第9話 能あるヒトは目を瞑る1

闇の中、ぽっかりと浮かぶ月がある。常ならば白く輝く月は、時折その色を赤へと変える。色の濃淡は様々だが、それでも白を混ぜた赤い月は、数年に一度だけ深紅に染まる。月の満ちるのに合わせ、そんな月を見上げ、彼女は呟いた。


「そろそろだな」




深淵の森と呼ばれるその近くに、ギルドはあった。

長閑な村があるだけの、何もない土地の傍らにある広大な森。魔物、魔獣と人が呼ぶ生き物達が跋扈する森の更に奥には氏族クランと呼ばれるがいるらしい。


その姿は様々だが、共通して言えるのは、知恵と力持つ獣という事だけだ。


その姿を見たものは十年に1人いるかいないか。それも真偽のほどは定かではない。

彼らが人に姿を見せる時、それは何某かの前兆であると言われている。危機に瀕した者に忠告を運び、助言を与える神の使いとして、一部の原住民や亜人と呼ばれる者らの信仰の対象として崇められている。


故にギルドの管理する森の奥も禁足地となっており、特別な許可がなければ例え森の管理の為と言えども立ち入る事は厳しく禁止されている。


人智の及ばぬものを見、そして聞くモノ達。それが氏族クランだ。


ギルドはそんな深淵の森の管理も行っている。

なので、自然とレンジャーとしてのスキルの高い者達が集う。


禁足地へと足を踏み入れる愚か者がいないかの監視と森の生態系の管理をだ。

それは古い時代からの人間とクランとの契約だった。


魔物から採れる部位は貴重な素材となる。それは薬であり、珍味であり、道具でもある。


魔物の気性も様々で、臆病なものから凶暴なものまで様々だ。


そんな深淵の森も数年に幾度か、賑わう時期がある。

それは魔物の繁殖期。

種類によって時期は様々だが、稀に複数種の魔物の繁殖期が重なる時がある。


それが今回だった。


人数が少ない時は非常招集や報酬の割り増しもあり、それを基準にやってくる冒険者やハンター達がいる。


ギルドの受付嬢は書類をめくりながら、扉の開く音を聞きつけ、顔を上げると、そこに見知った人物を認め、パッと顔を輝かせた。


年の頃は16、17か。浅黒い引き締まった肢体を軽装鎧で包み、手には殴打用のグローブ。亜麻色の髪にうっすらと黒のメッシュの入った少女。

その瞳はネコ科特有の縦に伸びた瞳孔の金の瞳。

獣の耳も尻尾もないが、その肌にうっすらと浮かぶ模様が彼女を獣人であると告げていた。


「お久しぶりです!シャーナさん!」


年相応にない落ち着いた瞳で受付嬢を見た少女はゆったりと微笑んだ。


「久しぶり、リリ」


言葉少なに答えた少女はネコ科獣人独特の足運びでやってくる。


「今回はお一人ソロですか?」


受付嬢はキョロキョロと辺りを見渡す。


普段であれば、一目でそうと判る、虎の獣人の腕利きの男達と共にやってくる。


「……ああ、まあ、いろいろあってな」


シャーナは遠い目で答える。


仲間内で何か問題があったのだろうとは思ったが、リリはあえて深くは突っ込まない事にした。


彼女達は時折ふらりとやってきては、依頼をこなして去って行く、言わば「流れ」だ。

そう思った矢先にまた別の一団が入ってきてリリは目を瞠る。


「よう、嬢ちゃん、今回もまたよろしく頼むわ」


そう言って手を挙げたのは、前回、シャーナとパーティを組んでいた虎の男だ。


「はい!あの、今回はシャーナさんとは・・・、」


言い淀むリリと遠い目をしたシャーナを見比べ、虎の男は苦い笑みを口元にたたえた。


「まあ、今回はワケありでな、しかし、仲間内でのいざこざじゃねえ、そこらへんは安心してくれや」


虎獣人の男たちは変わらぬ人の良い笑みを向け、シャーナもそれに同意を示すよう頷いた。


人間と獣人の社会では常識が違う事は周知の事実である。

場合によっては同じ種族の獣人でも、住む土地が変われば習慣も全く違ったものもあるらしい。

なので、時にはそういった事に深く立ち入らない事もギルドを円滑に運営する為にも必要な事である。


必要であるのだが、彼らには非常にお世話になっている。

深淵の森に関する厄介な案件が発生した場合、かなりの頻度で現れる彼らは、遠方から気まぐれにやってくる冒険者よりも余程頼りになる存在だった。


虎の男がこれまたしなやかな動きでカウンターに膝をつき、リリに顔を近づける。

金色に光るその瞳は普段見かける虎の獣人とはどこか違う、吸い込まれそうな光を宿している。リリは彼らの瞳が好きだった。その瞳が間近に迫り、ドキドキと胸が鳴る。

その眼がすいとすがめられ、男は内緒話をするように声を潜める。


「今のアイツに俺たち雄は近づけねえのよ」

「それって、つまり」


リリはぴん、ときて胸の高鳴りも忘れて身を乗り出す。


「番ができた」


その瞬間、上げかけた悲鳴を慌てて飲み込んだ。その瞳はキラキラと好奇心に輝いている。


「でもでも、みなさん確か既婚者ですよね」

「それでもアイツと数歩歩いただけで、噛みついてきやがるのよ、まあ、シャーナは未婚の雌の中じゃあ、むら一番の別嬪だからな」

「わかります、わかります。シャーナさん、凛々しさが増しましたよね!それに加えてきれいになったというか」


リリは訳知り顔でうんうんと頷く。シャーナは今まで見たどの獣人の中でも一際異彩を放っている。一番の美人というのにも納得できるものだった。


「で、お相手は?」


口を開こうとした男の口がぴたりと閉じる。


「サイ」


名を呼ばれて恐る恐る振り向いた先には冷えた殺気を目に載せた、虎の少女が仁王立ちでおり、その後ろでは同じ虎の男たちが明後日の方向をむきながら、今日の狩りについて熱心に話し合っていた。


「結婚してから、随分口が軽くなったものだな、サイ」

「いや、シャーナ、番ができたのはめでたい事じゃねーか」


「確かに、そうだな。しかし、正確には、いずれ番になる。だ」


ごきりっ


虎の少女の指の関節が鳴った。


魔物エサの首を折る前に、お前の首をへし折ってやっても良いんだぞ」

「ひっ!」


男の口から本気の悲鳴が漏れた。


「いかんなぁ、サイ、雄がこんな小娘相手に情けないぞ」

「情けないってお前、そもそも群の雄どもを……」


それ以上サイの言葉は続くことはなく、ギルドから、野太い悲鳴が響いたのはそのすぐ後だった。











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