2016年7月

人をためさなくなった代わりに、人にいらいらしてばかりいる。

でもこれが本来の私なのだろう。不満ばかりでわがまま、贅沢したくて現実逃避したくてたまらない。嫌なことは見たくないし、汚い現実は知りたくない。いいものだけ、綺麗なものだけ、物事の魅力的な面だけを見て生きていきたい。本当は常に楽観的に何も考えずに生きたい。だけど環境がそれを許さない。


しかしそんな私にも、売られた喧嘩を黙って買わねばならない時は訪れる。

核心を隠しつつ、日ごろの不満すべてをぶちまけて強気に出ることにした。

あくまで謝る気は無い。私はりっぱな被害者だ。被害者にりっぱもへったくれもあるのかよと我ながら思うけれど、理解しようともしない向こうが悪い。何故、こんな人もいるんだ、というひとつのサンプルとして見ることも出来ないのだろうか。なんて心の狭い、愚かな人間なのだろう。どれだけ馬鹿なら気が済むというのだろうか。だいたい、誘ってきたのはそちらの方なのに、何故こちらが気を揉まねばならないのだ、


否。

本当は私だって気づいている。どっちもどっちの引き分け試合であることに。

否。

本当は私だって解っている。もっとも醜いのは、こんな風に歪みに歪んだ形でしか人と関われない自分自身の方であることを。


只、

愛されている実感もないのに愛し続けねばならないこと、近頃はめっきり好きと言ってくれなくなった口だけは達者な男の恋人を名乗り毎日連絡をとらねばならないこと、それらが私にはどうしても苦痛でしかたなく、許容しがたい黒い塊となって私の心を蝕む深い闇となっていた。

一体、いつからこうなってしまったのか。


本当は、愛されていると感じられないならさっさと別れてしまいたい。

けれどそう気づいた時にはとうに依存症の渦の中にいて、一度依存してしまえば断ち切る際には絶望の縁に立たされるような悲しさと止まらぬ涙、そして喪失感からくる長期にわたる鬱な感情、無気力感、虚無感その他もろもろと闘わなければならない。だから恋で依存はしてはいけない。タブー中のタブーである。本来は。

本来、は。


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自己犠牲的人体実験 gomma隠居中 @k1y031n

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