如月リュウジ、立つ

「絶対におかしい……! 何かの罠だ。試されてる!」

 東京都多摩市内某所のボロアパートの一室で、如月琉路きさらぎリュウジは憤然としてそう叫んだ。

 もう三十路も近いのに、一向に鳴かず飛ばずの自称・・SF作家である彼は、つい数分前に、頭の中で響いた異常な『啓示』に、強烈な違和感と恐怖を感じていたのだ。


 既に、六畳間の片隅に鎮座した18インチTVは、お台場に出現した体長700メートルの『高崎観音』の姿を映し出していて、チャンネルを回せば他局では、東京湾から浮上したギリシャ風の巨大神殿や、アメリカはネバダ州南部に飛来した空飛ぶ円盤フライングソーサーの大編隊、広島県は葦嶽山あしたけやまの山肌を突き崩して出現した、黒いピラミッドの姿を報じている。


「みんな、一体何を……!?」

 卓袱台のノートパソコンを開いたリュウジは、ネットを眺めて唖然とする。


「スプーンが曲がりましたーーー」

「耳がでっかくなっちゃった!」

「三分間で120キロダイエットに成功!」

 とか、しょうもない『奇跡』の見せっこで、SNS『サエズッター』はパンク寸前だったのだ。


 リュウジは、自分の不安が的中したことを知った。

 この地上の全て・・の人間の願い事が、物理法則や因果律を無視して、それぞれ勝手に叶えられてしまうのだとしたら、これからの世の中は、いや、世界は一体、どうなってしまうのだろう?


「情報……情報……情報……!」

 リュウジは、必死で考えを巡らせる。

 少しでも有益な情報を得なければ。

 そう思った彼は、学生時代の恩師にして宇宙物理学者である大槻教授おおつききょうじゅに電話をかけた。


 プルルルル…… ピッ


「もしもし。大槻先生、如月です。先生も、さっきの『声』を聞かれましたよね? こんなことが現実に……? 一体、誰が、何の為に?」

 携帯電話に齧りつくようにして、教授にそう尋ねるリュウジだったが、


「……もういいんだよ、如月君。フヘヘ……全ては些細な事なんだ」

 大槻教授は電話の向こうから、何か尋常でない様子で彼に応えた。


「今、まさに、宇宙誕生の秘密が、この私の頭の中に流れ込んできてるんだからぁあ'`あ'`あ'`あ'`あ'`…………」


 ……くそ使えねえっ!

 リュウジは苛立たしげに、すでに会話が成り立たなくなった大槻教授の笑い声に舌打ちした。

 てゆーか、欲求に素直すぎだろ先生!


 その時だった。


 ズシーン!


「なんだ!?」

 突如、アパートの部屋全体を震わせる轟音に、リュウジは辺りを見回す。


 ズシーン。ズシーン。


 地震? いや何か、巨大なモノが墜落してきた来た、音?

 いや、違う。大きな……何者かが歩き回る……『足音』!?

 

「やっぱり……普通じゃないぞ!」

 リュウジは、携帯電話を切って立ちあがる。

 おそらく、これから社会に巻き起るだろう大混乱をヒシヒシと予感して、彼はある決意を固めたのだ。


「一人一回、願いが叶うって言ったな!」

 リュウジは、誰にともなく、そう吐き捨てた。

 その『願い事』、いざという時までは、絶対に使わない。


 そして、連絡のつく知り合いに、片っ端から声をかけよう。

 冷静な奴、頭の沸いていない奴、軽はずみな願いをしない奴を集めよう。

 一人一回、授けられた『願い事』は、来るべき大混乱からの『護身』にも使えるはずだからだ。

 そしてそれは、組織化されるほど有効に働くはずなのだ。


 だが今、何よりもリュウジが案じていたのは、『願い事』とも『護身』の手段とも別の事だった。


茉莉歌まりか! あいつは今、何処に!?」

 近所に住む、まだ中学生の彼の姪、水無月茉莉歌みなづきまりかの安否の事だ。


「姉貴と義兄さんは、二人とも勤めに出てる……あいつは……無事か! 家にいるのか?」

 慌てて水無月の家に電話をかけるリュウジだったが、


 ピピピピピ……


 既に、さっき恩師と交わした通信を最後に、携帯の回線はパンクしていた。


「あーくそ! 待ってろ、茉莉歌!」

 いてもたっても居られずに、リュウジはものの一分で身支度を整えて、アパートを飛び出した。


 しかし、


「うおわ……!」

 表に出た彼の眼前には、早くも彼の心を折りにかかってくるような、異様な光景が広がっていたのだ。

 雪だった。真夏なのに雪が積もり始めているのだ。


「れりごー♪ れりごー♪」

「ん……?」

 リュウジは三軒先の庭先から流れてくる、素っ頓狂な女の子の歌声に気づいた。


「あれかぁ……」

 その家の屋根の上に、逆巻く吹雪と共に積み上がっていく、透き通った氷の城壁、氷柱つららの螺旋階段。『雪のお城』……。


「わっしょい。わっしょい……」

 アパートの玄関先から通りに飛び出したリュウジの足元を、小さな雪だるまの隊列が行進して行く。

 連日の猛暑だった。我慢袋のはじけた近所の暑がりが、堪らずに『あんなこと』を願う気持ちも、まあ解らないではないが……。


 ふと、リュウジは空を見上げる。

 ぶ厚い雲の切れ目からは、明らかに太陽とは異なる、ぼんやりした緑色や橙色の光源が、幾つも幾つも見え隠れしているのだ。

 光源は時を追うごとに増えていき、そしてその幾つかの周りには、鳥でも、飛行機でもない巨大な『何か』が、ギャアギャアと奇怪な鳴き声を上げながらぐるぐると旋回しているのだ。


 『悪魔』……? いや『天使』……?


 リュウジは、改めてゾッとした。

 勿論、こんな異常事態が起こっても、大抵の人は戸惑って何もしないか、あるいはレクサスMXとか、プレステXとか、iPhone7とか、ネクサス12が欲しいとか、目先の小さな欲求に『願い事』を使うかもしれない。


 だが、東京の人口は1300万人。仮にその中の10万人に一人が、『最後の審判ドゥームズデイ』とか『次元上昇アセンション』を願ったとしたら……?

 日本の人口は1億弱……世界は70億……!


 リュウジは空恐ろしい想像をしながら、必死に雪をかき分ける。

 彼はようやくアパートから三区画先の水無月家、彼の姉の嫁ぎ先であり、義兄の生家の庭先にたどり着く。


「茉莉歌……! いるのか?!」

 彼は、何度も何度も、玄関先のチャイムを鳴らした。


 がちゃり。


 玄関の鍵が開いた。


 開け放たれた扉の向こうで、小さな肩を震わせながら、水無月茉莉歌まりかが立っていた。

 お下げ髪を揺らした、まだあどけなさの残る茉莉歌の顔。

 彼女は、泣きはらした目でリュウジを見つめた。


「リュウジおじさん……」

「茉莉歌ちゃん! どこも、何ともないな!」

 二人は、水無月家の居間に入った。


「……うん。ねえおじさん、さっきの『声』は何だったの? テレビで言ってるど、『あれ』のせいでこんなことになってるのかな?」

 彼女は、怯えた目で、居間のテレビの方を向いた。

 リュウジは、目を覆いたくなった。

 テレビが映していたのは、彼もよく見知った『怪獣』だったのだ。

 『ゴシ"ラ』が、新宿の都庁舎を壊しているのだ。


 ……彼女の両親は、新宿にオフィスを構えていたはずだ。


 やがて、さらに正気を疑うような事が起きた。

 都庁舎の周囲の高層ビル群の外壁が、ガチャガチャと、まるで寄木細工か何かのように展開を始めたのだ。

 そして、いったい何時からそこにいたのか、ビルの中から現れた赤や紫の極彩色の装甲に覆われた、痩せぎすの巨人たちが、ゴシ"ラに掴みかかっていった。


「バスター……」

 リュウジは茫然として、掠れた呻きを上げた。

 昔、TVで放映していたロボットアニメ。

 いや、ロボットじゃなくて『人造人間』だっけ……『バスターアルティメス』だった。


「うぐ……!」

 ついにリュウジは耐え切れず、TVを消した。


「……茉莉歌ちゃん。姉き……お母さんか、お父さんから連絡は来てないのか?」


 茉莉歌は顔を背けて、戦慄きながらサイドボードの電話機を指差した。

 リュウジは、電話機の前に立った。

 本日付のメッセージが一件。彼は震える手でメッセージを再生した。

 メッセージが流れ始めた。彼の姉で茉莉歌の母、水無月結衣みなづきゆいの、焦燥しきった声だった。


「茉莉歌! 携帯が繋がらないから、こっちに電話するよ!」

 ……背後から、爆音と悲鳴。


「うちに帰ってるなら、絶対に家から出ちゃだめ!」

 ……爆音、悲鳴。


「リュウジおじさんに連絡しなさい。あいつは昼間からフラフラしているから、すぐに来てくれる、お父さんは、お父さんは……いまっ…………」

 爆音、よくわからない吠え声。


「……とにかく家で待ってなさい! 後、絶対に」

 爆音。


 メッセージは、そこで途切れていた。

 茉莉歌は耐え切れず、茫然自失のリュウジにすがって再び泣き出した。


「リュウジおじさん……! これから、一体どうすれば……!」

「わからない……茉莉歌ちゃん。とにかく周りが落ち着くまで、家から出ちゃだめだ……。一緒にいよう」

 リュウジは茉莉歌の肩に手にやって、そう答えるしかなかった。

 アパートでの決意が、早くも揺らぎそうだった。

 あんな惨状を目にして、耳にして、自分一人の努力だけでいったい何が出来るというのだろう。

 ここで、このままおとなしく、状況が収束するのを待った方がいいのでは?


 リュウジがそう思い始めた、矢先だった。


 ガチャン!


 何かが、割れる音がした。

 音の方を向いたリュウジは、再び我が目を疑った。

 縁側の引き戸のガラスを叩き割って、何者かが、水無月家の中に侵入してきたのだ。


「あーうー……」

 『そいつ』が呻いた。


「うそだろ!」

 リュウジは我が目を疑う。

 全身から猛烈な悪臭を放ちながらリュウジと茉莉花の前で立ちあがったのは……死体だった。

 ボロボロの衣服をまとって、腐った肉体から蛆虫を零し白骨をのぞかせた、歩く死体リビングデッドだったのだ。


「な……何あれ!」

 茉莉歌もまた恐怖で固まった。


「ぞ……ゾンビ!?」

 ヨロヨロとこちらに向かってくる死体を眼前に、リュウジは思わずそう呻く。


「うう……逃げるぞ、茉莉歌!」

 ゾンビから茉莉歌を庇いながら、リュウジは玄関に向かった。


 だが玄関の扉を開けた彼は、庭先のおぞましい異景に息をのんだ。

 なんということだ。いつの間にか、家の周りは先ほどのゾンビと同様の、何十体もの腐乱死体に取り囲まれているのだ。


「だめだ、ここも危険だ! 逃げるぞ茉莉歌!」

「わかった、おじさん!」

 庭を駆け抜け、死体の包囲を逃れようとするリュウジと茉莉歌だったが、


「脳みそ~! 脳みそをよこせ~!」

 緩慢な動きだが、執拗に二人に迫ってくるゾンビ達。


「ぐぐぐう!」

 リュウジは思った。


 こうゆう『願い事』をした奴を、小一時間は問い詰めてから、なるべく苦しめて頃してやりたい。

 ……いったいこれは、誰得なんだよ!


 だが、すぐに俺得・・な当人、願い事をした本人がやってきたのだ。


「ヒャッハーーーーー!」

 狂ったような甲高い男の歓声と共に、


 ドドドドドドドドドドドドドド!


 機銃掃射が、ゾンビどもをなぎ払っていった。

 まるでドラム缶のような巨大な前輪の両脇に二丁の機関銃マシンガンを構えた漆黒の特殊バイク、『ナイトポッド』が水無月家の庭先に突入してきたのだ。


「あいつは!?」

 リュウジも、その姿はよく知っていた。

 乗っているのは毎週TVで活躍しているスーパーヒーロー。

 闇の処刑人『ダークナイト』がやって来たのだ。


「ぎゃっはははーーーー! こーゆーの・・・・・がヤりたかったんだぁあ!」

 黒装束のヒーローが、そう叫んで、再びヒステリックに笑った。


「子供の頃から夢だったんだ! (俺よりもかなり弱め設定の)最強の悪の軍団を、全員まとめて死刑に処す!」


 ドドドドドドドドドドドドドド!


 ダークナイトは、機関銃で次々にゾンビどもを始末していった。だが、


「ぎゃっはー思い知ったかー! 街のダニども! 俺TUEEEEE……ぇげぼあ!」

 

 ブチュッ!


 男の笑いが、永遠に途切れた。

 喉元から血しぶきを噴き出して、自分に何が起きたかも分からないうちに、男は死んだ。

 背後から音もなく忍び寄ってきた何者かの巨大な鉤爪が、ダークナイトの喉笛を引き裂いたのだ。


「あれは!」

 リュウジは目を瞠った。

 男を襲って殺した者を、図鑑や映画で彼も子供の頃から知っていた。

 極彩色の羽毛に覆われた、鳥ともトカゲともつかない二足歩行の獣の姿。


「ギャッ! ギャッ!」

 ニホンザルのような甲高い鳴き声を上げた白亜紀晩期の小型肉食恐竜、『ヴェロキラプトル』が、ダークナイトの喉を裂き、頸を食いちぎったのだ。


「ギシャー!」

 そして血に飢えた『ラプトル』が、今度は、リュウジと茉莉歌の方を向いた。


「もう、勘弁してくれ……」

 目の前で次々と起こる惨状に、現実感を失ったリュウジがあきれ顔で呟くと……!


 ズズーン!


「ギャーン!」

 ラプトルの恐ろしい悲鳴。

 次いで十字路の陰から現れたのは、体長10メートルを超える、巨大な怪物だった。


「あいつかー!」

 リュウジは口元をヒクつかせた。

 先刻リュウジのアパートを震わせた『足音』の正体だ。

 ニワトリのような体形に巨大な頭部、鋭い牙、耳まで裂けた口、図太い竜脚。

 白亜紀の恐竜王『ティラノサウルス-レックス』が、バイクと男の死体ごと、ラプトルを踏みつぶしたのだ。


 多摩動物公園の畑中園長が、「白亜紀の恐竜を飼育したいなー」と願ったのである。

 危機は去るどころか、より猛威を増した。


「ギャオーーーン!」

 まるでコントラバスの様な咆哮を上げ、T-REXはゆっくりとリュウジと茉莉歌の方を向いた。

 二人を認めた恐竜の金色の眼が、何か、いいもの・・・・を見つけたというふうに細まった。

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