反抗

「た、高梨さん……」


 彼女は一歩ずつこちらへと向かってくる。その表情は昨日の彼女からは想像もできないほど険しく、そして、その眼差しは怒りの炎に満ちていた。


「そんな大勢で一人を虐めて、抵抗しない子を虐めてそんなに楽しいの?」


 そんな高梨さんに対して、兵頭は冷やかすような笑みを浮かべながら告げる。


「虐めてる?いやいや、これは教育してるだけだよ、高梨さん。こいつが授業中に居眠りしてたこと、高梨さんも知ってるだろ。その罰ってやつだよ」


 そんな言葉で高梨さんの怒りは収まらない。むしろ、さらに怒りが増しているように感じる。


「戯れ言を……。早く東雲君を離しなさい」


 一切退こうとしない高梨さんに我慢しきれなくなったのか、兵頭は取り巻きの一人に彼女を押さえ付けるように指示する。

 取り巻きの一人はその指示を受けると、意地の悪い笑みを浮かべながら高梨さんに向かって走り出す。


「待って。止めて……。彼女には手を出さないで」


 腹部を蹴られ過ぎたせいで上手く声を発することができずに、回りにいる兵頭たちにすら聞こえないような、掠れた小さな声を僕は絞り出す。

 しかし、僕の心配は杞憂だったようで、高梨さんは何かしらの体術によって取り巻きの一人を倒してしまったのだ。

 僕は唖然としてしまった。昨日はあれだけ可憐に見えた少女は、もうどこにもいない。僕は、言葉を失って彼女の姿に見蕩れていた。

 さすがに兵頭たちもこれには驚いた様子で、一瞬言葉を失ってしまっていた。

 しかしそれも束の間、次は兵頭本人が動き出す。兵頭は空手や少林寺などの武道をそれなりに嗜んでおり、いくら高梨さんでも力の差で負けてしまう。


「どうやら、少しは腕に覚えがあるみたいだな。でも、女じゃ男には勝てないぜ。その強さに免じて今なら見逃してやるけど、どうする?」


「馬鹿なこと言わないで。あなたこそ怖いんじゃないの?私に負けるんじゃないかって」


 高梨さんはどうやら退く気はないらしい。兵頭を挑発するような口調で話しかける。

 正直僕としては、早く高梨さんに退いて欲しかった。僕のせいで高梨さんを傷つけたら、僕はもう彼女に合わせる顔がない。

 それにもし本当に高梨さんが兵頭に勝って僕を助けてくれたとしても、僕は結局女の子に助けられるような人間だという劣等感で押し潰されてしまう。

 だから、もういいから……。高梨さん、早く帰って……。

 そう言いたくても、口から言葉を発することができないのだ。

 彼女が一歩踏み出して、兵頭に向かって蹴りをいれた。

 しかし、その脚は兵頭の手に抑えられてしまい、高梨さんの動きが止められてしまう。そして兵頭はもう片方の手で何やらポケットを漁りだす。そこから出てきたのは、スタンガンだった。

 それを見た高梨さんの表情に焦りが浮かび、必死で兵頭の手から逃れようとするが、兵頭はそれを許さない。そのスタンガンは高梨さんの横腹辺りに押し付けられて、そのまま彼女は力なく倒れてしまう。

 武道もへったくれもあったものじゃない。正々堂々と戦おうとした高梨さんに対して、兵頭は何の悪びれもなくスタンガンを使用した。


「さすがに女に手を出すのは気が引けるからな。さあて、この女どうしてくれようか?まあ、良い身体してるし、遊びようはいくらでもあるか」


 兵頭は下卑た笑みを浮かべながら、地面に倒れた高梨さんを見下ろす。

 このままだと不味い……。彼女は意識を保ってはいるものの、身体が動かない様子だった。このままでは彼女の身が危険だ。

 ここには僕の他に味方をしてくれる人は誰もいない。彼女を助けられるのは僕だけだ。僕がやらなきゃ、誰がやるって言うんだ。

 僕は願った。存在もしないはずの人間に。もう一人の僕に……。

 トオル、僕に力を貸してくれ。彼女を護るための力を、あの時の力を、どうか僕に分け与えてくれ。

 僕はいつの間にか立ち上がっていた。それに気が付いた取り巻きが少し驚いた表情を浮かべる。


「高梨さんに手を出すなよ。手を出せば僕が許さないぞ」


 僕は出るはずのない声を、腹の底から何とか兵頭に聞こえるように絞り出す。その声を聞いた兵頭が、高梨さんから僕の方に視線を向ける。


「あんっ?この女に手を出したら、誰がどうするって?」


 普段抵抗することが全くない僕が急に立ち上がったことで、少しだけ驚いたのだろう。兵頭はその言葉を口にする前に一瞬だけ怪訝な顔をした。


「彼女に手を出したら僕が許さないって言ってるんだ」


 僕は一歩ずつ兵頭の元へと近づいていく。その間、何故か取り巻きの奴等は、呆けたように僕を見ながら、何もすることなく立ち尽くしていた。


「どうした?急に格好付けやがって。そんなにこの女のことが好きなのか?」


「好きとか嫌いとか、そんなこと関係ないだろ。彼女は僕たちとは関係ないんだ。だから、手を出すなと言っているんだ」


 僕はいつの間にか、兵頭の目の前に立っていた。睨み合うように、僕と兵頭は向かい合っていた。

 それにしても兵頭はでかい。見上げなければ視線を合わすことができない程だ。こんな体格の差がある男に僕が本当に勝てるのか……。

 不安で握った拳が震える。息を飲んで喉を鳴らす。額に汗が滲み出てくる。

 しかし僕が相手にしていたのは、いや、トオルが相手にしていたのは、三メートルを超える、更に巨大な敵だ。こんな大きさ、あれに比べればどうってことない。


「関係ないってことはないんじゃないか。俺らの場所に勝手に踏み込んできたのはこの女だぜ。それなのに、私は何もしていませんって言われても、そりゃ、説得力ってもんがないだろ?」


 兵頭は相変わらず御託を並べ連ねる。そして僕の隙を窺うかのように、笑みを浮かべながらこちらを眺めていると、急に右の拳で僕を殴り付けてきた。

 しかし僕はそれをスッと横に流れるようにかわした。その瞬間、全ての動きがスローモーションに感じ、兵頭の驚きに満ちた顔をしっかりと拝むことができた。

 僕は兵頭の頬目掛けて自らの拳を突き出した。

 自らの拳を避けられた兵頭は既に体勢を崩しており、僕の拳を避けることは不可能だった。そして、僕の拳が兵頭の頬にクリーンヒットする。

 僕が余程力を持っていれば、兵頭は先程の僕のようにこのまま地面に伏していただろう。だが、どれだけあちら側の世界で精神力が強くなろうとも、身体能力は変わらない。僕の拳は兵頭を倒すにはひ弱過ぎた。

 僕の拳を浴びた瞬間、兵頭の表情が驚きから嘲りへと変わった。兵頭は、今度は左の拳を僕に尽き出す。今度はしっかりと僕の鳩尾に入った。

 まぐれは何度も続かない。そう、最初に避けたのはただのまぐれだった。身体能力は変わっていないのだから、急にそんなことができるようになる訳がない。

 僕は鳩尾を抑えたまま、その場に座り込む。そしてあろうことか、兵頭は俺の頭に足を置き、そのまま地面へと踏みつけた。

 額から地面に突っ込んでいったため、頭から全身にかけて酷い痛みが僕を襲った。額が急激に熱くなるのを感じる。


「あああああああああああああああ……」


 あまりの痛みに、僕はこれまでに上げたことのないくらいの叫び声を上げた。そしてそのまま、額を抑えながらその場に蹲る。


「お前はそうやって大人しくしているがお似合いだよ。調子に乗って俺に抵抗するから、余計に痛い目にあうんだ。そこでジッとしていれば今日はこれ以上手を出さないでいてやるよ」


 そう言って兵頭は、高梨さんの方へと身体を向ける。ダメだ、僕じゃ兵頭には勝てない……。それでも、彼女に手を出させる訳にはいかない。

 僕は遠くなりそうな意識を必死に留め、兵頭の足へと掴み掛かる。もう、兵頭がどんな顔をしていたかなんて見る余裕はなかった。それでも、彼の歩みは止まった。


「た…かな…しさん…に、手を…だす…な……」


 僕は額から血を流しながら、兵頭の足を掴んで放さない。兵頭は離れようとしない僕を、僕が掴んでいた足で蹴り飛ばす。僕は彼の蹴りによって軽々と蹴り飛ばされ、地面を転がっていく。


「なんだよ、お前。いつもは黙って俺らにやられてる癖に……」


 僕と兵頭との間に距離ができたのを確認して、兵頭はもう一度高梨さんの方へと視線を向ける。だが、僕はすぐに地面を這って兵頭の元に辿り着き、その足を掴む。

 一瞬兵頭の口から悲鳴のようなものを聞いたような気がした。しかし、僕はもう兵頭の脚以外に何も見えないし、何も聞こえない。

 そして再び、僕は蹴り飛ばされる。


「はあ、はあ……。もういいだろう。お前はそこで、大人しくしていろ」


 そう言って、兵頭はもう一度僕を背に振り返ろうとするが、そこで動きが止まる。僕が立ち上がったから……。もう、意識を保っているのがやっとの僕がそれでも立ち上がったから。


「お前は、ゾンビかよ。なんで、そこまでして……」


 兵頭の瞳に恐怖の色が浮かんでいた。額を冷や汗で湿らせながら僕の方を見ている。僕はもう、何を言っているのかわからないような掠れた声で、それでも言葉を喉の奥から響かせる。


「たか…な…し…さん…か…ら、はな…れ……」


 そこまで言った僕は、最後まで言い切ることなく膝から崩れ落ちた。その様子を見ていた中で高梨さんが真っ先に声を発した。


「東雲君っ!!」


 その声は悲鳴のようで、意識が遠くなりそうな僕の耳にもしっかりと響き渡る。僕は顔を何とかあげて、腕を伸ばして最早声にならない呻き声をあげる。その姿は、本当にゾンビのようだっただろう。


「もうやめて。お願い。これ以上やったら、死んじゃう……」


 高梨さんの声は震えていて、いつのまにかその瞳に涙が浮かび上がっている。

 兵頭はそんな僕の姿を眺めながら、何かを逡巡するように動きを止めると、僕に背を向けて高梨さんの方に向かって歩きだす。

 待て、待ってくれ……。

 僕は心の中でそう叫んだが、もう言葉にはならない。そして、兵頭は高梨さんの目の前まで辿り着くと、そこで足を止める。

 スタンガンのせいでまだ立ち上がることのできない高梨さんは、兵頭のことを涙の浮かんだ瞳で睨み付ける。兵頭もそんな高梨さんを見下ろしている。

 だが、兵頭の表情から今まで笑みは消えており、その表情はとても真剣なものだった。

 そして、兵頭は彼女へと一歩踏み出す。高梨さんは、それに対して逃れるように目を瞑って下を向いた。

 ダメだ、頼むから止めてくれ……。

 僕は最後の力を振り絞って高梨さんに向けて手を伸ばそうとする。

 しかし兵頭は高梨さんに手を出すことはなく、ただ隣を通り過ぎていったのだ。そして、少し離れたところで立ち止まると、兵頭は顔だけで振り返り高梨さんに向けてこう言った。


「今日のところは、東雲の頑張りに免じて見逃してやる。お前もまだ、この学校に来たばかりで裏のルールって奴を知らないんだろうしな。だが、覚えておけ。次は無い。平和に暮らしたいならな」


 兵頭はそう言うと、顔を元に戻して歩きだす。


「行くぞ、お前ら」


 兵頭の掛け声とともに、取り巻きたちは一斉に兵頭を追って走っていく。そして僕と高梨さんだけが、その場に取り残された。

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