番外

08.故に侍女は遭遇する

 


 自分は、データに紛れ込んだバグのような存在なのだろうか。

 侯爵邸から必要な物を買いに出た侍女は、小さな雲が浮ぶ空を眺めた。どんなに夢だと思っても、この季節の移ろいと、変わり行く天候の空は、現実のものだ。

 だからほら、今だってこんなにも、人々は生き生きとして自分の脇を通り抜けていくのだから……。


 通りの家々の窓から飾られている、リボンのように細長く切られた銀と青の布。露店や商店は祝いごとだと国旗を立て、道行く人々もどこか浮かれ調子だ。

 今回の祝いの席に、最も遠くの国から訪れた王子が城に入ったと知らせが広がると、礼服の裾上げはまだ大丈夫だろうと先延ばしにしていた貴族たちが、一斉に仕立屋や針子たちに頼み、貴金属を扱う店は飾っていた宝飾品を下げ、祝いの場に相応しい宝石を並べる。

 民衆が馬車に投げ込む花を用意し始めた花屋を通り過ぎると、侍女は大通りから脇道へと入っていった。


 侍女が脇道へ入るなり、急に喧騒が遠くなる。それでも大通りの騒ぎは耳にくるが、この通りは静かだ。書店や筆記具といった学用品に、研究者たちの実験器具などを取り揃えた店が並ぶ、通称・学問通りでは、そもそも騒ぎ立てるといったことが起こらないのだ。

 ここ数日は空いているだろう目当ての店は、やはり侍女の予想通りに人の姿は少なかった。万年筆にインク瓶の絵が描いてあるガラス扉に手をかけたとき、反対側から押されるように扉が開いた。



「あ、すみません」

「いえ、こちらこそ。もしかして、あなたもインクのお使いで?」



 こげ茶の髪を三つ編みにし前へと垂らし、ぱっちりとした大きな緑の瞳を侍女へと向ける小柄な女性は、自分と似たような服を着ていた。

 お使いで? と問うたことから、彼女もきっとどこかの使用人なのだろう。



「ええ。学園に行く前に揃えないといけませんし」

「やっぱり。私のお勤め先のお嬢様も今年から通うのよ」



 小さな貴族の令嬢に仕えているといった彼女は、学園で会えるといいわねと侍女に言いその場を去っていった。

 きっと彼女はその貴族令嬢と共に、色んな意味で学園で驚愕することになるだろう。彼女の後ろ姿を見て、侍女は小さく息を吐いた。


 何しろあの王立の学園は、副音声・・・に素晴らしい定評のあるジョシュア王子が学園長を務めているのだから。

 若すぎる学園長は、貴族子息の高いプライドをことごとくへし折り地面に埋め込み、貴族令嬢はあらぬ方向の性癖スイッチを入れてしまうなど、いろいろな意味で恐れられている王子だ。


 実は意外とアグレッシブかつフットワークの軽すぎるジョシュア王子に侍女が目を付けられて、今年で三年目になる。言いかえれば、侍女の仕えるお嬢様が今年で三年生になるということだ。

 専属の小間使いならばいざ知らず、警邏の騎士に混じって現場検証までさせるのは如何なものかと思います、ジョシュア王子。

 色の配合を指定し注文すると、インクの調合が終わるまで置かれた椅子に座って待つ。軋む音を聞きながら、侍女はガラス越しに静かな通りを見た。


 侍女が侯爵令嬢に仕えて早七年だ。頭にバカがつけられてもおかしくないほど正直で素直すぎるお嬢様には、いつもハラハラさせられっぱなしだ。

 その内どこかの新興宗教に入信させられたり、幸せになれるツボなどを買ってきたりしやしないだろうかと、家令や執事たちに不安をこぼしたこともある。

 もっともゲーム内・・・・のお嬢様は、悪の女幹部もかくやと言わんばかりの悪役令嬢である。高笑いがデフォ、標準装備がニヤリとした笑みである。


 乙女ゲームを専門に作っていた会社が、推理アドベンチャーゲームに手を出し、最初に作られたゲームがここの世界だ・・・・・・

 この前に作られた乙女ゲームの、ファンディスク版を世界設定にしている推理ゲーム。

 尚、発売から数日でプレイヤーからは、


 黒い公式が前面に全開、血飛沫舞い散る素敵な黒さです。


 とのコメントが続出した。

 一体どんなゲーム作った、黒い公式よ……。

 世界設定を借りた乙女ゲームでは隠しキャラクターだったジョシュア王子の国が舞台となっている本作は、なんやかんやで乙女ゲームファンが手を出しては、黒さに撃沈していったらしい。


 今はまだ・・、学園物によくある貴族同士の足の引っ張り合いもあるし、婚活に勤しむ令嬢の痴情のもつれも当然あるが、血飛沫舞い散る素敵な黒さは微塵も感じられない。

 いくつかあったことといえば、生徒が一人失踪したことと、お嬢様が犯人ではないかと疑われた窃盗事件程度だ。幸い侯爵家の令嬢が盗むには、あまりにも安すぎる貴金属だったことと、発見されたそれが偽物だったことで別の事件が発覚、晴れてお嬢様は容疑者から外された。というか、自分が必死こいて犯人を捜ししょっ引いてきただけだ。

 ゲームの中では悪役のお嬢様は、それはそれは定番すぎる没落ルートを辿ってしまう。現在、幸せになれるツボを買いそうなくらい悪の要素が欠片もないお嬢様である。自分の安定した職場を失う結末を避けるため、侍女は学園にいる間は徹底的にお嬢様の身辺を綺麗にしているのだ。


 パンっと昼に上がる花火が鳴る。見えるわけでもないのに、ついつい視線が空に向いてしまうのはもはや反射だ。

 学園長であるジョシュア王子が婚約を発表したのは二年前。ちょうど隣国のアルフレッド王子の婚約者になる女男爵が、元婚約者の侯爵令嬢に刺殺されたというセンセーショナルな事件が起きた半年後だった。

 お相手は同盟国でもある隣国の令嬢。わが国との国境に隣接している、軍事境界線の一つを預かる伯爵の令嬢だ。


 最初は聞いたことのない伯爵の名前に、国民が首を傾げたものだ。だが、軍の関係者から少しずつもたらされる情報で、実は意外な実力者であることが判明した。

 あの、わが国で偏屈・・といわれる者たちが集まる領地に隣接している領主。通常、国境付近の軍事境界線はどちらが指揮権を持つかで揉めることが多い。だが、この伯爵も彼等と同類・・だったらしい。まったく揉めることもなくむしろ意気投合して、十年前の帝国軍との衝突を抑えたのだ。

 そのとき有名になった隣国の若き騎士、殺戮騎士のレオンハルトを擁している伯爵と知れた瞬間、誰もが驚きに口を開いたものだ。


 その伯爵も、やはり娘を嫁がせるとなると不安になるらしい。婚約を発表した一年後にわが国へ来ることになった令嬢の護衛に、あのレオンハルトを連れてくるのだから、この国も大慌てである。

 レオンハルトを連れ出したら帝国軍にとって狙い目だろうに、しかし伯爵は、帝国軍は今は動けんよと笑いながら言ったらしい。

 この伯爵、情報戦術を得意としているとのこと。この国において、隣国で軍事に長けた者は誰かと問われれば、ほとんどの者がグレイス辺境伯と答えるだろう。


 伯爵は目立った戦の功績はないが、大きな失敗もない。上手く立ち回る人物なのだ。今回の令嬢の輿入れの際、わが国の騎士の話によると、帝国軍が砦を構える場所の川に毒を流し込んだとか……。

 本当かどうか分からないが、わざわざ捕まえた帝国軍の兵士を毒殺し、その死体を川原に並べた等など。

 確かにそれなら、帝国軍も攻め込む機を計っている場合ではない。何しろその川、帝国の大水源だったのだから。


 娘のためなら鬼畜になれる父親らしい。なんとも頼もしいことである。

 そして今回のジョシュア王子の結婚式には、友人であるアルフレッド王子も招待されている。残念ながら、未だに新しいパートナーを見つけていないので、今回は妹姫を連れて出席することになったそうだ。

 しばらく前まで隣国は、どうにもきな臭い……というか、何か不穏な感じがしていたのだが、最近はようやくその空気がなくなった、ように思える。


 婚約者になるはずだった女男爵刺殺事件から、辺境伯の夫人が病に倒れ亡くなったのをきっかけに、貴族夫人や子息が次々に謎の・・病で亡くなっていったのだ。それから大小様々な貴族が、汚職事件などが発覚しその貴族席を失うなど、かなりの事件が起きている。

 件の事件を起こした侯爵令嬢は、拘留されていた離宮の一室で、なんと自ら命を絶ったそうだ。椅子で窓ガラスを割り、異変に気付いた騎士が到着する前に、その破片で胸を貫いたらしい。

 部屋にあった遺書には、己の犯した罪の大きさに気付き悔いた言葉が書いてあったそうだ。それから手紙にはアルフレッドとジュリアへの謝罪が続き、すべでは己のプライドと嫉妬が原因であり、自分一人で起こしたこと。実家である侯爵家は何の関係もないことを記し、どうかご温情をとせつせつとした訴えが書き連ねてあった、という。実際、この遺書によって侯爵家は連座を免れている。



「しっかし、ジュリア様とクリスティーナ様が亡くなるとはねぇ」



 ジュリアは主人公だから死ぬわけもなく、クリスティーナはジュリアとの婚約発表の場で失態をして、閑職に追いやられた伯爵家へ嫁ぐだけだったはずなのに。ファンディスク版の世界観でも、やはり若干の違いは生じているらしい。

 が、黒い公式裏設定が生きているなら、クリスティーナは死んでいないかもしれない。それに、今の隣国で王に代わって執政しているアルフレッドは、果たして本当にアルフレッドなのか……。

 暗殺者を差し向けた相手に、逆に暗殺されているかも知れないじゃないか。だってには、殺戮騎士が忠誠を誓っているのだから。


 二年前のあの日。いったいジョシュア王子は何のためにあんな夜更けに学園を出たのか。持ち回りの夜番の日、一緒に組んでいた侍従と共に見かけた姿。

 普段は瞳の色に合わせた青いローブを纏うジョシュアが、その晩は真っ黒なローブだった。あの銀髪が異様なほど映える黒だった。フードを被っていたら、きっと誰だか判らなかっただろう。


 側にあった馬車は、何故か王家の紋はなく、宰相の家の紋だった。人目をはばかるように馬車に乗り込んだジョシュアは、数日間急病・・により学園に姿を現さなかった。

 もちろん、ジョシュアが隣国に行ったという話は聞いていない。後日、ジョシュア王子直々に黙っているようにと、厳命された。目撃していたのがばれていたらしい。



「8番の札をお持ちのお客さま、インクが出来ましたよ」

「あ、はい」



 注文のインクを受け取り、侯爵邸へと侍女は戻る。途中で少し遊んできてもいいとお嬢様には言われたが、業務時間中である。真っ直ぐ帰りますとも。

 人込みの多い通りを思い出して侍女は渋面になるが、気合を入れて大通りへと戻ったとたん、ぐいっと肩を掴まれた。



「す、すみません! 助けてください!」

「はあ?」



 思わず呆けた顔になったのは見逃して欲しい。慌てて表情を戻して、侍女は肩を掴んだ――声からして少年と思しき人物を見た。

 茶色の外套をこれまたフードまで被った少年は、片手に大きな鞄を持っていた。見た感じ旅人のようだ。



「あの、道に、道に迷いました!」

「……ああ、ただの迷子か」

「そんな顔して見ないでください。さっきから何時間も迷っているんですぅ」



 今にも縋りついて泣きそうな少年を、侍女は無言で学問通りに引っ張り込む。あの大通りで道を説明したって、絶対にわかりっこない。



「で、どちらに行きたいんですか?」

「あ、えっと、王立学園なんですけど……」

「……学園? 今年度からの新入生ですか?」

「いえ、交流生です」



 他国の人間ならば、このお祭り騒ぎで道に迷ってもおかしくはないか。地面に落ちていた手ごろな大きさの石を持つと、侍女は石畳に簡易の地図を描き始めた。



「今、私たちがいるのはここです。この大通りは確かに近いのですが、今はとても込んでいるので通らない方がいいです」

「は、はい。あの、なんでこんなに込んでいるんですか?」

「この国の第三王子、ジョシュア様が三日後にご結婚なさるのです。それでこのお祭り、というわけです」

「へー。ちょうどお式のときに重なっちゃったんですね」



 今のところ平和そのものであるが、確かこのゲームの開始のとき、説明書とキャラクター紹介でジョシュアは既婚者・・・になっていた。

 つまり、侍女にとってはこれからが勝負なのだ。このままゲーム補正でお嬢様が悪女になってしまうのか、それともツボを買いかねない令嬢でいられるのか。きゅっと、侍女は唇を真一文字に結んだ。

 ゲームの開始は、ある小さな貴族の侍女が行方不明になったことから始まる。プロローグに出てくるスチルは白黒で、使用人と思しき三つ編みの女性が倒れているシーンと共に、簡単な説明が行なわれる。



「で、この学問通りを東に、道なりに進んで、白猫の看板のある本屋を右に曲って――」



 自分はこのゲームはまだ一章しかプレイしていないのだ。全四章で構成されているゲームのラストを、知らない。

 だが、ここはわずかにファンディスク版の世界設定とはズレている。必ずしも事件が起きる訳ではないが、警戒しておくに越したことはない。

 ジョシュア王子に目を付けられているとはいえ、彼は王族。使える権限は侯爵令嬢の侍女とは天と地ほどの差がある。いざとなったら、副音声の王子を巻き込んでやる。いや、三日後には王子から公爵になるのか。



「そしてここを真っ直ぐ行けば、学園の門になります。事務室は真っ直ぐ進めばいいだけです」

「わぁ、わざわざありがとうございます」



 感激に声を上げる少年は、自分でその地図をメモし始めた。実に感心できる行為だ。



「そう言えば、その王子様のお相手の方ってどんな方なんですか?」



 ジョシュア王子の相手、黒髪に青い目――そう、もう一人の・・・・・クリスティーナも同じ色だった。



「隣国の伯爵令嬢です。黒い髪に青い目をした方らしいです。お名前は確か――クリス様、といったそうですよ」

「そうなんですか」



 バサリと外套のフードを外した少年は、さらさらとした金髪に、青い目をしていた。

 ……どこかで、物凄くどこかで見たことがあるこの色彩。そして感じる既視感デジャブ

 それが、推理ゲームに出てくるキャラクターで、主人公の相棒であると侍女が気が付くまで数十秒。どうにか顔に出さずにすんだ侍女は、眉根を寄せて少年を見た。


 少年の名前は、カールと言ったはず。交流生としてきた彼は、一年前に失踪したリュオを捜しに学園にくる。二人共、本来の身分を隠して。

 自分も遠目にリュオを見たことがある。綺麗な赤銅色の髪を持った少年だ。確かに、一年前からその姿を見ていない。

 そう――事件は既に・・起きているのだ。



「いろいろ教えて頂き、ありがとうございました。もし街で道に迷っていたら、こりずにまた助けてください。あ! 僕の名前はカールって言います」



 人懐っこい笑顔を浮かべながら、カールは侍女に手を差し出した。

 その手をたどたどしく握りながら侍女は思った。


 どうやら私は、いらぬフラグを立てたらしい――と。



 一ヶ月後。

 学園の新年度の集会に、あの三つ編みの侍女・・の姿はなかった。


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故に、令嬢は静かに悪へと堕ちて逝く 酉茶屋 @3710_hatori

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