第55話 国境線

 ザッフェルバル領都から、北へ二百キロほど離れた湿地帯。

 野心と自立心あふれる開拓の徒であるザッフェルバル領民ですら恐れる、暗く深い森。その果てに、すっかりコンクリートで均された異様な区画があった。

 ネイム・ウィラル航空宇宙港。

 I.D.E.A.降下軍・第一降下艦隊の母港となるべく建設された軍港であり、同時に宇宙との――軌道上に停泊するゆりかごとの玄関口となる、初めての本格的な航空宇宙港だ。

 そこから、ゆっくりと空へ昇っていく巨大な航宙船舶群があった。

 コンテナ輸送船を中心に、真水を載せたタンカー、鉱石、穀物輸送船などで構成された、軌道上の母艦“ゆりかご”へ向かう、第三次地宙間輸送船団だ。



 和貴は、停泊中のあけぼしから総督府への移動中、天へ昇っていくプラズマジェットの尾を引く粒を見た。

 ……今回も、無事に。

 輸送船団の光を目で追いながら、和貴は感慨深く思う。

 降下直後の落着から、当初はあけぼしの離陸もままならなかった。頼れる補給は、ゆりかごから軌道投入された小さなコンテナのみ。

 それが、あけぼしの離陸に成功し、西方大陸の工廠からの装備補給が実現。空母おおとりが飛来し、

 ……やっと、地宙間輸送が成功。

 長かった。三度の試験往復と、二度の本格的な輸送船団の往復が成功したことで、今回ははじめてあけぼしの乗組員の一部がゆりかごへの帰還も実現した。

 

 それらも全て、ティルの力添えによるものだ。


 あけぼし落着の原因がまったくの不明であったところに、ティルは大地の御遣いなる超自然存在の力によるものだと見抜き、さらにはその存在から移動の自由を得るところまで交渉を進めてくれた。

 あけぼしの完全撤退は未だに認められないものの、物資輸送のための宇宙との往来と、一部人員を含む宇宙への帰還が大地の御遣いに許可された。

 常人には姿も声も知覚できない存在との交渉を担ってくれたティルには頭が上がらない。

 そうでなくては、おそらくもっと多くの見当外れの大気圏外離脱の努力と、失敗のたびに広がる無力感と向き合うことを余儀なくされていただろう。

 ……本当に。

 あけぼしは、I.D.E.A.は、ティルに返しきれないほどの借りを積み上げている。

 本人にその自覚がないのだから、全くタチが悪いのだけれど。



 ザッフェルバル総督府の総督執務室。

 外出の予定までの僅かな空き時間に、ティルは先日のことを思い出していた。

「将来か……」

 どこに行き、どこで生き、どこで死ぬのか。

 先日のアカリたちとの会話が、ずっと頭の隅に引っかかっていた。

 帝国において女の子の生きる手本は少ない。物語の中では、英雄は妻を得る。女の子は、ただ得られる側だ。

 だが、アカリによれば、表の社会では見られない、女性だけの繋がりが存在し、母から子へと脈々と受け継がれている“手本”が存在するという。

 ひとつ、参考になるかも、とあの夜のアカリが教えてくれた話では、

 ……一族のための、巫女となる。

 高位の法官の家に生まれた女性は建前上の下級の法官としての位を得つつ、一族の行方を占う巫女や預言者としての役目を担っているのだという。

 その占いや予言の方法も各一族とも門外秘としており、脈々と受け継がれて、影で行われ続けているのだという。

 ちょうど、巫女時代のティルが、帝国全体に対して行っていた行為を、自分の一族のためだけに行っているのだと、アカリは教えてくれた。

 ……女の子は、預言者、か。

 帝国を預かる預言者。その流れから先を見れば、帝室に嫁ぐ道が自然である気がする。

 けれど、帝室で適齢の男性はおらず、既に妻がいるか、五つにも満たない幼児がいるのみだ。

 それに、今のティルは巫女ではなく、領国教導官として法官の位を得ている。そして、統治者であるけれども、あくまで代行。総督の座は本来その座にあるべき少年、ディトレン・ツァル・ザッフェルバルが成人するまで。

 ……ならば、彼の妻となる?

 ディトレンは悪い子ではない。まだまだ幼く、ところどころ思慮に欠ける気もするけど。

 もう少し大人になってしっかりしたら、ともにザッフェルバルを運営する伴侶となるのだろうか。

 皇帝陛下より見合いの相手として提示されている法官たちと比べると、まだずっと妥当な選択肢であるように思う。

 帝国の中を見渡せば、であるが。

 ……でも、本当は――。

 脳裏に浮かぶのは、帝国の“外”にいる、ある一人。

 その選択肢は、存在するのだろうか。

 けれど。

 ……もし、そうなったら。


「お待たせしました」


「ひゃい!?」

 ちょうど思い浮かべていたその人に声をかけられ、ティルはあからさまに狼狽してしまう。

 ……カズキさん……!

 いつの間に執務室に、と一瞬思ったが、おそらく単にティルが物思いにふけりすぎて気づかなかっただけだ。やたら重い扉を警護の法官が二人がかりで開けなければ入れない部屋なのだから。

「あっえっ……いい天気ですね!?」

 何を言っているのだろう、とどこか冷静なティル自身もいるが、舌はこんがらがってろくに回らない。

 そんなティルの様子に、隣に控えていたレファがカズキに怪訝な目を向けるのがまた申し訳ない。

「ああ、すみません。不用意に声をかけてしまって」

「いえっ……ちょっと考え事をしていて、びっくりしただけですので……」

 カズキは深く気にした様子もなく、そうですか、と笑みを浮かべるだけ。

 やはり自分はまだまだだと思う。ディトレンを子ども扱いしている場合ではない。

 ……うん。もっとがんばろう。

 小さく気合いを入れ直し、総督代行として改めてカズキに向き直る。

「すみませんカズキさん。今日はよろしくお願いします」

「いえ。こちらこそ不穏なお願い事ばかりで申し訳ありません。けれど、軍の方も安全には万全を期しているとのことですので、ご協力よろしくお願いします」

 それでは、とカズキは、

「まずは空港へ。新造艦“あきさめ”までご案内いたします」



 ――東から巨大な翼竜が近づいてきている。

 これが今回ティルが引っ張り出された理由だ。

 魔の者どもの勢力圏の上空を、船と見まがうほどの巨大な翼竜が飛行している。それだけであればまだ文化の違いで済んだところだが、問題が一つあった。

 巨大翼竜は、明らかにザッフェルバルへ直進してきているのだ。少なくとも、飛行を偵察衛星が確認してから、翼竜はまる一日西進を続けており、このままのコースを進めば間違いなくザッフェルバル領内へ突入する。

 それに、衛星画像で確認する限り、巨大翼竜が飛び立った場所は山岳地帯に作られた人為的な翼竜の牧場のような場所だったということもあり、魔の者どもが何かしらを意図した動きである可能性も十分考えられる。

 そういうわけで、交渉と撃退、どちらも対応可能な状態で向かおう、とI.D.E.A.は結論。新造戦爆艦“あきさめ”率いる迎撃任務艦隊を編成、ティルを交渉役として乗せて対応に向かうことになったのであった。



 和貴は、ティルとともに戦爆艦“あきさめ”の艦橋にいた。

 あけぼしやかげつ級艦載揚陸艦が得た戦訓から、対地砲爆撃戦を主眼として設計された、全長三百メートルほどの新造艦。

 本来は無人運用を前提とした艦だが、いざという時の有人運用も可能なよう、航海艦橋と戦闘艦橋、それぞれの必要最小限の機能を集約した統合運用艦橋を備えている。

 そこに、

「やはり艦橋ブリッジはいいな。気が引き締まる」

「ええ。ここのとこ、あけぼしは港で寝こけっぱなしですからね。久々に腕が鳴ります」

 村瀬艦長以下、留守番の副長を除くあけぼしのブリッジクルーが勢揃いしていた。

 無人艦の運用が開始されている中、わざわざ貴重な実践経験者たちが勢ぞろいした理由は二つ。一つは、無人艦は重力下大気圏内での運用ノウハウがまだ少ないため、万が一がないようにという実務的なフェイルセーフのため。もう一つは、ティルを前線に引っ張り出すにあたって、“I.D.E.A.の人間も同行するから安全だ”という総督府向けの政治的アピールのためだ。

 なお、かげつ級の各ブリッジクルーは警察活動支援で忙しいからと、あけぼしの艦長・各科長が直々に勢揃いしていた。何だこの贅沢メンバー。

「目標翼竜、方位〇・四・九、高度八千、距離五万」

「両舷停止、作戦座標A1に到達。重力アンカー起動、風速補正・スラスタオート、――停空よし」

 CGの作戦図上では、一糸乱れぬ動きのまま、三隻の艦が扇型に展開する様子を見て取ることができた。

 あきさめを先頭に、随伴する同型艦“きりさめ”、“よさめ”が直進する翼竜に対し最大火力の投射を可能とする陣形。

 本来は対地攻撃を主眼とする戦爆艦の特性を最大限活かすため、翼竜よりも高度を取っての配置だ。

「“きりさめ”、“よさめ”、座標A2、A3に到達、停空を確認。――艦隊全艦、配置完了」

 船務長の報告に、艦長が号令を飛ばす。

「対大型航空獣ALV戦闘用意!」

「対ALV戦闘、砲撃戦用意! 火器管制FCSレーダー照射。主砲一番二番、九八式誘導榴弾装填。爆装ハッチ開放、エレファント攻撃用意」

 アラートともに、砲術長が指示を飛ばし、各火器システムの起動キーが回され、あるいはトグルスイッチが次々に弾かれ、使用可能を示す警告灯が点いていく。

 慌ただしく動くクルーを背に、艦長は静かにティルへ向き直り告げる。

「こちらはいつでも。そちらは?」

 対し、ティルは少し難しげな表情。

「……ティル様?」

 気がかりなことでもあるのか。気遣いの声をかけるが、次の瞬間には、意志を湛えた瞳があった。

「まだ気配は薄いですが……やってみます」



 ティルは法儀剣を抜き、鍔の鉄索を小さく揺らし念じる。

 空の上、大地の御遣いの気配は薄いが、確かに通じるものがある。警衛長を引きずり戻したときよりも、まだ濃い。

 魔龍との、敵将との交信を思いだし、力を送る。

 届け、繋がれ、応えよ、と。

 だが、

 ……繋がらない。

 想いが言葉が。念が送るまま、暗闇に吸い込まれるような感覚。

 届いてはいる。通り過ぎてもいない。例えるのなら、ただ沼の中に沈んでいくような。

「ふぅ……っ」

 大きく息を吐く。画面に拡大され映し出される翼竜をもう一度目に焼き付け、そして瞳を閉じる。

 うつろな目。拘束具のようなものを頭部に填められた竜面。神霊を通じた気配と、物理的な姿を頭の中で結び、より対象へ意識を近づける。

 魔龍の時のように相手からの呼びかけはない。敵将の時のように、応答もない。

 だが、確かにそこには気配はある。

 なら、呼びかけではなく、相手の意志を読むことはできるか。前回の魔龍のように、発される意志はあるのか。

 わずかに。言葉にならないもの。人間とも魔龍とも、御遣いとも違う。

 薄く単純な意志、あるいは魂が指向する方向性のようなもの。

 すり込まれたように、強く、決められた方向へ向かっている。

「翼竜増速、なおも直進。越境まで距離三万!」

 ……まだ足りない。

 直進するという意志はあの翼竜自身のものか? それとも何者かから与えられたものなのか?

 何が、あの巨体を直進させているのか――。


「全艦、威嚇射げ――」


「待ってください!」

 艦長の号令を、思わずティルは遮った。



「……交信が成功したのですか」

 艦長の当然の問いに、しかし和貴はそうでないと、感覚でわかっていた。

 以前のように漏れ聞こえる念話が、ティルからの一方的な呼びかけしかなかったからだ。

「まだです、が……」

 言いよどむティル。

 交信は成功していない。けれど、その先に言語化できない直感があるのだろう。

 僅かでも時間が欲しい。だが、説得する根拠もなく、言葉が見つからない、というところだろうか。

 迷い焦るティルの瞳を見て、和貴は数秒考え、

「艦長、威嚇射撃を中止していただけませんか?」

 それが、和貴がとっさに捻り出した妥協案だった。

「……どのみち越境まであと十五分とない。そうなれば駆除せざるを得ませんが、それでも?」

「構いません」

 怪訝そうな村瀬艦長に、和貴は断言で返す。

 根拠なく、魔族勢力圏からの危険物の越境を見過ごすわけにはいかない。それは絶対条件だ。

 I.D.E.A.は、国境も何もない山中に鉄条網を張りつつ、地図上に“国境線”を引いた。

 魔族側との交渉はまったく不可であったため、おおよそ山脈の尾根を辿り、かつ監視衛星から判明している限りの魔族側の勢力圏を避けた、あくまで暫定のものであるが。

 そして、引いた線の意義とは、事故であれ故意であれ、線を超えた危険物は全て過たず叩き潰すと、敵に見せつけるためのものだ。

 自らの支配が行き届いていると相手に理解させるための。

 それを悠長に見過ごせば、相互の勢力圏について、魔族に誤ったメッセージを届けることになる。

 ――だが一方で、ティルには時間が必要だ。

 そこまでのタイムリミットで、確保できる時間はそこしかない。

「ティル様。攻撃は止められませんが、もう少しだけ猶予をいただけます。それでどうかご了承を」

 代案はない。そう言い聞かせるような少し強めの言葉。

 しかしティルは食い下がる様子もなく、

「感謝します。――攻撃すべき一線を越えれば、攻撃いただいて構いません」

 和貴も頷き、ティルの言葉を村瀬艦長へ伝える。

「承知しました。威嚇射撃は中止し、翼竜が越境した時点で駆除を開始します」



「――――ッ!!」

 残された時間で、ティルは再度翼竜の魂を追う。

 人間よりも薄い思考。断片的な映像。同類たちの巣、トカゲ姿の魔の者どもの記憶。

 そのどこかで強く指し示された場所は遙か西へ、西へ。

 道中の情景は空白に近いにもかかわらず、たどり着くべき場所は妙にはっきりしている。

 匂いや、土地の気配のような、おそらくそれは、世界を渡る動物特有の感覚。

 西の先、建物。建物まで、直進。この建物の記憶の出どころは……?


「目標、暫定国境線まで距離三千! まもなく越境します!」


 船務長の言葉で、ティルの意識は艦橋に引き戻された。

「時間切れです。……よろしいな?」

 艦長の丁寧な、しかし有無を言わせぬ言葉。

 約束の刻限だ。ならば、ティルにも是非はない。

「ええ、――お願いします」

 少し迷い、その言葉を選んだ。

 総督代行の立場からは、願い出なければならないのだ。厄災を招く巨大な存在を除いてくれと。

 それを為す力のない総督府に代わり、彼らが厄災を排除してくれる、彼らに対する畏敬と共に。

 だが、やはり心残りはある。

 ……魔龍のときのように、してあげたかった。

 それはティル自身の傲慢だろうか。

 知性の薄い種族ということもあろうが、おそらくは何者かに意志を植え付けられてここまで来た。

 彼の竜の意志ではない。だが、植え付けられた意志を除くための方法も、時間も、今のティルにはない。

 だから、

「目標、暫定国境線を超えました! 進路変わらず!」

「艦隊、対ALV戦闘――主砲、艦対物大型ミサイルエレファント、攻撃はじめ!」

 艦長の号令とともに、足元が震えた。

 砲撃。

 三艦から放たれた火線が、一斉に翼竜に襲いかかった。

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