第4話

 翌朝。

 昨日集まった村人達は、女の様子を見に、再び庄屋の屋敷を訪れた。


「庄屋様、上がらせて下せえ!」

「何だね、朝早くから…」

「気になってよう。薬売りの姉ちゃんは、大丈夫だったかね?」

「ああ。自分の目で確かめるとええ」


上がり込んだ村人達が見た物は、囲炉裏端いろりばた朝餉あさげを食べている女だった。


「飯を食ってる最中に来るとはねえ」


 女は朝餉を邪魔されて、やや不機嫌そうに箸を置いた。


「それで、大丈夫なのか?」

「ああ。腕も見るかい?」


女は、蝮に噛まれた右手首を見せた。

傷口にはかさぶたが張っているが、腫れたり膿んだりした様子は全くない。


「こいつあ…」

「信じるしかねえ…」


 村人達は、毒消しの薬効を目の当たりにし、一様に驚いた。


「さて。薬は百文と言ったのを覚えてるかい? お前様。早速だけど、お代を頂けないかねえ」


女は、昨日に蝮を持って来た若衆頭を指差した。


「な、何で俺が?」

「何せ、値の張る商品なんでね。元々お前さんの案なんだから、使った毒消しの代価を払うのは当然だろう?」

「俺一人か? お前等だって、乗ったじゃねえかよ!」


 若衆頭は狼狽して喚いたが、周囲の村人は目をそらしてしまう。若衆頭一人に責任を押しつけるつもりの様だ。


「本気じゃなかったんだよ! 止める間もなく、あんたが蝮に噛ませちまって…」

「商いは真剣勝負なんだ。取引の場で言った事には、責ってもんがあるんだよ。ねえ、庄屋様?」


 女は若衆頭の弁解を切り捨て、庄屋に同意を求めた。


「確かにそうじゃのう」

「しょ、庄屋様… 俺にゃあ、そんな銭はねえ…」


 男はその場にへたり込んでしまったが、庄屋としては薬売りの機嫌を損ねる訳にはいかない。

 話の筋は通っているし、何しろ、相手の正体は夜叉だ。


「そうだねえ。こんな村で百文をすぐに都合出来るのは、庄屋様位な事はこっちも承知してるんだ」

「なら、元々が無茶苦茶な値付けじゃねえかよう…」

「はるばる伊勢から運んでるんだし、元値が張るんだよ。けど、身を売って購えば、払えない額じゃないだろう?」

「俺に、奴婢になれってかあ…」


 男は嘆いたが、女の正体を知る庄屋は元より、その場の誰もが、彼をを庇おうとする者はいなかった。

 何らかの理由で借金を負い、身売りで弁済する事は珍しい話ではない。

 女なら女郎、男なら鉱山夫か富農の作男にされる事になるだろう。


「まあ、待ちなよ。何も、お前様自身を売れってんじゃない」

「まさか、女房か?」

「違うってば。まずは座って話を聞いておくれよ」


 若衆頭を始め、村人達は座って女の話に耳を傾ける事にした。


「この村に限った話じゃないけど、生まれた子は皆育てるのかい?」

「いや、産婆が取り上げてすぐ間引く事もあるのう」


 女の質問には庄屋が答えた。

 生活基盤である農地に限りがある為、農村においては、余分な子は出生後すぐに、”間引き”と称して殺処分するのが常だった。


「田畑にも限りがあるから、仕方ないねえ。でも、売り物になるのに勿体ない話だとは思わないかい?」

「赤子は無事に育つかどうかわからんし、せめて三つ位までは育てんと売り物にはなりにくいのう。じゃが、そこまで育てては飯の無駄じゃよ」

「情もわいちまうだろうしねえ」

「そうじゃよ。じゃから、いらん子はすぐに間引いた方が良いんじゃ」

「生かしておいてくれたら、何人でもあたしが買おうじゃないか。薬のお代にしてくれてもいいし、こっちが銭を払ってもいい。伊勢じゃ、赤子の引き合いが多いんだよ」

「赤子の守りは面倒じゃろ。どうやって連れて帰るのじゃ?」

「やり方があるのさ。真似しようたって無理だとは思うけど、深くは聞かないでおくれよ」


 行商人が乳児を連れ歩く等、かなりの無謀であるが、女には手段がある様だった。


「授かった子を間引かずに済んで、銭にもなるんだ。いい話だろう?」


 村人達は黙って目を伏せていた。理屈ではそうだが、割り切れない事でもある。


「さて、お前様だけど。買えそうな子はいるかい? いれば薬代にさせてもらうよ」

「……」


 女は若衆頭に向き直って尋ねたが、彼は無言のまま答えなかった。


「初子じゃからのう。躊躇うのもわかるが、お前の身には代えられんじゃろ?」

「庄屋様!」

「へえ、いるのかい? いないんなら、子が出来たら引き渡す証文を作ろうと思ったんだけど、手間が省けたねえ。じゃあ早速行こうか」


 女は若衆頭に、家まで案内させた。一介の百姓らしく小さく簡素な佇まいであるが、それなりに手入れは行き届いていた。


「おう。帰ったぜ」


 若衆頭の家では、女房が籠に入った赤子をあやしていた。


「あんた、出てったと思ったらすぐに戻って来て。忘れ物?」

「いや、客を連れて来てな。伊勢の薬売りだ」

「そういや昨日、村に来たって言ってたねえ。そっちの人?」

「ああ。お邪魔するよ」

「若い娘さんなのに、遠路はるばるご苦労様。顔色が良くないけど、旅疲れかい?」

「顔色は生来さ。早速だけど、ああ、その赤子がお前様達の子かい」


 女が籠の中の赤子に微笑むと、赤子もあどけない様子で笑った。


「跡取りかと思って期待したら女の子で。うちの人はがっかりしちゃって」


 女房は苦笑していた。

 跡取りになる男児に比べ、女児の価値は低い。

 それでも育てるのは、女児を間引いてばかりでは跡取りに宛がう嫁のなり手がなくなってしまうので、少なくとも長女は間引かずに育てるのが不文律となっている為である。


「…この姐さんがよ。うちの子を売って欲しいって言ってんだよ」

「何だって!」


 若衆頭が女房から顔を背けながら言うと、女房は叫び声を挙げた。


「あんた! どういう事!」

「どうもこうもねえよ。長女は間引いちゃいけねえって掟があるから仕方なく育ててるけどよ、跡取りにならねえ娘なんぞ穀潰しだぜ」

「情けない事を言うな、この甲斐性無し!」


 女房は激昂し、若衆頭の頬を張り飛ばした。


「痛てえな、何しやがる!」

「やかましい!」


 どなり返した若衆頭に、女房は一歩も引かない構えだ。

 赤子は双方の怒声に絶えかね、大声を挙げて泣き始めた。


「あのねえ、大事な話なんだ。夫婦喧嘩は後にしとくれよ」


 静かだが有無を言わさない響きの女の声に、夫婦の口論は止んだ。

 赤子も泣き止み、女の方をきょとんと見ている。


「帰っておくれよ。娘でも、大事なうちの子なんだ!」

「悪いけどね、お前様の亭主が、あたしの商品を使ったのさ。赤子はそのカタって訳さ」

「商品って、たかが薬一服でこの子を?」

「これまでの物とは効能が違うんだ。蝮の毒消しさ。一服百文也」

「蝮の毒消しって、そんなもん、聞いた事もないよ?」

「お前様の旦那と庄屋様、他にも昨日集まった村の衆が薬効の証人さ。値が張るけど、命の対価なら高いとは言えないねえ」

「本当かい? あんた」

「ああ…」


女房の問いに、男は力なく答え、事情を説明した。


「それで蝮の壺を持ち出したのかい。何て事してくれた!」

「済まねえ…」


 女房の責める様な視線に、男はうなだれた。


「で、薬屋さん。この子を買ってどうするんだい?」

「伊勢では赤子が引く手あまたでね。あたしの仕事は薬売りだけじゃない。子の仕入れも兼業なんだよ」

「お断りだよ!」

「それなら、お前様の旦那が身売りする事になるだろうねえ。あたしは大人を買わないから、庄屋様がひとまず薬の代価を立て替えて、旦那は別口の人買いに斡旋する事になると思うよ」

「そんな…」


 ”庄屋”の一言を聞いて、女房は気勢をそがれてしまった。

 この一件を庄屋が承知しているなら、逆らえば村中を敵に回す事になりかねない。


「悪い話じゃないと思うけどねえ? 何せ、お前様、次の子を孕んでいるのだろう?」

「な、何で、それを…」


 確かに女房は、次の子を孕んでいる。

 産後の養生が終わった頃に夫の求めに応じてまぐわった際に出来た様だ。


「同じ女だ、見りゃわかるさ。この子を産んですぐに次の種を仕込んだとは、お盛んだねえ?」


 女がクスクスと嗤った。


「孕んでるって本当か、おい!」

「驚かそうと思って黙ってたんだよう…」


 若衆頭が女房を問いただすと、消え入る様な答えが返って来た。


「二人目が倅ならともかく、次も娘なら養う余裕はねえからよ。間引く他ねえ…」

「そ、そんなあ! あんた!」


 間引きの事が頭にあったので、女房は男に懐妊を言いそびれていたのだろう。


「そうだろうねえ。無駄飯食らいを養う余裕なんてないだろう? だからさ、あたしがその子を引き取れば、次の子を間引かずに済むじゃないか」

「……」


 女房はしばらくの間、目を閉じて無言のまま、考えを巡らせていた。


「さて、どうするかねえ?」

「飢えさせたり、小突き回したりしないと約束出来るかい?」

「当たり前さ。大事に扱うよ」

「わかったよ。連れていっておくれ」


 女房は子を手放す腹をくくった。

 実際、女の言った事は正しい。二人の子を確実に守りたいなら、先の子を手放すしかないのである。


「おい、いいのかよ?」

「二人も育てる甲斐性がないって言ったのはあんたじゃないか!」

「そりゃそうだけどよ…」

「へえ、子を売る位なら自分が身売りするってんなら、あたしはそれでもいいんだよ?」


 戸惑う若衆頭に、女は畳みかける様に言い放った。


「い、いや、それはその…」

「じゃあ決まりだ。早速、その子を見せておくれよ」


 女は、籠から赤子を抱き上げた。

 赤子は黙って、女の顔を眺めている。


「初対面の相手に物怖じしないとはねえ。使い途がありそうで、育つのが愉しみな子だよ」


 涙ぐむ女房を尻目に、女はいかにも満足げに微笑んだ。

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