<夜は無慈悲な刻の女王>~ウイザードは眠らない~

  

 


 観念的には、点の連続が線であり線の連続が面であり、そして面の連続が空間であるように、空間の連続は時間である。


 しかし次元が違うということばがあるように、長さが0である点が無限に連なっても線になるではなく。


 広さが0である線が無限に集まっても面になるわけでもなく。


 高さが0である面が無限に増えたとしても空間になるわけではないように。


 空間が無限に存在することが時が流れるということではない。


 これを間違えるとアキレスが亀に追いつけなかったり、音速を超えて動く物体が存在しなかったり。


 光速に近づくことで時間の流れが変わったりする。


 数学的に正しかろうが論理的矛盾がなかろうが間違いは存在し得る。


 それらの概念とは人の作った考え方に整合性を持たせる為の思考ツールにすぎないからだ。


 珪素を主とした様々な化合物が、それとは知られず石と名づけられ更に細分化して命名されようと、それは単なる分類に過ぎず。


 決して珪素が認識されていたわけでないように、名は名でしかなく決して本質ではない。


 観測できるものと、変化を具体化し測量できるように作られた観念としてしか存在しないもので、自らとその知覚できる全てを縛ることにより人はそれらを認識する。


 しかし、猫にとっても人にとっても目の前に存在する石が同じものでしかないように、認識しようとしまいと、そこにあるものはある。


 故に、唯心論にも唯物論にも唯名論にも意味はなく、人はソフトとハードとダウンロードで出来ている。


 では、今のオレはどうだろう?


 ASVR内の人間はソフトのみの存在にすぎない。


 極論すれば死後の人格保存システムである人格データバンクとさして変わりはしない。


 霊媒や交霊といったオカルトに表されるような死者と語りたいという想いなのか、それとも亡くした人への追憶故なのか、人はありえない存在をデータ空間に再現してしまっている。


 ある者は死者への冒涜だといい、あるものは弱い人間の傲慢だと言う。


 そんな様々な非難を受けながらもそのシステムは普及し、今では犯罪捜査や裁判の材料といった司法面でも使われるようになった。


 彼らは自分を殺したであろう者を死した後に弾劾し、完全ではないが死人に口なしとはいえない状況が生まれた。


 また、亡くした家族にあえることで遺された人々に様々な影響が与えられた。


 では、死んでしまった人間は消え去るわけではないことになる。


 データの中の死者とオレ、何が違う? 


 すでにオレという人間が死んでいて今のオレはただのデータだとしたら。


 今のオレがオレという人格が眠りの中で作り出した影にすぎないとしたら。


 あるいは誰かの狂気によって生まれた人格が今のオレだとしたら。


(いや、違う)


 眠れぬ夜にただ時間のみを数えるうちに、妙な方向へと流れていった思考を打消して、オレは手にした本を置きソファーから立ち上がった。


 時刻は午前4時、すでに日は変わりこの厄介事に巻き込まれて最初の日が終わっていた。


 どうやら今のオレに眠りは必要ないらしく眠気はいっこうに訪れない。


 しかたなくミスリアの部屋から持ってきた書物を読んでいたのだが、いつのまにか考えにふけっていたらしい。


 読んでいたのは錬金術関連の本のうち、練成系魔術に関する本と神呪系魔術だ。


 練成系は物質の抽出や変性を促がし、魔法薬や魔法具を作成する魔術で、呪文と触媒で発動するものを言い。


 神呪系は精神や物質の変質や補強を促がし、神薬や神具を作成するのに加えて、直接生命や精神に作用するものを言う。


 これを読むことで、オレは2種類の魔術を使えるようになったが、神呪系の効果に触発されたのかくだらないことを考え込んでいたようだ。


 オレがコピーされた人格データだなんてことはありえない。


 人格データバンクは確かに存在するがAIと同じで自我は存在しない。


 自分の自我に不安を覚えるのは人間だけなのだ。


 そしてオレが狂気の中に囚われているというのも、ありえない話ではないが根拠のない妄想にすぎない。


 狂っている可能性を検討し狂気を否定し、狂気を制御できるのなら、その人間は狂っているとはいえない。


 以前と比べれば不安要素は減っているのだ。


 悲観する必要もなければ自己否定に陥る必要もない。


 依然、状況は不透明だがいくつかの肯定的な要素も見つかった。


 今のオレの能力は、やはりリアルティメィトオンラインの全スキルと魔法を覚え能力強化した改造キャラのステータスに準拠しているようだ。


 月の蝶と併せて考えるとこれは、オレの持つこの知識も催眠などの暗示で刷り込まれたものではなく、ASVRのシステムアシストの可能性が高い。


 これらの事実は、頭の中をいじられているわけでもなく、自身の行動を制御されていることもないだろうことを表すのだから喜ぶべきことだ。


 そしてこの世界がオレのハッキングの要素を含んでいるのなら、内部からハッキングツールにアクセスできる方法が見つかれば、やりようはいくらでもある。


 システムに干渉してASVRに繋がれた人間を目覚めさせる事も、外部のネットへアクセスして、この状況を覆すこともできるはずだ。


 そして、ハッキングツールを見つけるのなら、操作メニューを開けない状況ではバグを探すのが一番手っ取り早い。


 昼間、この小屋で探していたのもそれだ。


 ASVRでは、バグは現実ではありえない感覚や状態として認識される。


 通常バグにハマれば保安システムが働き目覚めるようになっているし、その状況になればオレが持っているだろうデバッグスキルの使い方を思い出せる可能性が高い。


 ゲームとしてのスキルを見るだけで思い出せるなら、バグを見ることでデバッグスキルを思い出せないわけがない。


 この世界がオレのハッキングの影響を受けている以上、それは必然というものだ。


 オレはそう考えながら扉をあけると、森へと向かった。


 とは言ってもバグ探しではない。


 練成系と神呪系の呪文が使えるかの実験だ。


 バグを探すなら森のような自然データより人工物のデータのほうがいい。


 それに、オレの行動がモニターされている可能性がある以上、オレがバグ探しをしていることを知られるのはマズイ。

  

 辺りはまだ暗かったが日が昇りかけているのかいくぶん明るくなりかけている。


 それでも森の中は明かりなしでは歩けないだろう。

 オレは神呪系呪文の一つ、ニュクサイトを詠唱発動した。


 ふっと視界が切り替わりあたりが昼間のように明るく見える。


 赤外線スコープや光増幅スコープのように色のない風景ではなく、蛍光灯に照らし出されたかのような鮮やかな風景だった。


 月をみてもまぶしく感じることはなく、蝶の形もはっきりとわかる。


 おかげでそれほど苦労することもなく、目的のものを見つけることができた。


 ファウラ草。

 練成系魔術の触媒となる植物で秘毒の材料だ。


 さっそく葉を摘んで、精霊系呪文とは比べものにならないくらい長く、複雑な手順で呪文を

構築していく。


 プログラムを組むのに例えれば、精霊系呪文が高級言語として練成系はアセンブラだ。


 それでも、そう手間もかからず魔術は発動した。


 青紫色の草が赤紫色の液体へ、そして最後には黒紫の粉へと変わる。


(練成系魔術も発動するか)


 オレは掌の粉を捨てると、次の実験をすべく魔物を探した。


 時間帯が変わったせいか魔物の気配らしいものは、あまり感じられない。


 前はそう歩き回らずに見つけることができたのに、今度は十数分ほどして、ようやく何かの気配を感じ、オレは気配のするほうへと近づいていった。


 そうして、見つかったのは昆虫系の魔物だった。

 キリングマンティス。

 体長3メートル近くの大蟷螂だ。


 昆虫の体構造では原理的にありえないサイズの魔物に、オレは即座に魔術を使う。


 アドムヴラール、対象を麻痺させる呪文は効果を表し、大蟷螂はピタリと動きを止める。


(自身と他者に対する呪文、双方とも発動するか)


 オレはしばらくの間、固まった蟷螂を観察し数分たって動き出した蟷螂が逃げ出すのを確認して実験を終えた。


 本物の蟷螂はかなり攻撃性の高い虫だが、どうやら魔物としての性質のほうが強いらしい。


 リアルティメィトオンラインでもそういう設定だろうかと考えながら、オレは小屋へと向かって歩き出した。




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