桜道


「東雲君、大丈夫っ?」


 ようやく身体が動くようになった高梨さんが僕の方に駆け寄ってくる。僕の身体はボロボロで額からは血を流しており、本当にゾンビみたいになっている気がする。

 それでも、兵頭に勝つことはできなかったけど、あいつに僕の意思を伝えることはできたみたいだった。

 僕は笑っていた。こんなボロボロになっても笑っていた。声はまだ出せないけど、それだけで高梨さんには十分伝わったみたいだった。僕の表情を見た高梨さんはクスッと口を抑えながら微笑みを見せてくれた。


「本当に無茶するんだから……。まあ、私が無茶させちゃったのかな?でも、今日はちゃんと立ち上がってくれたんだね。この前は、何の抵抗もしないでただやられているだけだったから……」


 この前……。ああ、あの時の視線は高梨さんだったのか。


「私弱いくせに、ああいうの見るとどうしても見ていられなくて、顔を突っ込んじゃうの……。それで、こんな目にあっていたら本当にダサいよね……」


「ダサ…くなん…て…ないよ」


 僕は彼女の言葉を否定するために、腹の底から必死に声を絞り出す。


「えっ?」


 彼女は僕の声を、言葉を聞いて驚いたように僕の顔を覗き込む。


「たか…なし…さんは…ダサく…なんて無いよ。自分が負けるとわかっていても立ち向かうなんてすごいことだと思う。たぶん、それを無謀って言う人もいるんだろうけど、僕は素直にすごいと思う。カッコいいと思う」


 声を絞り出しているといつの間にか、掠れたままだけど、声が普通に出るようになっている。僕は自嘲気味に笑いながら言葉を続ける。


「僕はいつもやられてばっかで、戦おうともしない。本当に弱い奴っていうのはそういう奴。高梨さんは身体が弱くても、心が強い。僕は身体も心も弱いんだ……」


 僕の言葉に高梨さんは少しふざけたように頬を膨らませる。


「君に身体が弱いって言われるのは、なんか癪だな。それに、君の心は弱くなんかないよ。だって今日は私のために必死に戦ってくれたじゃない。そりゃ、負けちゃったかもしれないけど、カッコ悪くなんか全然なかったよ。むしろ、カッコ良かった」


 高梨さんは最後に満面の笑みを見せて、『カッコ良かった』と言ってくれた。女の子に『カッコ良かった』なんて言ってもらえるのはこれで二度目だ。

 その表情を見られただけでも、僕の頑張りは報われる。こんなにボロボロになっても兵頭に喰らいついて良かったと思える。


「今日は、もう一人の自分に力を借りただけなんですけどね。あっ、変なことを言っているのは重々承知なんで、気にしなくてもいいんですけど……」


 僕のその言葉に彼女は首を二、三度横に振る。それが何に対する否定なのか、最初はわからなかった。


「私もね、もう一人の自分がいるの。身体も心もとっても強くて、優しくて気高くて、私の誇りなの……。でも、そんな私がいるからこそ、私はああいうことに顔を突っ込んで、余計にややこしくしちゃうのかもね」


 彼女もまた自嘲気味の笑顔を見せながらそんなことを言う。彼女の言うもう一人の自分というのが何なのか、今の僕にはわからない。

 しかし、そんな僕たちだけしかいない体育館裏に、少し強い風が吹き荒れる。そろそろ散り始めた桜の花びらを舞い上げた桜色の風は、彼女の漆黒の長髪を優しく撫でていく。その一本ずつがきめ細やかで、まるで降り注ぐ流星のようで……。

 僕が目を見開いて彼女のそんな姿を見ていると、彼女は優しく、しかしどこか気高さを感じるような笑みを浮かべて僕の方を見返した。

 結局、僕が動けるようになるまで高梨さんと二人で他愛のない話を続け、午後七時を過ぎて部活動を終えた生徒たちが帰宅を始める頃になって、ようやく僕が身体の自由を取り戻した。僕たちはそこで別れを告げて帰路についた。

 こんなボロボロのままで帰るのは少し気が引けたのだが、今日は既に保健室にお世話になっていたので、これ以上あそこに顔を出したくはなかった。だから仕方なく、ボロボロの格好のまま僕は帰路についた。


「この桜並木綺麗だね」


 僕はそのまま高梨さんと肩を並べながら、桜の雨が降り注ぐ川沿いの道を歩いていく。女の子と一緒に下校するなんて、いつ以来のことだろうか。


「そうだね……。でも、こんなに綺麗だと思ったのは初めてかも」


 もうすっかり見慣れてしまったはずの桜並木も、隣に誰かがいてくれるだけでとても色鮮やかに、僕の眼に焼き付いていく。

 身体中の痛みすらも忘れてしまいそうな程、夕焼けに照らされた桜の雨は綺麗だった。

 きっと、勝つことはできなかったけれど、久しぶりに何かをやり遂げたという思いが、この世界に新たな色を加えてく言ったのだと思う。そして、隣を歩く彼女もまた、僕というカンバスに落とされた、新たな色なのだろう。


「高梨さん……、これからも色々あると思うけど、僕と友達になってくれるかな……」


 これは僕の精一杯の告白。彼女になって欲しいとか、そんなことはまだ思わない。そりゃ、こんな綺麗な子が彼女になってくれるって言うなら、むしろ土下座をしてでもお願いするところだけど……。


「えぇ……、それは無理かな……」


 しかし、彼女は少し苦い顔をしながら僕の申し出を断ってしまう。まあ、こんな面倒な人間とこれ以上関わるのは、もう嫌だよな……。でも、それってあまりにも酷くありませんか……。

 そんなことを思いながら、心中はそのまま川に飛び込んで消えてしまいたいくらいのショックを受けていると、彼女は冗談めかした笑みをこちらに向けてくる。


「だって、もう友達だもん。今更友達になるなんて無理だよ」


 そんなことを言いながら浮かべた彼女の笑みは、夕焼けが照らし出す桜の雨すらも、路上の石ころと変わらない、唯の背景になってしまう程に、僕の眼には美しく映り込んだ。

 僕は瞳の奥に熱いものを感じながら、目許から流れ落ちそうになる涙を必死に抑え込んで、精一杯の笑顔を浮かべながら彼女に告げた。


「これからも、よろしくね」




 家に到着すると、たまたま外に出ていた母さんと出くわしてしまった。

 ボロボロになって帰って来た僕の姿を見た母さんは、血相を変えて僕に駆け寄ると、とても心配そうな表情で僕に問いかける。


「ちょっと透、あんたどうしたの、その顔?もしかして、虐められたの?ちゃんと先生に言った?」


 母さんのそんな言葉に対して、僕はどう答えるか少し困惑したものの、とても誇らしげな表情を浮かべてこう答えた。


「これは僕が成長した証だから。僕が逃げずに戦った証だから。だから、いいんだ」

 僕がそう言うと、母さんは面を食らったような顔になったものの、少しすると微笑みながら僕の頭を撫でてこう言った。

「そっか……。でも無理はしちゃダメだからね。辛いときは、ちゃんと言いなさい」

 そしてその言葉を最後に、母さんはこれ以上この件に関して言及することはなかった。

 家に入ってからは、ボロボロになった身体の治療に取り掛かった。

 身体中痛くて、そこら中に擦り傷や打撲があるものの、額も切れているだけで済んだので、消毒だけで済みそうだった。

 それにしても消毒って痛すぎだろ……。あれやるときって、余計に身体に悪いんじゃないかってくらい痛いし。

 最後は額にガーゼを貼り付けて、僕の治療は完了した。なんか大げさに言ってみただけで、別に大したことはしていない……。

 その日はさっさとご飯を食べて、自分の部屋へと戻るや否や、僕は痛む全身を投げ出してベッドへと倒れ込んだ。

 今日は何だかんだで、良い日だった気がする。兵頭に少しは認められた気がしたし、何より高梨さんとゆっくり話をすることが出来た。

 僕は疲れ切った身体を休めるために、まだ午後九時であるのにも関わらず、その瞼をゆっくりと閉じていく。




 今日もあの夢を見られるかな……。いや、あれはもう夢ではない。僕の夢は異世界と繋がってしまったのだ。それがどんな世界だって、息をして、誰かと繋がり、誰かのことを思っているその世界こそ僕の中の現実だ。

 これは僕の成長の物語。夢のような、夢でない、夢の世界で、冒険して、戦って、そして、ちょっぴり恋をして……。そうやって、現実世界でも少しずつ成長していく、そんな物語。

 そしてまた、僕は願いながら眠りにつくのだろう。

 また、あの夢が見られますようにと……。

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Dream World Fantasia わにたろう @iwan

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