概要
邪馬台国がどこにあったのか、道からアプローチしてみました
熊襲と戦い、朝鮮半島と往来があったと考えられている邪馬台国。ならばそれなりの「道」がなければなりません。ここでは「道路」から邪馬台国がどこにあったか、アプローチしてみることにいたしました。そして、現在の英彦山神宮あたりに宮殿があったと考えると、実に都合が良いことに気付きました。そこには比売神と修験道の関係も隠されていたのです。
おすすめレビュー
新着おすすめレビュー
- ★★ Very Good!!古代日本の逸話に着目した福岡各地のガイドエッセイ。
特に福岡県人ならば、地元を再発見する良いキッカケになるでしょう。
私は英彦山には登った事が有り、へえっと思いました。
香春岳を訪れた事は無いです。その香春岳には邪馬台国研究家の福永晋三氏も着目していて、銅鉱山にも言及されてます。
個人的に腑に落ちてない点は、青銅は銅と錫の合金ですが、錫の手配については、作者に限らず誰も回答案を述べていない事。銅鉱山の存在は大きな優位点ですが、青銅器をバンバン製造していたと結論付けるのは早計かと思います。私の持論は、青銅の地金を大陸から輸入していたという仮説です。
星の数は、短編にはMAX2つが信条だからです。