第10話

 まだ大通りも中腹辺りで、先は続いているのだが、最も近い脇道を見つけ出すとひとまずそこへ入ることにした。なにかがあったわけではなく、単に「先ほどの母子に会うと気まずい」というアデルの意見を尊重したためだ。

 警戒して周囲を見回す彼女の手を引きながら、ヘイルは大通りを離れ脇道へ入っていく――いや、入っていこうとしたのだが。

 それを阻んだのは、まさしくその脇道から飛び出してきた人影だった。

 咄嗟に避けたヘイルの隣で、「あぎゅぅ!」と悲鳴を上げてアデルが弾き飛ばされる。さらには近くに置かれていた樽に頭をぶつけ、ふらふらと彷徨うはめになっていたが、まあそれはそれとして。

 ヘイルも無茶な回避で膝を付きながら、人影を追って大通りの方へ顔を向けた。

 そこで、明らかに先ほどまで存在してなかった、物騒な男の姿を見つける。

 ぼさぼさの髪に、ぼろぼろの服。いかにも不潔な様子の、がたいのいい男。顔付きは異常なほどに険しく、血の気が多いというよりも、追い詰められて自棄を起こしている様子だ。

 それを最も如実に表しているのが――手にしている血の付いたナイフだった。

 大通りは一瞬、突然の場違いな来訪者に静まり返り……直後に多数の悲鳴が上がる。人々は転がるように逃げ出し、男の周囲からは瞬く間に人が消えていった。

「うるせえ! 静かにしろ!」

 無茶な要求をしながら、彼はナイフを振り回し――その中で、自分の足元にある影に気が付いた。

 それは逃げ遅れたというより、逃げる群衆に弾かれ倒れた若い女。明確な殺意を見せる悪漢を前に、竦んで立ち上がることも出来なくなっていたらしい。

 それでも彼女はなんとか這ってその場を離れようとし……ヘイルも咄嗟に、彼女の救出に駆け出そうとしたのだが。

「おら、大人しくしろ! 今からてめえは人質だ!」

 身体を起こし、一歩目の跳躍をした直後。女の首筋に刃が突きつけられたことによって、ヘイルは二歩目を踏み出すことが出来なくなった。

 女を立ち上がらせ、盾にするように背後へ回りながらナイフで脅す男。こうなっては、人質を傷付けないためにも止まらざるを得ない。

 遠巻きに群がった人垣も、同じく動きを止めている。こちらは野次馬程度の意味で離れないだけかもしれないが。その中から、女の声が響いてくる。

「この人、脱獄犯よ! 兵士ばかり襲ってたっていう盗賊団の一味だわ!」

 それはやや西部地方の訛りがある声だった。ひょっとすれば、そちらで有名な賊だったのかもしれない。どうあれ正体を知っていた住民の情報によって、群集の中にさらなるざわめきが起こった。

 兵士に匹敵する力の持ち主だと知り、野次馬をやめて逃亡する者も現れる。それでなくとも、人垣はさらに大きく広がった。

 結果として、その場に残ったヘイルだけが強調される形になる。脱獄犯らしい男も、こちらを警戒しているようだった。それは好都合だろうとヘイルは感じた。その分だけ、住民に刃が向けられなくなる。

 人質を挟んで向かい合う形になると、男は叫んできた。

「なんだてめえは? やろうってのか!」

 威嚇しながら切っ先を向けてくる。

 ヘイルは首を横に振った。小さく両手をあげ、「この町の住民に害を与えたくない」と前置きしてから、

「その人を解放してやってほしい。人質なら俺が代わりになる」

「てめえが? ダメだ、そうやってオレを捕まえる気だろう」

 わかっていたことではあるが、やはり拒否された。

 恐らく脱獄犯は人質を盾にして逃げ、その先で用済みとなった人質を始末するつもりなのだろう。だとすればやはり、町の住民から手を離させなければならない。

 ヘイルはそう考え、さらなる別の代役を提示することにした。一見すれば、脱獄犯の希望に叶いそうな人物。

「こいつが代わるなら、どうだ?」

 尋ねながら、ようやく起き上がってヘイルの背中に隠れていたアデルを引っ張り出す。

「なっ!? ちょっと待て、ヘイル! そんな勝手に」

 強制的に進み出され、慌てて振り向き抗議してくる少女。

 ヘイルは口に指を当ててそれを静めると、顔を寄せて耳元で囁いてやった。自らの計略と、誘惑。

「お前ならある程度は安全だろ? それに、あの女の子以上に喜んでもらえるかもしれないぞ」

「よ、喜んで……」

 アデルはその言葉に惹かれたらしかった。やはり少し、弟子らしくなってきたということだろうか。

 いずれにせよヘイルは、彼女がうっとりしている間に勝手に話を進めていくことにした。再び脱獄犯に向かって、

「どうだ? 見た目ならこっちの方が弱そうだぞ」

「ひどっ!」

 抗議のような声が上がるが、脱獄犯はヘイルの言葉の方に多少の納得を感じたらしい。

 自分の腕に締め付けられて蒼白の怯え顔を見せる女と、へこたれて、もはや死にたがるような落ち込み顔で頭を抱える小柄な少女。両者をちらちらと見比べて……彼は頷いた。

「いいだろう。そいつを代わりにしてやる」

「呑むのかっ!?」

 喫驚するアデルと共に、交渉は成立した。脱獄犯にしても、やはり町の住民を使って多勢に恨みを買うよりは、どこの馬の骨とも知れぬ旅人、まして既に死にそうな少女の方が扱いやすいと思ったのだろう。

 これで無事に女性が解放されれば、あとは二人で捕まえることが出来る――

 ヘイルがそう思い、安堵した直後。

「稲妻よ、落ちろ!」

 声が響き――同時に激しい雷光が轟いた。

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