<ワールド・システム・アナライズ>~月夜にうさぎは踊らない~

  

 


 社会が近代化することで女は強くなり男は弱くなったとよく言うが、それは相対的な話でしかなく、実際は女は弱く男はそれ以上に弱くなったというのが真実だろう。


 それは動物としての人間の能力の低下というデータで見えているものでも、ストレスという言葉が一般に普及しだした時代から顕著になった精神的な耐久力の低下という目に見えないものでもそうだと言える。


 その原因は死や危険を必要以上に遠ざけ、自らや子供達を甘やかすことをよしとする人間たちだろう。


 直接的には家で家族の死を見取ることや子供に刃物の使い方を教えること、間接的には料理や遊びで死や危険を知ること、そういったありふれた光景が傍から消えていくに従って人は弱くなっていき、ついにはそれを弄ぶ自らの弱さすら知らない人間が生まれる。


 よい例が、かつて隆盛を誇った自らを貴族と呼び他の人々を貶めて恥じない連中だろう。


 今でも民主主義という看板を掲げた裏で、‘国家全体を貴族と見立てて、他の国家を貶めることで富を得るシステム’を構築しその頂点に立つことで、そんな連中の同類ははびこっている。


 おそらくはこのASVRというシステムをつくったのも、そして今オレをこんなところに放り込んだのも、そういった連中なのだろう。


 もっともオレが狂ってしまい、そんな連中の同類になってしまったか、ふざけた妄想のなかで苦しんでいるだけという考えたくもない可能性もある。


 そんなことを考えながら切られたシャツを繕い終えた後、目覚めたミスリアに食事を作ってやり、まだまともに動けないため、赤ん坊にするように口に運んで食べさせてやったり、再び彼女のプライドを削るような諸々の生理作用の始末を終えたりと、あわただしく過ごすうちに、あたりはすっかり暗くなっていた。


 ミスリアも最初のときほどオレの世話を受けることに苦痛を覚えなかったようで、相変わらず恥ずかしそうではあったが、それほど辛そうではなかった。


 女は強いという言葉はこうした適応力をみた人間が最初に言い出した言葉なのだろう。


 それが彼女本来のものかミスリアとしての人格なのかは解らないが。


「それじゃあ、おやすみ」


 そういって寝室をはなれるオレの背に


「ありがとう。 おやすみなさい」


 そういうミスリアの声はかなり力を取り戻していた。


 オレは振り返らず黙って手を上げることでそれに応え、階段を昇り、水晶の小屋へと戻ってソファーに腰を下ろした。


 時計は午後10時を回っている。


 朝から動き回り命のやりとりをして更に様々な考えを巡らせているのに、体も心も疲れを感じていないのが不気味だ。


 ASVRは全感覚型ヴァーチャルと言っても、ただ脳への入力をごまかして仮想体験をさせるシステムではない。


 脳の変わりに肉体の制御も行いシステム内にいるときは代謝を低下させ擬冬眠状態にして、脳からのフィードバックを防ぐ。


 小脳の運動プログラムや大脳の知識野に変わり知識をバックアップして拡張する。


 そういった第二の脳といえる役割を果たす為のシステムでもある。


 医療用では義肢や人工臓器の制御に使われるが、軍用では戦闘サイバーシステムや高機動戦闘機などの制御に使われ不眠不休で戦う機械のような兵士を作り出す。


 超人願望の脳筋の夢を実現させるシステムと話には聞いていたが、まともな神経の人間なら自分が人間でなくなったようなこの感覚は、決して嬉しいものではないだろう。


 疲れはなかったがいつもの習慣でソファーの背にもたれかかり、オレは腰の後ろに何かが挟まるのに気づいた。


 焼け焦げ切り裂かれた革のジャケットを脱ぎ捨てたせいで、小さいものだがはっきりと腰のベルトに何かが付属していると解る。


 ベルトの背部が小さなバッグになっているらしく、そこに何かが入っている。


 確かリアルティメィトオンラインではここにアイテムバッグがあったはずだ。


 バッグというよりは銃のホルスターサイズのポーチのようなものだが。


 手を後ろに回してバッグを探ってみると、そこには名刺を一回り大きくしたサイズの一枚のカードがあった。


 取出してみると黒を基調に金で飾られた金属とも石ともつかない素材のつややかに磨かれたカード表面には、白い文字が浮かんでいる。


 160499。


 これはリアルティメィトオンラインでは、マネーカードと言われているものだろう。


 正式名称は覚えてないが魔物と呼ばれるエネルギー生命体を倒したときにでる魔力を吸い取って蓄えるという設定の魔具だ。


 マネーカードの名の通り魔力を金銭代わりとするリアルティメィトオンラインの世界では、これで買い物ができるので、懸念だった生活費の問題がこれで解決するかもしれない。


(これならミスリアに旅の護衛として雇われたという暗示は必要なかったかもな)

  

 だがまあ、暗示自体は必要だったので無駄手間ということはなかったし、彼女の身辺調査を通じて事態の打開を図るという目的は変わらないのでたいした問題ではない。


(報酬を受け取るといっても、ただのデータだ)


 オレはそう思い直し、再びベルトのバッグにカードを直すと、実験をすべく立ち上がった。


 この160499という数値はゲーム内でオレのキャラクターが持っていた額だろう。


 あとはこれが魔物を倒すことで増えるかどうかと、植えつけられた記憶にある使い方で魔術が発動するのかどうかだ。

 

 両方ともうまくいけば、今後の活動がかなり楽になるだろう。


 マネーカードが使えるかどうかは後日試すとして、今日のところは魔術の発動とそれを使った魔物狩りか。


 ゲーム感覚で魔物狩りを楽しむなんて気はないが、ミスリアの護衛として旅をするのなら魔物を狩れないではすまないだろう。


 そうなると肉弾戦よりは魔法のほうが使い勝手がいい。

  

(それに、この世界を壊そうとすれば邪魔が入るだろう)


 そのときの為にもとれる選択肢は多いほうがいい。


 扉を開けて外へ出ると、昼間より少し冷えた風を感じた。


 扉を閉め、一歩前へ進むと呼吸を整え、意識を集中させる。


 呪文を構築し、眼前の空間に意識を集中させ発動の意志を込める。


 ぶんという鈍い発動音とともに衝撃波が放たれ数メートル先の大地を音もなく抉り取った。


 昼間、シセリスが使ったルォイグアーの呪文だ。


 基礎魔力量で放てば、この程度だが魔力を2倍使えば破壊力は20パーセント増しというように破壊力を変えられる精霊系魔術と呼ばれる使い勝手のいい魔術だ。


 魔術にはこの他にもいくつか種類はあるが、今のオレが使えるのはシセリスの見せた風と火の精霊系魔術だけだ。


 おそらく他の種類の魔術も使えるはずだが、今はまだ使い方が解らない。

 

 とりあえず、思い出した呪文は使えるようなので今はこれで充分だろう。


 オレは、火系統の呪文を発動させ、そのまま空中に保持してそれを光源に、夜の森へと入っていった。

 

 ‘水晶のアルケミスト’の小屋の周りには、都市と同じような魔物避けの結界があり狩りをできるようにはなっていないが、設定として夜の森は多くの夜行性の魔物が徘徊する魔境だ。


 たいして歩くことなくオレは不定形の魔物の代表であるクレイスライムを見つけた。


 昼間見たレッドキャップやウルフなど秒殺できる魔物だ。


 即座に光源にしていた火球とは別に火系統の呪文を発動させる。


 アイフレトと呼ばれる認識対象のみを燃やし尽くす魔術だ。


 白い炎が、こちらに気づき逃げようとしたクレイスライムを数秒で焼き尽くす。


(こんなに簡単に出遭えるということは、けっこうな数がうろついているらしいな)


 よく今朝は無事だったものだと思いながらマネーカードを取出すと、数値は162699に

変わっていた。


(実験は成功か、ならもうここに用はない)


 カードをしまうと踵を返し小屋へと向かい、そのまま歩き出す。


 帰る途中でも他の魔物の気配があったが、それはこちらに気づくと遠ざかっていった。


 そういえば、魔物は自分よりある程度強い魔力を感じると逃げる性質があるという設定があった。


 都市などの魔物避けは、その原理を元に作られているという話らしい。

 

 しばらくすると森がとぎれ、水晶の小屋とその向こうの夜空が見えてくる。


 見上げれば、満天の星空と白く輝く月があった。


 空には見知った星座はない。


 そして月の模様はどこか止まった蝶を思わせるものだった。


 その模様は、リアルティメィトオンラインの月の神の神獣が幻の蝶だという証だという設定を思い出し、オレは苦笑した。


 ここはどうしようもなく‘オレがハックしたリアルティメィトオンライン’の世界そのもののようだ。


 大型の天体望遠鏡並みの精度で強化された視力はオレにその些細な違いをはっきりと認識させる。


 そう、その月にはオレがデータを書き換えた通りに微妙に姿を変えた蝶の模様があった。



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