二〇三九年七月二十八日 〇五時一〇分

沖縄県島尻郡座間味村阿嘉



 マレスの寝相は最悪だった。

 夜中に投げだされた腕に顔を殴られ、暴れる脚に何度腹を蹴られたか判らない。よっぽど下に蹴り落としてやろうかと思ったが、辛うじてそれだけは思いとどまった。

 それでも不思議なことに朝にはマレスは俺の隣でまっすぐと安らかに眠っていた。

 5時にアラームが鳴ったがマレスは目覚めなかった。

 不愉快そうに頭上に手を伸ばし、勝手に俺のスマートフォンのアラームを止める。市ヶ谷地区の起床ラッパだ。

「起きるぞ、マレス?」

 俺は起き上がるとマレスに声を掛けた。

「うー、あ、あと五分」

「俺は走りに行くが、一緒に来るか?」

「行かない。……行ってらっしゃーい」

 くるまったタオルケットの中から手だけを出してもごもごと答える。

「判った。帰ってくるまでには起きてろよ」

「ふあーい。朝ごはん作っておきますね」


 阿嘉島は小さな島だ。一周十二.三キロ。途中アップダウンがあるが、それにしても一周走るのに大した時間はかからない。

 汗でドロドロになってしまったシャツを洗濯機に投げ込み、浴場で頭から真水を浴びる。

 水道の水は東京の水に比べるとかなり生暖かった。それでも火照った肌には心地よい。

 驚いたことに、マレスはちゃんとした朝食を用意して待っていた。

 半熟の目玉焼きを二個ずつ、炒めたソーセージとキャベツ、バタートースト二枚ずつ。

 タコさんソーセージは切込みが深すぎて一部カニさんソーセージになっていたが味には影響なかろう。俺が作ったらもっと酷いことになっていたかも知れない。

「マレスでも飯作れるんだな」

「えー、なにそれ」

 マレスが頬を膨らませる。

「ほら、いつもはホークが作ってるんだろう? 料理なんて知らないのかと思ってた」

「まだ家族が生きていたころはわたしが朝ごはん係だったから、これくらいは楽勝です」

 花柄のエプロン姿のマレスが胸を張る。

「そのエプロン、どうしたんだ?」

 俺はマレスに訊ねた。そんなものがセーフハウスに置いてあるとはとても思えない。

「どうしたって、持ってきたんですよ?」

「家からか?」

「うん。セーフハウスだったら自炊することもあるかと思って」

「任務にエプロンって……変な奴だなあ」

「変って、なんかひどーい。し、新婚さんに見えないかなって思って頑張ったのに」

 マレスが頬を膨らませる。

「馬鹿言うな、作戦行動中だぞ」

「それはそうなんですけどお」

「ま、とにかく頂こうか」

 小さな食卓に向かい合わせに座り、二人で朝食に向かう。塩加減も適度でとても美味い。

「美味いな、マレス」

「でしょでしょ?」

 マレスが満面の笑みを浮かべる。

 二人でゆったりと朝食を片付けると、俺は居間のターミナルを開けた。

――おはようございます。和彦

 さっそくクレアが画面に現れる。今日は濃紺のスーツだ。つくづくスーツが好きらしい。

――朝のやり取りを上から聞いていましたが、和彦、確かに『新婚さん』設定は偽装としては完璧です。いっそ今後はその線で押してみてはどうでしょう?

 画面の中でクレアが笑みを浮かべる。

「やた!」

 我が意を得たりとばかりにマレスが身を乗り出す。

 キャッキャウフフしながら黄昏の浜辺をマレスと二人で走れってか?

「馬鹿を言うな。それよりどうだ、外の様子は」

 昨日とは打って変わってクレアの表情が明るい。何か良い進展があったようだ。

――新婚云々の細かい設定は置いておくにしても

 とクレアが画面にリストを表示させる。

――いろいろと判りましたよ。まず、例の数が合わない件ですが、これは原因が判りました。探査対象範囲を広げた結果判ったんです。瀋陽軍が入り込んでいます。合計三十一人、一個小隊です。これで概ね数が合いました」

「瀋陽軍? 米国と殺りあってるイケイケの連中じゃないか。なんでそんなのがこんな僻地に来てるんだ?」

――おそらくM6強奪のためです。M6の技術が欲しいんだと思います。コピーしたいんじゃないですか?

「そりゃ、ちと困るな。迷惑だ」

――ともあれ、この件に関しては後で宮崎課長からお話があるそうです。それからもう一つ。マレスの昨日の質問の答えも判りましたよ

「昨日の質問?」

 と、マレス。

――ほら、帰るべき基地がないサイボ―グがバーサークした場合、いったいどこに帰るのだろうって話です

 クレアは椅子の上のホロ・スフィアを操作すると、そこに地球儀を表示させた。

――簡単にはですね、回収ラリーポイントが設定されていない場合は、HLLVがお迎えに来るんです。もよりの軌道空母がバーサーカーモードの発動を検知すると、その地点にHLLVを降ろすんです。通常、回収のために六人分隊が同乗することが多いみたいですね

 ホロ・スフィアの中に浮かぶ地球の周りに緑色の軌道が八本現れる。

 北極と南極を通過する極軌道を周回しているのがかつて俺たちの乗っていたOSV71アルテミス、今日本上空に接近中なのはOSV78ウーラニアとOSV76フナサカ(この艦だけには『軍神』と甲板に大きく白い文字でパーソナルネームが描かれていた)だった。

――仮に十二時間後に作戦が実施された場合、これらの艦はもう日本上空を通過しています。今晩頭上にいる可能性が一番高い艦は今大西洋上空を航行中のOSV77アグライアですね

「アグライアか。あの艦には確かイギリスのSASが乗っているな」

――その通りです。あの艦が来る場合は面倒ですね。敵に回すと少々厄介です

 ふと、クレアは表情を曇らせた。

――これはあくまで私の推測なのですが、私たちは監察宇宙軍に嵌められたんだと思います。彼らは元々M6を破壊する気なんてないんじゃあないでしょうか。即時破壊命令を発効すればどの道いずれはバーサーカーモードが起動します。あとはHLLVで回収するだけです。こちらが死のうが生きようが知った事ではないって話です

「充分に考えられるな」

 俺は頷いた。

 国連監察宇宙軍は地球上のすべての紛争を可及的速やかに解決するために編成された組織だ。アメリカ軍が世界の警察であることを降りてしまった結果、地上の治安は荒廃した。国連監察宇宙軍はそれを正すためにG7主導で編成された新しい軍隊だ。

 総兵力三十万人、サイズとしては日本の自衛隊と大して変わらないが、装備と予算の桁が違う。軌道上を周回する八隻の軌道空母と七個小隊のサイボーグ部隊、それにHLLVによる即応体制はどの国よりも早く現着することが出来る。

 だが、その過酷な目的を達成するため、国連監察宇宙軍は手段を選ばないようなところがあった。ひょっとしたら、俺たちの組織よりも苛烈かも知れない。

 大佐の義体を回収するために偽の即時破壊命令を発効するのも十分に頷けた。

――であれば、M6を破壊するのは今や無意味かも知れません。むしろM6の身体保護を優先して監察宇宙軍と取引したほうが良いようにも思います

「それはしかし、俺たちの判断の範疇を超える。国の話だよ」

 俺はクレアに言った。

――まあ、それはそうですね

 画面の中でクレアが肩を竦める。

――ああ、宮崎課長がいらっしゃいました。代わりますね

 クレアの代わりに宮崎課長が画面に現れた。

――おはよう。どうだね、沢渡君、沖縄は?

「おはようございます、宮崎課長。こちらは暑いですね」

 俺は答えていった。

 画面の中の宮崎課長のメガネは相変わらず脂に汚れ、表情は読みにくかった。

――さて、侵入している瀋陽軍なんだがね、殲滅命令が出たよ

 宮崎課長はハードコピーを画面に差し出した。

 鈴木群司令のサインが入っている。

――なんせ不正規侵入だ。何をされたって文句は言えまい。鈴木指令はえらくご立腹だ。殺戮したまえ。増援を送ってやりたいところなんだが、残念ながら時間がない。二人でなんとかして欲しい

「三十人程度なら二人で殺るのは問題ありませんが、殺戮って課長、そりゃ流石にまずくないですか?」

 過激な課長の言葉に驚き、反駁する。

――かまわん

 課長のメガネが白く光った。

 目の表情が読めない。

「殲滅しちゃっていいんですか? 三十一人ひとり残らず?」

 マレスの目がキラキラと光っている。明らかに喜んでいる。

 マレスは殺人狂とまでは言わないが、一種のバトルマニアだ。自分の敵には一切容赦しないし手段も選ばない。

 テロリストたちを地上から一掃することを生涯の目標にしているフシすらある。

 三十人もの標的が与えられたら興奮の極みだろう。本気で全員を殺戮するつもりだ。

 『アフガニスタンでのケースに比べたら全然楽勝』と後で本人は言っていたが、いったいどんな戦争をアフガニスタンでしていたんだか。

――構わん。全員殺せ。確実にだ。一人たりとも負傷者を残してはならん

 宮崎課長は頷いて見せた。

――そもそも瀋陽軍とはもうすでに交戦中みたいなもんだ。今時、宣戦布告して名乗りを上げてから始める戦争なんてないだろうが。好きなようにやりたまえ。ただし、だ

 宮崎課長は人差し指を立てた。

――さっきも言ったが生存者を出すな。全員、確実に殺せ。痕跡もだ。一人でも残ると面倒な事になる

 さらに苛烈な言葉を吐く。

「こちらにはバレットがあります。海上からの狙撃になりそうなので不利ですが、なんとかなるでしょう」

 ふふふ、と宮崎課長は含み笑いを漏らした。

――それなんだがね、小沢技官が面白いものを開発しててね。もう発送済だ。今日にはそちらに着く予定だ

「なんなんです、それは?」

 マレスが横から口を出す。

――君らが持っていったのはM107A4だったはずだね?

「はい」

――あれには流体スタビライザーがついているんだが、それと振動センサー、それに一緒に送った光学サイトに内蔵されたセンサーと連動して伸縮するバイポッドを彼女が開発したんだよ。足場の上下や振動に合わせて伸縮するバイポッドが銃身を安定させる。戦車砲みたいなもんだって彼女は言っていたが、彼女の銃身安定に関するあの執念はなんなんだろうな

 流体スタビライザーとはバレルの両側に取り付けられた小径の円盤の事だ。円盤の中で重金属を含む重い液体を高速回転することでバレルを安定させる。

 ジャイロ効果が働いてバレルを安定させるのだが、これが起動すると銃身の移動が重くなる。そのため、いつもは低速で回転し、トリガーに指がかかると回転数が上がる仕組みになっている。

「まあ、ほとんどキチガイですからね」

――研究者たるもの、そうでなければならん。小沢技官は素晴らしいよ、実際

 宮崎課長は歪んだ笑みを浮かべた。

――キャリブレーションはそちらでなんとかして欲しい。二十センチの範囲に入れば充分だからさほど手間はかからんだろう。バレットなら一キロ以上先から狙撃できる。距離をとって始末しろ

「もう、届くんですか?」

 驚いた顔でマレスが画面に尋ねる。

――今日の午後五時に到着予定だ。アマゾンのダンボールで着くはずだ

 宮崎課長が紙の手帳を手繰る。

――今日の月齢は5.8、月沈は23時20分だ。実行されるとしたら0時位じゃないか?

「でも、本当に今日なんですかね。新月まで待つ可能性はありませんか?」

――次の新月まで何日あると思っているんだね? 瀋陽軍の通信を傍受している。急に通信頻度が上がっているんだ。連中は焦っているね。先の新月はもう過ぎてしまったからな

 ところで、と宮崎課長は話題を変えた。

――M6はどうすることにしたんだね?

「プロパンガスで吹き飛ばすことを考えています」

 俺は簡単に計画を説明した。

「洋上からプロパンガスのタンクをバレットで撃とうと思います。プロパンガスの爆発なら完全破壊には至らなくてもかなりのダメージが期待できるでしょう。移動手段を奪えばバーサーカーモードが発動しないそうなので、直後に腰部をバレットで破壊します」

――タンクの位置は確認したかね?

「クレアに確認してもらいました。西側の浴室の裏手の日陰に二本設置されています」

――浴室か。寝室からは遠そうだな

「家さえ粉砕してしまえばなんとでもなるでしょう」

――判った。承認しよう。作戦計画書にまとめて後で送ってくれたまえ。メディアと警察の対策はいつものように私が面倒を見よう。ところで回収部隊を送らないといかんな。瀋陽軍の連中は一人を残して全員MIA戦闘中行方不明になって頂く必要がある

「一人を残して?」

――M6の身代わりさ

 宮崎課長は事も無げに言った。

――一人、M6の代わりになって貰おう。サイボーグボディが転がってるのはよろしくないし、誰かが死んでくれないとメディアに流す話の辻褄が合わない。死体がないのに死者一名なんて流したら今度は警察が騒ぎ出しそうだ。生身の焼死体が必要だ

 宮崎課長が酷薄な薄笑いを浮かべる。

「問題は、弾薬です」

 俺は宮崎課長に言った。

「焼夷徹甲弾がないんです」

――焼夷徹甲弾か

「着弾の発熱でガスに火が入る可能性もありますが、偶然のファクターが大き過ぎます。焼夷徹甲弾がぜひ必要です」

――わかった。なんとかしよう。嘉手納か普天間になら余ってるだろう。どのみち通り道だから途中で入れてもらえるように手配する。一ケースもあれば充分だろう?

「充分です。ありがとうございます」

――考えてみれば、いい作戦かも知れんな

 例の紙の手帳に何事か書き込みながら宮崎課長が言った。

――瀋陽軍殲滅とのシナジー効果が期待できる。できる限り瀋陽軍を引き付けてから点火した方がいいな。半分でも片付けられれば仕事がかなり楽になる


 俺たちはアケミのダイビングショップに行くと、夜に船を借りられないか聞いてみた。

「夜釣りに行ってみたいんだ」

 俺は船長に言った。

「今日はナイト・ダイブの予定が入ってないからいいけど、俺が操船した方がよくないっすか?」

「一級船舶を持ってる。できれば二人で行きたいんだが、ダメ、かな?」

 と、アケミが船長の脇腹を肘で突っついた。

「貸してあげなよ。あんた着いてったら、マジお邪魔だよ」

「あ、そうか、そういうこと?」

 若い船長はニヤリと笑うと壁のフックから鍵束を取り出した。

「船が置いてある場所は知っていますよね」

「昨日と同じだろう?」

「あのちょっと先にもやってあります。これがエンジンの鍵、もう一つの鍵はキャビンの鍵です」

「あの船、キャビンなんてなかったじゃないか」

「へへへ、あるんすよ、床に。床収納みたいに蓋が空くようになってて、物が置けるようになってるんです。ゴチャゴチャしてるけど、防水バッグぐらいなら入れられると思いますよ」

 俺は船長が放って寄越した鍵束を片手で受け取った。

「ありがとう。レンタル代はどれくらいになる?」

「いやー、そんなのいいっすよ」

「そうもいかんだろう」

「じゃあ、燃料代だけ後でもらいますよ。三時過ぎには港に戻りますから適当に持って行ってください。明日の六時までに戻してくれればいいですから」

「楽しんできてね」

 アケミはマレスに意味ありげにウィンクした。


――しかし、本当に今日襲撃があるのか?

 セーフハウスに戻ってから、俺はターミナルのクレアに尋ねた。

――可能性は高いと思います。通信頻度が急激に上昇しています。高度暗号化されているため内容は判らないのですが、一般的には襲撃の兆候です

「内容は判らないのか……」

――エクスカリバーに送ってもいいんですけど、そんなに長い電文の暗号解析を送ってしまうと今月の予算が……

 なんか世知辛い話になってきた。

「まあ、それはいいか。じゃあ今日は海に出て待機していたほうがいいって事だな」

――はい。そうしてください。出来れば小隊全部をプロパンで吹っ飛ばしたいところですが、おそらく分散するのでそれは無理でしょう。八人の襲撃部隊がたぶん二個中に入ると思います。彼らを吹き飛ばせれば半分は終わったようなものです

「M6がバーサークしないといいんだがな」

――すると想定した方がいいと思います。でもバーサークした場合、残りの瀋陽軍殲滅のお仕事はM6にお願いできるかも知れないですよ

「その後が困る。HLLVで回収されてしまうことはなんとしてでも阻止したい」

――なぜですか? それはそれで構わないと思うのですが

「俺たちの受けた命令はあくまで『即時破壊措置命令』だ。命令には従わないといかん。……それにな」

 一瞬言い淀む。

「大佐は俺の父親代わりみたいな人なんだ。脳腫瘍でターミナルなんだそうだ」

 ついに俺はクレアに白状した。

「だから、俺は大佐を国連監察宇宙軍には渡したくはない。国連監察宇宙軍は大佐の脳が死んだ後、義体を再び誰か他の兵士に使うつもりのようだ。だが、大佐の身体が再利用されるのは我慢がならん。どこまでレストアするつもりかは知らんが、大佐の臓器だって再利用されるかも知れん。それは到底我慢ができん」

 しばらく、無言が続く。

 だが、クレアの声は想定外に明るかった。

――なるほど。判りました。で、あればバーサークしたM6を出来る限り早く移動不能にしてバーサーカーモードを解除する必要がありますね

「ああ。腰から下を吹き飛ばせばなんとかなるだろう」

――バレットなら可能ですね。でも、その後はどうするんですか?

 その後のことは考えていなかった。

「これから考える」

 俺はクレアに答えて言った。


 頼んでいたパッケージは夕方に届いた。

 言われた通りにマレスと二人で夕涼みしながら五時に港で待っていると、緑色の旗をはためかせる緑色とクリーム色に塗り分けられた漁船が現れた。

 だが、よく見ると普通の漁船とは様子が違う。大きなレーダーと高い操船デッキ、明らかにジェット推進と思われる航跡。武装は外されているようだが、これは塗装しなおした小型哨戒艇だ。どおりで速いわけだ。

 漁船風哨戒艇が緩やかにカーブし、俺たちの前に停船する。

 船の後ろの緑の旗にはクロネコのマークが入っている。まさか本当にアマゾンに偽装して送ってくるとは思わなかった。

「すごーい、本当にヤマトで来た」

「沢渡一尉、お届け物です」

 俺たちは座っていた堤防から降りると、船の舫い綱を手繰ってその船を出迎えた。

 ヤマト運輸の制服に身を包んだ男は箱を抱えて船から降りると、

「お荷物です」

 とアマゾンのマークの入った大きな段ボールを俺に手渡した。ずっしりと重い。

「ハンコかサインをください」

 冗談めかした顔で伝票を差し出す。

 不精をしてサワタリとカタカナでサインをする俺の隣で、

「あなたもヤマト運輸の社員なの?」

 とマレスは無邪気に尋ねた。

「まさか」

 彼は笑った。

「田代と申します。曹長です。敬礼だけはするなと厳命されていますので、このままで失礼します」

「ああ、そのほうがいいだろうな」

「嘉手納からぶっ飛ばしてきました。いやー、久しぶりに楽しい任務でしたよ」

「それはよかった」

「それでは失礼します」

 習慣なのか、右手を上げかけて慌てて下げる。

「敬礼するなというのも意外と難しいものですな」

 田代は笑うと再び船を外洋へと向けた。


+ + +


 緯度が違うため、東京でキャリブレーションしていたとしても沖縄でその弾が当たるとは限らない。自転の関係で沖縄の方が東京の地表よりも速く移動しているため、東京でキャリブレーションした銃は沖縄では微かに逸れる。

 だが、島内ではキャリブレーションをするための場所がどうしても見つからなかった。

 バレットの発射音は激烈だ。サウンドサプレッサーを装着したとしても、そんなものをドカドカ撃っていたらすぐに騒ぎになってしまう。それに今回の作戦ではサウンドサプレッサーが邪魔になる可能性がある。射撃距離はできる限り長く取りたい。

 マレスと相談した結果、結局キャリブレーションは海上で行うことにした。二、三発撃てばすぐに癖は掴めるはずだ。そこから微調整すれば、必要な程度の精度は確保できるだろう。

 届いた段ボールにはやけに大柄なバイポッドと超大口径ライフルスコープ、小沢の丸っこい字が書き込まれた説明書き、それに十二.七ミリの焼夷徹甲弾と高速徹甲弾がそれぞれ一箱入っていた。アマゾンと同じようにビニールで段ボール板に固定されている。

 相変わらず律儀すぎる。

 スコープは口径が大きいため、暗視装置がなくても集光能力的に問題はなさそうだった。万が一EMPを使われた場合、電子スコープだと使い物にならなくなってしまう。だが光学サイトならEMPの影響は受けない。他はともかく、バレットだけには働いて貰わないと困る。

 荷物を受け取った帰り道、俺たちは昨日と同じカフェに来ていた。俺は石垣牛なる沖縄特産の牛のステーキ、マレスは覚えられない名前の黄色い魚のムニエルをオーダーした。

「ところでな、マレス、俺に付き合ってこんな危険な仕事を続ける必要はないんだぞ」

 俺は魚のムニエルを頬張るマレスに話しかけた。

「え? どういうこと?」

 口を空にしてからマレスが不思議そうに答える。

「だって資産家だろうが。レディ・グレイも逮捕できたし、もう戦う理由がないだろう」

「そりゃ、何もしなくても暮らしてはいけるけど、それじゃあわたしの隙間が埋まらないの」

 マレスの表情は真剣だった。

「隙間が埋まらない?」

「わたしが得意なのは人を殺すことだけ。だったらその力を今度は人を救うために使おうって決めたの」

 隙間が埋まらない。

 涼子が死んだとき、俺は自分では扱いきれないほどの虚無を抱え込んでしまった。

 涼子と観ていたときはあんなに面白かったテレビ番組や映画が、今は観ていてもまったく楽しくない。読書への興味も失った。休日に模型飛行機を作っているのも単なる暇潰しだ。

 俺が生きていると感じられるのはターゲットを追っている時だけだ。

 マレスも恐らく同じなのだろう。家族を失って空虚になってしまっている心を埋められるのは対テロ活動だけなのだ。

「お仕事以外には興味がないの。あ、和彦さんは別だけど。だから、今の仕事はとっても楽しいの。イタリアのお屋敷でぼんやりしてたら暇を持て余しちゃうし。おじい様は社交ダンスを勧めてくれたけど、すっごく退屈だった。そんなことをしてたらまた死ぬことばっかり考えちゃうと思う」

 気が付くと、俺は両手でマレスの空の右手を包み込んでいた。

「……本当に俺たちは一緒なんだな」

「なに? 前にも和彦さん同じこと言ってたよ」

 と、ふいにマレスの頬が紅潮した。

「そ、それに、特務作戦群にいればいつも和彦さんと一緒に居られるし」

 もじもじしながら少し俯く。耳が赤くなり始めている。

「そっちの方が大きいかも」

 マレスが俺の手を握り返す。

「うん、そっちの方がずっと大きいかも」

 確かに俺もマレスの事は好きだ。マレスと一緒にいるととても楽しいし、気持ちが晴れる。

 だが、こういう時にはどう答えていいのか判らない。

 それにしても。

 平気でベッドに潜り込んでくる癖に、どうしてこういうときにはいつも照れてモジモジ身を捩るのだろう。

 マレスがモジモジしていると釣られてこっちまでなんとなく気恥ずかしくなってしまう。

 女心はよく判らん。

 俺はマレスの手を放すと、

「とりあえず食事を済ませてしまおう。あまり時間がない」

 とだけ答えた。

「ふふふ」

 急にマレスが薄く笑った。

「なんだ?」

「和彦さんが照れてるの、二度も見ちゃった。なんか得した気分」

 嬉しそうにマレスは再び明るい笑みを浮かべた。


 食事を済ませてから、俺たちは襲撃の準備を始めた。

 海上自衛隊のブルーのデジタル迷彩服もあったが、月が沈んだ後の行動になる可能性が高かったため着衣は黒一色にすることに決めた。黒いヘルメットに暗視装置NVD、データグラス、双眼鏡、ボディ・アーマーとニーパッド、フェイスペイント、万が一のためのジェットフィン。弾薬、スポッタースコープと携帯風力計、それにナイト・レイヴンのモニターを兼ねたタブレット。

 問題は移動だった。こんな格好で港まで行くわけには行かない。これではあからさまに兵隊さんだ。

 しかもバカでかいバレットまで担いでいるのだ。アサルトライフルと一緒に釣り竿用の赤いケースにうまく収まってはいるものの、戦闘服に釣り竿ではますます怪しい。

「船で着替えるしかないな」

 俺はマレスに言った。

「背中合わせならいいだろ?」

「全然いくないですけど、仕方がないですね」

 マレスは頷いた。

「見ちゃダメですよ」

「暗いからどのみち見えんだろう」

「和彦さん夜目が効くじゃないですか。嘘ついちゃダメ」

「そうか……気を付けることにするよ」

 ダイビング用品の入っていたバスタブ型のキャリーバッグに装備を詰める。結構な重量だ。

 八時を回ってから、ゴロゴロとキャリーバッグを引きずりながら二人で港に向かう。

 離島は夜が早いのか、すれ違う人はいなかった。小物屋や居酒屋はまだ開いているようだったが、そぞろ歩いているような者はいない。大変好都合だ。

 アケミたちの船はすぐに見つかった。海兵隊放出の簡易上陸用舟艇のため、漁船とは全く形が違う。しかもグレーの船体の漁船などめったにないため、非常に目立つ。

 俺は荷物を積み込むと、取り合えずマレスに手を貸して彼女を船に乗せた。二人で天蓋を外して分解、フレームを芯にして天蓋を巻き、船長の言っていた床下のキャビンに押し込む。ダイビングフラグの旗竿も外し、これもキャビンに押し込んだ。

 マレスが操船コンソールの後ろに腰を下ろしたのを確認したのち舫い綱を外し、船を脚で岸から押し出す。

 俺はコンソールの前に立つとエンジンのスイッチを入れた。

 ドッドッドッドッドッ……

 スロットルをリバースに入れ、まっすぐに後ろに下げる。

「マレス、防舷材フェンダーを上げてくれ」

「はーい」

 船が離れてからマレスに頼んで円筒型の防舷材を艇内に収容すると、俺は船を周回させ、港の出口に船首を向けた。

 思ったよりもパワーがある。

「さすが海兵隊の船だな」

 むしろ微速前進させるほうが難しい。スロットルを少し開くだけでドッと船速が上がってしまう。

 なんとか微速で港を出てから、俺は本格的にスロットルを開けてみた。

 グォーッ

 ディーゼルエンジンが歓喜の轟音を上げ、船首が持ち上がる。この調子だと頑張れば四〇ノット近くまで出せそうだ。

「ちょっ、ちょっと和彦さん、速すぎ」

「ああ、すまんすまん」

 スロットルを中速のさらに二段下にまで戻す。水中翼のついた船首が下がり、ようやく船は普通に走り出した。

「びっくりしちゃった。急に飛ばすんだもん」

「ちょっと限界をみてみようと思ってな。この船、思ったよりも速いぞ」

 俺は振り返るとマレスに言った。

「キャリブレーションできそうな場所を探そう。バレットを組み立てておいてくれ」

「はーい」


 俺たちは海面から顔を出している手ごろな岩を使ってバレットのキャリブレーションを終わらせると現場に向かった。

 バレットの発射音は凄まじい。12.7ミリのライフル弾は伊達ではない。二人とも聴力保護のための特殊な耳栓をしているが、これがなかったら何も聞こえなくなっているところだ。

 時間は十時三十分。西の空に赤く染まる三日月が見える。

 これから月はさらに太り続け、来月早々には満月を迎える。月沈も徐々に遅くなる。瀋陽軍が焦るのも判る気がした。

「さて、着替えるか」

 俺は操船コンソールの前側に服を持って移動した。

「俺は船首側を見ながら着替えるから、マレスは後ろの方で着替えろ。それならいいだろう?」

「いくないけど、判りました。見たら殺しますよ」

「了解」

 ズボンを黒い自衛隊支給のものに履き替え、上はTシャツの上に黒いジャケットを着る。

 ホルスターはいつものヒップホルスターではなく、腿に固定するタイプのものだ。

 後ろから聞こえる衣擦れの音が妙に気にかかる。

 俺はそれを気にしないように意識しながら、フェイスペイントキットから黒いスティックを取り出した。額と頬の下、眼の下、顎の辺りにストライプを描く。なぜかは判らないが、全面真っ黒に塗るよりもストライプにしてあるほうが目立たない。レンジャー訓練の時に習った知識だ。

 ボディアーマーを着るとなんとなく身が引き締まるような気がした。前面のポケットに予備マガジンを差し、追加アーマーの代わりにする。

 俺はコンバットグローブを嵌めると、後ろを見ないように気を付けながらマレスに声を掛けた。

「マレス、着替え終わったか?」

「終わりましたー。もうこっち向いても大丈夫ですよ」

 振り返って見たマレスの顔は月明かりの中、白く輝いて見えた。

 フェイスペイントをしていない。これでは的だ。

「マレス、フェイスペイント忘れてるぞ」

「あ、本当だ。和彦さん、塗って?」

 目を瞑ったマレスが顔を突き出す。

 アホか。

 自分で塗れと言いかけたが、俺は黙ってマレスの顔にペイントを施してやった。

 細い顎に手を沿え、頬と額にストライプを入れる。

 俺はマレスの頭にヘルメットを乗せると、上から軽く叩いた。

「一応NVD試しておけよ。月が沈む」

「了解」

「マレス、利き眼は確か右だったよな」

「はい」

「じゃあNVDは左にセットしろ。右はスコープ覗くからな」

「言われなくても判ってますう」

「じゃあ、行くかね」

 俺もヘルメットを被ると、NVDを降ろし、スロットルを中速へ入れた。


+ + +


 海はベタ凪で航海は順調だった。

「クレア、様子はどうだ?」

 データグラス越しにクレアに尋ねる

――今のところ、動きはありません。IFF敵味方識別装置には入力済ですから、ターゲットは赤いTDボックスで表示されるはずです。

「侵攻ルートはどう考える?」

――おそらくは月が沈んでから徒歩で向かうと思います。彼らは複数のドミ簡易宿泊所に分散して逗留しています。そこを今から直接襲撃してもいいのですが、民間に被害が出ると考えられるのでこちらはお勧めできません。

 大佐の家は島のメインストリート、阿嘉山を通って北浜を抜け、島を一周する半未舗装路の途中にあった。アケミの話では十五年ほど前に別荘として建てられた家なのだと言う。

――地形と状況から判断して、一度集合してから東側からの部隊と北側からの部隊に分散すると考えられます。大佐の家の少し先に鉄製のゲートがあるのですが、歩哨はここに立つでしょう。あと、天城展望台にも最低二人は歩哨が立つと思います。通信士もここに待機すると考えられます。そこからなら現場が一番良く見えますから

「高台だな。海上からは狙撃できないかも知れない」

――その場合は襲撃と同時に現地で片付ける必要がありますね

「面倒だな……スナイパーは?」

――現時点では確認できていません。それに連れていないと思います。ターゲットが一人しかいないのにこの人数を投入していること、それに瀋陽軍の今までの作戦行動傾向を勘案すると、彼らがスナイパーを連れている可能性は低いと考えます

「じゃあ手順はまず展望台の歩哨を片付けてから海上に戻ってプロパンタンクを爆破、残存部隊が集まってきたところで殲滅、ついでにM6を行動不能にする、って感じ?」

 とマレス。

「そうだな、その手順が良さそうだ」

――展望台の歩哨を片付けたら出来る限り早くプロパンタンクを爆破した方がいいですね。その方が混乱に拍車がかかります

「となれば、だ」

 俺は船に積んであった海図を指で示した。

「待機ポイントはここ、天城展望台の西の沖だ」

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