第5話

 女が受け取った赤子と共に庄屋の屋敷へ戻ると、各々赤子を抱えた五名の女性が待っていた。

 いらぬ子を買って欲しいという事だ。

 赤子は全員三男坊以下の男児で、間引かれずに育っても農地を継げず、いずれ村を出るしかない立場だという。


「どれ、とりあえず品定めさせてもらうよ」


 女がそれぞれの子を抱き上げて見定めようとすると、どの子も母親から離されまいと泣き叫んだが、女が眼を合わせると黙りこくってしまった。

 母親達は、赤子をあやすのがうまいと女を褒めそやしたが、どの赤子も、安らいだ顔をしていない。恐怖で黙ってしまったのだ。

 女は、静かになった赤子を一人ずつ、手の平でなで回したり、口腔を開けて覗くなどして検分した。


「まあ、この子達は並って処かねえ」

「駄目…ですか?」


 あっさりした口調で結果を告げる女に、母親の一人が恐る恐る尋ねる。


「いいや、これが普通って事だから心配いらないよ。一人につき銀一匁でいいかい? 薬代の先払いって事にしてもいいけどねえ」


 母親達は全員、銀での支払いを望んだので、女は懐の財布から人数分の豆銀を取り出して庄屋に渡した。


「銀なんて庄屋様位しか見た事がないだろうから、検分しておくれよ」

「うむ… 確かに本物じゃな」


 庄屋は女から手渡された豆銀を検分し、本物と判断すると、母親達に配った。


「ほれ、これ一つで銭百文と等価じゃ」

「本当!?」

「やったあ!」


 母親達は嬌声をあげると、赤子の方を振り返りもせずに上機嫌で帰って行った。


「あっさりしたもんだねえ。後腐れがないのは結構だけどさ」

「大概はこんな物じゃよ。親が子を育てるのは情ではなく損得勘定じゃ。老いた身を養ってもらう為じゃからの」

「でも、若衆頭の女房は情が深かったねえ」

「揉めたのかの?」

「あの男には過ぎた女房でね。最初は売らないって言い張ってたけど、最後には折れたさ」

「そういう事かの…」


 庄屋は深い溜息をついた。


「さて。出発の前に乳を飲ませておくかねえ」


 女は胸をはだけて乳房を出し、赤子を一人ずつ抱き上げては乳を飲ませ始めた。

 恐怖して沈黙してしまっていた赤子達だが、眼前に差し出された乳首には素直に吸い付いている。

空腹には勝てないという事らしい。


「お前さん、乳が出るという事は、子を産んだか孕んでおるのかね?」

「いいや。伊勢には乳を出す薬ってのもあるのさ」


 乳を飲んだ赤子は、すやすやと眠り出す。女はそれを籠に収めては、荷車に積んでいった。


「そう言えば、伊勢ではどうしてまた、赤子を買い漁る必要があるのかね?」

「あの辺りは稲が立ち枯れて凶作でね。それでも年貢を容赦なく取り立てられたもんだから、一揆が起きた訳だけど。その時、口減らしの為に、七つを迎える前の子は全員”返した”んだよ」


 間引きを免れた子であっても、そのまま育てられるとは限らない。

 当時の和国では”七つまでは神の物”と言われており、親の都合で殺しても罪には問われなかったのである。その様な幼児の殺処分の事を”子返し”と呼ぶ。

 飢饉等の際には、口減らしの為にしばしば子返しが行われた。


「伊勢が赤子を買い集めているのは、返した子の代わりという事かの?」

「そういう事さ。放っておけば丸七年分の子がごっそり欠けたままになっちまうからね」

「また凶作になったらどうするのじゃ?」

「心配はいらないよ。無理に年貢を取り立てられる事はもうないし、龍神様やあたし達が法術で加護するから、毎年豊作さ」


 人外の存在は、神通力や法術、陰陽術等と呼ばれる、人間にはない不可思議な力を使う。その力で豊作を保証されれば、飢饉の心配もなく子を養う事も出来るのだろう。


「ともかく、子を根こそぎ返さねばならん程の凶作と重い年貢が、一揆の発端になったのじゃな」

「そうさ。天竺から来て間がない龍神様は、伊勢の百姓達が子を返そうとしているのを知ってね。どうせ返すなら、自分の人身御供にすれば、神宮を滅ぼして代わりに守護神になってやろうと持ちかけたのさ」


 庄屋は、通常は人間の治世に関心を持たない龍が、伊勢の百姓を加護した理由に納得した。

 大量の贄と引き替えであれば、加護にも応じるだろう。

 百姓の側も、元々返すつもりだった子であれば、差し出す事にためらいも少ない筈だ。

 悪いのは、その様な状況に追い込んだ神宮であると自己正当化も出来る。


「子返しの童を得れば、当面は贄に困らんという訳じゃな」

「そうでもないさ。龍神様だけじゃなくて、あたし達眷族の食い扶持も確保しなきゃいけないからね。それに、子の肉は霊力が少ないからね」

「霊力とは何じゃ?」

「あたし達の様な妖に必要な、命の源さ。人間の脳味噌にはこれがたっぷり含まれててね。十八から二十半ば位が一番の食べ頃なんだよ。赤子だと三十人食らって、やっと十八の若人一人分の霊力にしかならないんだけどね」

「それでお前さん方は人間を食うのじゃな。食い手のない童とはいえ、数を集めればそれなりじゃからの」

「子返しの童は手付けさ。一揆につきゃ、神宮の連中を食う名目が出来るからねえ」


 庄屋は、伊勢の薬売りが赤子を買い集めるのは、妖の食用としてではないかと頭の片隅で疑っていたが、大人の方が食用に適しているという事を聞き、そうではない様だと判断した。

 食用なら大人を買う筈だ。

 一方で庄屋には、さらなる疑問もわいた。

 返した童の穴埋めとして余所から赤子を買い集める無駄を考えれば、子返しを止めさせた上で、最初から神宮の神職や衛士を食らった方が良い。


「龍神様も酷いのう。最初から神宮のもんを贄にすりゃあ、童を食わんでも良かろうに」

「まあ、色々とあるのさ」


 庄屋の問いに、女ははっきりとした答えを返さなかった。

 何か痛い所を突いたのではないかと思い、庄屋はそれ以上の追求を避けた。


「戦が終われば、食らってよい敵もないじゃろう。その先の贄はどうしておるのかの?」

「神職や衛士、それに神宮の側に立って民百姓を搾り取っていたと見なされた商人共は、一族郎党、妻子に至るまで殺さずに捕らえて、虜囚にしてあってね。こいつらを少しずつ必要な分だけ食えば、当分の間は大丈夫さ」

「贄となる虜が大勢捕らえてあるから、伊勢の民はお前さん方に食われる心配をせんでええという訳じゃな」

「そういう事だね。あたし達だって、堂々と人里に住んで、人間の街娘の様に着飾ったり、旨い酒を飲んだりしたいからねえ」

「夜叉も街の賑やかさを好む物かのう」


 夜叉は通常、人里離れた一軒家に、人間を装ってひっそりと暮らしている。宿を求める旅人を泊め、寝静まった処を襲って贄にする為である。

 だが、女の口ぶりでは、好きこのんでその様な生活をしているという訳ではない様だ。


「なら、お前さん方も人間と大して違わんという事じゃな」

「嬉しいねえ。伊勢の外で、庄屋様みたいに言ってくれる人がいるとは思わなかったよ」


 女は、庄屋の言葉に微笑んだ。

 辣腕の行商人らしからぬ、年頃の娘の顔だ。

 その様子に庄屋は、女が本気で人間と共に暮らしたがっている事を確信した。

 妖と人の共存が困難なのは、前者が後者を補食する為だ。

 それさえ何とかなれば、共生も不可能ではない。

 もしかして伊勢の龍神は、その様な世を造ろうとしているのだろうかと、庄屋は思った。



「しかし、いずれは虜にした者も食い尽くすじゃろ。その時、お前さん方は贄をどう得るのかのう?」


 女は、伊勢の掟では敵兵と罪人のみを贄として良い事になっていると話していた。

 ならば、贄となる虜を食い尽くせば、伊勢は近隣の州に戦を仕掛ける事も考えられる。


「頭目と龍神様が色々と考えてるよ。少なくとも、伊勢の民からは贄を出さずに済む様にね」

「そうなると良いがのう」


 ”伊勢の民から”贄を出さないという事は、他州の者なら構わないとも受け取れる。

 庄屋は不安に感じたが、ここで内情を話したという事は、そうせずに済む方法にあてがあるからだろうと思う事にした。

 どの道、龍が相手では、まともに逆らう事は出来ないのである。

 話しながら女は赤子を積み終わり、厩から馬を引き出して荷車へ繋いだ。


「それじゃあ、行くとするかね」

「達者でのう」

「いらない赤子は買ったげるから、なるべく間引かないでおくれよ?」

「儂等とて、子を手にかけんで済むなら、それに越した事はないでな。売った赤子達の事はくれぐれも頼むでのう」

「任せておくれよ」


 荷車に乗りこんだ女は、庄屋の見送りを受けて街の方向へと戻って行った。

 女は、村から一里程離れた場所で荷車を止めた。


「さっきの村で六人、それまでの分と合わせてこの旅では結構買い集めたというに。それで当たりはたったの一人とはのう」


 女はつぶやきながら、荷車に積んだ籠から赤子を取り出し、空の樽へと詰めて行く。

 赤子達は既に息をしておらず、脈も打っていない。その体は、色も堅さも石像の様になっていた。


「これで泣き叫ぶ事も腹を減らす事もなく、”物”同様に運べる訳じゃが。この様な運び方を思いつくとは、流石は妾が育てた自慢の倅、いや婿じゃな」


 赤子の荷造りを終えると、女は再び荷車へ乗り込み、馬を街へと進ませるのだった。

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