第9話 君、凌がん

 そんな非常識の塊である触手を撃ち出すさまは、さながら鉄砲だ。腕が銃身、左手の穴が銃口、触手が銃弾。といっても、実際の拳銃の機構のように回転状態で撃ち出されているわけではない。触手には自身で空中での姿勢を制御できるだけの筋肉がある上に、表面を包む粘液が空気抵抗を極端に減らしている。流線形で凹凸のない身体も手伝って、回転してまで弾道の安定を確保する必要がないのだ。

 だから真っ直ぐ、まさしく銃弾のように飛ぶことが出来るし。

「当たりま……」

 触手の体当たりをひらり、と優雅にかわして見せたダブルセイバーが、せんわよ! と言葉を続けて累の方に飛びかかって来るのに続けて、ぎゅいんとほとんど一八〇度の方向転換を行って後を追うこともできた。

 本体の累が地から足を離していないだけで、触手はいくら身体を伸ばしても地に下りることがない。見えないレールか糸にでも吊られているように、自由自在に中空に伸びていくそれは、もはや立派な飛行だった。

 累が伸ばした触手のすぐ脇を、地面すれすれを滑るように飛ぶダブルセイバー。触手と違って、そっちは本物の“飛行”である。およそ人間が単体で出せるような域ではない速度で、ぐんぐんと累との距離を詰めていく。

 これでは、触手が追いつく前にダブルセイバーに近づかれるか。

 自分の治癒力と相手の攻撃力が正確に計れない今、冒険しないのなら正面衝突は避けるべきだ。一発の殴打で死ぬ可能性は十分にある。累は左腕を通して、宙に残った触手の“胴体”に力を込めた。

 距離を取るのではなく、迎撃の態勢を取ったのだ。

 瞬間、ぐわんと触手がたわんだ。

「くっ!?」

 縄跳びの片方の端で起こした波が、もう片方に向かって伝播するように。

 地面と水平に、触手は大きく波打った。ダブルセイバーの行く手を遮る肉の線。逡巡して、ダブルセイバーはより高度を下げて波の下をくぐった。

 ……受けずに避けたのは正解である。

 累の意図は攻撃よりも捕獲にあり、ダブルセイバーが触手のたわみを防ごうとして腕の一本でも出したなら、そこに巻き付いてやろうと考えていたのだ。

 見事に、ダブルセイバーには思惑を外された。しかし、背後に迫っていたもう一つの思惑が成就する。

 回避行動を取ったダブルセイバーの足に、追いすがっていた触手が絡みついたのだ。誘発させた逡巡と、一瞬のブレーキ。時間稼ぎはそれで十分だった。

 だが、

「何の、ですわ!」

 ダブルセイバーはひるまない。“一度食らった攻撃を二度も食う”屈辱に甘んじはしない。地面から数センチばかり浮いてうつ伏せの姿勢で飛んでいたのを、触手が追いついて来るのが分かっていたかのようなタイミングで、頭を持ち上げて一気に引き起こす。触手に捕まった左足を前に出し、伸びきった触手を身体ごと落とした右足で踏みつけた。

 捕まって一秒もなく、触手がダブルセイバーを引っ張るよりも先に。

 ぐちゃ、といとも簡単に触手が潰れ切れる。

 たったの一踏みで地面が凹んだ。彼女のスニーカーが半分も隠れるほどの深さで、穴底には靴底の模様がくっきりと残った。いかに触手が強靭でも、地面を踏み抜くほどの一撃には耐え切れない。

 待ち構えての反撃だった。

 ダブルセイバーは自由になった左足を、すぐさまストロークする。やはり累が反応するよりも早く、ダブルセイバーの蹴りが炸裂した。

 振り子のように真っ直ぐ。

 しゅん。

 と、蹴り上げる。

 軌道上にあった触手が音もなく切断された。熱したナイフをバターに入れるように、……何の変哲もないスニーカーで蹴り上げたとはとても思えないほどに容易く、なめらかに、触手を切断したのだ。

【やられた……!】

 焦ったような声が頭の中に響く。声に出さなかっただけで、累もまた同じようなリアクションを取っていた。

 ダブルセイバーが改めて累に向く。全速力で向かって来る。

 触手がはらりと、テープカットのテープのように力なく地に落ちるよりも早いスタートダッシュ。それは……その落ちる触手の姿は、無限にも思える再生力と人を遥かに凌駕した膂力を誇る触手が弱点を突かれた姿だった。

 触手は衝撃に対して無敵ではない。……というのは、大概の傷を治癒できる以上問題にはならない。耐える必要がないからだ。問題はその“治癒”の方にこそあった。

 “無限にも思える再生力”。それを発動するには条件がある。

 だから累は触手を使わずに、その身一つでダブルセイバーを迎え撃った。条件が整っていないから、そして整えるために、迎え撃たなければならなかった。懐に潜り込んでの連打。かすれば肉が削げ、打たれれば骨が砕ける。一秒に何度の拳蹴があるかも数えられないような、瞬速にして重鋭の連撃を自力でいなさなければならなかった。

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