第8話 君、撃ち出さん

 そろそろこの飛行体験にも終わりが近づいている。久しぶりの大地が悠然と累を待ち構えている。厳密に言えば、累を抱き留めるのは触手で築き上げた肉のクッションである。累はそれに突っ込む寸前にできるだけ身体を丸めて、衝撃に備えた。同時に心を決めた。

 “触手に突っ込んで起こり得るいくつかの事態”を予想しておき、そのどれが起きても良いように全神経を尖らせた。

 大きく分けて未来は四通り。クッションの強度が強すぎた場合と、丁度良かった場合と、弱かった場合と、全く足りなかった場合。

 一.強すぎれば、累の身体はトランポリンに着地したように跳ね返る。素直に真上に跳ねるなら、追いかけてきたダブルセイバーと対面することになるだろう。あっちこっちに吹き飛んだなら、その時はできるだけ早く受け身を取って態勢を整えればよい。表面がぬるぬるしているから、跳ね返るにしてもおそらく素直な軌道ではないはずだ。

 二.丁度良かったなら、布団に飛び込んだようにふわりと、触手に抱き抱えられる形となる。残念ながらふわりというよりはぬるりだろうが、四つの未来の内ではもっとも理想的である。ダブルセイバーとの対面は触手の上だ。こちらの動き出しに余裕があれば、もしかしたら溜め込んだ触手による総攻撃が可能かも知れない、あるいは、そこまで読み切ってダブルセイバーが脇に避けるか。正面切っての衝突を先延ばしにて準備の時間が取れるという意味でも、この未来は最善である。

 三.強度が弱いというのは、つまり累を受け止められず、触手の方が壊れるというパターンだ。千切れるのか破裂するのか、どっちにしても累は地面に落ちる。ただしこのパターンでは、触手が犠牲になることで勢いが殺される場合を想定していて、だから累は地面への着地に気を注げば良い。幸い、触手は引き千切れても即座に再生できることが分かっている。これほどの量を一度に再生できるかは不明だが、累自身が吹き飛ぶよりはよっぽどマシなはずだ。

 四.最後は、クッションの強度が全く足りていない未来。最悪の未来であり、累は地面に激突して死ぬ。三番目の未来における悪い方なので、取るべき行動もほとんど同じだ。ただ、何一つとして実らずに死ぬというだけで。

 ばすん、と。

 累を受け止めた触手は、分厚い毛布に飛び込んだような音を立てた。中央に深くめりこんで、累は吸い込まるようにしてべとべとの肉壁に包まれた。音だけ聞くなら、訪れた未来は最善の二番かのように思える。だが衝撃にさらされた触手の感触を、それこそ我が身のように感じ取っていた累が弾き出した未来予想は違った。受け身の体制を取る。それは触手に突っ込むに当たっての受け身が遅れたのではない。

【そうよ、この未来は!】 

 “地面に激突する準備をしなくてはいけなかった”のだ。瞬く間もなく。

 ばあああああああああああああああああああああん!!!!!!!

 風船のように触手が割れた。千切れるのではなく破裂した。肉塊がつぶてとなって四方八方に飛び散って行く。その中に影は一つだけ。いや、もう一つの影が地上に真っ垂直に飛び込んできた。

「はあああああああ!」

「てやああああああ!」

 ずがあああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!!!!!!!

 触手が割れた時よりも大きな衝撃音。物理的な破壊を伴って大気を伝う音は、周囲の草花を刈り取って巻き上げ、地面を押し潰すように抉った。散乱した肉片までもが粉砕され、吹き飛ばされて、二人の周囲がきれいさっぱりと一掃される。

 残ったのは、地上から逆手の右拳を突き上げた累と、天空から左の正拳を振り下したダブルセイバー、それぞれの拳を突き合わせた格好の二人だけだった。

「おまえを捕まえる、ダブルセイバー!!」

「白々しいのですわ、化け物の分際で!!」

 先に行動を起こしたのはダブルセイバーだった。空中にいながら逆上がりをするように身体を回し、伸び切った累の腕を間髪入れずに蹴り上げる。重力を無視した空中制御……相手は空を飛べるのだと分かっていても、常識の外で動く彼女には、おいそれと対応できるものではなかった。

 それだけでも腕を千切られそうな威力だったが、頑丈な今の累ではそうもいかない。代わりに、持ち上げられた腕に釣られて大きく後ろにのけ反った。バク転の要領でくるりと着地したダブルセイバーは当然、その隙を狙う。見事なカウンター、そして連携だった。

 だが、累とて負けていない。ダブルセイバーのカウンターを食らってすぐに、彼は回避行動を取っていた。崩された姿勢はすぐに直しようがない。無理に体勢を整えようとしても、結局は相手の攻撃をまともに食うか、まともではない防御で手痛い一発を食うかのどちらかである。累はダブルセイバーが次の攻撃動作に移ったのを見ながら、あっさりと我が身を盾にする防御の線を捨てた。彼の二の手は回避。地面から足を離された累では、それこそ魔法少女のように空でも飛べなければ移動もできないはず……ではないのだ。

 ばしゅん、と地面に向かって触手を撃ち出すだけで良い。

「なっ!?」

 ダブルセイバーの一撃は空を切った。敵が……標的が猛スピードで上昇したからだ。ダブルセイバーは慌てて顔を上げた。視線の向こうで彼はまるで、“触手に押し出されるようにして”空を飛び、十分に距離を取ったタイミングで触手を回収して、ばさと着地した。

【さっきの逆、というわけね】

 感心したような声の声。まさしくその通りである。先ほど空で触手が行ったことの逆再生。固定した触手に累を引き寄せるのではなく、固定した触手から累を“押し離す”。触手が人を軽々と扱える怪力だからこそ可能な芸当だった。触手に体重を預けることで、自分の方を射出するような形で急な加速を実現したのである。

 触手を固定できる場所と左手と触手さえ生きていれば、累はほとんど好きなように移動できる、というわけだ。

【便利だけど、一長一短。移動に触手を使うということは】

 そう、その間は攻撃的な用途に使えなくなる、ということだ。今回の勝利条件は逃げ切りではなく捕獲。戦わなくては先へ進めない。

「だからあくまで緊急回避。触手はできるだけ、攻撃に使う!」

 ダブルセイバーに向けた左の手のひらから、ばしゅん、と粘液を散らして触手が飛び出した。あれほどの量が一度に爆発したというのに、もう元通りになって元気に空を飛んでいる。ヒドラやヒトデ以上の、まさに驚異の再生力だった。

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