第5症 首折れ麒麟が林檎売りの真似をしているだけなんだろ?


 今日も林檎は売れなかった。自慢の林檎。日本一美味い林檎。そんな自負があるのなら、そりゃ俺だって本気で売ろうとするさ。だけど、こいつははっきり言って喰えたもんじゃない。傷物になって、ジュースにすら加工できないほどの出来そこないの林檎だ。こいつを一日最低10キロも売らなければノルマは達成できない。俺は騙されたんだ。

 なにが新しい農業の在り方だ。ただの詐欺じゃないか。ボランティアが世界を救う?そのボランティアをしている人間が世界を壊しているのではないのか?と、今更社会の歪みを嘆いたところでもう遅い。要するに俺は資本社会の仕組みに負けたんだ。悪いのは結局俺自身でもあるのだ。黙って、この腐れ林檎を売りさばくしかない。  

 ほら見ろ、ちんたらやっている間にまた事象警報が鳴り出しだ。どうせ今日も警報だけでなにも起きないだろうが、警察や自衛隊が最近は五月蠅いからな。店じまいだ。

 明日からどうやって生きていけばいいのか。もう貯金は遠の昔に残高ゼロ。借金だけが膨れ上がる。

 勝手に逃げておいて、子供の養育費だけ送れとはずいぶんな話だ。俺だって余裕があれば子供を遊園地にだって連れて行ってやりたい。仕事のあとの発泡酒すら一週間以上も我慢している。タバコも何度道端に落ちているシケモクを拾って吸っただろう。もはや俺はホームレスとなんら変わらない。かつては三十年ローンで自宅まで建てたのに、今は家賃二万の風呂なしアパートに一人暮らし。生活保護申請にも行ったが、一応無職ではないからと断られた。だが、もうこのへんが限界だ。林檎はもう下の方は腐ってきているだろう。カビまみれだろう。もう借金はできない。来月にはホームレスだな。この二十年、俺はなんのために働いてきたのだろう。なにを残せたというのだろう。と、こんな陳腐な後悔しか浮かばない。学がないからだ。崖っぷちの思考さえも『ビチクソ!』なんだ。

 あれ?ビチクソ?ビチクソってなんだ?初めて浮かんだ言葉だ。急に頭に湧いたワードだ。ビチクソ?なんだか知らないが良い響きだ。今の俺にピッタリな気がする。いいぞ。なんだか少しだけ楽しい気がしてきた。もうなんでもいいや。売れ残った林檎をそこらにまき散らして遊ぼう。

 俺はもはや林檎売りなんかじゃねぇ。

 ビチクソ・ビチクソ・ビチクソ・ビチクソビチクソビチクソー!

 面白いように転がっていく。

 腐った林檎はその場で砕けてビチクソになる。

 ははオモロ。腹痛てぇ。全身痛てぇ。

 よし、俺は決めた。今夜死のう。ゴキジェット一缶飲んで死んだろ。殺虫剤で死ねるかしら。ダメならバルサンも炊いてやろう。四畳半の部屋を閉め切ってなら大丈夫だろう。


 そう人生の最期を決意したまさにその時、俺はアスファルトの道路にガラスが粉々に散らばっているのを目撃した。なにかの瓶が割れたようだ。それを米粒と間違えているのかスズメが数匹ガラス片を啄んでいた。


 「バカなスズメだなぁ」そう思った瞬間だった。


 俺は頭部にかつてない衝撃を受けた。衝撃がでかすぎて、痛みすら感じなかった。

 ただ、おそらく俺の首の骨が折れた音だと思う。聞こえたんだ。

「ゴリッ!」と、衝撃と同時にすごい音が直接鼓膜に響いた。そのまま俺は地面に膝をつき、腐った林檎の中に倒れこんだ。

 林檎は腐っていてもちゃんと林檎の匂いがした。懐かしい故郷の匂いだった。

視界がぼやけて、意識がしだいに薄れていくその先に、俺は一人の少女を見た。少女は驚いている様子もなく、無表情でこっちをじっと見ていた。幻覚なのかも知れないが、少女の周りを何匹もの魚が跳ねていた。少女は俺の方に歩いて来たが、少女の顔を確認する前に俺は意識を失ってしまった。


 次に少女を見た時は、俺はどういうわけか紫色のキリンになっていた。


 同じように、俺はまたも首をへし折られ、絶命した。その時、初めて解った。

『ビチクソ』はあの少女の言葉だったと。言葉が溢れだして、俺の脳に届いたのだと。だけど、解ったところでどうでもいい話だ。

 俺は死にたいと思った。思った通りには死ねなかったが、思っていたよりはずっと奇妙で素敵な死にざまだった。これで良かったのだ。世界の歪みのほんの一端を、自らが体験できたのだ。

 林檎売りの真似をしているだけだった落ちぶれオヤジのこの俺が、ほんの刹那、世界の中心にいたのだ。


 ビチクソも捨てたもんじゃあないなと、俺は君に伝えたい。


「君?もちろん俺の最期を二度看取ってくれたみーちゃん、君のことだよ…」


 と、どこかの真っ黒な渦の中で何度も何度も伝えようとしているのだけれど、みーちゃんがどこにいるのか今は知らないので、俺には伝えることができない。そういや、なんで俺、みーちゃんの名前知ってるんだっけ?


 みーちゃんが紫のキリンの事象を治めてから三週間はなにも起こらなかった。静かな日々が続いていた。


 世界は本当に滅亡するのだろうか?とみーちゃんはふと考える。いや違うな。世界じゃなくて人類が滅亡するのかってことだ。世界とはどこまでが世界なのか、宇宙も入れて、その先のどこかの異次元やパラレルワールドもぜんぶひっくるめて世界と定義するのなら、それはもう滅亡という次元ではない。パソコンのハードディスクが壊れるのと、パソコン本体ごと炭になってしまうのとでは話が違う。つまり、人類だけの話であるなら、それはいくらでも代えはきく。ゴキブリだけが生き残っても、もっと細かい微生物が生き残っても、世界は世界だ。ただ、きっとそれではつまらないから神様はまた同じような、人間とは少し違うかもしれないけど、同じような考える頭を持った生物を創り出すだろう。その作業がどのくらい大変な作業か、みーちゃんにはわからない。神はたった6日で世界を作り、あと1日は休みをとったとなんかのマンガで読んだことがあったなとみーちゃんは思い出した。


 1週間か。


 1週間で世界が元に戻るなら、どれだけ世界が壊れても大丈夫かなぁと一瞬想像してみたが、神様の1週間と人間の1週間は長さが違うかもしれないと、みーちゃんはすぐに自分の浅すぎる思考を打ち消した。同時に、自分が子供だったころの1日の時間の長さがふと、駄菓子屋の匂いに似た甘美な記憶と共に甦ってきたのだった。


 1日って長かったなぁ。長すぎて、放課後までに何度死にたくなっただろう。

 何度、みんなが死んだらいいのにって考えただろう。


 今は月に一度くらいしか死にたくならないし、だれかを死ねとも思わないのだから、きっと子供のころの1日は今の1か月と同じ長さなんだろうなと、素直に自分の思考を飲み込んだ。


 なぜ、みーちゃんがこんなことを考えていたのかというと、昨日未明、日本列島の本州を除いた、北海道、沖縄、四国、九州、その他の小さな島々が、一瞬にして消失してしまったからだ。


 粉々に消し飛んだわけではない。すっぽりと、まるで最初からそこになにも無かったかのように無くなってしまったのだ。証拠に、これだけの面積の陸地が消し飛べば、本州にも巨大な津波が押し寄せて、沿岸部は壊滅してしまっただろう。だが、海はいつものように静かに波の音をさせ、朝日を迎えた。


 もっとも、朝から、あらゆる機関のヘリや飛行機が上空を行ったり来たりするので、いつもとまったく同じ朝というわけにはいかず、エンジン音が街中に降り注いでいた。

 街も、次第に詳細が解ってくるにつれ、ぞわぞわとした人のパニックの波が広がり始めていた。かろうじて電気は止まっていないようだが、テレビも画面は着いたり消えたりで、電波状態はもちろん悪い。

 ママの楽しみにしていた再放送のサスペンスも放送は取り止めになった。

 ママはなにも起こってないかのようにテレビを早々に消して、今は台所で昨日の冷えたごはんをおむすびにしていた。具は、赤いウインナーを入れた。


 ママの作るウインナーおむすびは駄菓子以外ではみーちゃんの数少ない好物だった。


「これ、はいお弁当。もし食べられたら食べて。無理そうなら、誰か、政府の人にでもあげてね。あっ、でも、魔王のパパにはぜったいあげないでね」


 ママはそう言って、みーちゃんに可愛いウサギの絵の描いてあるランチBOXを渡した。

 みーちゃんが出かける時にママからお弁当を渡されることなど、もしかしたら幼稚園ぶりかもしれない。そのころも、みーちゃんは赤いタコさんウインナーしか食べられなくて、ほかのおかずはぜんぶ残していた。ママは考えて、このウインナーおむすびを発明したのだった。ああ、違った違った、本当はこのおむすびを考案したのはみーちゃんの本当のパパだった。それをママが作ったのだ。


 みーちゃんは無言でお弁当を受け取り、家を出た。


 今日は家に帰れないかもしれない。明日も帰れないかもしれない。もうずっと帰れないかもしれない。そうママに言おうとしたけど、なぜか言葉が出てこなくて、みーちゃんはママの右手を一瞬だけ撫でるように触って、そのあとはママを見るのを止めた。家が見えなくなるまで一度も振り返らなかった。


 ママもみーちゃんの姿が見えなくなる前に、そそくさと玄関に姿を消した。


 2


 ここまでひどい仕打ちをうけるほどのことをしたのか?

 熱い。喉の奥まで、内臓まで焼けただれていく。早く殺してくれ。自分よりも悪いやつなんてこの世に山ほどいるだろ。自分は運が悪かっただけだ。悪魔に手を出したばっかりに呪われただけだ。自分はなにも悪くない。もう充分だろ?許してくれ。早く、早く殺してくれ。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱いィィィィィィィィィィィィィィィィィィ…。



 右腕が片方肘の部分から先が千切れ飛んでいた。ボクが油断したせいだ。千切れ飛んでいるのはボクの腕じゃない。みーちゃんの腕だった。バイトシフトはなぜかみーちゃんの命令を無視して、小瓶から出て来ない。しょうがなくICBMを発射したけど、しょせんは布切れだ。八千度の業火で一瞬で灰になってしまった。原爆よりも強いだろうって理由で、みーちゃんがICBMと名付けたニーソは結局名前負けしてほとんど役にはたたない。そういうボクだって、事象の攻撃を受けてもうお腹の綿はほとんど出てしまった。この間新しく縫いつけてもらったばかりの硝子玉の目も片方がどこかに転がっていってしまった。みーちゃんは今、自力であいつらと対峙していた。ボクが不甲斐ないばっかりに。

 みーちゃんは不死ではあるけれど、回復にはそれなりに時間がかかるらしいし、苦痛は普通の人と同じだ。

 可哀想なみーちゃん。ボクは捨て身でみーちゃんを守ろうと突進したが、簡単に攻撃を弾かれてしまった。今回の相手は明らかに今までのやつとは違った。強いというよりも、みーちゃんに向かって直接的な憎悪をぶつけてきたのだ。これまでの事象は、みーちゃんの行動を阻止しようとはしたが明確な意思はなかった。戦う理由もなかった。だけどこいつは違う。みーちゃんを殺そうとしているのだ。みーちゃんは良い子だ。みーちゃんは昔、さんざんイジメられていたと、部屋でニーソから聞いたことがあった。でも、事象にまでイジメられる理由はないと思う。攻撃は一方的で、これではみーちゃんはイジメられているのと同じだ。

 バイトシフトはどうしてみーちゃんの命令を無視するのだろう。こいつに一番効果ある攻撃を繰り出せるのはバイトシフトしかいない。こいつは燃え盛る炎の塊だった。炎には酸素が必要だ。だからバイトシフトが当たり一帯を燃やして酸素を無くし、こいつの炎を消してしまおうというのが当初の作戦だった。

 バイトシフトは沈黙したままだ。

 八千度の炎は、みーちゃんの服をすでにほとんど灰にしてしまっていた。ボクの身体も黒こげだった。足に力が入らない。

 これほどの炎には水は効かない。蒸気が熱風となって、さらにみーちゃんの白い肌を容赦なく焼いていく。

 事象から溢れだす明確な怒り。みーちゃんに向かっての怒り。


 そうか…。こいつは以前私が殺した人間…。あいつ…。ビチクソ以下のあいつ…。


 みーちゃんが呟く声がボクにも聴こえた。


 人間?だれのこと?


 わたしを犯した高校の先輩。呪いで殺したあいつが、この事象の正体。


 信じられない。もしそうだとしても完全に逆恨みだ。元々、悪いのはそいつじゃないか!みーちゃんを酷い目に遭わせて、悪びれもせずのうのうと生きてきた。いや、生き返った。だから罰を受けるのは当たり前のことじゃないか!


 ボクは自分の毛が逆立つのを感じた。ボクは怒りで残りの綿がぜんぶ出てしまいそうになった。


 ―こんなケースはこれまでで初めてです。一旦退避命令を出しましょう―


 みーちゃんのずっと後方から様子を見ていた政府のエージェントが、どこかにいる本部の人間に連絡する。

 なんの役にも立たないくせに。今、戦っているのはみーちゃんなんだぞ!ボクは無責任な人間にも腹が立った。


 だいたい、相手の炎の事象だって元は人間の、それもビチクソ野郎なんだ。人間はみーちゃん以外みんな嫌いだとボクは確信した。


 ダ二朗、そんなに怒らないで。これは私の問題だから、私自身が決着をつける。


 みーちゃんはそう言って、ボクを元のぬいぐるみに戻した。ぬいぐるみに戻ったボクはもうただの襤褸布で、しゃべることもできやしない。片方だけ残った硝子玉の眼球で、みーちゃんの戦いを見守ることしかできなかった。バイトシフトはやはり沈黙のままだった。


 手はまた時間が経てば生えてくるわ。でもあなたはぜったい許さない。事象とかそんなことは関係ない。個人的にあなたを許さない。やったことが許せないんじゃない。生き返ったことが許せない。


 みーちゃんがこんなに感情を表に出して怒っているところをボクは初めて見た。よほど酷いことをされたのだろう。だから、あいつは生き地獄を味わって、苦痛の果てに絶命させられたのだ。


 何故そいつが再び事象となってみーちゃんの前に現れたのか、誰にも分からなかったが、みーちゃんの後悔の念はボクにも分かった。


 あいつは私自身が屠るべきだったの。他人に任せるべきじゃなかった。


 無数の火球がみーちゃんを襲った。みーちゃんだけでなく、まわりの建物もほとんどが焼失してしまった。政府のエージェントはすでにヘリで撤退を始めた。その一機に火球が直撃して、爆音をあげながら墜落していった。


 街は空襲を受けたように爆煙に包まれた。住人たちはすでに避難していた。ここにいる人間はみーちゃん一人だ。そのみーちゃんに容赦なく炎の事象が降り注ぐ。


 事象はもはや世界を焼き焦がそうとはしていない。みーちゃん一人にその全エネルギーをぶつけてきた。


 ボクはぬいぐるみの姿に戻されたまま、みーちゃんと一緒に巨大な炎の塊に包まれた。すでにただのぬいぐるみになっていたボクは、その火球の高熱を感じることはできなかった。

 ただし、ボクの身体は一瞬で燃え尽きてしまった。ボクの意識は宙を舞い、俯瞰で火に巻かれたみーちゃんを見下ろした。


 こんな光景は見たくなかった。みーちゃんは生きながらにして全身の肉を焼かれていった。みーちゃんの悲鳴も燃え盛る火の中からは聴こえない。天を仰ぎ、虚空を掴もうとするシルエットが火の中でゆらめいて、みーちゃんの譬えようもない苦痛を現していた。ボクは意識だけで宙に浮かんでいるので、見たくなくても光景を感じとってしまう。ボクの存在はみーちゃん自身なんだ。みーちゃんが生きているかぎりはボクも死ぬことはできないし、みーちゃんと意識もある部分では繋がっていた。


 バイトシフトはどうなった?みんな一緒に炎に巻かれたはずだ。あの裏切り者め。ただのサラダ油のくせに!


 サラダ油で悪かったですね。確かに私は元々ただの食用油でした。それを…みーちゃんは、私を選んでくれた。一番嫌いだったはずのバイトで、ただ毎日パン粉をカラッと揚げるしか能のないこの私をみーちゃんは世界を救う道具にしてくれた。それは本当に感謝しています。感謝なんて気持ちどころじゃない、命を捧げてもいいとさえ思っている。この気持ちは今も変わらない。

 私は裏切ったわけではない。みーちゃんが八千度の火で焼かれても死なないことは私も知っている。死ななくても苦痛は感じることだって。

 これはあんたみたいなただの布きれに詰まった綿の塊が理解できる感情じゃないのです。

 このビチクソ人間の事象はすぐに倒してやるから、少しだけ待ってて。私はみーちゃんに訊きたいのです。



 なんで、なんで店長は殺さなかったの?

 店長が好きだったの?

 同じように店長からもひどい仕打ちをうけたのに、店長はきっと今でも呑気に串カツを揚げているに違いない。みーちゃんの道具になってからは店長がどうなったか知らないけれど、でもきっとなにも反省もしないで違うバイトの娘に、みーちゃんにした時と同じようにビチクソなことをしているでしょう。

 みーちゃん答えてください。答えてくれたら、こんなやつすぐにこの世から消滅させてやるから。ねぇみーちゃん。なんで黙っているの?もう熱いのは嫌でしょ?家に帰りたいでしょ?


 火の粉に混じってバイトシフトの意識がボクの心にも伝わってきた。こんな時になんてやつだ。今だって、みーちゃんは意識を持ったまま焼かれ続けているというのに。結局、それは単なる嫉妬心じゃないか。店長を嫌いなのはみーちゃんでなくバイトシフトの方じゃないか。

 ボクは必死にバイトシフトの意識に自分の意識を飛ばそうとしたが、燃え盛る業火に掻き消されて意識がそこまで飛んでいかない。このままでは、みーちゃんは死ななくても心が崩壊してしまうかもしれない。パパである魔王は助けに来ないのだろうか。やっぱりこれは魔王の仕業なのか?

 ボクはただただ焦って意識だけが空中を、夕刻の子虫の大群のようにちりじりなったりまた固まったりして、右往左往するしかなかった。


 お願いだ。バイトシフト。とにかく先に事象を止めてやってくれ。


 ボクは流せない涙を流して懇願した。神のいない天に祈った。


「…」


 それが答えなのね?解った。ありがとうみーちゃん。

 そしてさようなら…。


 ボクの意識に、絶望と安心を綯い交ぜにしたバイトシフトのか細い意識が流れ込んできた。みーちゃんの言葉はボクには聴こえなかった。違う。聴こえたような気がしたけどボクには理解できなかった。自分がバカすぎて嫌になった。いつもなにも知らないのはボクだけた。


 バイトシフトの「さようなら」の意識のあと、すぐに辺りに閃光が走った。みーちゃんの大嫌いな原爆が炸裂した時と同等の、凄まじい閃光だった。明るすぎて、逆になにも見えなくなった。真っ白の世界だ。

 数秒も経っていないと思う。でもそれ以上に時間が長く感じられた。ゆっくりと光の輪は収縮していった。事象の火を簡単に喰い尽くすバイトシフトの数万度の焔と高圧力と衝撃波。同時に、周りの酸素も完全に消失した。酸素のない世界で火は命を失った。一度きりの最終技だった。


 バイトシフトの最期の技‐アポロンの受難‐


 死ぬ間際にそんなカッコイイ名前を呟いて逝くなんて、バイトシフトらしいやとボクは思った。同情はしない。だって、みーちゃんの味方なのにみーちゃんを結果的に苦しめたんだから。


 バイトシフトの命を賭した攻撃のおかげでみーちゃんを犯したビチクソ野郎は今度こそ消滅した。ボクが役に立てなくて本当に悔しい。


 バイトシフトの意識はもうこの世界には存在してなかった。バイトシフトは最初から、こいつを倒すには命を賭けなきゃいけない事を知っていたのだろう。


 みーちゃんは最後にバイトシフトになにを言ったのかな?きっとボクには理解できないんだ。


 さようなら。バイトシフト。短い間だったけど、一緒に戦えて良かったよ。きっと、部屋で一人きりの時のボクと同じように、君は寂しかっただけなんだよね。

 もう一度だけ、黒煙が晴れて青を覗かせた空に語りかけてみたけど、やっぱりバイトシフトの意識はどこにもなかった。


 真っ黒に炭化したみーちゃんは、しばらくは動けず石像のように地面に転がっていた。火が完全に消えて、政府のヘリが戻ってきた。みーちゃんは炭化したまま、アルミ箔のような物で巻かれてエージェントに連れていかれた。

 みーちゃんが自宅に帰るまでの一週間、ボクは意識のままみーちゃんの側に寄り添っていた。ケガが治ったら新しい身体にしてくれるのかなと、少しだけ期待に胸を膨らませていた。


 ママは一度もお見舞いには来なかった。もっとも、みーちゃんが隔離されている施設の場所を知る民間人は一人もいないのだから、お見舞いに来たくても無理だった。

 みーちゃんが家を出る時に持たされたお弁当は残念ながら灰になった。そういや、あの火の事象に生まれ変わったビチクソ野郎が最初に死んだ時は、ネックレシングという生きたままタイヤを被されて焼かれるっていう処刑方法で死んだらしい。政府のエージェントの話だ。もしみーちゃん自身が執行したとしたらどんな方法で処刑してたんだろうな。考えただけで意識がブルブルと震える。


 みーちゃんは身体が再生するまでの間、誰とも一言も言葉を交わさなかった。ボクにさえなにも話しかけてくれなかった。

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