第22話
地下鉄のホームで、鈴木さんに追いつく。
隣に立ち、鈴木さんを見上げる。鈴木さんはわたしと目が合った後、目の前にある広告をぼんやりと見つめた。
地下鉄に乗り、鈴木さんは繁華街のある駅で降りた。そして、駅前広場にある宝くじ売り場の横に立つ。その横に、わたしも立つ。
「何?」と鈴木さんは言った。
「奇遇ですね。わたしも今日、ここで待ち合わせの人がいるんです」
しばらくして、鈴木さんは、「そう」と言った。
我慢比べになった。
雪がちらちらと降ってきた。わたしは慌ててオフィスを後にしたため、傘を持ってくるのを忘れていた。鈴木さんは折りたたみ傘を取り出し、そしてわたしをその傘にそっと入れてくれた。
「嫌なことがあったら、誰かに話を聞いてもらった方がいいんじゃないの?」と鈴木さんは言った。
「だから、ここに立っているんですよ」
「彼氏に聞いてもらえば?」
「いませんよ」
「友達は?」
「数少ない友達と、いまは喧嘩中です」
「実家近いんでしょ? 困ったら最後は親だよ」
わたしは、深く、二回呼吸をした。
「いませんよ」
そう言うと、鈴木さんはわたしを見た。わたしの瞳はうるんでいたと思う。
鈴木さんは、ゆっくりと歩きだした。
わたしは、その傘の中から外れないようにして、ついていく。
カウンター席に並んで座る。そして、わたしに不満の表情を見せる。
「嘘は、いけないよね」
そう言いながら、鈴木さんは煙草をふかした。
「誕生日を忘れる親なんて、親じゃないですよ」
と、わたしは憤慨して返す。
「忘れていないでしょ。ちゃんと今朝、誕生日おめでとうって、来たんだから」
「だから、それが忘れていた証拠じゃないですか」
「そうかなあ」
鈴木さんはウイスキーを楽しんでいる。会社にいるときよりも、なんだか柔らかい感じがする。
「あ、そういえば、」と鈴木さんは、言葉を詰まらせた。
わたしは、鈴木さんを見上げる。
「さっきは、ちょっと言い過ぎたね。今回の件に関しては、五反田さんが非を認めないのはおかしいね」
「そりゃ、そうですよ!」
「まあでも、みんな扱いに困っているんだ。許してやってよ」
「鈴木さんの扱いにも、みんな困ってますって!」
「ふふ」と言いながら、マスターが伝票を持って近寄ってきた。
「ずいぶんと仲良しになったね」と嬉しそうに言葉を重ねる。
鈴木さんは聞こえない振りをしているのか、何も言わなかった。
お店を後にすると、もう時刻は二十四時を回りそうだった。
「もう一軒、行きませんか?」
「終電、なくなっちゃうよ」
「まだ、すこし時間ありますって」
そう言うと、鈴木さんは困った顔をしながらも、もう一軒つれて行ってくれた。
結局、終電はなくなり、タクシーで帰ることになった。
わたしの家を経由して、鈴木さんの家に向かう。わたしたちは、タクシーの後部座席に並んで座った。
「鈴木さんの家って、どんなところですか」
「普通なところだよ」
「誰か、友達を呼んだことはありますか」
「記憶にないね」
会話がなくなると、ほんとうに静かだ。
窓の外に目をやると、降る雪が多くなってきていることに気づく。
「今日、わたしの誕生日なんですよ」
「ああ、そうだったね」
「ケーキ、買ったんですよ」
「今日はもう、食べない方がいいんじゃないの?」
再び、静かになる。
もう、この時間が終わってしまう。
「あ、そこです」
わたしがそう言うと、タクシーはぴったりととまった。
タクシーから降りて、わたしは鈴木さんを見つめた。
「誕生日、おめでとう」
鈴木さんがそう言い終わると同時にタクシーの扉は閉まり、あっという間に見えなくなった。
わたしは、マンションの前で、ずっと立っていた。
傘を持っていないため、肩にはすぐに雪が積もった。
身体の感覚がなくなっていく。身体を縮めて、寒さをしのぐが殆ど効果はない。
しばらくして、タクシーがわたしのマンションの前にとまった。
自動ドアが開き、そして閉まる音が辺りに響く。エンジン音をたてながら、タクシーはすぐに見えなくなった。
「風邪、ひいたらどうするのさ」
やさしい、透き通った鈴木さんの声だ。
鈴木さんの手には、わたしの家の鍵が握られていた。後部座席に置き忘れた、家の鍵。
わたしは、鈴木さんに抱き付いた。
頬をつたう涙が、とても暖かく感じた。
「ごめんなさい。今日は、一人ぼっちになりたくなかったんです」
そう言い終わると、鈴木さんは、
「だったら、ちゃんとそう言いなさい」と、わたしの耳元で囁いた。
ケーキにロウソクをさす。
鈴木さんは、シルバーのライターで、そのロウソクに火を灯した。
わたしは、そのロウソクの火をそっと吹き消した。
鈴木さん、まだ起きてますか?
ああ。
ヒロコさんって、どんな人だったんですか?
……、何でも自分一人で決めてしまう、困った人だよ。
いま、どこにいるんですかね?
さあ、どこにいるんだろうね。
また、会えるといいですね。
……、そうだね。きっと、会えるさ。
次の日の朝、目が覚めると鈴木さんの姿は、なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます