第14話 首なし地蔵

身投げ岩の下流1Kmあたりは比較的水深が浅く1mほどだと思います。

川幅いっぱいに水が流れている状態です。ただし、2m程の深みもある場所もあります。鮎釣りシーズンともなると鮎釣りの絶好のポイントが身投げ岩の下流になります。小学生時代のことなのだが、集中豪雨の後のことなのだが、普通とはなにやら違う怪しげなバスケットボール大の石を見つけた。近寄って見ると首無地蔵が逆さの状態で水に洗われている。小学生時代もケッカンとは、常につるんでました。


ケッカン:「どうする?」

オレ  :「持って帰る?」


子供用自転車の荷台に座らせて、手押しで家に帰ったが、やはりというか困った拾い物だったようだ。いまさら捨てて来いなどとは、物が物だけに言えなかったというのが真相だったのだろう。オヤジ(父)は、さすがに気味悪かったのだろう、近所の寺の住職に相談したようである。「そのまま家に置いてあげるのがよろしい」ということとなり家の床の間に座ってもらうことになったわけなんです。現在の田舎の実家にも首無のまま現存しています。それから少しずつなのだが、家の経済状態が良くなってきました。まるで日本昔話じゃないか!実際、それまでは、父の経営していた建設会社が倒産(私が5~6歳の頃)して会社員として○○建設に勤めていた頃です。そりゃ絵に描いたようなビンボーでした。その地蔵が家に来たあたりからなにやら、全てが上手くいくようになったというのである。私は、貧乏人の子倅として育ち、そのまま社会人となってしまいましたから、美味しい思いは、皆目無いです。結果的には、私は貧乏自慢は、かなりのネタを持っています。悪い意味の「お坊ちゃま」として育たなかったので良しと思うべきだと自分に言い聞かせてますが、やっぱり、負け惜しみです。できれば、お坊ちゃまで育つべきだと今でも思っています。なぜなら性格が自分のように不可思議になってしまうに違いないからです。


※「首なし地蔵」をネット検索すると鬼のように出てくるのだ・・・石像のくびれ部分は、折れて当然の構造なのだろうから、当然といえば、当然。写真は、上のハナシとは別物の像です。「フィンランディアへの道」を書いた頃は、親父は、社長として現役でしたが、2015年現在は、すでに亡くなってしまいました。(合掌)

建設会社でありながら、手形を一切使わない経営方針で無借金経営をしていたので、そのまますんなり廃業することができたわけです。これも首なし地蔵のご利益なのかな?肝心の俺へのご利益は、あったのか無かったのか・・・う~む、微妙です。まあ元気に暮らせてるから、あったのでしょう。

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