第9話

 町に着いて、馬車を降りる。

 礼を言い御者を見送ってからアデルの方へ向き直ると、彼女は未だぶつぶつと呻き続けていた。

「あの時にオチの部分を臭わせちゃったからいけないんだ……どうして私はあんな話し方を……」

「まだ気にしてるのか。ほら、町だぞ」

 眼前で手を振ってやると、彼女は少しだけ視線を逸らす。とりあえず意識はあるらしい。

 それならばひとまず安心かと、ヘイルは町を見渡した。

「夕食時にはまだ早いが、せっかくだしなにか食べるか。希望はあるか?」

「えっ、食べ物」

 少女が、はたと顔を上げる。先ほどから一転して、瞳に光が宿った……ように見えたが。

 さらにそれを一転させ、すぐにまた表情を落ち込ませる。

「でも、そんなに負担をかけるわけには……」

 遠慮がちに囁くと、ヘイルは「弟子がそんなこと気にするな」と言って少女の額を軽く小突いた。

「夕飯前の腹ごなしとして、軽く口に入れておこうってだけだ。露店も出てるみたいだしな」

「う、うん……わかった、ありがとう」

 ぎこちなく、慣れていない微笑を漏らして、それでもアデルは頷いた。

 露店を見て回ろうと、ヘイルと一緒に町の中を進んでいく。

 比較的大きな町であり、南の入り口から真っ直ぐ北に向かって大通りが伸びている。主立った店はたいていがこの道に面しており、食材や食品の類も多く並び、なんとも言えぬ芳香が鼻腔をくすぐってくる。

 アデルはそれらに逐一惹かれながら、きょろきょろと左右に首を振っていた。ただし相変わらず人への恐怖心は拭えないのか、ヘイルの背中に隠れながらだったが。

 そんな中、ひとつの店に差し掛かったところで彼女は足を止めた。旅人然としたヘイルの服を引っ張り、呼び寄せる。

 そこは甘い香りの漂う、飴屋だった。袋の中に三色の飴玉が詰まっており、色によって別々の味が楽しめる、とのことらしい。アデルはその袋に描かれた飴玉を、物欲しそうな様子でじっと凝視していた。

「あ、あの、これ……その、綺麗だな」

 ふとこちらを見上げて、窺うように言ってくる。

 実際、綺麗だとも思ったのだろう。しかしその言葉の真意はヘイルにも容易に理解出来た。

 ここまできたなら遠慮せず、素直に言えばいいのにとも思うが、それが彼女の性質とでも言うべきか。

 謙虚なのか単に心が折れているのかわからないが、どうあれヘイルは、そんな少女に飴の袋をひとつ購入してやった。

「その……ありがとう、ヘイル」

 町の散策に戻りながらそれを渡すと、彼女は黒いフードの中で嬉しそうに顔を輝かせた。

 両手で持つほどの大きな袋ではないのだが、大事そうに抱きかかえている。

「とりあえずはそれを舐めながら、町でなにか起きていないか調べていこう」

 新たな町や村に着いた時、ヘイルは必ずそこを歩き回り、住民が困窮するような事件や異変がないかと探っていた。

 なにもなければよしとして、次の町へ。なにかあればそれらを解決し、次の町へ。そうしながら旅を続けている。

 アデルもそれを理解しているため頷きながら、しかしそれはそれとして上機嫌に呟く。

「今日はなんだか、人に優しく出来そうだ」

「こんなことで人間恐怖症が和らぐなら、もっと前から使うべきだったな」

 実際、彼女は少し気が大きくなったのか、ヘイルの背後ではなく隣に並ぶようになった。しかも歩くのに合わせて、身体を左右に揺らしたりしている。

「よし、それじゃあ早速ひとつ食べてみよう! 何色が出るかなぁ」

 アデルは期待に満ちた様子で袋を開けた。あえて中を見ないようにしながら手を入れ、取り出す。白い飴玉だった。それが何味なのかは――店の看板には書いてあったかもしれないが、覚えていない。

 それはアデルも同様だったらしく、しかし舐めてみればわかると言って楽しげに口の中へ放った。彼女は一瞬、実に甘味なものを頬張ったような幸福の表情を浮かべたあと……

「んぁぅっ! な、なんだこれ、辛いっ」

 即座に悲劇的な顔へ変化し、うえーっと口を開ける。そこには白い飴玉が見えた。どうやら白はハーブの味だったようだ。

 アデルは思わず飴玉を吐き出そうとするが――それは勿体無いと言って堪える。しかし次第に渋面が色濃くなっていき、やがて我慢の限界を迎えたらしい。

「そ、そうだ! 別の甘い飴を舐めて中和すれば!」

 そう閃いてまた袋に手を突っ込むと、取り出した飴を急ぎ口の中に放り込む。が――

「んぁぁあ! よ、余計に辛いいぃ!」

 嫌そうに開けた口の中には、二つの白い球体が見えた。どうやら再び同じ味を引き当ててしまったらしい。

「うぅぅ、なんでだぁ……」

「運が悪いんじゃないか? 俺もひとつ貰うぞ」

 口寂しさを紛らわすため、また運試しも兼ねて、ヘイルも袋に手を入れる。アデルも再び、今度こそと飴を取り出し……出てきた色は二人とも、白だった。

「うえええん! どうなってるんだ、これぇ……」

 律儀に三つ目も口に入れながら、涙目で袋の中を見やるアデル。横からヘイルも覗き込むと、そこにあったのは大量の白い飴玉だった。その白色の中に、辛うじて数個、赤と黄色が点在している。

 三つの味が楽しめる、と書いてあったはずだが――ほぼ一つの味しか楽しめない。

「……死のう」

「死ぬな」

 比較的同情の念を禁じえなかったが、それでも自害だけは引き止める。

 とりあえずヘイルは、袋の中から数少ない赤い飴を取り出し、彼女へ渡してやった。

 アデルは勿体無さげにそれを見つめ、今ここで口に入れるべきか、この忌まわしい白色の飴を食べきってからにすべきかと悩んでいたようだが――

「うわああああああん!」

 そんな時、激しい泣き声が聞こえてきた。

 通りの先。見れば明らかにアデルよりも幼い見た目をした少女が、先ほどとは別の飴屋の前で泣いている。

「やーだー! あめほしいー!」

「わがまま言わないの! もうお母さん行くわよ!」

 どうやら飴をねだっているようだ。が、少女の母親らしき人物はそれを厳しく叱りつけると、その場を離れようとしない娘を置いて、数軒先の食材店へ向かってしまった。

 おかげでなおのこと、駄々をこねて泣き喚く子供。通りを行き交う人々はこうした事態に慣れているのか――実際、子を持つ女性らしき姿は多く見られた――、気にした様子もなく通り過ぎていく。

 しかしその中でヘイルは、はたと足を止めた。

 思わずたじろぎそうになるが、堪える。泣きじゃくる子供の姿を見つめて、自分の中に痛苦のような感情が呼び起こされるのを自覚していた。

 ヘイルは片手で顔を覆い、目を背けるようにやや俯いた。かぶりを振ることで、沸き起こる感情や、記憶といったものを振り払う。

 不意な精神の逆流に、気を落ち着けるためには少しの時間が必要だった。そしてその間に、自分の隣から駆け出す音が聞こえて顔を上げる。見ればアデルがなんの迷いもなく、ぱたぱたと少女のもとへ駆け寄っていくところだった。

 そして少女の前にしゃがみ込むと、先ほどヘイルから受け取った赤い飴玉を差し出す。

「これをあげるから、泣いちゃダメだ。ね?」

「…………」

 優しく諭され、少女はぴたりと泣き止んだ。

 ……というより、突然現れた見知らぬ黒ローブの人物に驚いたらしい。

 警戒心を滲ませた怪訝な顔で、しばしアデルのことを見つめて……

「大丈夫、これは甘いやつだから」

 念を押すように言ってくるアデルに、少女は訝る表情のまま飴を受け取った。

 アデルはどうやら、笑いかけたようだったが――その直後、少女は礼も言わぬまま踵を返し、急ぎ母親のもとへ駆けて行ってしまった。

「…………」

 沈黙を発したのは、アデル。

 しゃがみ込んだまま硬直し……ヘイルが追いつくとようやく立ち上がるものの、振り向かず呟く。

「私、いけないことした、のかな……」

「そんなことはない、と思うけどな。少なくとも俺は、お前の気持ちを否定したりはしない」

 ヘイルは首を横に振り、優しく頭を撫でてやった。

 しかし、「ただ……」と付け加える。

「知らない人から物を貰うなって教育は、されてたかもな」

「やっぱりダメだったんだあああああ」

 とうとうがっくりと項垂れて、アデルは再びその場にしゃがみ込んで頭を抱えてしまった。

「余計なことしなければよかった……私なんかが人に優しくしようと思ったのが間違いだったんだ……甘い飴を欲する気持ちを知っているからなんて、そんな生意気なことを思ったばっかりに……」

 先ほどの辛い飴が、逆に他者への優しさに転じたらしい。

「そんな思い詰めるなって。悪いことじゃないと思うぞ、俺は」

「ううぅぅ……」

 アデルは涙ぐんでいたが、実際にヘイルは感心していた。

 旅を始めてからしばらく経つ中で、彼女が自らの意志で他の人間に話しかけたのは初めてのことだ。それも、彼女なりの優しさによって手を差し伸べるなど。

 ヘイルが独りごちる、「勇者の弟子らしくなってきたのかもな」という声は聞いた様子もなく、彼女はそれよりもひたすらにへこたれていたが。

 そうしていると、駆け寄ってくる小さな足音が聞こえた。

 指先で地面を弄り出していたアデルの前にやって来たのは、先ほどの少女。わけがわからずきょとんと瞬きしていると、少女は小さく頭を上げた。

「おねえちゃん、ありがとう」

「へ?」

 どこか言われている感はあるが、そう言って手を差し出してくる。開かれた手のひらに乗っていたのは、先ほどあげたものとは違う飴玉。

「私に、くれるのか?」

 問いかけに、こくりと頷く少女。かといって笑顔を見せるわけでもなく、相変わらず怪訝な瞳を向けていたが。

 彼女は飴を渡すと、それで全ての用事を終えたらしく、やはりまた素早く背を向け母親のもとへ戻っていった。

 再び、呆然とした沈黙が訪れる。

 アデルはしばし少女が駆けて行った方向を見つめてから、やがておろおろと震え出した。

「ど、どうしよう……よくわからないけど照れ臭くて死にたくなってきた」

「もうどうやっても死にたくなるのか」

 とりあえず、多少は報われたらしい。そしてアデルも喜んでいるようで、ヘイルはやれやれと胸を撫で下ろした。

 ともあれ小さな事件は、こうして幕を閉じたのだろう。またしても貰った飴を今舐めるべきか、取っておくべきかと悩み、相変わらず口直しの出来ずにいるアデルを引き連れ、町の調査が再開される。

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