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 朝食後、朝の診察、投薬が終われば、昼食までは誰も来ない。この数日で、それはほぼ確かだった。

 ルークは昼食後の空き時間に訪れるし、ウルドは朝に弱いので、午前中にくる可能性は低い。抜け出すならば、この時間しかなかった。

 いつも通り処置を終えた担当者が決まり文句のように「絶対安静」を唱えて部屋を出ていく。しばらく、部屋の外に耳を澄まし、様子をうかがっていたキルリアだったが、部屋の外側から人の気配が消えると、そそくさとベッドから這い出した。

 抜け出すための変装用ローブは、なんとか手に入れることができた。それを隠していたベッドの下から引っ張り出し、寝間着の上から着て、フードを被る。こうすれば、この青く目立つ髪を隠すことができる。また、下位の魔術師用のローブなので、王宮内でも、外でも目立つことはない。

 準備のできたキルリアが扉に向かおうとした時。不意に扉の外に人が立つ気配を感じた。

 ルークでもウルドでもない、医者のようでもない。しかし、キルリアが訝しむ間もなく、その人は扉をたたいた。

 キルリアは慌ててローブを脱ぎ、丸めてベッドに隠し、自分もベッドに潜り込み、上体を起こしたまま、息をつく。そして、内心動揺しながらも、そんな様子はおくびにも出さず、入室の許可を出す。

「……どうぞ」

 入ってきたのは、見知らぬ術者。先ほどキルリアが着ていた下位の魔術師用ローブを着て、そのフードを被っていたその人は、何も言わず、部屋にはいると扉を閉めた。

 その様子を訝しげに見ていたキルリアは、その人がこちらに歩き出した瞬間、目を見張り、息を呑んだ。しかし、その人物は構わず、ベッドの側に立つとそっとそのフードを外した。

「……国王、陛下」

 唖然と呟くキルリアに、その人は少し考えるように口元に手を当てる。

「うむ、私でも、こうも簡単に抜け出せるなら、城の警備をもう少し考えねばならぬな」

「何故……」

「ああ、そろそろ抜け出そうとする頃かと思ってな」

「……」

 見抜かれていたことも驚きだったが、それ以上に『国王』の登場に驚いたキルリアは、唖然とその人を見上げていた。そんなキルリアに、国王は優しく笑いかけると、そっとキルリアの頭に手をやった。

「大きくなったな、リリュート」

 優しい声に、キルリアははっとして、国王を見上げる。優しい瞳がキルリアを映している。

 その手の温もりも、優しい瞳も、懐かしい。全てを許されて、過去に戻ったかの様な錯覚すら起こす。

「……伯父様」

 口をついた言葉に、キルリア自身も驚いた。そう呼んでいたのはずっとずっと昔のこと。記憶すら薄れる遥か昔。それでも、自然とそう口をついてでた。

「辛い思いをさせて、すまなかったな」

 そう言って、優しい大きな手が、キルリアを抱きしめる。込み上げてくるその思いに、キルリアは耐え切れず、嗚咽をこぼした。涙があふれて、止めようと思うのに、止まらない。そんな押し殺すように泣くキルリアの頭を優しく撫で、抱きしめる。

 しばらく、キルリアのすすり泣く声だけがその部屋に響いていたが、やがて、国王はキルリアの背をなでながら、静かに言った。

「ルークから聞いた。何故、出ていこうとする?」

 その言葉に、はっと気づいたキルリアは身を固くする。その様子を感じた国王は、ゆっくりとキルリアを離し、その顔の高さに視線を合わせ、幼い子供にするように聞いた。

「私たちが信用できないからかい?」

 まっすぐに見つめてくる国王の瞳に、キルリアは気まずくなって、そっと瞳を伏せる。

「そういうわけでは……」

「では、何故だい?」

 言いあぐねるキルリアに、国王はそう問うと、その答えを待つようにじっとキルリアを見つめていた。言い逃れようにも、逃れられず。キルリアは口をつぐんでいたが、じっと待ち続ける国王に、やがて、静かに口を開いた。

「……もう、遅いのです」

「何が、遅いんだい?」

「私は、もう……」

 ポタポタと、俯いたキルリアの瞳から雫がこぼれ落ちる。嗚咽を堪えるように唇を噛み締めるキルリアに、国王は眉を寄せた。

 幼い彼女がこれほどまでに思いつめるその理由は、わからない。それでも、これ以上、国王には彼女を苦しめる事はできない。

「……私たちにも言えないことなのかい?」

 できるだけ優しく問う国王に、キルリアはフルフルと首を横に振る。

「私は、伯父様を、従兄様たちを、傷付けたくないんです」

「分かっているよ、リリュート」

「でも! このままでは、私は……」

 縋るように国王の腕を掴んだキルリアは、国王を見上げて訴える。

「私を、どこか遠くへやってください。理由は何でも良い。いくらでも罪は被ります。だから、どうか……」

「……それはできない」

「陛下!」

 国王の言葉に、思わず声を大きくするキルリアは、国王の瞳を見て言葉を飲んだ。その静かな瞳の奥には、冷静さに隠れた激しい感情が微かにのぞいている。思えば、国王自身、弟夫婦を魔王に殺されているのだ。その思いに恨みが込められていたとしても、不思議ではない。

 国王は静かに言う。

「それだけは、リリュートの願いでも聞けない。私はおまえが帰ってきたからには、もう手放さないと弟たちに誓った」

「しかし……」

 国王の思いもわかる。それでも、キルリアは納得できない。自身に魔王が施した術は、キルリアの意志でどうなるものではないのだ。

「大丈夫だ。なんならウルドをお前に付けてやってもいい。あれも、仮にもライトリアだ。多少は役に立つだろう」

「……それでは、何の解決にもなりません。私は魔王の使い魔となってしまう」

 そう答えるキルリアに、国王は優しく笑いかけた。

「大丈夫。お前は私たちの“光”なのだから」

「……」

 “光”という言葉に、キルリアは返す言葉失った。それは、あの日、〈光〉と名乗った少女を思い出させたからだ。“光”は必ずしも正しいとは限らない。“光”が毒となることもある。そう、国王に返すべきだ、とわかってはいた。しかし、キルリアには返せなかった。

 それは、光を信じる彼らにわかってもらえることではないから。闇がそれこそを真とするように、彼らには光こそが真なのだから。どちらの世界も知るキルリアにしてみれば、どちらも同じだ。

 ただ、彼らにそれを納得させている時間はない。

「私たちはリリュートの味方だ。これ以上ひとりで苦しませはしない」

「伯父様……」

 国王の言葉に優しさを感じて、キルリアは思わずそう呼ぶ。その声に、国王は微笑み、キルリアの頭を幼い子にするように撫でて言う。

「どこかに行きたいのならば、まずは体調を完全にしなさい。それでも、出て行きたい、と言うのなら考えても良い」

「……」

 それでは遅い、とは、キルリアには何故か言えなかった。

「とにかく、今は休みなさい」

「……はい」

 仕方なくそう頷いたキルリアに、もう一度、国王は微笑みかけた。

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