思わぬ助け。そして車中問答

 ズシーン。ズシーン。

 恐竜が、二人めがけて突進してきた。


「いかん! 逃げろぉ!」

「わかった、おじさん!」

 リュウジと茉莉歌が、回れ右。

 再び玄関口から家内に戻って、勝手口から逃げようと駆けだしたのだ。


 だが、ズズン。


 勝手口から往来に、二人が飛び出した、その直後、轟音を上げて、水無月家が、『倒壊』した。


「うわ~~~! あたしンが~~~~!」

 茉莉歌が悲鳴を上げる。

 突進してきたT-REXが、そのまま水無月家を突き崩しながら、二人を追いかけてきたのだ。


「走れ! 茉莉歌!」

 リュウジと茉莉歌は、住宅地の路地を全力で駆け出した。

 地響きをたてながら執拗に二人を追ってくるティラノサウルス。

 絶体絶命のリュウジと茉莉歌。

 その時だった。


 ズドン。

 突如響いた銃声が、辺りの空気を震わせて、


「ギャーン!」

 ティラノサウルスの凄まじい咆哮が、住宅地全体を震わせた。

 ドズン。次いで、恐竜の右脚がガクリとくじけて、その巨体が路地に転倒する。

 巨大な顎や尻尾が、周囲の街灯や自動販売機をメリメリと薙ぎ払っていった。


「ニイちゃん、嬢ちゃん、怪我はないかい?」

 そしてリュウジたちの前方、電柱の物陰から姿を現した男が、リュウジと茉莉歌にそう声をかけて来た。

 両手に握られたライフル銃は、先程の銃声の元だろう。

 彼が自分のライフル銃でティラノサウルスの右脚を撃ちぬいて、二人を助けてくれたのだ。


「あ……」

 リュウジは驚きの声を上げた。男の顔に、見覚えがあったのだ。

 小柄な体に、しわだらけの日焼けした顔、短く刈り上げられた頭髪も、もうすでに真っ白だ。

 二人を助けたのは、リュウジのアパートの近所に住んでいて、スーパーの買い物でもたまに見かける、齢はもう七十は超えているだろう隻眼の老人だった。


 たしか、名前は物部もののべさんだったっけ。


「物部さん……でしたよね? ありがとうございます! でもその銃はいったい……?」

 唖然としてリュウジが老人にそう訊くと、


「驚かせてすまんな。わしは狩猟免許を持っとるのよ……」

 老人はサラリと彼に答えて、懐から『第一種銃猟狩猟免許』を取り出して、リュウジに見せた。

 リュウジは知る由も無かったが、彼が普段なにげなく挨拶を交わしていたこの老人こそは、多摩市猟友会の会員中でも最年長にして、最も腕の立つ狩猟者ハンターだったのだ。


「しかしまさか、街中でこいつを使う事になるとはな……」

 物部老人は、手元の猟銃を眺めて苦々しい顔でそう呟くと、


「そんなことよりニイちゃん、嬢ちゃん、逃げるぞ、やっこさんが来る!」

 リュウジと茉莉歌の後方に目を遣って、忌々しげに舌打ちした。


「「え!?」」

 リュウジと茉莉歌が同時に声を上げて後方を振り返ると、


 ズズズズ……

 なんということだ。

 転倒したティラノサウルスが、路地から立ち上がって、巨大な頭部をフルフル振って辺りを見回すと、


「ギャオーーーン!」

 撃たれた右脚を引きづりながら、再びリュウジと茉莉歌の方に向かって、猛然と迫って来たのだ。


「急げ! 仕損じたわい!」

「「はい!」」

 老人の先導で、リュウジと茉莉歌は再び路地を走り出した。

 物部老人も、猟銃で後方のティラノを牽制しながら、その年齢からは信じられないような健脚で住宅地を駆け抜ける。


 と、その時だ。


「うわーーくるなーー!」

 絹を裂くような悲鳴が路の向こうから聞こえてきて、


「あれは!」

 茉莉歌が息を飲む。

 悲鳴の主は、三人が逃げ行く前方、路地にへたり込んでいる、まだ小学生低学年だろう、一人の少年だった。

 何かに襲われて、出支度も整わないまま自分の家から飛び出してきたのだろう。行楽用のリュックサックを背負っているのに、足には靴も履いていない。

 そして少年の周囲を取り囲んで、キイキイと奇声を発しながら彼を威嚇しているのは、丁度ニワトリくらいの大きさの、鳥のようなトカゲのような奇妙な動物だった。


あめくん!」

 茉莉歌が、少年を見て叫んだ。


「知ってるのか、茉莉歌?」

 そう訊くリュウジに、


「うん、リュウジおじさん、この子も一緒に!」

 茉莉歌が答えて少年に駆け寄り、周囲の小さな怪物たちを必死で追い払う。


「お姉ちゃん!」

 少年が茉莉歌を見上げて安堵の声を上げた。

 彼の名前は、大神雨おおかみあめ

 水無月の家とは家族ぐるみの付き合いで、茉莉歌と同じ学舎まなびやに通う、まだ小学校一年生の少年だった。

 

「雨くん、大丈夫? さあ立って!」

 小さな怪物たちを周囲から追い払った茉莉歌が、少年を助け起こして、


「うん……ありがとう、お姉ちゃん!」

 雨は震える足でどうにか立ち上がり、


「さ、逃げるぞ!」

 リュウジが雨を背中におんぶして、再び一同は走り始めた。


「ギャオーーーン!」

 ティラノサウルスが、なおも執拗に一同に迫って来る。


 ズドン! ズドン! ズドン!

 

 物部老人が逃走しながら、再びライフル銃で恐竜を狙い撃つ。

 だが怒りに我を忘れたのか、恐竜の動きは止まらない。

 老人の放った弾丸の何発かは、確実に恐竜の胴体や頭部に命中しているというのに!


「くそおっ! こんな豆鉄砲じゃあ、埒が開かん!」

 老人が苛立ちの声を上げる。


 その時だった。


「グギャーーーン」

 逃走する一同の、今度は前方から・・・・、恐ろしい咆哮が聞こえて来た。


「マジかよ~~!」

 リュウジが絶望的な顔で呻いた。

 彼らの前方、道路の四つ角の影から姿を現したのは、後方から追いかけて来る恐竜よりも、更に二回りも大きい、もう一頭のティラノサウルスだったのだ。

 恐竜王は一体ではなかった。雄雌つがいだったのだ。


「まさか! こいつらに嵌められたのか!」

 物部老人が愕然として叫ぶ。


「うわあああ!」

 雨が恐怖の悲鳴を上げる。


「うう……そんな!」

 茉莉歌も震えて、リュウジに縋った。


 得物を挟みうちにして、狩りの成功を確信したのか、二頭の恐竜が、ゆっくりと一同に迫って来た。


 絶体絶命か!?


 だが、次の瞬間、奇妙な事が起きた。


 スウウウウ……


 二頭のティラノサウルスの姿が、緑色の不思議な光に包まれていく。


 シュン


「な……なにが!?」

 リュウジは目を瞠った。

 T-REXの姿が、彼ら四人の目前から、一瞬にして……消え失せたのだ。

 そして見ろ。一同の前方、消えたティラノサウルスの背後を。

 リュウジ達の正面に立っていたのは、高級そうなグレイのスーツに身をつつみ、半白の髪を綺麗に撫で付けた、眼光鋭い初老の紳士だった。


「理事長先生!」

 茉莉歌が、真っ先に驚きの声を上げた。

 彼らの前に立っているのは、茉莉歌が通う聖痕十文字学園せいこんじゅうもんじがくえん中等部の理事長、炎浄院大牙えんじょういんだいがその人だったからだ。


「水無月君、大神君、怪我はないかね? そちらは保護者の方々かな?」

 理事長が、彼らの方に歩いてきた。


「茉莉歌の叔父の、如月といいます。学園の炎浄院さんですね」

 リュウジは唖然としながら、院理事長に挨拶した。


「それにしても、今のは、一体……?」

「恐竜が消えおったぞ……」

 数瞬前に、眼前で起きた怪事がよく理解できず、リュウジは理事長にそう尋ねた。

 物部老人も、訝しげに眼をシバシバさせている。


「うむ、例の『声』が聞こえたあとにすぐ、表に出た私は命の危険にさらされた。鎧武者のようなフルーツのような姿をした、おかしな怪人が私に襲いかかってきたんだ……」

 炎浄院理事長はうなずくと、四人に事の顛末を話しはじめた。


「怪人に追い詰められた私は、思わずこう願ってしまったんだ。『飛んでいきな』……と!」

 直後、その怪人は不思議な緑の光に包まれて、理事長の前から消え去った。

 そして、理事長は知ったのだ。

 自分が、目の前にいる相手を、望んだ座標に『転移』させる……『飛ばす』能力を体得したことを。


「すると、さっきの恐竜どもも同じように…………」

 物部老人が得心した様子で何度も頷く。


「ああ、その通り。日本の地理は完全に把握しているからね」

 理事長が、遠い目をして答えた。


「今頃奴らは、我が国最後の魔境、埼玉県熊谷市さいたまけんくまがやしに飛ばされているはずだ……奴にふさわしい場所だ」

 理事長は得意げそう言って、胸を張った。


「望んだ座標に『転移』……」

 リュウジは、目の前の霧が晴れて行くような感覚を味わっていた。

 彼の中で、姉と義兄の安否を確認する算段が次々に組み上がっていった。


「その『転移』は……人間でも可能なんでしょうか? 例えば、俺でも?」

 リュウジが理事長に尋ねると、


「うむ。できない事はないが、いくつか問題があるんだ」

 リュウジの期待を察したのかどうか、理事長は頭を掻いて彼にそう答えた。


「色々と試してみたんだがね、まず私の能力は他者を『飛ばす』ことはできても、私自身が『飛ぶ』ことはできない。よって、転送先で君が危険に巻き込まれても、帰ってくることは出来ないのだ。次に、この能力は、『緯度』と『経度』はかなり正確に指定できるのだが、『標高』の精度がいまいちでね。転送先が地上100メートルの空中だったり、関東ローム層のド真ん中だったりするかもしれない」

 理事長は腕組みをして、すまなそうにリュウジに言った。


「あー。それはきついですねー……」

 リュウジは、ガクっとなった。


 それにしても……。

 リュウジは、目の前にこうして毅然と立つ理事長の姿を見て思う。

 何という幸運だろう。この混乱の最中に、これほど冷静に立ちふるまえる人間に、早々と出会うことが出来るとは。

 名門、聖痕十文字学園の理事長の肩書にたがわぬ人物とリュウジは見た。

 しかも彼は自身の願い事によって、危機回避においては、ほとんど『万能』とも思える能力を備えているのだ。

 自分のアパートで一人勝手に画策していた実現の当ても無い算段に、可能性という光明が差したようで、リュウジは嬉しくなった。


「そんなことより君たち、ここも安全ではない。水無月くんも大神くんも早く避難するんだ」

 理事長が、厳しい表情で辺りを見回して四人に言った。


「でも一体何処に? 安全な場所なんて……」

 そう言って、いぶかるリュウジに、


「安心したまえ如月くん。地域住民の避難場所としてたった今、我が聖痕十文字学園を開放した。災害時の蓄えも十分にあるからね。それに……」

 理事長がニヤリと笑った。


「わが校の生徒を危険にさらすような奴がいたら、この私が片っ端から『飛ばし』まくってやるよ!」 

 理事長の目が不敵に煌く。


「うーん……」

 リュウジは首をかしげた。

 理事長の話はもっともだ。

 それに、このまま此処に残るより、この人物の元にいたほうが遥かに安全。

 それだけは間違いなさそうだ。

 だが……気に掛るのは、茉莉歌のことだった。

 一刻も早く両親の安否を知りたいだろうに、学校へ一時避難では、気持ちの整理はつくだろうか?


「学園に行きましょう。リュウジおじさん!」

 リュウジが悩んでいると、背中から当人の声が聞こえた。

 リュウジはふり返った。

 憔悴しきった顔の茉莉歌が、力なく、それでも笑いながら立っていた。

 膝は小刻みに震えているが。


「お昼ごはんも、まだだしさあ。学校に行けばさ、友達とか、お母さんが来てるかも知れないし、おじさんの知り合いとかも来てるかもよ……」

 朝方に起きた『あれ』から、たったの数時間だ。

 両親の安否は不明。

 自分は怪物や暴漢に殺されそうになり、家は恐竜の大立ち回りで全壊してしまった。


 それでも、なんとか笑っているのだ。


「……そうだな、茉莉歌ちゃん。少し休まないとな。これからどうするか、考えないといかんしなぁ」

 リュウジは、茉莉歌にそう答えた。


「僕もう疲れたよー。お腹空いた!」

 雨も情けない声を上げる。


「わかったよ、理事長先生。微力ながら、このわしも先生方をお手伝いさせてもらうぜ!」

 物部老人は、ライフル銃をおさめながらニカッと笑って理事長にそう言った。


「決まりだな!」

 理事長は頷くと、学園のスクールバスを呼び出すために、胸ポケットから無線機を取り出した。


  #


 私立聖痕十文字学園せいこんじゅうもんじがくえんは、多摩丘陵に広がった巨大学園都市の一角だ。

 数十分後、一同は、理事長の手配で行き来する避難者用送迎バスの中に居た。理事長も一緒だった。


「……なあ如月くん。今回の『事件』、君はどう思う?」

 リュウジの隣の座席に座った理事長が、突然彼にそう尋ねてきた。


「どう思う?」

 リュウジは首を傾げる。


「あの『声』が、みんなの頭に響いてきて、それでどこかの誰かが勝手な願い事をして……それで俺らが大変な目にあって……」

 考えの整理がつかず、とりあえず、これまで起きたことの道筋を辿っていくリュウジに、


「如月くん、印象だよ。個別に起こった怪奇現象にどんな印象を持った?」

 理事長は、そう尋ね返した。

 リュウジは水無月家のテレビに映し出された惨状、そして実際に出会った連中の事を思い返した。


 怪獣。巨大ロボ。ゾンビ。スーパーヒーロー。ティラノサウルス……


「うーん……何ていうか、子供っぽいってゆうか、『馬鹿』ってゆうか……?」

 率直な印象を口にするリュウジに、


「私も同じ見解だ。そう、キーワードは『ボンクラ』と『現状維持』だ!」

 理事長は肯きながら、確信に満ちた表情でそう応えたのだ。


 どういうことだ?

 リュウジは考えたが、さっぱり意味がわからない。


「一体どういう意味ですか? 炎浄院さん?」

 訝しげにそう問うリュウジ。


「如月君。例の『声』が聞こえてきて、各地で騒動が起き始めた時、私は恐怖した……」

 理事長は、窓の外に目を遣りながら答えた。


「極端な政治思想や宗教観に染まった人間、社会全体に憎悪を募らせた人間。あるいは心に耐えがたい孤独を抱えた人間の『願い』が、この世界をメチャクチャに破壊してしまうのではないかと。各国に核ミサイルの雨が降り注いだり、ある宗派以外・・の人間が地獄の炎で焼かれたり、特定の人種が、さらなる災厄に見舞われたりするのではないかとね……」

 理事長は、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、なおも続けた。



「私の『能力』も、そんな事態への恐怖から発現したモノなのかもしれないな。だがどうだ。少なくとも今現在、世界はそんな事態には至っていない……なぜかな?」

 理事長は、自嘲的に自分の手を見てそう呟くが、すぐに再びリュウジを向いて尋ねた。


「大多数の人間は、そんなことを望んではいないからでしょう?」

 リュウジは、しばし考えてからそう答えたが、


「その通りだ。だが、確率的に見れば必ず『やらかす』奴はいるだろう。そいつの願いは、どこで実現した?」

 理事長は真顔で訊きかえしてくる。


「うーん……」

 リュウジは首をひねった。


「あくまで私の仮説だし、証明のしようはないが、こう考えてはどうだろう? その願いは『別の世界』で実現したのだ」

「『別の世界』……『並行世界パラレルワールド』ですか?」

 理事長の自説に、リュウジの目が驚きで見開かれた。


「見給え。こんなニュースが報じられている」

 理事長が、自分のスマホの液晶を睨む。


「世界各国の特定の都市で、大量の人間が同時に姿を消してしまったというのだ……。もしかしたら彼らは、彼らの『救済』が実現した世界・・・・・・に移動したのではないか?」

 ネットニュースは、様々な宗派の聖地に形成された都市に起こった異変を報じていた。


「移動……! 別の『スレッド』に隔離されたということですか?」

「ああ。そういう見方もできるな」


 各々が望んだ『破局』や『救済』が実現した世界が、この世界と並行して無数に出来上がる……。

 リュウジは、なんだか目眩がしてきた。


「ん? でも待ってください、炎浄院さん。セカイオワタ\(^o^)/系の願いが『この世界』で実現していないのは、上述の理屈で説明がつくとして、現に今起きている災害はどうなるんです?」

 そう気づいたリュウジ。


「怪獣とか、ティラノサウルスとか、なんだか馬鹿っぽい願い事ばかりが目立っているような気がするのですが……? 実際に犠牲者も出ているし、彼らは『隔離』されないのですか?」

 リュウジはムクムクと胸に湧いてきた疑問を、理事長にぶつけた。


「如月くん、私もそこが納得いかなくてね。考えてみたんだ」

 理事長は、深く肯いてそう言った。


「私は無神論者だが、今回の事件を受けて自分の考えに修正を加えざるをえなくなった。神だか何だかは知らないが、明らかに明確な意思を持った何者かが、この世界に干渉して、我々の世界の法則を変えてしまったのだ。そこで如月くん、こう考えてはどうだろう? 『そいつ』の想定していた『願い事』のカテゴライズには、『携挙ラプチャー』や『最終戦争ハルマゲドン』はあっても、『ゴシ"ラや巨大ロボットによる大量破壊』なんてものが用意されていなかったのだ。あまりにもボンクラすぎるからね!」

 相変わらず苦々しげ顔で、理事長は自説を披露した。


「……ではこういうことですか? 『そいつ』が想定していなかった願望による災厄が、『別スレッド』に隔離される事なく『ここ』で実現してしまっていると……? でも、たとえば子供なんかはそういう願い事、しがちじゃないですか?」

 リュウジの問いに、理事長は少しムッとした様子でこう答えた


「子供のこと、馬鹿にしてるだろ? 未就学児童は暴力描写とか大嫌いだぞ。それに学校に上がれば友達も増えるし、それなりに論理的に物事を考えるから、こんな馬鹿な事を願ったりはしないよ」

 理事長は、忌々しげにこう続けた。


「要は三十路みそじも間近のいい歳こいて、日曜朝から『ライダー』とか見てるようなボンクラが、今回の災厄の原因なのだ!」


 ……(´・ω・`)

 自分の存在を否定された気がして、リュウジは悲しくなった。


  #


「でも炎浄院さん。そういう観点でみると、もっと歴代プリキュアとか、魔法少女とか、アイドル天使とか、海賊団とか、スタンド使いとか、LBXとか、いろんなハンターとか、アベンジャーズとか、妖怪時計とか、フリーザとか、色々沢山出て来てもいいような気がするんですが?」

 首を傾げてそう訊くリュウジに、


「そのへんは、不勉強だからよく知らないんだ。フリーザは収集がつかなくなるしな……」

 理事長は、すまなそうに答えた。


「ガンダムは? ガンダムはどうなんです? ヤクザに組入りする奴とか……」

宇宙世紀UC以外はゴミだ!」

 理事長が忌々しげに吐き捨てた。


  #


 リュウジと理事長が車内で駄話を繰り広げている頃、二人の後部座席に座った茉莉歌は、同じく聖痕十文字学園の初等部に通っている大神雨おおかみあめと、あやとりで遊んでいた。


 雨もまた、茉莉歌と同じ境遇だった。

 勤めに出ている母親の消息が、わからないのだ……。

 車内を漂う不安な雰囲気を紛らわそうとするように、あやとりに興じる茉莉歌と雨だったが……


「うう……目がまわる~~!」


 ケポッ


 茉莉歌まりか渾身の新作あやとり『ギャラクシー』を目の当たりにした雨は、ショックで小ゲロを吐きそうになった。

 幾何学的に狂った角度で構成された、そのおぞましいあやとりは、見る者を深淵に引きずり込みそうになる名状し難い『何か』だったのだ。


「ごめんごめん雨くん、つい本気出しちゃった!」

 茉莉歌は笑って、雨の背中をさすった。


「でも、ら…『ライダー』くらい、いいじゃないですか見たって! 中学生の頃からずっと追っかけてるんだし!」

 何かに激昂したような、リュウジの問いに、


「如月君、君の特殊な趣味嗜好の是非を論じてるんじゃないんだ。そういう嗜好の副産物を『例外』としてキャッチしない『そいつ』の杜撰さが、今の混乱を招いていると言っているだけだ!」

 冷静沈着に理事長がそう答える。

 前の席ではリュウジと理事長が、口角泡を飛ばして、わけのわからない議論をしているのだ。


「ねえお姉ちゃん……。前の席の人、変なこと大声で話してて、なんか怖いんだけど。お姉ちゃんの知り合いなんでしょ? 大丈夫かな……」

 雨は不安そうに茉莉歌をつついた。


「う~ん……そうね~」

 茉莉歌は困り顔で笑いながら、リュウジの方を見た。


 小さい頃の茉莉歌にとって、リュウジは『大好きな近所のおじさん』だった。

 母親のように口うるさくないし、神話や、漫画や、アニメの話をよくしてくれた。

 父親のように仕事に追われず、なんだか『のんびり』しているところも好きだった。

 自分のコレクションのアクションフィギュアを弄らせてくれたり、モデルガンを撃たせてくれたこともあった。


 だが、学校に上がって何年か経つ頃には、茉莉歌にも分かってきた。

 のんびりしているのは両親のように毎日勤めに出ていないからだし、茉莉歌にやさしいのは、彼女を育てる『責任』がないからだ。

 だから今ではリュウジは『はずかしい近所のおじさん』のポジションだったし、できれば近寄らないようにしていたのだ。


 それでも……


 茉莉歌は思った。

 今朝起きた『あれ』で母親の連絡が途絶え、周囲におかしなことが起こり始めた時、彼女は足元の床が崩れ落ちそうになるような不安と恐怖を味わった。

 そこにリュウジが飛び込んできた時、どれだけホッとしただろう。

 ゾンビや恐竜が出てきた時もそうだった。

 助けてくれたのは物部老人と理事長だったが、リュウジは茉莉歌の保護者として、体を張って彼女を守ろうとしてくれたのだ。


 だからさ……


「大丈夫だよ、雨くん。ちょっとキモいけどさ、いいおじさんだし、一緒にいようよ」

 茉莉歌は、雨に笑いかけた。


「でも僕…」

 雨は、泣きそうな顔で茉莉歌に言った。


「お母さんが心配だよ。お母さんに会いたい! お姉ちゃんもあの『声』を聞いたでしょ? お母さんに会えるようにお願いしたら、叶えてくれるかな……?」

 そう尋ねる雨に、


「それはダメ!!」

 茉莉歌は思わず声を荒げた。

 雨は驚いて、彼女を見上げた。

 そして切実な顔で、茉莉歌にこう聞いてきた。


「ダメかな……どうして?」

「…………!」

 茉莉歌は言葉を失った。

 彼女は知っていた。

 雨には父親がいない。

 家族は母親だけなのだ。


 だめだと答えた理由は、茉莉歌自身にも、よくわからなかった。

 彼女だって、今すぐにでも両親に会いたくてたまらない。

 だが、雨の言葉が意味するものに、茉莉歌は得体の知れない恐怖を感じたのだ。


 ……しばらく沈黙が続いた後、


「雨くん……」

 茉莉歌はそっと、雨の肩を抱いた。


「お母さんは、きっと大丈夫だよ。学校で待ってれば、絶対迎えに来てくれるから! そうしたら、お母さんと相談して、なにをお願いするか決めようよ、よく考えてさ。一人一回なんだしさ!」

 茉莉歌はいま一度、雨に笑いかけて彼にそう言った。


「……うん、わかった」

 雨はこくりと肯いた。


  #


 分厚い雲が空を覆っている。ドロドロと雷鳴が響いている。

 茉莉歌はぼんやりと、風にきしむバスの車窓から多摩の街並みをながめていた。

 隣では、あやとりで疲れた雨が、気がつけば彼女の肩にもたれて、眠りこんでいる。


「どうして『だめ』なんだろう……」

 茉莉歌は、雨の問いに感じた恐怖の理由に、ぼんやりと思いを巡らせていた。


「そうか……」

 茉莉歌は、うなじの毛が逆立つのを感じた。

 雨の問いかけは、茉莉歌が無意識に考えまいとしていた、恐ろしい可能性を彼女に突きつけたのだ。


「もし、このままずっと、お父さんとお母さんに会えなかったら…」

 その時は、茉莉歌も雨と同じことを願うのだろうか。

 だが……茉莉歌は最悪の想像をした。

 既に両親が命を落としていたとしたら、その時茉莉歌が出会うのは一体『誰』なのだろう……?


「わからない……わからない……怖いよ……!」

 茉莉歌は、頭を抱えた。


「お姉ちゃん? お姉ちゃん?」

 そう呼びかけて来る声に、茉莉歌は雨の方見た。

 いつの間にか目をさましていた雨が、茉莉歌の脇腹をつついていた。


「大丈夫? 気分悪いの?」

 心配そうな雨に、


「んーちょっと。バスとか久しぶりに乗ったけど、やっぱ酔うわー」

 頭をふりふり、そう答える茉莉歌。


「じゃあ、これあげるよ」

 雨は、リュックサックから取り出したトラベルミンレモン味を茉莉歌に手渡した。


「そんなことよりさ、お姉ちゃん! 学校に着いたら、さっきのあやとりの『あれ』、やり方教えてよ! なんかクラクラきて、ハイになって超クールだったんだけど!」

 すっかり元気を取り戻した雨が、興奮した面持ちで茉莉歌の手を握った。


 ……そうだね。

 茉莉歌は思った。

 願い事とか、キツイ系の事を考えるのは今じゃない。

 まずは雨くんと自分の面倒を、しっかり見ないと。

 リュウジおじさんだけじゃ、なんか頼りないもんね。


「いいよ。雨くん」

 茉莉歌はニヤリと笑って雨に言った。


「ただし、修業は厳しいよ~!」

 茉莉歌のあやとり奥義『ギャラクシー』は、両小指を自ら脱臼させないと完成しない、恐るべき秘戯なのである。


「到着するぞ、『学園』だ!」

 理事長が言う。

 茉莉歌は窓に目を遣った。


 ピカッ!


 暗雲を背にして聳え立ち、暗天を切り裂く金色の稲妻に黒々とそのシルエットを浮き立たせた学園は、普段とはガラリと雰囲気を変え、何か禍々しい中世の古城のようにも見えた。

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