五枚花弁のラージヒル:ケーキ

「ありがとうございました」

 ドアベルの音を置き土産に、店内には客が一人もいなくなった。

 珍しく客足が鈍い。まだ午後一時過ぎだが、今日はもうランチ客が来そうにない。ここは大学、短大、高校が徒歩圏内にある。立地条件としてはかなり良く、開店半年でそこそこの売り上げがあり、胸をなで下ろしていたところなのだが。

 窓越しに見える家々の屋根や道路が白く染まっている。薄化粧を施した程度だ。雪国育ちの私にとって、この程度は積雪のうちに入らない。しかし、ここは雪国ではない。私にとっては大したことなくても、この街では少しでも雪が積もれば客足が鈍ることを覚悟しなければならないようだ。

 とは言え、雪が積もるのはひと冬にわずか数回だという。いつだったか理緒ちゃんが話してくれた。




 手持ち無沙汰になったので、午後からのお客様のために駐車場の雪かきを始めた。そういえば、今日は翔平くんたちは試験の最終日だ……などと考えた途端、当の常連さんが声をかけてきた。

「手伝いますよ、マスター」

「おお、翔平くん。亮太くんと航さんも。すまないね、バイト代出すよ」

「ボランティアですよ、この程度」

 三人の若者が声を揃える。気持ちの良い連中だ。

 とくに翔平くんはよく動く。この中で一番体力がありそうだ。私に似た逆三角形のガタイは伊達ではないということか。

 しばらく作業しているうちに、ふと疑問がわいた。翔平くんたちはともかく、航さんは会社員だ。

 ちなみに航さんとの初対面は、彼が店の前でひき逃げに遭い、右脚を骨折した日に遡る。志帆ちゃんのお兄さんと知ったことで、割と最初のうちから『夏本さん』ではなく『航さん』と呼んでいる。

「今日は、会社は休みなのかね」

「違います。午前中用事があったので、有給休暇を取ったんです」

 有給休暇か。そういえばサラリーマンにはそういう制度があったな。なんでも、規定の日数を無理にでも休まないといけないとか。人によってはなかなか休みを取れず、年度末が迫って焦ることもあると聞く。たしか、航さんの会社も年度末だ。彼も有給休暇を消費しきれなかったクチか。それを言うと、航さんは首を横に振った。

「サラリーマン一年生なんて、そんなに有給休暇もらえませんよ。去年の骨折で、通院のために既に何日も休暇取ってますが、ひき逃げの被害者ということもあって特別休暇が認められたんです」

 それからほどなく、雪かきが終了した。四人がかりのお陰だろう、あっという間と言っても良いくらいの作業時間だった。

 店内に入ると、翔平くんたちが座るか座らないかのうちに新たな常連さんたちがドアベルを鳴らした。

「マスターこんにちはぁ」

 いつも元気なショートボブの理緒ちゃん。最古参の常連さんだ――まだ開店半年の店だけれど。彼女の右に、はにかむように笑う前下がりボブの志帆ちゃん。左に、ゆるふわパーマを胸元まで垂らし、すました笑顔の洋子ちゃん。

「いらっしゃい。雪雲さえも虹色に染める綺麗どころ三人の登場だ」

「マスターったらお上手」

 冗談めかして洋子ちゃんが答える。初めてこの店に来た日、初対面の理緒ちゃんと険悪なムードで火花を散らしていた娘と同一人物とは思えないほどだ。


     *     *     *


 六人がけのテーブルにきっちり男性陣と女性陣に分かれて座る常連さんたち。

 手前から、亮太くんの正面には志帆ちゃん。いつも通りだ。

 航さんの正面には……おや、理緒ちゃん。そして翔平くんの正面には洋子ちゃん。ここ半年ほど彼らの様子を見てきた私には意外だが、若者には常に色んな選択肢があって良い。

 看板の回転灯を切り、ドアの札を『営業中』から『貸切』に掛け替えてきた。

「マスター?」

 めざとい理緒ちゃんが声をかけてくる。それには答えず、

「確認だけど、誰も追試じゃないよね」

「あたしの学校は先週試験終わってる。赤点はなかったよ」と、理緒ちゃん。

「この中で一番点数の低いあたしが赤点じゃなさそうだから、みんな大丈夫よ」と、洋子ちゃん。

「よし、進級祝いだ。今日はもう店じまい」

「ひどいなマスター。私は仲間はずれですか」

 航さんが不満げな声をあげる。目は笑ったままだ。

「航さんはアダルトチームだ。私と呑もう。……このあと、車を運転する予定はあるかね?」

「幸いなことにありません。ところで、アルコールは何がありますか」

「悪いがビールしかない。この店はアルコールを扱っていないから私物さ。もちろん、店の冷蔵庫で冷やしてあるよ。それともビールは嫌いかね」

「ありがたくいただきます」

 カウンターに引き揚げた私は、まず進級祝いを持ってテーブルに戻った。

「お待たせしました」

 どすん。

 ああ、また大きな音を立ててしまった。もっとも、この音が食欲をそそると仰るお客様も多いから、あまり気を付けなくてもいいか。

「あら。注文していないわよ」

 反射的にそう言いつつ、理緒ちゃんの目は期待に輝いている。

「さっき言ったつもりだぜ。サービスさ」

 苺と生クリームをふんだんに使ってはいるが、平凡なデコレーションケーキだ。ただ、フレーバー状にした苺をカットし、五枚並べて桜の花びらを表現してみた。

「二月なのに桜。気が早いけど、進級祝いだからね」

「うわあ。このケーキ、マスターの自作?」

「ああ。バリエーションはこれとチョコレートケーキの二つしかないがね。どちらも、以前知り合い……というか、同級生から手ほどきを受けたんだ。ついこの間バレンタインが終わったところだし、みんなチョコに飽きてるところだろうと思ってね」

 誰もはっきりと同意しないが、概ね肯定の空気だ。

「なかなか指導の厳しい同級生でね。チョコレートケーキを教わった時は、チョコの個性を生かすも殺すも作り手次第と言われたよ」

「マスターそれって……」

 理緒ちゃんの声を合図に、私以外の六人の声が揃う。

「ペンションフジタ!」

 ……なんと。彼らの年末スキー旅行、宿泊先は藤田くんのペンションだったとは。世界は狭い。

「てことは、マスターって藤田さんと同い年だったの?」

 おいおい理緒ちゃん失敬な。いや、無理もないが。

「あたしのお父さんより若いし、守備範囲。マスターって渋くて素敵」

 ……おっと、そうくるとは予想外。語尾に♪マークでもつきそうな、芝居がかった言い方は理緒ちゃんの得意とするところだ。褒めすぎは嫌味だが、理緒ちゃんが言うと許せる。どうやら私はこの娘に弱いようだ。




 ホールケーキを切り分け、全員に配り終えると、早速理緒ちゃんが口を開いた。

「ありがとマスター愛してる」

 おやおや。翔平くんと洋子ちゃんの顔色が同時に変わったぞ。なんだか面白いなぁ。ひとまずここは、いつもの言葉を返しておくか。

「その言葉は理緒ちゃんの一番に言ってやんな」

 何を思ったか翔平くんが立ち上がる。

「俺にとっての一番は、理緒なんだ。俺は……俺は理緒にとっての一番になりたいっ」

 静まりかえる店内。

 やるねえ翔平くん、男だねえ。

 翔平くんは深呼吸し、もう一言付け加えた。

「俺、冬見翔平は、春岡理緒が……。大好きだ!」

 上出来だ。翔平くんの歳ではなかなか『愛してる』なんて言えないし、言ったところで冗談っぽく聞こえてしまうものだからな。

 拍手が聞こえた。手を叩いているのは洋子ちゃんだ。

「その言葉、理緒、ずっと待ってたのよ」

 おやおやおや。洋子ちゃんは一歩引くのか。

 当の理緒ちゃんは口に手を当てているが、赤みの差した頬は隠しきれない。ここはひとつ、私も拍手させてもらおうか。洋子ちゃんの気遣いを無駄にしないためにも。

 航さんも立ち上がり、拍手した。

「よく言った翔平」

 五つの拍手が、二人を祝福する。

 拍手が鳴りやむと、航さんは洋子ちゃんの方に体を向けた。私からは背中しか見えないが、戸惑う洋子ちゃんの表情から察するに、どうやら真剣に見つめている様子だ。

 思わずといった態で、ゆるふわパーマを揺らしながら洋子ちゃんも立ち上がる。

「な、なに航さ――」

「洋子。君が好きだ。俺とつき合ってくれ」

「…………はい。私なんかでよければ」

 おやおやおやおや。ほぼ即答じゃないか。早速拍手、と。

 あれ。気付くと、私以外は誰も拍手していない。

 何かあたりさわりのない音楽でもかけようとカウンターに戻りかけ、そんな気の利いた物は置いていないことを思い出した。やり場のない手を後頭部に回して頭をかく他はない。

 やがて、いつもは控えめな志帆ちゃんが呆れ声で呟いた。

「なにこの連鎖反応」

 志帆ちゃんに続き、亮太くんも呟く。

「ホントになんなんだ。志帆は知ってたのか、航兄貴と片桐のこと」

「うすうすだけどね。でもまさかお兄ちゃんの方から告白するとは思わなかったよ。洋子は僕と同じ歳なんだぞ、このロリコンめ」

 棘のある言葉も、祝福の視線に中和されて航さんと洋子ちゃんに届く。

 結局、収まるところに収まったということか。青春だねえ。……こんな状況、私には経験がないけれども。

 航さんが大きめの声を張り上げ、場の空気を入れ換える。

「ほらほら、立ってないで座ろうぜ。翔平何してる、席替え席替え」

「あ、お兄ちゃん逃げた」

 若者がにぎやかなのは自然だ。私は手を二回叩き、

「今日は飲み物もサービスするよ」

 一斉に歓声があがる。

「あたしいつもの!」

「俺も!」

 常連さんのドリンクと、航さんと私のビール、そしてつまみ。

 それらを持ってテーブルに戻ると、六つのまぶしい笑顔が私を待っていた。

「すまんね洋子ちゃん。航さんはアダルトチームだから、今日は少しお借りするよ」

「あたし、お酌します」

「あ、洋子ずるい。あたしも」

「おいおい理緒、翔平放っとくのか」

「翔平はいいの、食べ物さえあれば」

「もしもし理緒さん?」

「ちょっと気の毒」

「翔平なら平気さ。鈍いから」

「何だと亮太。運動音痴のくせに」

「それを言うか……」

「初めて見たわ。翔平が秋山に反撃してるとこ」

 乾杯する航さんと私を取り巻く、朗らかな五枚花弁。

 笑顔のあふれる喫茶店ラージヒル。私の理想とした空間が、ここにある。



  【完】

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ラージヒルの逆三角形 仁井暦 晴人 @kstation2

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