夢病

 眼が覚めるとそこは見慣れない場所だった。白いカーテンで遮られた空間で、僕はどうやらベッドの上にいるらしい。そこは見慣れた場所ではなかったが確かに知っている場所だった。

 鼻を少しだけ刺激するエタノールの臭いが立ち込めており、学校という空間において唯一ベッドという寝具が設置されている場所。そう、保健室だ。

 僕はどうやら授業中に眠ったまま起きずに、ここに運び込まれてしまったようだ。それにしても、寝ているだけで保健室に運び込まれるなんて、一体どれだけのことをされても起きなかったのだろうか。

 僕が恐る恐るカーテンを開けて外の様子を確かめると、白衣を来た女性がこちらを見ていた。その女性の顔がどこか見覚えがあって、咄嗟にその名前を呼んでしまった。


「エミリアさんっ!!」


 僕は驚きのあまり何の確認もしないで、そう呼んでしまった。

 よく見れば耳も普通の人間だし、顔は似ているもののエルフ特有の誰でも引き寄せてしまう雰囲気というものが感じられない。


「誰よそれ?もしかして、まだ寝ぼけているの?」


 保険の先生は呆れた顔をしながら僕にそんなことを言う。すぐに違うと気が付いた僕は、頭を掻いて照れ笑いを浮かべる。


「すみません、気にしないでください。先生の言う通り、まだちょっと寝ぼけていたみたいで……。でも今ので完全に目が覚めました」


 僕の言葉に先生は溜め息交じり笑みを見せると、僕に質問をする。


「にしても、昨日そんなに寝ていなかったの?細野先生がどれだけ揺らしても起きなかったから、血相を変えて慌ててあなたを背負ってこの保健室まできたのよ」


 細野先生というのは社会の担当の先生で、今日の四限目の授業を行っていた先生だ。僕はその質問に対して、嘘を付かずにありのままのことを告げる。


「いえ、寝てないとかそういう訳ではないんです。ただ、最近急に睡魔に襲われたり、その後全然起きられなくなったりすることがあって……。今回もたぶん同じ症状だったんだと思います」


 嘘は付いていない。ただ、その夢の中で起こったことについては、一切話すことはなかった。

 そもそもそれを話したところで、誰も信じる訳がない。頭のおかしい奴だと思われて笑われるだけだ。


「う~ん。確かにそういう病気もあるからね。一回専門のお医者さんに行った方が良いかもしれないわね」


 少し困った表情でそう言いながら、先生は右の足を左の足の上に乗せて足を組む。その姿が白衣を着た女性の特有の妖艶さを醸し出し、僕の視線が引き付けられる。

 やっぱりこの先生はエルフかもしれない。だって、僕の目が自然と先生のことを追ってしまうから……。

 そんなことはさて置き、僕はそういった病気があるという事実に少し驚きを覚えた。実は病気を患ってしまっているかもしれないという事実に……。


「それって、不味い病気なんですか?」


 もちろん病気と言われれば急に気掛かりになり、誰だって不安が増すだろう。僕だってもちろんそうだ。


「すごく危険って訳じゃないんだけどね。ただそういう病気に掛かる人は精神的に病みやすいし、自動車の運転で事故を起こす可能性が極めて高いから注意が必要なの。君はまだ、そういう心配はしなくてもいいんだけどね」


 僕は先生の言葉の一言、一言に頷きながら、先生の話を聞き逃さないようにする。


「ちょうど君くらいの年に発症しやすい病気だから、そうだったとしてもおかしくはないのよ。ナルコプレシーって言ってね。帰ったら自分でも調べてみると良いわ」


 そう言い終えると、先生は胸の前でパンッと手を叩いて笑みを浮かべる。


「まあ、そんなに急いでどうこうしなければならないものでもないし、ゆっくり様子を見ながら考えましょう。今日は帰っても良いわよ」


 そう言われてふと時計を見ると、すでに終業時間の四時半を越えていた。どうやら僕は五時間近く眠っていたらしい。

 僕は先生に向けて一礼すると扉を開いて保健室を出た。帰り際にふと見えた先生が優しそうな笑み浮かべて手を振っている姿が綺麗で二度ほどチラ見してしまったのは、ここだけの秘密だ。

 僕はまだ少しぼうっとした頭のまま、廊下を歩いて自分の教室へと向かう。少しだけ嫌な想像が頭を過ったが、気にしないようにして教室へと向かう。

 だがその予想は見事に的中しており、教室に戻るといつもの男子生徒たちが何かを企むような含みのある悪い笑みを浮かべながら僕の方を見ていた。


「おう、しっかり眠れたか、東雲君。授業中に居眠りとは、あまり誉められた行為じゃないんじゃないかなあ?なあ、東雲君。俺らと体育館裏でちょっと話し合いをしようか」


 リーダー格の男の兵頭は既に僕のカバンを所持しており、それを僕に向けてチラつかせる。どうやらついて行くしかないようだ。

 そんな光景を見ても、周りの人たちは黙って見ているだけで誰も止めようとはしない。そりゃそうだ……。余計なことに口を挟んで、自分から傷つきにいく奴なんてそうはいない。

 僕は大人しく兵頭の後について教室を出ていった。そういえばまだほとんどの生徒が教室に残っていたのに、高梨さんの姿は見受けられなかったな。

 僕は結局いつもの体育館裏に連れていかれた。

 今年は厄年かもしれない……。だって二年生が始まってまだ二日目なのに、もう二回もこの体育館裏に連れてこられているのだから。まあ、現実世界では二日でも、感覚的には倍以上の時間を過ごしているのだが……。

 兵頭はこの場所に到着するなり、僕のカバンを投げ捨てるように地面に転がし僕の方を見る。


「なんだお前?ただの居眠りのくせに細野の奴に心配されて、その上ベッドにまで運んでもらって、こっちは寝てたら叩き起こされるってのに、偉い待遇の違いだよなあ」


 恐らく叩き起こしても起きなかったからベッドに運ばれたのだろうが、そんなことを言っても聞いてはもらえないだろうし意味がない。

 だから僕はいつも通り俯いて黙りこんだ。そうしていることが、一番手っ取り早く終わるから。

 あれほどの冒険を乗り越えても、現実の僕は結局戦いから逃げる選択をする。だってあれは所詮夢だから、そんなもので現実の僕が変わる訳がない。


「お前みたいな誰からも怒られずに見棄てられた奴は、仕方がないから俺が怒ってやるよ。よく言うだろ、怒ってくれる人すらいなくなったら、本当に終わりだって。良かったなー。お前にはまだ怒ってくれる相手がこんなにたくさんいるんだから」


 そのどう考えてもこじつけの理論を、憎悪を掻き立てるような笑みを浮かべながら、兵頭はやけに楽しそうに語る。

 そして俯いたまま立ち尽くしていると、僕の頬に凄まじい痛みが走る。

 僕はいつの間にか、地面に横たわるような格好になっていた。頬には熱が込み上げ、痛みが襲い掛かってくる。僕は頬を思い切り殴打された勢いで、地面に倒れてしまったようだ。


「授業中に寝たらダメって、小学校で教わらなかったのか?」


 そう言いながら兵頭は僕の腹部に重い蹴りをいれる。僕は襲い掛かる嘔吐を必死に抑えながら、声を殺して我慢を続ける。

 普段から授業中に寝ているか、周りの迷惑も気にしないで騒いでいる奴が何を言っている。しかし、そう思うだけで口には出さない。

 やがて取り巻きの男子生徒たちも一緒になって僕を蹴り始める。そうして飽きるまで僕をいたぶって、飽きたら帰っていくのだ。それまでの辛抱だ。痛みくらいならいくらでも耐えられる。

 いつも通りそうやってやり過ごすはずだった。

 けれど、聞いたことのある透き通った綺麗な声が、しかし、この前聞いたときよりも語気が強く意志の込められた声が、何処からか響き渡る。


「あなたたち何をしているの。今すぐ止めなさい」


 その声の主は漆黒の長髪を携え、整った顔立ちにバランスのとれたスタイル。まだ着崩れていない新しいこの学校の制服を着た女の子。

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