第3話「傭兵ラクロ」

 オベール地区はルンベック街の中で一番治安のよい地域であり、領主ハーシェル子爵の屋敷もこの地区にあった。


 その地区の中心の広場に、今回の討伐隊志願者の集合場所はあった。

 人工的に植えられた緑に囲まれた公園は、今日はむさくるしい男たちで埋め尽くされている。


 さすがに討伐隊志願者とだけあって、集まっているのは屈強な男たちばかりだった。セシルのような華奢な人間はあきらかに浮いている。


(堂々としていれば大丈夫……だよね?)


 場違いな雰囲気をひしひしと感じながら、セシルは会場をあてもなく歩く。

 と、


「あっ、すみませ……」


 腰にぶら下げた剣の鞘が誰かにぶつかってしまった。

 咄嗟に謝ったセシルの腕を、その誰かががしっと掴む。その遠慮のなさに、セシルの細い腕が軋んだ。


「……痛ぇじゃねえか、この野郎」


 全身筋肉の鎧で守られた、少しくらい剣の鞘がかすってもなんともなさそうな男がセシルを見下ろしていた。


「……ああん? なんだ、かわいい姉ちゃんじゃねえか。ここは女の来るところじゃないぜ?」


 明らかに馬鹿にしたもの言いに、セシルはカチンときた。


「……僕は男だ」


 淡々と言うと、男は唾を飛ばして笑い出した。


「あ? こんな貧相な身体して何言ってやがる! 男ってのはなぁ、俺みたいなやつのことを言うんだよ! なぁそうだろみんな!」


 男は大声で周りを煽るように言う。

 すると、近くにいた志願者たちが、なんだなんだとこちらに注目し始めた。


「おいおまえ、そんな貧相な身体で討伐隊に参加するつもりならやめとけ! おまえみたいな女男、すぐに殺されちまうぜ! それか兵士の性欲処理係だな! それだけ綺麗な顔してりゃ、ブツがついてても構わねえって変態野郎もいるだろうからな!」


 ドッと笑い声が湧く。


 なんて下品なんだ……とセシルは半ば呆れ、舌打ちとともに男の手を振り払った。


 男が不愉快そうに表情を歪める。


「……なんだてめぇ? その態度はよ」


「……うるさいな」


 セシルは腰の剣を抜き、刀身を男の鼻先に突きつけた。


「あんまりうざいと、斬るよ?」


 ……それは、精一杯のハッタリだった。


 こんな大男相手に、勝てる自信などまったくない。

 これで相手が引いてくれたらいい……との願いを込めてのハッタリだったのだが、


「あ? ……やんのか、女男?」


 男は額に青筋を浮かべたまま、大きな拳を手のひらで打ち鳴らした。


 いつの間にか出来ていた人垣から、歓声と野次が上がる。

 なんだなんだ、喧嘩か? とおもしろそうに周りが囃し立てる。


(ま、まずい……。こんなつもりじゃ……!)


 ……しかし、後悔してももう遅い。


 もはや引くこともできず、セシルは仕方なく、剣を構えて男に突っ込んでいった。


 男はひょいと簡単にセシルの攻撃をかわし、勢い余ってセシルは人垣に倒れこむ。


 笑い声が沸き起こった。

 セシルは羞恥心でかぁっと頬を染める。


 その背のシャツを、男が乱雑に掴んで持ち上げた。


「わっ……!」


 セシルの足が宙に浮き、首が締まって、


「おまえみたいなやつが俺に勝てるわけないだ、ろっ!」


「うわっ!」


 ……投げられた。


 びゅん! と耳の横で風を切る音が聞こえて、自分の意志に反して頭が揺れて、ずごん、と衝撃。


「……ってぇじゃねえか……」


 ……すぐ近くで、声が聞こえた。


 投げられたセシルは、誰かにぶつかってしまったようだった。


 その人物は、身体の上に乗っかるセシルを優しさの欠片もなくごろんと地面に放り投げて、


「こンのデカブツが……!」


 つかつかと大男に歩み寄る。


 それはさらさらと揺れる黒髪の、細身の青年だった。

 腰に一振りの剣をぶら下げたその人物は、大男の前でごく自然に右腕を振りかぶって、


「っらぁ!!」


「うごぁっ!?」


 ズガン! と大男の顔面を殴った。


 黒髪の男は大男に比べると普通の体格だが……彼のパンチで、大男の身体が一瞬浮き上がる。


 シン……と静まり返った広場に、大男が仰向けに倒れる音が響き渡る。


 ぶん投げられた衝撃でまだ頭がじんじんするのも忘れて、セシルはぽかんとその様子を見ていた。


 青年がちらりとこちらを見た。少し長めの前髪の隙間から、涼しげなバイオレットの瞳がセシルを捉える。


「……なんでこんなところに女がいるんだよ」


 立ち去り際に、舌打ちとともにそんな一言。


(なっ……!?)


 その言い方に、セシルは再びカチンときて、


「お……女じゃない!」


 何事もなかったかのように去っていこうとするその背中に、思わずそんな言葉を投げかけていた。


「僕は女じゃない! 僕は……男だ!」


 黒髪の青年が、背を向けたまま足を止める。

 ゆっくりと振り返って、紫色の瞳がじっとセシルを見つめた。

 青年の顔は精緻な人形のように整っていて……セシルは思わず息を飲む。


「……ふん」


 青年はどうでもよさそうに鼻を鳴らし、ふいと顔を背けると、再び静かに歩き始めた。

 すると、青年の前の人垣が割れて、自然と道ができていく。


「おい、あれってハーシェル私兵隊のラクロじゃねえか……?」


 野次馬の誰かがつぶやいて、別の誰かが「そうだそうだ」と同調する。


「黒髪に紫の目……間違いねえ」


「今回の討伐、あいつも参加するのか……」


「てことは、思ってるより骨の折れる仕事なのかもしれねえな」


 ……どうやら、やつは有名人のようらしい。


 青年が去ったあと、セシルに近づくものは誰もいなくなった。微妙な居心地の悪さを感じながら、そのまま時間が経過し、


「皆の衆、よく集まってくれた!」


 突然、朗々たる声が広場に響き渡った。

 今回の討伐の依頼主・ハーシェル子爵の登場のようだ。


「皆、最近コルネの森でアウルベアが出るのは知っているな!」


 アウルベア。それはアンシーリーの一種だった。


 コルネの森とは、セシルが住むこの街・ルンベックにやってくるためには避けては通れない道だ。

 そこでアンシーリーがよく出没するため、ルンベックの街は人の出入りがめっきり減っているのだった。


「言わずもがな、本日、皆にはアウルベア討伐に向かってもらう!」


 おお! と威勢のよい歓声が広場を覆った。


 ……討伐隊は五つの部隊に分かれて進軍するようだった。

 各小隊にはそれぞれ子爵の私兵隊から兵士がつき、セシルたち傭兵は彼らの指示に従って動くように、とのこと。


 人数ごとに小隊が編成され、セシルは第五小隊の所属となる。


 隊は第一から順に広場を出ていった。

 広場を出ていくとき、セシルは自分の隊の先頭に先ほどの黒髪の青年がいることに気がつく。


(たしか、ラクロ……だっけ?)

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