第7話
午後の仕事が始まった。わたしは郵便局に収入印紙を購入しに行く際、コンビニで煙草と百円ライターを購入した。駅の近くにある喫煙所で、久しぶりに煙草をふかしてみる。周りを見渡すと、喫煙者はみな、この狭い隔離された空間で身体を小さくしながら煙草を吸っていた。なるほど、確かに悪いことをしているような気分になる。
煙草を吸うのは、高校三年生以来だった。
好んで煙草を吸ったことなど、一度もない。
わたしは制服姿で煙草を吸い、そして補導された。
――でも、両親は、叱ってくれなかった。
引き取りに来た母は、迷惑だけはかけないでよね、と言った。
父が家にいるときを狙ったにもかかわらず、父は迎えにこなかった。
思い出していると、目頭が熱くなってくる。
そういえば、鈴木さんは煙草はあげてもいいのだけど、と言った。
あれはどういう意味なのだろうか。
文字通りの意味だとすれば、ライターだけは貸せないということになる。その意味が、さっぱりわからない。
オフィスに戻ってからも、鈴木さんと同時に席を外すチャンスはなかなかやってこなかった。
夕方になると、営業担当者が帰ってきた。鈴木さんは定時になると、堂々と、お疲れ様ですと言いオフィスから出て行った。まわりは、もう鈴木さんを気にしていないようだった。
わたしはしばらくして、頭を下げながらオフィスを出て、最上階へと向かった。予想通り、鈴木さんは煙草を吸っていた。わたしが会釈をすると、それにつられて鈴木さんは会釈で返した。同じ展開だ。しかし、その後の台詞がお昼休みのときとは違った。雰囲気もだ。
「やめたほうがいいんじゃない?」と鈴木さんは言った。
鈴木さんの表情を確認すると、冷静な表情の後ろに、嫌がっているのが透けて見えた。
「煙草を、吸うことですか?」とわたしがなんとか答えると、鈴木さんは、小さく頷いた。
わたしは慣れない手つきで火をつけ、吸っている振りをする。
先ほど駅の喫煙所で練習したときも、実際は殆ど吸っていない。むせてしまい、吸い込むことができないのだ。そもそも、どうやって吸うのが正解なのかもよくわからなかった。もっとちゃんと勉強してくればよかったと思いながらも、わたしは、きらりと光るライターに目をやった。
特になんの変哲もないライターのように見えたが、メタリックなシルバーであり、シンプルながらもどこか物珍しさを感じた。
贈り物だろうか。
噂されていた、同棲している人から貰ったプレゼントであるとか。
わたしがライターに見惚れていると、鈴木さんはそのライターと煙草を背広に入れて、お疲れ様と言い、喫煙所から去って行った。
気まずい雰囲気が部屋を満たしていた。
鈴木さんは、ちらちらとわたしの方を見ていた。普段は煙草を吸っていないことが、きっとばれているだろう。心臓が高鳴り、なんだか息苦しい。わたしは煙草の火を消し、喫煙所を後にした。
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