第14話

 今日はとても暇だった。月末月初は忙しいが、そもそも、わたしの所属している課の営業事務は、一人いれば回る仕事量しかない。忙しいときは鈴木さんと分担するが、最近ではわたし一人で済んでしまう日が多かった。

 その様子を見て、他の社員たちは鈴木さんをバッシングした。給料泥棒だ、とか、煙草を吸いに会社に来ているのか、など。仕事を与えず、退職に追い込むと言う話は、噂では聞いたことがあったけれど、実際にされているところを見るのは、気分がいいものではなかった。

 今日も、鈴木さんは定時で帰っていった。わたしも今日はすることがなく、鈴木さんの退社した三十分後には、会社を後にした。


「まさか、一人で来てくれるとは思わなかったから、驚いたよ」

 マスターはわたしの顔を覚えていてくれたようで、それが嬉しかった。わたしがプライベートで鈴木さんと一緒にお酒を飲んだのは、あの日以外にはなく、このお店もそれ以来の訪問だった。場所は正確に覚えていなかったが、お店の名前を憶えていたのだ。

「鈴木さんは、よくここに来るんですか?」

 わたしがそう聞くと、すこし寂しそうな顔を浮かべた。

「いや、最近は全然。あの日だって、そうとう久しぶりだったよ」

 そうなんだ。オリジナルカクテルを口にすると、甘い香りがすっと広がる。わたしはやきいも祭りの話をした。マスターは、笑っていた。

「鈴木さん、土日も忙しいって言うんですよ。休日も、ヒロコさんを駅前広場で待っているんですかね?」

「あれ、どうして知っているの?」

 わたしは、駅前広場で鈴木さんが立ち続けているところを見たと伝えた。

「ヒロコさんって、誰なんですか?」

「うーーん」とマスターはうなり、

「それは、僕の口からは言えないよね」と言った。

 まあ、確かにそれはそうか。

 どうして、わたしはもう一度ここに来たのだろうか。やはりわたしは、鈴木さんが気になるのだろうか。

「鈴木さんって、変な人ですよね?」

「それはどうかな、そう思ったことはないけど」

「でも、ライターの話を信じているんですよ? ありえなくないですか。あんな話、中高生だって信じませんよ。ぽつんと立ち続けている鈴木さんがおかしくって、悪ふざけを考えた人が、適当に理由を付けて、たまたま持っていたライターを渡しただけじゃないんですか?」

「まあね」と言うが、マスターはあまり賛同してくれない。

「マスターは、あのライターが本当に幸せを運んでくれると思いますか?」

「それは、思わないけどさ」

「だったら、やっぱり鈴木さん、変じゃないですか」

「だからと言って、そういうことにはならないんじゃないの?」

 御代わりはどうする? と聞かれ悩んだが、これでお終いにすることにした。

 勘定を済ませ、店を出ようとするわたしを、マスターは呼びとめた。

「鈴木さん、本当はもっとフレンドリーな人だよ。ちょっと、参ってしまっているんだ。君には心を開いているようだから、支えてあげてよ」

 わたしはその台詞に、身体がくすぐったくなるような思いがした。

 確かに、このお店に二人で来たとき、ついてくるなと言われなかったことに嬉しさがこみ上げたのは、いまでもよく覚えている。

 わたしは頭を小さく下げて、お店を後にした。

 ――それほどの恋だったのだろうか。自分を狂わせてしまうほどの、恋。

 わたしには経験がないため、どうしても理解することができない。

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