第1話 非合法組織

10月21日 東京都千代田区


 秘匿組織である「F」の本部は防衛省のある市ヶ谷と、警察庁、警視庁のある桜田門のちょうど中間点に存在する。


 一見すればただのビルなのだが、その五階、六階フロアがすべてFの本部になっている。不動産登記でもそこが警察庁と防衛省の秘匿組織の本部だということにはたどりつけない。そしてここがFの本部だということを知っている者は総理大臣と一部閣僚。防衛省の幹部。警察庁の幹部に限られる。


 警視庁公安部の非合法組織であるゼロはFの存在に気づいているという話もあるが、自らも秘匿組織であることで、交流は無い。岬竜二の件もFの存在を大きく見ている警察庁が警視庁公安部、そしてゼロに圧力をかけたという話だった。



 高良はスーツの下に着けていたホルスターを外し、そのホルスターに仕舞っていたベレッタ90twoを机の上に置く。その自動拳銃は彼らの身を守るための盾であり、同時に非合法な手段で対象を消すための剣でもあった。まだ引き金を引いたことは無いが、それも時間の問題かもしれないと高良は思った。


 「見てみろよ、速報でやってるぜ」


 浦部も同じようにベレッタを机に置き、局員たちが見ていた壁掛けのテレビを見た。


 『さきほど午後8時頃、各国の大使館が立ち並ぶ港区で爆発がありました。詳しいことはわかっていませんがカフェの一階が激しく破壊されている情報があり、警察は事件、事故両方の線で捜査を進めています。死傷者については…』


 「呑気なもんだ…」


 浦部は悔しそうな顔をテレビに向ける。高良も気持ちは同じであった。


 戦後の日本はまさにこういった事件に疎い。これまでも事故として処理された事件が何件あったことか。

 自分たちの近くで事件が起こるなんてことは微塵も考えていない。だが、そうして日本人が危機管理に甘くなることが、自分たちの使命であることも二人は良くわかっていた。Fやゼロが表だって活動しなければならない事態というのは、まさに国家の危機がそこまで迫っている時だからだ。


 だからこそこの日本という国が平和ボケと呼ばれるほどに平和であり、この極東の海に何年間もただ浮いていられるのは彼ら裏の人間によるものだと言っても過言ではない。


 「ただ今回だけは…荒れるかもしれんな」


 こういったときの浦部の予想は大抵外れる。何年間か相棒を務めてきた高良はなんとなくそんな願いにも似た感情を抱いていた。


 「岬を殺そうとしたんですかね、それともテロですか」


 「それはわからんな、岬に俺達とゼロが目を付けたということが漏れていなければ後者だが、漏れているとすれば奴が消された可能性が高い」


 岬は各所で危ない組織とのつながりが予想された。Fとゼロが彼に目をつけたということが露見すれば、組織の内情を暴露されると不安になったどこかの組織が岬を消そうとしてもおかしくはない。


 爆破にセムテックス爆薬が使用された形跡を考えれば、それが事故ではないことは確実で、「テロに岬が巻き込まれた」可能性と「テロで岬を消そうとした」可能性が残る。だが、テロが起きたにしてはタイミングが良すぎる。しかもゼロ、ましてやFという組織がテロの兆候を見逃しているとは考えられない。


 「岬を消すためにって考えた方が無難だろうな」


 「奴一人を消すためになんでセムテックスなんて…」


 対象、つまり岬一人を消そうと思えば他にどんな手を使っても良いはずだった。爆破、しかもセムテックスという日本では手に入りにくい高性能爆薬を使って、目立ちやすいあの場所で爆発を起こす必要はない。

 今考えているような組織が岬を消したとすれば、銃を使ってもいい。銃は銃でそれなりにリスクはあるが、それでもセムテックスのようなものを使うよりは目立たない。だからこうして爆薬を使って抹殺するということは岬を消す以外にも何らかの意図があると考えるべきだった。


 「だが爆薬を使ったことで経路がわかるかもしれん。奴を消した組織が判明すればどうして奴が消されたかがわかる。消すには消すなりに理由があるはずだ」


 浦部は安いコーヒーを口に運び、またテレビに視線を戻した。



 



 「F」には部門が二つある。対象を尾行するなどして情報を集め、最少行動人数二人で捜査にあたる私服部隊。そして自衛隊、警察から選抜された局員で構成された実行部隊。実行部隊は簡単に言えば戦闘部隊であり、近年発生している海外での人質事件なども彼らの守備範囲だった。

 本来、日本は海外に軍隊を送らない。PKOやその他支援活動であれば別だが、基本的に自衛隊の行動は制限され、ましてや警察では手出しできない。そうなるとFの実行部隊にお呼びがかかり、遅くとも24時間以内にはその現場に駆けつけることができる。


 「F」の設立は今の日本国首相である安達和正あだちかずまさの影響が大きい。多少右寄りな思想だと批判はあるが、堅実で行動力のあるその姿勢は昭和の時代の政治家を思い出すと言われ、支持率も60%を切ることがない。

 そんな安達が首相になった7年前、Fは設立された。


 当初は防衛省の情報本部の肝いりで、局も防衛省の中に作られるはすだった。だがそこに警察、つまりは公安の干渉があった。公安はFが「危険分子の巣窟」になることを恐れ、防衛省は「自由な非合法組織運営」が出来ないことを危惧した。


 そこで。と考えられたのが防衛省、警察共同でのFの運営だった。ゼロという非合法組織を持っている警察はFという同じく非合法組織の誕生を否定的な目で見ていたが、ゼロがある問題を起こしたことでその価値観は崩れてしまう。


 『ゼロに居た公安警察官による機密情報漏えい』である。


 それが本来手に入るはずのない防衛省の防衛機密だったことから、ゼロの面目は潰れ、警察庁の上、総務省もゼロの解体を考えるほどの事件だった。その後防衛省がFの実権を掌握し、元は防衛省の官僚であった安達首相の就任とともに、どこにも属さない非合法組織としてFは始まった。


 局員は基本的に防衛省から選出された。今の局長、山本啓次郎やまもとけいじろうも元は陸上自衛隊の習志野第一空挺に居た人間で、高良、浦部も元は陸上自衛隊の特殊作戦群出身だった。だからこそ、どこにも属さず、というその非合法組織はほとんど防衛省の管轄下にあると言っても過言ではなく。そして警察庁もゼロが政府の信用を失った今、非合法組織として頼るのはFしか無かった。




 『それでは現場の長谷川さん、状況を教えてください』


 『はい、こちらは港区の爆発現場から、えー、百メートルほど離れた場所ですが辺りには何かが焦げたような匂いと、ガスのような、えー何か鼻につく匂いが漂っております。先ほど入った警察の発表では…』


 「早いな、もう工作が入ったのか」


 「工作」とは私服部隊の中で、現場の処理や簡単に言って後片付けを担当する局員のことだった。


 「仕事が早くて関心しますよ、工作には」


 高良はおそらく、工作が現場に入り、その事件があくまで事故として処理されるように仕向けたのがわかった。それが基本の行動だったからだ。


 「工作が仕事したんだ。俺達も行くぞ」


 「どこにですか?」


 「とりあえず岬と接触のあった『翼羽教よくうきょう』から攻める」


 翼羽教はかなり偏った思想の宗教団体だった。元は翼羽教よりも大きな宗教団体の単なる派閥でしかなかったのだが、その宗教団体の会長が死んだことで、後継者争いに敗れた翼羽教は独立。そこからかなり左寄りな思想を掲げてはいるものの、勢力としてはかなり小規模だ。今、セムテックス爆薬を使ったテロなど起こす体力は無いだろうと思われた。


 「局長待った方がいいんじゃないですか?」


 「バカ、ゼロだって翼羽教には目をつけてる。翼羽教は腐ってるが爆薬なんて大それたことはしない。問題はその翼羽教だって狙われる標的かもしれんということだ」


 ゼロは「防衛機密の流出」の挽回をしようと躍起になるだろう。彼らにとってもこの事件はいい機会だ。しかも、もし、岬が翼羽教に何らかの理由で肩入れしていたとして、それを理由に消されたとしたら、次は翼羽教が狙われる可能性があった。


 「いつもこうなんだから」


 高良はすこしうんざりした様子でまたホルスターをスーツの中に装着する。ホルスターの中に仕舞ったベレッタの予備弾倉が五個、そこにあることを確認してからベレッタ90をホルスターに装備した。


 浦部も同じようにベレッタ90をスーツの中に忍ばせると、くたびれた茶色いコートを取る。


 「まったく、浦部さんと居ると退屈しませんね」


 「知ってたか?退屈ってのが一番身体に悪いんだ。人間はやっぱり動いてないとな」


 「この激務で良くそんなことが言えますよ。あーあ、今日も労働時間15時間超えました」


 時刻はもう夜の10時を回っていた。


 「非合法だからな、俺達が法を守らない代わりに、法も俺達を守っちゃくれない。自分の身は自分で守れ」


 「守るったってベレッタじゃ労働時間は減らせませんよ」


 いつものようにくだらないやり取りをしながら、高良と浦部はビルを出る。ビルから身体を丸めて出ていく二人の姿は、残業を終えたサラリーマンの姿にしか見えないのだった。



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