと同じ警部補になってくれたら、どんなにいいか……」

 はぁー、とミシガンがため息をつく。

「俺は別にキンバリーと張り合うために刑事やってるんじゃないぞ」

 そう言うお前がどんどん昇進してキンバリーを追い抜けばいいじゃないか。

「嫌ですよ。僕は先輩の下でずっと働きたいんです!」

 ドン! とミシガンがテーブルに拳を打ち付けた。


「ところで、お前ら、どうして今日はあんな場所に居たんだ?」

 お陰さんで助かったが、とダグラスが話の矛先を逸らす。

「あの先に、面白い画材を仕入れる店がありまして。新しい顔料が入ったと連絡がありましたので、それを見に」まぁ、要は散歩のようなものです。


「それにしても」と朱里が言う。

「女性の扮装をした男など、夜とは言え目立つはずですが」

 逃げるにしても、女性用のヒールなら走りにくいでしょうしね。おそらく女性を油断させるために、そのような格好をしているのでしょうが、解せません。

「被害女性達にも共通点がありましてね、みんな小柄で金髪の綺麗で若い娘達なんです。物取り目的と言うより愉快犯のような」

「こら、ミッジ。情報漏洩するんじゃねぇ」

「でもですよ。今のところ、突き飛ばして荷物を奪って逃げるだけだから、被害女性達も足をくじく程度の怪我ですんでいますが、愉快犯なら増長していく可能性が高いでしょう? 僕はそこが気になります」

「金髪女性に恨みでもあるのかしら? 振られたとか、虐められたとか」

「おとり捜査をすればイイんじゃないの?」

 急に白野が言う。自分で自分を指で差す。

「僕、金髪小柄」

「いけません、白野様!」

「ダメだ、ダメだぞ、坊や。坊やも小鳥もこれ以上興味を持つな。事件は警察に任せとけ!」

 ミッジ、お前が要らん事を言うからだぞ。もう帰れ!

 ダグラスが烈火の如く怒った。


■■4


「こんにちはぁん」

 館のチャイムを鳴らしてやって来たのは、ビビアン以下、オカマ達の集団だった。

「白野ちゃんだったわね、この前は本当にありがとう」

「ビビアンを助けてくれてありがとう」

「ビビアンがひったくりなんてするわけないのよ」

「ねー、アタシ達、純情可憐な人畜無害のオカマだってゆーのにねー」

 オカマ達がかわるがわる白野の手を取っては騒ぎ立てる。

「それでね、これお礼。お菓子にしようかと思ったんだけど、ミシガン刑事に訊いたら、こちらお菓子って沢山あるんですってね。だからこれ」

 ピンク色のハンドバッグの中から細長い小箱を取り出す。

「美顔用の栄養クリームよ。すっごく効くんだからぁ。一度使ったらお肌すべすべ。あ、小鳥ちゃんにもね」

 白野が渡された小箱を受け取って、しばし見つめる。ピンクの包装紙に少し濃い色のこれもピンクのリボンがかかっている。ビビアンは余程ピンクが好きらしい。

「……ありがとう」

「わたしにもですか? ありがとうビビアンさん。冤罪が晴れて良かったですね」

「お礼はダグラス刑事にするべきではないですか?」

 朱里が言う。

「ま、ハンサム!」

「髪の毛サラサラ!」

「ステキ! お名前聞かせて」

「白野ちゃんも可愛いわぁ。見て、お肌すべすべ。美顔クリームってこの子に要ったの?」

 オカマ達がキャーキャーさえずる。

「勿論刑事のトコにも行ったわよぉ。そうしたら、ひどいのよぉ。オカマ軍団なんか見たくないからとっとと帰れって」

「賛同します」と朱里。

「ま、ひどぅい」オカマ達が一斉に片手を頬にあてて嘆きのポーズのしなを作る。

「朱里、ケーキ焼いてたよね。折角来てくれたんだから、みんなでお茶にしようよ」

 ダグラスと同じく、体よく門前払いにしようとしていた朱里に白野が言う。白野至上主義のこの執事にとって、主人の言葉は絶対なのであった。


「あのね、これ」

 ビビアンがハンドバック以外に持っていた紙バッグを小鳥に渡す。

「ダグラス刑事へのお礼。本当はネクタイにしたかったんだけど、ネクタイって恋人が贈るべきものでしょ?ピンクのバラの花束も贈りたかったんだけど、あの人似合わないし」 それでね、川で汚させちゃったからワイシャツ。

 小鳥が微笑む。

「必ず刑事に渡しておきますね」

「皆さん、ケーキをどうぞ」

 朱里が人数分に切り分ける。今日のケーキはエンゼルケーキである。ホイップクリームの上に沢山の果物が載っている。

「きゃー、美味しそう」

「これ、執事ちゃんが作ったのぅ?」

「顔がいいだけじゃなく、仕事もできるのねぇ」

「でも、なんでそんなに仏頂面なの? 折角のいい男が台無し」

「皆さんがいらっしゃるからですよ」

 にべもない。

「……グサっとくる事を率直に言う執事さんねぇ」

「あら、アタシそういうのも好きよ。ハンサムに嫌がられるとゾクゾクしちゃーう」

「アンタってマゾねぇ」

「ギャハハハハ」

 朱里が更に顔をしかめる。かしましい事この上ない。


「それにしても、腹の立つのはひったくり犯よねぇ」

「そうそう。オカマの面汚しよぉ」

「早く捕まるといいのにねぇ」

「それなんだけど」

 フォークでケーキを刺して白野が言う。

「みんなで犯人を捕まえちゃわない?」

「白野様!」

 朱里が慌てる。

「えー、それってどういうコト?」

「アタシ達に出来る事ならなんでもやるけどぉー」

「ダグラス刑事はキンバリーって人にイジワルされてて、捜査に人数が割けないから捕まえられないんだよ、きっと」

 ダグラス刑事とミシガン刑事の二人じゃね。そこをいくと僕たちは

「ひーふーみー」数を数える。

「七人いるし」

「もっと、人出がいるのなら集めてくるわよぉ、アタシ達」

「そうよ、オカマの結束は固いの」

「白野様、ダグラス刑事が関わるな、と言っていたでしょう。お忘れですか?」

「でも、ミシガン刑事の言うとおり、この犯人は早く捕まえないと次第に犯行がエスカレートしていくと思うんだ。それに……」

 ダグラス刑事の役にだって立ちたいし。刑事はいい人だから。

「朱里が解せないって言っていたから、僕にも犯人のやり方が分かっちゃったんだよ。ねぇ、いっしょに犯人を捕まえよう」

 なにか言おうとしていた朱里が、それに言葉を詰まらせる。天井を仰いだ。

「退屈しておられるのですね。……困った方だ」

「ねぇ、二人で納得してないで教えてよ。わたし達はナニをすればいいの?」

 やきもきし始めた小鳥が訊いた。


■■5


「さぁ、出来たわよぉ、白野ちゃん。とーっても可愛いわぁ」

「ありがと、ビビアンちゃん」

 白野がゆっくりと目を開く。ファンデーションに頬紅、薄いピンクのアイシャドーとピンクの口紅。それにオカマ達から借りた白いワンピースを身につけている白野は、どこから見ても清楚で可憐な美少女だ。小鳥が目を丸くしている。


「白野様」と、朱里が呼ぶ。

「新聞と地図で調べたところ、犯人はいつもこの駅周辺の主要幹線道路に近い、裏通りを犯行現場に選ぶようです」

「うん」

「それですから、駅前辺りで人目を引いて、こう、この裏路地に入っていくのがよろしいかと」

 地図を指で指し示す。

「私はいつも少し離れて白野様の後ろにおります。小鳥さんとビビアン嬢達は、あらかじめ私が指示した場所で。打ち合わせ通りにお願いします」

「分かったわ」

「任せといて」

 ビビアン達の召集で更に数を増したオカマ軍団が胸を張る。

「でも、ホントに来るかしら?」

「さすがに今夜一晩で、とは行かないかもしれませんが、それなりの確率で引っかかると思いますよ。……遺憾ながら、この扮装の白野様はかなり人目に立つと思います」

 言われた白野が自分の出で立ちを鏡に映し、くるりと回ってみせる。くすくすと笑っている。


 コツコツと白野の履く白い靴の足音がする。駅前で何人もの男達に声をかけられ、閉口していた白野だったが、駅舎の十時の鐘が鳴ったのを合図に、裏路地へと歩いて行く。肩にはこれも真っ白な小振りのトートバッグを下げている。後方からカツンカツンとヒールの音が聞こえてくるのに白野は気付いた。薄暗い裏通りを一人歩く白野はピンク色の口唇をきゅっと結び、トートバックに片手を入れる。


 少しずつ、後ろから聞こえる足音が早くなる。白野はそれを知らぬげに歩調を乱さずゆっくりと歩く。やがて、足音がすぐ背後まで迫った。くるりと後ろを振り返る。安物そうな女物の服を着た男がそこに立っていた。

「おやめなさい、警察です!」

 こっそりと後を付けてきていたのだろう朱里の朗々とした声が夜の静寂に響く。

 白野が手にしていた瓶を男の顔目がけて投げつけた。蓋は既に外されている。男は「ぎゃっ」と声を上げると、目を擦り、咳き込みながら、逃げ出していく。

 逃げていく男は頭からぼぅっと発光していた。足下にも点々と発光する滴りがある。

「白野様、何をお投げになったんです?」

 すぐに白野に追いついて、二人で男の後を追跡しつつ朱里が問う。

「タバスコと胡椒と唐辛子入りの蛍光染料。結構臭いもキツい奴!」

 男は脱兎の如く逃げていく。路地の角を曲がった。そこに車が入ってくる。男が車に乗り込んだ。


 そこに。わっと湧いて出たのがビビアン達オカマ軍団である。

「逃がさないわよぅ、この下劣犯!」

「よくもビビアンを泣かせたわねぇ」

「引きづり出しちゃえ、引きづり出しちゃえ」

 オカマ達は寄ってたかって、一派は車の前に立ちはだかり、もう一派は車のドアをこじ開ける。蛍光染料を浴びた女装の男と、運転席にいた、これは以外であったが、年配の小太りの女もいっしょに引きづり出される。ビビアンが男の前にツカツカと歩み出た。

「てめぇみたいな奴がいるからあたし達オカマがメイワクすんだよ、クソ野郎!」

 ビビアンの渾身の拳が男の顎に炸裂する。男は「ぐぅ」と呻くと、もんどり打って倒れこんだ。


■■エピローグ


「いらっしゃーい、白野ちゃん、小鳥ちゃん、執事ちゃん」

「ダグラスちゃんとミッジちゃんも来てくれたのねぇ、嬉しいわぁ」

 ビビアンが勤め始めたオカマバーである。見知った顔がひしめいている。

「今日はひったくり犯逮捕のお祝いパーティよ。貸し切りだから楽しんでいってね」

「ナニお飲みになる?」と訊かれて、白野が「僕、マティーニっていうの飲んでみたい」と言っている。

「何がお祝いだ。みんなして危ない真似しやがって。いいか、今回は上手く行ったから良かったようなものの……」

「まぁまぁ、刑事。そこまでそこまで」

 小鳥が言う。小鳥はビビアンお薦めのスクリュードライバーを飲んでいる。オレンジ味で飲みやすい。

「犯人が捕まったんだから、もうイイじゃない」

 それにダグラスが鼻を鳴らす。

「とにかく、執事が一番悪い。お前はこういう時の歯止め役だろうがよ!」

 怒鳴るダグラスに朱里が肩を竦めてみせる。

「白野様や小鳥さんだけならともかく、このメンツに囲まれたんですよ。一介の執事たる私に一体何が出来ましたでしょう?」

 辺りを見回し「ハァー」っとこれみよがしにため息をつく。そのくせ「あ、私にはジンを。ライム入りで」などと、案外周囲に溶け込んでいる。

「大体なぁ、ビビアン。こりゃなんだ?」

 ダグラスが背広をはだけてワイシャツのポケットを示す。白いワイシャツにピンクの口唇がワンポイントで付いている。

「アタシが刺繍したのよぉ。上手でしょう? 可愛いでしょう?」

「お前なぁ……」

 恥ずいだろーがよ、などと言いながら、ちゃんとこの席に着てくるところがダグラスらしいと言うか何というか。小鳥がくすくす笑っている。


 宴もたけなわである。オカマ達はステージでラインダンスを踊っている。

「結局、あの犯人二人はどういう間柄だったの?」小鳥が訊く。

「ああ、あれは母子でした」

 ミシガン刑事が言う。

「なんでも、息子がまだ幼い頃に父親が金髪美人と逃げたらしいんです」

 その上、息子には何かに付け「娘が良かった、娘が良かった」とずっと言っていたらしくって。母子で父親に復讐していたつもりだったようですよ。

「まぁ、そうだったの」

「小鳥ちゃん、白野ちゃんもみんな一緒に踊りましょうよ。いらっしゃいな」

 ビビアンが呼びに来る。小鳥とミッジは手を引かれて立ち上がったが、白野はイヤイヤと首を振った。


「僕、足が痛いから」小さくため息をつく。

「女の子の靴って長く履いてると痛いんだね。僕もう二度と履かない」

「それがよろしいかと思います」

 朱里が言う。ジンを飲みつつ言葉を繋ぐ。

「白野様。あの夜、駅前で何人の男に声をかけられたか覚えておいでですか?」

 白野が渋い顔をする。

「十人ですよ。一時間で十人。大したものだと思います」

「なんで数えてたりするの? イジワルだなぁ、朱里」

「暇で退屈でしたから」

 白野が今度の事件に関わった理由。「退屈していたから」への意趣返しと取るべきだろう。白野至上主義執事は同時に底意地の悪い男でもあった。

「みんなには絶対にナイショだよ」

 顔を寄せて、そう真剣な顔で言う白野に「さあ、どう致しましょうか」と朱里が笑う。

「おかわりをお願いします」と言う朱里に、珍しくやけっぱちのような声で「僕もおかわり!」と白野が言った。

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