第54話 秘密のお茶会
「おつかれさまー!」
ザッフェルバル総督府。ティルの私室にて、ささやかな祝宴が開かれていた。
ヤチの決闘から三日ほど経ったところで、諸々の事後処理が無事に片がついたため、みんなで楽しく騒ごうとアカリの発案だった。
参加者は女子ばかり七人。その顔ぶれは、
「このたびは皆様に大変なご迷惑をおかけし誠に申し訳ございませんでした」
「ヤチちゃんヤチちゃん。ここはそういうの大丈夫なとこだから」
いきなり床に膝をついて深々と頭を下げる主賓のヤチと、あわてて制するクマノ。
「ははは。やっちーにしては珍しく殊勝だな。――写真に収めておこう」
「あ、ミツバ姉、後でそれちょうだい」
ブライトワンドを取り出して土下座のヤチを撮影するミツバと、そこに乗っかるアカリ。そして、
「相変わらずアホばっかりですね。ティルさん」
「に、賑やかなのはいいことですよっ」
そしてティルはユズホと一緒になんとなく遠巻きにそんな騒ぎを見守っていた。
非公式な親睦会のため、ティルがお手伝いをお願いしたのはレファだけ。それも、飲食物は各自で持ち込みだったので、彼女にお願いすることは席や机の軽い準備くらいで、今は後ろで見守っていてもらっている。
ちなみにカズキは呼べなかった。当初ティルは呼ぶつもりだったのだが、「男子を混ぜずに話した方がいいこともあるんだよね」といまいちよくわからない理由でアカリに却下されたからだ。妹の彼女が言うのであればそうなのだろうが。
服装も見慣れた制服ではなく、各々の私服。ちょっとした気楽なお茶会を、という雰囲気で会は和やかに始まっていた。
*
「だいたいさー」
持参してきた
「いきなり結婚とかいうのがおかしいんだよね。こっちは一応彼氏持ちだってのにー」
カレシ、という言葉にティルは少し引っかかる。
翻訳法儀で通じるニュアンスは、“懇意にしている男性”。ティルにはいまいちどんなものか想像がつかない。
「カレシ……?」
「あ、ティル様には、カレシって概念、ちゃんと伝わらないかな」
アカリはすぐにそこに気づいて声をかけてくれる。
「ええ、その。男性と特別に懇意となるというところに、あまり想像がつかなくて」
「お見合いの話で考え込んじゃうぐらいだもんね」
アカリにその話を持ち出されて少し頬が赤くなるのを感じる。
カズキの他にもアカリに相談してみた時は「自分の直感を信じろ」としか言われなかったので彼女も彼女でどうなんだろうと思ったところではあるのだけれど。
「こっちの感覚だと、んー……アイツは、婚約者、に近いのかな? 一応アタシはそのつもりだけど」
婚約者。結婚を約束した相手。
「そういえばそのへんの話あんまり詳しく聞いたことないかもです。降下前に結婚ラッシュとかニュースで見たんですけど、乗っからなかった感じですか?」
「ちょっと悩んでるうちに、あいつがコールドスリープ入っちゃったんだよね。向こうから言ってこいって感じだけど、まあそういうヤツだし」
にゃはは、と少しだけ勢いのない笑いでヤチは言う。
「一応、最悪、私が死んだら子供作っといてって頼んで出てきたけど」
……死んだら?
「あの、アカリさん。今、ヤチさん『死んだら』って」
聞き間違えだろうか。翻訳法儀の解釈誤りだろうか、と思いアカリに尋ねたが、
「あー、うん。合ってるよ。方法はあるから」
「あはは、ごめんごめん。ルヴィちゃんにはわかんないもんね」
合っている。ということは、意味通り“死んでから子をなすことができる”。ということ。
「ど、どうやって……?」
「アタシの子どもの元になる部分を、空の上の母艦に保存してあるから、それを使ったら機械でちゃんと人間の形になって出てくる……っていう感じかな?」
「それ、って――」
I.D.E.A.の人々が神ではないことは、今のティルは理解している。
理解したつもりだったが、こういう場面ではまだまだ理解が及んでいないことを思い知らされる。
「……人の身体からでなくとも、人間を産むことができると?」
「そんな感じなんだけど、ちょっとややこしいよね」
えーっとねぇ、とアカリが少し思案をする。
「人間の身体の中には、人間の元となる部分があって」
自分のおなかを両手でさわり、そこから何かを取り出す仕草をして、
「こう、取り出して、機械の中で育てるイメージかな」
「ああ。無から人間を造り出すわけではない。大本はあくまで人間だ。――『人間の素』は、我々の技術で長期間保存ができるから、多少の時差があっても子どもが残せる、という話だが」
ミツバの補足も得て、なるほど、とティルはようやく、ヤチの言葉の意図を理解する。
もっとも、具体的な想像は全くできないが。
……でも、それって。
少しだけティルの意識が引っかかる。胸の中のしこりのようなものと、小さくかみ合うような音。
それはもしかしたら、自分の生まれに繋がるかもしれない。
だから、
「あのっ」
少しだけ勇気を振り絞って、ティルは口にした。
「わたしも、そう――かもしれない、です」
*
「私には、父母はおりません」
訥々とティルは語りだす。これまで、誰にも話したことがなかった自身の生まれを。
あるいは、語る必要がなかった。既に知る者か、知る必要のない者しか周りにいなかった、とも言うことができるが。
「――先代の巫女が役目を終えると時を同じくして、帝国の地下の祠で取り上げられたのです」
祠の場所はティルも教えられていない。帝国内にある、御遣いの加護の厚き祠、としか。
おそらくは皇帝陛下と、ごく限られた――枢機卿ですら、七人全員が知っているとも思えない。
「乳母はいたそうですが、顔も覚える前に献身の巫女の侍女たちに引き取られ、侍女と枢機卿、教導官に育てられていました」
ティルも“両親”なる存在のことは、書物と、周囲の人間が“家族”とする存在でぼんやりと存在を学んでいた。
だが、自身に両親がいない違和感は、小さく引っかかったまま、ここまで来ていた。
「この銀髪は、親譲りのものではなく、大地の御遣いと強く繋がって産まれた証、と聞いています」
御遣いの加護を強く受けると、髪の色が抜け、帝国人本来の赤毛から、透き通る紅や金の髪、銀の髪になるのだと。
だが、銀の髪を持つのは献身の巫女を務める少女の他、帝室と、帝位継承権上位の血縁の人間のみ。
血の繋がりから考えれば、帝室に連なる人間であると考えるのが妥当だが、答えは明確な否定のみ。
ティル自身で調べられる範囲でも、帝室とティルや歴代の献身の巫女の血の繋がりを示すような資料や記録は出てこなかった。
だから、
「だから、ずっと引っかかっていました。私が、普通の人間と根本的に違う、という点について――」
献身の巫女として、その定めのまま若くして死んでいれば、こんなことに思い至ることもなかっただろう。
けれど、あけぼしに保護され、人々の輪の中で、政治の舞台の中で、ティルは少しずつ自分自身のこと、未来のことを考える時間が増えた。
そしていつの間にか、自分がよって立つ場所がひどく曖昧で、ぼやけたものだと気づき、
「もし、同じような人がいらっしゃるなら、どうやって生きているのか知りたい……のかもしれません」
どこに向かって、何を拠り所として生きているのか。自分がどう生きていけばいいのか。
生まれつき手にすることができなかった、家族という概念に、どう向き合っているのか。
「だから、もしお知り合いに同じような方がいらっしゃるなら――」
「柚歩は、そうですよ」
弱々しく絞り出した言葉に応え、静かに手が上がった。
*
「柚歩は、遺伝子バンク内での配合で産まれたので、生きている両親はいません」
「ええ!?」
ティルが驚く姿を見て、びっくりしたのはこっちの方なんですが、と柚歩は思うが、顔に出るほどではなかったのでスルーしておく。
大人たちの中で孤軍奮闘するティルの姿に、どうも親の姿がない、と柚歩は思っていたのだが、想像以上に筋金入りの親なし仲間だったようだ。
「とはいえ、見ての通り素材は同じ人間です。手持ちのカードで自分が最善と思う生き方をする点に違いはないと思っていますが」
柚歩は、自分の生まれを呪ったことはそんなにない。同年代では既に四割近くが同類であるし、機械出生や片親などを含めれば六割が仲間ともいえる。知人の中に限れば、両親が揃ってかつ自然出生なのは幼なじみに一人いる程度だ。
「ユズホさんは、生きる上で何を最善とされているのですか?」
「……ほう」
哲学ですね、と柚歩はもう少し頭をひねる。
「衣食住。あと、プログラムやそれを使ったシステムを組むのは好きですよ。あと、ここに降りてこられたのはよかったですかね」
正直、深宇宙探査などと無駄にロマンあふれる生き方がしたくて生まれてきたわけではないので、地球生まれがよかったかもと思ったことはある。
けれど、地球生まれもまた地球に生まれたかったわけでもあるまいし、柚歩としてはこうして天然の惑星の大地を踏めているのだからまあ良しとしてやろう、という感じである。
「……なるほど」
「といいながらあまり納得されていない顔ですね」
人間の表情を読むことが得意でない柚歩にすらわかるほど明らかに、そうじゃない、という顔そのものだったから。
「ティルさまが気にしてるのって、結婚とかの話じゃないの?」
「はうっ」
アカリの一言に、ティルの顔がぽっとゆであがる。
「この間、皇帝からお見合い勧められたーってすっごい考え込んでたもんね」
「……なるほどですね」
それは確かに的外れな回答だったろう、と柚歩も納得する。
「私はその辺特に考えてませんが、同類で言えば、結婚するしないは、半々ぐらいの感じですかね」
そのへんの悩みは、同じ境遇の人間たちのコミュニティで共有されていて、わからないからやめとく・わからないから突っ込むの二択だ。
「どちらでもいいと思いますよ、柚歩は。直感に従えば」
それが柚歩の正直な認識だ。自分の心が進めと言えば進む、特にそういうことがなければそのまま惰性で生きる。
けれど、ティルはやはり得心いかない表情で「直感……」とつぶやくのみ。
「私もそう言ったんだけど、ティル様やっぱりなんか考え込んじゃって」
明里の言葉に、不足でしたか、と柚歩はもう一歩届くアドバイスに思いを巡らせたところ、
「直感と言っても、結婚自体の知識がなければ判断も何もないだろう」
差し込まれた満葉の言葉に、柚歩はなるほど、とうなずく。
「確かに柚歩たちは、実体験はなくても、外からある程度情報が入ってきますからね」
家族を持たない柚歩にも、他者からの伝聞や、各種メディア、物語から情報は得ている。
柚歩自身の直感に基づく判断はそれらに支えられている、といってもいい。
それでは、ティルは?
「ティル様は、結婚についてどの程度の知識が?」
*
ユズホの問いに、逆にティルは自分の記憶をひっくり返す。
といっても、正直なところほとんど知識はない。当たり障りのない、常識的なところでいえば、
「……男女一組で行うもの。特に貴族はみんな跡継ぎを生むために当たり前にしているもの、貴族の一族同士が仲良くなる効果があるもの……とは」
口に出した、それがティルの知る全て。その渾身の回答を絞り出した瞬間、
「なんてこった」「重傷じゃ……」「……手遅れでは」「コウノトリさんが出てこなかっただけマシでは」「私たちがなんとかしなくちゃ……」
I.D.E.A.の女性陣がみな揃って顔に手を当てていた。
「そんなにですか!?」
その反応に、ティルは改めて自身の貧困な認識を思い知らされる。
「帝国には、物語とかはあるんですよね? そういうものは読んだことは?」
クマノさんが丁寧に尋ねるが、ティルとして出せる回答は残念ながらそれ以上ではない。
「書物では、英雄が大業を為したり試練を打ち払った後に妻を得るとは……」
「「「「あー」」」」
またも一同に目を逸らされた。そんなにですか。
「れ、レファぁ……」
助けを求める。同じ帝国人なら、同じような認識であろう、との共感を求めた視線を送ったが、
「……これまでのティル様には、ご不要な知識かと思います。責められるようなことではございません」
やはりすっと視線を逸らされながら擁護されつつ現実を突きつけられることとなった。
……つまり、年相応の帝国女性としてもだめってことですね……!?
「しかし、巫女としての任を降り、領国教導官の位を持つ法官となられたのでしたら、他の女性たちがどのように伴侶を得たのか、ティル様も知った方がよいかもしれませんね」
「……そうですよね……」
レファの言うとおりである。でも、ならばどうすればいいのか。
物語の書物と言えばティルが知る限りでは帝国の建国神話くらいのものだが、そこには男女関係など至極あっさりした描写しかない。
英雄でも男性でもないティルの指標にはなりにくいだろうし。
「社交の場で皆さんに聞いて回るなどした方がよいのでしょうか……?」
「えっと、それはさすがに……」
レファにもなんか変な顔をされてしまったので、これは相当ずれた案らしい。ならば即却下だ。
「じゃあじゃあ」
と、身を乗り出してきたのはヤチ。
「ショウジョマンガがおすすめじゃない? ライブラリにある低年齢向けのゆるめのやつ。できればファンタジー系がいいかな」
「あ、やちちゃん名案。『星屑のメロディナイツ』とかいいとおもうな。メインの男の子がやわらかい感じで、ティルさまにもおすすめかも」
「よっしじゃあそれで。あかりん訳して」
「うわこの先輩しれっとタダ働きを要求してきましたよ!」
ヤチとクマノの提案に、アカリは即座に抗議の声をあげる。
そこにすかさずミツバがすっと手を挙げた。
「……いや。それはダメだろう」
「ですよね。ただ働きは――」
「果たして彼女に、我々の価値観をそのまま身につけさせていいのか」
「あ、そっちですか」
「彼女にはまだ政略結婚の選択肢もある。下手に自由恋愛の観念を吹き込めば辛くなるだけだぞ」
政略結婚。その言葉に、先日の縁談――カズキが言う“政治的価値のない政略結婚”の件が思い返される。
「うわ鬼! 悪魔! ドS! マジレス女!」
「うるさいやっちー。本物の鬼畜がわざわざ自分の企みを正直に話すか」
だいたいな、とミツバはため息交じりに言う。
「我々の価値観と彼女の生きる世界の価値観は異なるところが多い。彼女がもともと彼女自身の世界の価値観を有しており、それに苦しんでいるならば、違う選択肢を示すことは有意義だろう。けれど、何も知らないのであれば――」
そこで言葉を切り、ミツバはティルを見据える。
鋭い目線。ティルが苦手なそれに少し心が跳ね、
「――こちらが当たり前と理解してしまえば、あちらと違いが大きすぎて戻れなくなるぞ」
続く言葉は、さらに小さくティルの胸を刺す。
ティル自身も、これまでの経験から嫌というほど思い知っている現実だ。
彼らの、I.D.E.A.の文化は、その豊かさに支えられた余裕から、個々人が多くの自由を手にしている。
けれど、帝国は。
……まだ、生きることで、精一杯。
人間という種として、国という共同体として存在し続けることが第一で、その僅かな余力で自由を得ているに過ぎない。
I.D.E.A.流の自由を知り、帝国へそれを求めても、帝国にはそれを叶えるだけの力がないのだ。
I.D.E.A.の自由は、I.D.E.A.の中でしか叶わない。
だが、ティル自身の軸足は未だ帝国にある。
「私、は――」
果たしてどちらを選ぶのか。あるいは――。
「重いよ! 祝勝会でやるテーマじゃないよ!」
ヤチのやけくそのような抗議の声に、思索の沼に沈みかけたティルはずるりと現実に引き戻された。
「元はやっちー先輩が酔っ払って愚痴り始めたからじゃ……」
「やぁだー! 正論なんて聞きたくないー!」
「ああもうめんどくさいなこの酔っ払い!」
アカリとヤチのそんなやりとりに、ティルは小さく笑みを得る。うん。今はこの時間を楽しめればいい、と。
「じゃあ、まずはティル様の世界の恋愛とかそのへんの話題、なにかありませんか?」
「……クマノさんナイス軟着陸です」
「レファさん、なんかネタある?」
「えっ――私もそれほど話題の持ち合わせは……」
「じゃあじゃあ、文化研で収集したネタ何個か披露しましょうか」
「よっしゃあかりん、酒のつまみになりそうなネタよろしく」
「ゲスい顔やめてください先輩」
そうして、かつて帝国で繰り広げられたという恋物語の数々を肴に、女子七人の夜は更けていくのだった。
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