#28:妄信と盲信
「馬鹿馬鹿しい!」
ユゼは、持ち帰ったクロンの話を一蹴した。
「帰るのが遅いと思えば、そんな与太話に付き合っていたのか!」
工房に戻って理由を説明しても、ユゼは耳を貸そうとはしなかった。それどころか、余計な心配だと叱咤され、クロンは戸惑った。
「でも、森へ行けなくなるかもって……」
「そんなことは有り得ん! 明日になれば、替えの職場長が寄越されるはずだ」
まるで古びた琥珀灯を交換するかのような物言いに、クロンはぞっとした。
「ふん、そんなことでは仕事に身に入らんわ! 目障りだ! 今日はもう帰れ!」
畳み掛けるように一方的に捲くし立てると、ユゼは店の奥に戻っていった。
暫くして、琥珀をヤスリで削る音だけが聞こえてきた。心なしか昨日までよりもずっと耳障りな音に聞こえる。
クロンは軽く一礼だけし、荷を持って工房を出た。
賑やかな市場に差し掛かると、ようやく重い空気から解放された気分になった。
今日も市場で夕飯を買って帰ろう。ミュカとエルヴェからもっと都のことを聞きながら食事をしてみてもいいかもしれない。
などと考えながら歩いていると、人ごみに混じってリーエの後ろ姿を発見した。
「リーエ! ……リーエ!!」
二度呼びかけてようやく、リーエはゆっくりと振り返った。
「……クロン……」
たった一日会わなかっただけだというのに、リーエの顔はとても疲弊して見える。
「どうしたんだ、リーエ!? ひどい顔だよ!?」
リーエは「大丈夫」と小さく呟いてから、資材置き場のある西の方へ顔を向けた。
「……それより、クロンは聞いた? 森で行方不明者が出たって話」
「うん、まあね……。さっきそこで聞いたよ……」
「そっか……」
今にも泣きだしそうな顔をしているリーエに、クロンは余計に心配になった。
「みんな、どうしてるのかな……。もう、昼も夜も関係なくなっちゃって……あたし、怖いよ」
クロンは思い出した。
リーエはあの巨大な獣を目の当たりにしたのだ。一体どうやって生還したのかは聞いていなかったが、もしかしたらまた、仮面の子供に助けて貰ったのかもしれない。
しかし、生き残ったということは、獣に対する恐怖を抱えたまま、ということでもある。ましてや、先程の騒動だ。一度だけならまだしも、クロンが体験したのも含めて三度も現れたとなっては、さすがのリーエだって怯えて当然だ。
「大丈夫。ルニはマテルに護られているんだ。アラネアが好き放題やっているのを、マテルが許すはずもない。だから、森にさえ行かなければ、襲われる心配はないはずだよ」
「どうしてそう言い切れるの? 街の中だって、夜になれば危険だって言うじゃない。それって、外にいるのと変わりないことだわ」
「だから、夜は家にいれば安全なんだよ。そういうルールなんだ」
「でも、昼の獣が現れたのは、ルールが破られてるからじゃない!」
声を荒らげて叫ぶリーエに、そこら中の人が驚いて立ち止まり、そして、静まり返った。
クロンは慌ててリーエの手を引き、無理矢理市場の外へと連れ出した。
「……ぼくだって不安だよ。その気持ちが分からないわけじゃない。だけど、ぼくにとっては、アラネアなんかよりマテルの方が恐ろしいぐらいだ。知ってるだろ? 首輪の爆弾のことや、街で魔法が使えないってこと」
「……ええ」
クロンはミュカの言葉を思い出し、同じようにリーエに向けて言った。
「マテルの均衡は、絶対なんだ」
クロン自身も、未だにマテルのことは半信半疑だ。だが、この言葉をそっくりそのままリーエに向けて言うということは今の彼女にとって最も効果があると、クロンにはそう感じられた。
「……そうね」
諦めたような声で、リーエは一言呟いた。
「でも、あたしが信じるのはあなたの言葉だけにするね、クロン。その方が、ずっと納得できるから」
クロンは胸が締めつけられるような想いに苛まれた。
「…………それでもいいよ。ありがとう」
本当は色々訊きたかったクロンだったが、その日はそれ以上会話する気になれなかった。
――明日、会えたらまた会おうよ。
そう約束し、二人は別々の帰路についたのだった。
緑械の贄人 杏仁みかん @anninmikan
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