第5章 イケメンさんとの平和

第23話

 久しぶり、待ってたぜ。


 今日もイケメンさんは、爽やかな笑顔と格好いい服、そして綺麗な声で、図書館を訪れた私の前にやって来た。休日に図書館を訪れ、本を借りる傍らこうやってイケメンさんと会い、様々な会話をするというのも完全に私の日課になっていた。


「今日はこういう本を借りたんです」

「ほー……ってうわ、タイトルだけで訳が分からねぇな……」


 表紙を見ただけでイケメンさんがそういう顔をしてしまったのは仕方ないかもしれない。テストも終わり、いつもの学校生活が戻ってきた中で、私も普段どおりに図書館から大好きな生き物の本を借りるようになっていたのだから。特にイケメンさんに見せたのは、大学の教授たちが集まって執筆し、かなり難しい文章が延々と書かれている本だ。色々と専門的な知識や用語を頭の中に組み込んでおかないとすらすら読むのは大変かもしれない。

 でも、私にとってその本に書かれてある内容は、まるでアイドルの写真がある雑誌のような憧れすら感じるほどだった。よく分からない所もまだ多いけれど、いつか私も大学に入って色々な研究をして、このような本を書く教授の一員になる、と言う夢があったからだ。とは言え、もう少し分かりやすい言葉を使ったほうが、イケメンさんのような人たちでも楽しめるようになるのかな、とも思ってもいた。


 そんな私の借りてきた難しい本から話題は始まり、最近の複雑な海外の情勢からテレビの俳優まで、色々な内容が私とイケメンさんの間で交わされた。私の出した意見や言葉をイケメンさんが大きく膨らまし、さらに面白くしてくれるので、時が経つのも忘れてしまうほど、楽しい時間を過ごすことができた。


 そんな中、ふとイケメンさんが私に尋ねた。


「……思ったんだけどさー、何か良い事でもあったのか?」

「あ、そうですね……この前のテストもありますし……」

「そっか、それもそうだよなー」


 そして、イケメンさんは告げた。

 以前よりも『私』がどこか明るく、そして積極的に話を弾ませようとしている。まるで何かが吹っ切れたようだ、と。


 色々ありまして、と私はつい誤魔化してしまったが、心の中ではイケメンさんの言葉に驚き、そして感服していた。本当は喜んではいけない事かもしれないし、他の人たちから見ると少々不謹慎かもしれない。でも、確実に私の前に立ちはだかっていた大きな壁は、あの日――女子生徒と『元』・担任の先生が校長室に呼ばれた日――に、全て取っ払われたのだ。


 そして、その事を思い出し始めた私の心は、また少しづつ縮こまり始めていた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 私を含め、同じクラスの生徒たちが、担任の先生に何かが起きたことを知ったのは、休日を挟んだ月曜日のホームルームだった。普段なら担任の先生がやってきて、事務的なことを告げた後に去っていくはずだったのだが、その時に教室にやってきたのは、担当するクラスを持たない別の先生だった。


「あの先生、ちょっと休業する事になってな……」


 担任の先生はどうしたのか、と言う質問に返ってきた答えに、私たちは驚いた。体調不良だと説明し、クラスの皆も一応は納得している様子だったが、私はそれが真実ではないという事を察していた。

 あの時、女子生徒の話を全て信じ、私が苛められていた事に対して無視を貫き通そうとしていた担任の先生は、教室の中に飛び込んできた事務の先生、彼と共にやって来た校長先生や教頭先生によって全ての行いがばらされ、そのまま校長室に連れられていった。その後に何があったのかは私には分からなかったが、今回の『休業』と無関係ではない、と言うのは薄々だが感じていた。


 そして、同じ事があの女子生徒たちにも起きていた。


 担任の先生がしばらく休業する事が告げられたその日以降、ある意味いつも賑やかだった女子生徒たちの椅子には、誰も座らなくなっていた。代理の先生からは彼女たちも体調不良だ、と告げられたが、以前の風邪をこじらせたときのような具体的な症状は明かされなかった。

 当然、休憩時間のたびにクラスの皆は不可解な休業や欠席を話題にした。一体何が起こったのだろうか、何か悪いことでもしたんじゃないか、色々な噂が飛び交う中で、私はとても不安な気持ちを抱えていた。こういう風に噂をされる度に、いつも私は女子生徒から『ブタ子』と呼ばれては悪口を言われ、何もかもが私のせいだと押し付けてきたのだ。無視しようと必死に目を瞑ったり本に集中しようとする私を囲み、いつも女子生徒は笑っていた。そんな彼女たちがいないこの場所でも、同じ事をされるのではないか、と言う恐怖が、私の心を包もうとしていた。


 でも、それは杞憂だった。


「ねえ、何か知ってる?」


 クラスメイトに突然尋ねられて驚いた私は、慌てて知らない、知らない、と連呼してしまった。でも、クラスメイトたちは私の挙動を笑わず、ごめん、と返した後に知る訳ないよね、と私に告げた。あいつらはいつも夜まで街で遊んでいた、きっとその時に連れ去られたのではないか、と再びクラスメイトたちは噂話に興じ始めた。

 ほんの僅かなやり取りに過ぎなかったけれど、クラスの皆は私を会話の中に入れてくれた。何の抵抗感も悪意も無いかのように、自然に質問を投げかけてくれたのだ。大きな嵐が過ぎ去り、雲の切れ間から太陽が覗いたような気がした。



 それから数日経っても、私のクラスに担任の先生や女子生徒は戻ってこなかった。クラスを包む疑心は収まらず、一体どうしたんだろう、と私の隣の席のクラスメイトは時々私に尋ねてきた。不審者の情報も最近全然なくなっている、何か関係しているのではないか、と言う推理をするクラスメイトもいた。言われてみれば、あの金曜日まで毎日のように連絡があった白装束の不審な男の話が無くなっていた。



 色々な憶測が流れる中、一週間の授業が終わりを迎える金曜日になり、私は普段どおり学校にやって来た。


「おはよう」

「あ、おはよう」


 クラスメイトから挨拶をされる事にも次第に慣れて来た。他の皆にとっては当たり前のことだったのかもしれないけれど、私にとってもようやくそれが当たり前になってきた。その後に続く言葉のやり取りもまた同じであった。昨日はどういう感じだったのか、宿題のプリントは終わらせたのか、他愛もないけれど、先週まではずっと非日常だった事が、次々と私の日常に生まれ変わっていった。 

 また宿題を忘れてしまった、と近くの席のクラスメイトが言ったその時、突然校内放送が聞こえてきた。教頭先生の声で、朝のホームルームの代わりに、校庭で臨時の集会がある、と連絡が入ったのである。一体なんだろうか、とつい言葉が出た私に、もしかしたら先生やあの女子生徒のことじゃないか、とクラスメイトはごく自然に返事を投げかけてきた。


 そして、そのクラスメイトの言葉は正しかった。


 全校生徒を前に、校長先生が、私たちのクラスの担任の先生が、急遽別の学校へ転任することになった、と告げたのである。それと同時に、一部の生徒が『転校』のため、この学校を去ることになった事も、先生の口から生徒全員に伝えられた……。

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