第22話

 すまない、許してくれ。


 それが、事務の先生の口から出た最初の言葉だった。


「……え?」


 ブタさんを苛めた女子生徒たちと彼女たちの嘘を一切の疑問も持たずに信じた担任の先生が校長室に連れられた後、残された私は事務の先生に連れられ、彼の部屋へと向かった。接客用のふかふかのソファーの上に座らせてもらった私に向けて、先生――事務の先生――は、いきなり大きく頭を下げて謝ってきたのである。

 あまりにいきなりの事で私のほうが困惑してしまったが、先生から話を聞いていく中で、少しづつその言葉の意味が分かってきた。女子生徒の嘘に騙され続けた担任の先生同様、事務の先生も今までずっと私が『ブタ子』と呼ばれ、酷い仕打ちをされていることに気づいていなかったのだという。私がたった一人で飼育小屋の当番を担当していた時も、それほど動物たちのことが好きなのか、と好意的に捉えてしまっていたのだ。


 初めて事務の先生の部屋に入ったとき、いつも動物を大事にしてくれてとてもありがたい、と褒められたのを覚えている。その言葉もまた、事務の先生の言葉を当てはめてみれば、裏で何が起こっているかわからず呑気に言ってしまった言葉、なのかもしれない。


「……まさか君が、あのような事になっていたとはね……もっと早く気づくべきだったよ」

「い、いえ……私は……!」


 いじめられ続けた癒しとして私が動物たちに優しくしていたのではないかと事務の先生は考えているに違いない、と思った私は慌てて先生の言葉を否定しようとした。私の夢は、大学に進んで教授になり、もっとたくさんの動物や生き物の不思議と向き合う事だ。飼育小屋の動物、そしてブタさんは癒しの『道具』じゃない、大事な仲間だ、と。

 でも、その心配は杞憂だった。先生はしっかりと、私に対する動物たちの行動も覚えていたのだ。


「だいたいの生徒は飼育小屋の仕事を面倒がって、つい乱暴に扱ってしまう。動物たちもそれを分かっているのかな、他人行儀だったり、警戒してしまう感じなんだ」

「そうなんですか……」

「でも、中にはちゃんと動物たちに愛情を持って接する生徒もいる。そういう人たちに対しては、動物たちもしっかりその恩を返すって訳、かな」


 それこそが、君だ。先生はしっかりと私を見つめた上で言った。その一言で、緊張や困惑で包まれていた私の心が癒されていくような気がした。


 そして先生は付け加えた。しっかりと動物たちに愛情を込め、大事に扱っているからこそ、仲間を守るためにブタは立ち上がったのではないか、と。あの時、女子生徒がブタさんに暴力を振るい、それを止めに入った私にも危害を及ぼそうとした時にブタさんからの逆襲に遭い、ボロボロになって逃げ出した一部始終を、事務の先生は物陰からしっかりと見ていたのである。

 全く気がつかなかったけれど、嫌な予感に駆られて廊下を全速力で走りぬけたとき、すれ違いざまに事務の先生は私に一体何があったのかと声をかけてきた。答える余裕なんて一切無かった私はそのまま無視していってしまったけど、明らかに何かがおかしいと察知した先生は、そのまま私が走り続ける方向にある建物、飼育小屋へと向かったという。


「そ、それで先生は……」

「私も、あれほど動物を乱暴に扱う生徒は見たことが無かったよ。だから急いで止めようとしたんだ。そしたら……」


 先生が動くよりも先に、凄まじい怒鳴り声を上げながらブタさんが立ち上がった、と言う訳である。

 その後、女子生徒が散々な目に遭わされ、教室のほうに逃げたのを見て、事務の先生は彼女たちが何をしようとしているのかを予想していた。あそこまで『ブタ子』やブタを目の敵にしていたとなれば、きっと彼女たちはブタより権力の強い存在、担任の先生を当てにするだろう、と。そして確実に彼女たちは嘘を告げ、先生を味方につけてしまうに違いない、と。


 そこから、事務の先生の言葉は少しづつ愚痴へと変わり始めた。どうやら、私のクラスの担任の先生は前から教師側からの評判がイマイチだったようで、生徒の成績が悪いとすぐに担当の別の先生にネチネチと文句を言ったり、学校の会議にいつも遅刻していたと言う。

 ただ、事務の先生の愚痴が正しかったにしても、私はそれらの言葉を少々複雑な心持ちで感じてしまっていた。


「いつかは何かやらかすと思って……あぁ、すまない。言い過ぎてしまったかな」


 事務の先生が再び謝ってしまったのは、多分私の感情がそのまま顔に表れてしまったからだろう。


 確かにあの担任もずっと私に対して無関心だったし、それこそ事務の先生よりも遥かに事務的なことしかせず、女子生徒の言葉を信じ切った挙句に私の事を前から信用していなかった、と言う意味の言葉まで口に出していた。だけど、それでも私は担任に恨み辛みを持ちたくは無かった。ああ言われたとしても、『先生』なのには変わらない、と言う事実が、私の心の中に残っていたからだろう。

 でも事務の先生は、そんな私の態度を褒めてくれた。自分に負けた『敗者』の事をしっかりと認めている、それが真の『勝者』だ、と。正直あまりこういう場には合わないし、いまいち意図を読み取ることが出来なかった私だけれど、今振り返ると確かに校長先生や教頭先生に全てのことが明るみになった時点で、担任や女子生徒は『敗者』になっていたのかもしれない。とは言え、私はあまり勝ち負けで判断したくは無いけれど。


「そういえば……どうして先生は、校長先生や教頭先生を呼べたんですか……?」

「いやー、あの2人は昔からの幼馴染でねー♪」

「え……!?」


 私にとっては意外な事実だった。どうやら事務の先生は学生時代に校長先生や教頭先生とずっと同じクラスだったようで、当時からの腐れ縁だったそうである。だから、先生の話を聞いてすぐさま駆けつけることが出来たのだ。

 今の校長先生に溜まっていた宿題を見せてもらったら間違いまで写してしまい大目玉を食らった、ホワイトデーに教頭先生から貰ったチョコがやたら甘かった、などなど、事務の先生は昔の事を冗談交じりで語り始めた。


 少し羨ましいと思いながら、私は一つの予感を抱き始めた。事務の先生が醸し出す雰囲気を、私は別の場所でも感じ続けていたからだ。いつも明るく、だけどしっかりとした言葉で私の夢を応援してくれて、困った時や苦しい時にはしっかりと励ましてくれる、そんな人を私は先生とは別に知っていた。

 とは言え、先生とは顔も背丈も違うし、何よりいきなり人間が若返って現れるなんて聞いた事も無いし、科学的にもあり得ない話だ。それでも、私は意を決して尋ねた。


「せ、先生……」

「ん、どしたの?」

「い、いつも図書館に行ってませんでしたか……!?ベンチに座って、それで……」


 結果は、大外れだった。


 何のことかな、君は頻繁に図書館に行っているのかな。そんな事を言いながら首をかしげて不思議がる先生を見た途端、私の顔の温度は一気に上昇してしまった。当然だろう、住んでいる場所も電話番号も、そして名前すら分からない『イケメンさん』の正体が先生ではないかと勘違いしてしまっただけではなく、そのイケメンさんとの様子の一部もうっかりばらしてしまったからだ。ただ幸いにも先生からそれ以上詳細を問われることは無かった。やっぱり人間がいきなり別人の姿になって私の前に現れる、なんてあり得ない話だ、と私は心の中で結論付けていた。


 それならば、イケメンさんは一体何者なのだろうか。私の心の中には、結局疑問が残ったままだった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 先生に別れを告げ、家に帰ってきた私を待っていたのは、あの時の私以上に大粒の涙を流していたお母さんと、その傍で鼻をすするお父さんだった。二人もまた、ずっとこういう事になっていたのに気がつかなくて申し訳ない、と謝り続けていた。

 あの後、女子生徒たちは校長先生や教頭先生の前で洗いざらい私にしてきたことを白状させられた。今までに行った様々な苛めの内容は何もかも学校のトップに知れ渡る格好になったと言う。その時の様子は、長い間ずっと『ブタ子』に強いてきたものと同様、女子生徒たちは一切の反論が出来ない状況だったらしい。そして、彼女たちと一緒に担任もまた、生徒の苛めを見抜けなかったどころか、さらにそれに加担した事を咎められたと言う。


「ねえ、本当に大丈夫なの?」


 ずっと私がそれらの事柄を打ち明けられなかった理由も、全て校長先生からの電話でお父さんやお母さんに伝えられていた。だからこそ、お母さんは私が学校に行くことができるかどうか心配になったのだろう。でも、私ははっきりと心配は要らない、と告げた。


「お母さんの言うとおりかもしれないけれど……私はそれでも学校に行きたい」


 学校に行って、大好きな動物たちと触れあい、面白い本を読み、そして新しい知識をたくさん手に入れたい。私にとって、学校は決して嫌な場所ではなかった。夢を応援してくれる人たちが待っている場所だったから。

 それを聞いて、お母さん、そしてお父さんも納得してくれた。ずっと長い間苛めに耐え続け、その中でテストの高得点をとったのだから、きっと大丈夫だろう。ずいぶんなド根性だな、とお父さんは冗談をかましていた一方、お母さんはそんな私にはっきりと言った。もしこれから困った事があれば、自分たちにもしっかりと相談して欲しい、と。


「……うん、ありがとう」


 家族全員の涙も収まり、ようやく激動の金曜日は終わりを迎えた。



 この日を最後に、私は『ブタ子』と呼ばれることが無くなった。

 同時に、あの時の青ざめた表情が、女子生徒や先生を最後に見た姿となった……。

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