第15話 メインシステムエリア

 タカラが床に膝をついて、座り込み、首を前方に傾けて視線を床へと向けた。

 私とシイナはタカラをただ見ていた。

 マザーとタカラが何の話をしているのか、我々にはほとんど分からない。何故タカラが座り込んでいるのかも分からない。

『検体ナンバー○○○○○一は不慮の事故により消滅した、というレポートも入手できました。原因については不明となっています。これは私の推測ですが、この実験の過程で何らかのエラーまたはバグが発生した結果、あなたの出現位置がずれたのではないかと考えられます。そうしてあなたは、このルーデル・ポリスの倉庫エリア通路に出現する事になった』

 マザーが言った。

 タカラは動かず、答えなかった。

『私が興味を持っているのはこの先です。システムにより生み出されながら、人間と大差ない体と精神を持つあなたが、自らのルーツを知った上でどうする事を選ぶのか。死ぬのか、生きるのか。また生きるのであれば何のために? 人間は通常、所属するコミュニティを持ちます。生まれたからには父と母が存在し、家族というコミュニティがある。何からの事情で家族を持たない人間も、生きていく中で他者との関わりを持ち、関連するコミュニティに身を置きます。しかしそのどちらもないあなたは、どこへ行くのか?』

 タカラは答えない。

『あなたを《人間》と定義して問題ないかは疑問が残りますが……肉体的にも精神的にも《人間》と大差ないと思われますが、生成の過程を考慮すると《ヒューマノイド》……いわゆる人造人間に分類されるのかもしれません。ともあれ、少なくともあなたはパーツではありません。私はあなたの意志を尊重しましょう』

 タカラは答えない。

『――――。あなたのルーツは、自らを《人間》と疑わなかったあなたにとって、おそらく相当衝撃的だった事でしょう。混乱があるでしょう。すぐに答えを出すのは難しいと言うのであれば、パーツに接触しないと誓っていただけるならしばらくこの国に留まってもかまいません。私はあなたの答えを知りたい』

 タカラは動かない。

 ここに至るまで、あれほど動き回っていたタカラ。脚部も、腕部も、ヒョウジョウも、動き続けていたタカラが、ぴくりとも動かない。

 マザーの言葉の影響により、こうなった事は分かる。しかし、どうすればタカラがもう一度動き出すのか分からない。

 タカラは何も言わない。

 タカラが何故動かないのか、分からない。

 私はどう動けばいいのか、分からない。

『AD‐O‐78402‐J‐46108、WE‐X‐43898‐P‐20417』

 びくり、と素体が震えた。隣に立つシイナの素体も同じように震えた。

 久しぶりに、識別番号を聞いた気がした。それは間違いなく私の識別番号であるはずなのに、まるで私ではないものを呼んでいるような気がした。

 それは私ではないような気がした。

 識別番号は、私を表す唯一の記号だった。

 けれどそれは私を表していないような気がする。

 なら、私は何だ。

『お前達はもうパーツとしての役目を果たせない。廃棄処分にします』

「マザー……」

『WE‐X‐43898‐P‐20417、銃を床に置きなさい』

 シイナを見る。シイナの視線はマザーに向けられている。

 シイナの手が、ゆっくりと腰部のホルスターに向かい、銃を抜く。そして、それをゆっくりと床に置いた。

『AD‐O‐78402‐J‐46108を拘置スペース101、WE‐X‐43898‐P‐20417を拘置スペース102へ収容しなさい』

 何度も繰り返される識別番号。それは私の識別番号であり、シイナの識別番号であり。

 それぞれを示す唯一の記号だった。

 そのはずだった。

 番号が読み上げられる。それは私が呼ばれたという単純な事実しかない。

 では、この胸部の内側に落ちて積み上がるような、重いものは何だ。

 覚えがある。これは、始まりの重さ。廃棄処分の直前にナミダを流したイレギュラーを見てからずっと消えない重さに、よく似ている。

 私とシイナの横に、武装パーツが立つ。銃の先が向けられる。これは、武装パーツの行動に従って行動するように、という指示になる。

 武装パーツが動く。私とシイナを間に挟んで、エレベーターへと向く。シイナもそちらを向き、歩き出した武装パーツに続こうとする。

 その行動は、正しい。

 パーツとして、正しい。

 それ以外の行動は、間違っている。


 けれど、私は、シイナの腕部を握って引いた。


 シイナの脚部の動きが停止し、緩く私を見上げてきた。

 口が動く。

「ダメだ、シイナ」

「……トウ、ヤ……」

「行っては、ダメだ。行けば、戻れない」

 私達は、イレギュラーだ。私達は不良品で、この国にはもう必要がないのだから、廃棄処分にされる事は当然だ。パーツはそういうものだ。そう知っている。

 だからこそ、その先へは行けない。行かせてはいけない。

『どこに戻ると言うのですか、AD‐O‐78402‐J‐46108』

 マザーの声がした。記号で私を呼んだ。

『お前はこのルーデル・ポリスの管理パーツ。そう作られた。WE‐X‐43898‐P‐20417もそう。武装パーツとして作られた。この国以外に行く場所などありません。この国以外にいる場所などありません』

 巨大なディスプレイを見上げる。

 マザーの言葉は、理解できる。

 マザーの言葉は、正しい。

 私はこの国で作られて、シイナも同じように作られた。最初から役割は決まっていて、定められた時間分それを全うし、規定の稼働時間を超えれば廃棄される。

 最初から、そう決まっていた。それ以外の道など、知らなかった。

 私も、おそらくシイナも、《知らない》という事自体を知らなかった。

「……マザー。私には、分からない。この国の外がどうなっているのか、この国を出る事で私がどうなるのか。それはこのままこの国の中にいれば、また廃棄処分になれば、この先分からないままだ。……しかし、私は、私には分からない事、知らない事が多くあるという事を知った」

 知らなかった。

 私は何も知らなかった。

 けれど知った。

 動き出した。


 私は、選んだ。

「私は――――――知りたい」

 私は、私が何かを選べる事を、知った。


 きっかけは、一体のイレギュラー。あのパーツが廃棄前に目から流した、知らないもの。あれはナミダというものだと、知った。ナミダを流す行為をナクと呼ぶ事を、知った。

「マザー、私は知りたい。知らない事を知りたい。分からない事を、分かりたい」

 ナミダが何故流れるのか、私はまだ知らない。あの光景を何故記憶から消去できないのか、まだ分からない。

「私は外へ行きたい。タカラと、シイナと一緒に」

 タカラと一緒にいたい。それが何故なのか、分からない。


 私は、答えが知りたい。


「……分からない」

 シイナの声だ。

 マザーに向けていた視線を、シイナに向ける。シイナは私ではなく、マザーでもなく、座り込んだまま動かないタカラを見ていた。

「分からない事は聞けばいいと、タカラが言った。タカラにも分からなければ、一緒に答えを探すと言った」

 シイナは、タカラが連れてきた。ユニットが壊れ、マザーの指示を聞けなくなったから。イレギュラーになってしまったから。シイナはマザーの指示の代わりに、タカラの指示を聞いた。

 シイナは私と違う。管理パーツと武装パーツだからではない。タカラとともに行動する理由が、私とは違う。

 私は外へ行きたい。タカラも外へ行きたい。シイナはそうではない。シイナは、外へ行きたいのではない。シイナはただ、タカラについてきた。

「タカラ……私は、ここを動かなくてはいけない。タカラと離れなくてはいけない。それが正しい。指示だから、従うのは正しい。しかし、素体がその行動を拒絶する。……指示に従うべきだと分かっている。しかし、動けない。私は、どうすればいい」

 しかし今、私とシイナは同じだと断言できる。

 私も、シイナも、タカラから離れたくない。

 設置されたスピーカーから、ノイズとともにマザーの声が聞こえてくる。

『どうあっても従わないつもりですか、AD‐O‐78402‐J‐46108、WE‐X‐43898‐P‐20417』

「違う」

 マザーに、否定する。

「私は《トウヤ》、シイナは《シイナ》だ」

 記号はもういらない。私にもシイナにも、もう、名前があるのだから――。


 二十秒。マザーは何も言わず、ディスプレイから私とシイナを見ていた。

 ディスプレイの中のマザーの口が動く。

『この国以外にお前達を必要としていた国はありません。この国で不要になったものは、世界にとっても価値のないジャンクでしかないのです。――パーツに《個》は必要ない。役目が果たせない。存在する意味を、お前達は失ったのです』

 私とシイナの隣に立つ武装パーツが動いた。三秒。気がつくと、私とシイナは床に倒され、その上に武装パーツが乗る。頭部後ろ側に、硬く冷たいものが接触した。

『イレギュラー化がここまで進んだパーツは、お前達が初めてです。従わないのであれば、この場で破壊する他ありません』

 ドクリ、と素体の中心部が脈動した。

 破壊される。動けなくなる。何も分からなくなる。何も知る事ができなくなる。

 ……タカラともう、いられなくなる。


 ――イヤだ。


 自然とわき上がったそれが何なのか、分からない。

 分かりたい。

 タカラ、これは、何だ。

 視線がタカラを探して、


「ごちゃっ……」


 タカラの黒に包まれた脚部が、目の前にあった。

 脚部にぐっと力がこめられ、重量のあるものが何かに衝突するような音が、上方から一度。

 背中に感じていた重量が、消えた。

 すぐ横で、重量のあるものが落ちたような音がする。


「ごちゃとっ……」


 片方の足がわずかに浮き、再び、踏みしめるように床と接触する。

 もう片方の足が、さらに奥に踏み込む。

 二度目の衝突の音。

 何かが落ちたような音が、シイナの向こうから聞こえた。


「――うっさいんじゃボケえええぇぇえぇぇぇぇっ!!」


 タカラが、これまでで一番大きな声で、言った。


 見上げると、私とシイナの間に立ったタカラが、肩を大きく動かして呼吸活動を行っていた。ずっと背部にあった荷物入れは、両手から垂れ下がって揺れている。

「タカラ……」

「ええい、くそ! ひとが真剣に悩んでるっつーのに! ちったー黙れ! 落ち着いて考えさせろ!!」

 タカラの目は、今にも水がこぼれてきそうなほど濡れていた。目の周りが少し赤くなっている。

 しばらくタカラはふーふーと肩で息をしていた。少しそれが落ち着くと、濡れた目のまま私とシイナを見下ろした。

「……いつまでそうしてんの。立ちなよ、もう誰も乗ってないから」

「……了解した」

 私とシイナは答えて、立ち上がった。私とシイナを破壊しようとしていた武装パーツは、どちらも床に座り込んで動かない。

 タカラは大きく息を吐き出し、私の胸部を右手で軽く叩いた。

「自分の意見、はっきり言えんじゃないの、トウヤ」

「イケン……」

「自分がああしたい、こうしたいって思った事を、自分の言葉で言うこと。……ああでも、そっか。トウヤは最初からそうだったかもね」

「最初から……」

「だって、本当は来ちゃいけないわたしのところに、会いに来てくれたでしょ。トウヤがわたしに会いに拘置スペースに来てくんなきゃ、今こうして並んで立ってないよね」

 タカラはエガオだ。

 イイコトがあったからだ。

 今、私とタカラが、一緒にいるからだ。

 タカラが首の向きを変え、シイナを見る。

「あと、シイナ! ここを動きたくないってんなら動くな! わたしと離れたくないってんならくっついてろ!」

「……『クッツイテ』……」

「うりゃっ!」

 クッツイテ、がどういう事なのか分からない様子のシイナ。タカラはその素体に両腕を回し、抱えた。これがクッツイテ、という事らしい。

 私も行動に移した。タカラの後ろから、タカラの素体に腕を回し、抱えた。あたたかくて、やわらかい。

 タカラが目を丸くして、首をわずかに回して私を見た。

「え、ちょ……何でトウヤまでわたしにくっついてんの?」

「タカラと離れたくない。だからクッツイテをする」

「……ウルトラストレートきましたドストライクですわたしノックアウトですよこれむしろデッドボール?」

「タカラ、何を言っているか分からない」

「分からないように言ってんだい。……あと、『くっついて』ってのは動詞だから。基本形は『くっつく』になるから」

「ドウシが何か分からない。……が、『クッツク』という言葉が変形したものが『クッツイテ』となる事は理解した」

「十分。わたしも文法とかよく分かんないし、適当でよし」

「いいのか」

「いいのさ!」

 タカラがいいと言うなら、いいのだろう。

『……どういうつもりですか、タカラ・ナルミ』

 マザーが言った。

 タカラは三秒、マザーを見上げてから、シイナから離れた。私もタカラから離れる。

「……マザー。あんた、わたしの答えに興味があるっつったよね。お望みどおり答えてやろうじゃないの」

 タカラは荷物入れの紐を肩にかけて、素体ごとマザーと向き合った。

「よーするに、わたしの大本はよく分からん何かのデータで、わたしはそのコピーで……この国で目を覚ましたところがわたしにとってのゼロ地点だって事だよね……。正直ショックだよ。どう受け止めていいか分かんない。ショックは大きいけどあんまり現実感がない。ていうかスケールむちゃくちゃすぎてもーよく分からん。でもね……わたしにはもう、ここで自分がすべきって決めた事がある。ここで目覚める前の私に何もないって言うんなら、わたしにはもうそれしかない。だから、それを貫くだけだ」

 タカラの右手が私の左手を握った。タカラの左手はシイナに繋がっている。


「――わたしは、トウヤとシイナと一緒に、外へ行く!」


 タカラの答えを聞いて、五秒。マザーの口が動き、スピーカーから声が聞こえてくる。

『……この世界で生きていくとして、あなたはすでに大きなハンデを負っている。その上、そのようなジャンクを二体も連れて行くと。そう言うのですか』

「ジャンクジャンクってあんま連呼すんなよ、そのディスプレイぶち壊したくなるから」

 タカラの声が、いつもに比べて少し低いような気がした。

「……要不要で語るなら、わたしの存在だって不要なもんだ。あんたの推測どおりなら、わたしがここにいる理由は事故でしかない」

 私の左手を握るタカラの右手が、力を強くした。

「そんでももし、わたしがここにいる事に、ほんのちょびっとでも意味があるんなら……それはきっと、トウヤとシイナを死なせないためだって……思いたい」


 マザーが答えたのは、その十秒後だった。

『いいでしょう』

「……はえ?」

 タカラの手に、力がなくなる。

『わたしはAD‐O‐78402‐J‐46108およびWE‐X‐43898‐P‐20417の所有権を放棄し、二体をあなたに譲渡します』

「……え? くれんの? いやくれるってのも表現悪いけど……いいの? マジで?」

『多少スケジュール調整の必要はありますが、それはイレギュラー処理にはつきものです。システムに大きな狂いは出ません。わたしにとってルーデル・ポリス・システムを狂わせる可能性を持つものをこの国から排除する事が優先事項。この国に必要のないパーツをあなたに譲渡する事に、何の問題もありません。この国の外へ行くのはあなたの自由であり、またイレギュラーを増殖させるであろうあなたにはどのみちこの国からいなくなってもらわねばなりません』

「……さいで……」

 緊張して損した、とタカラが小さな声で言った。

「……タカラ、何が起こったのかわからない」

「……つまりわたし達三人、この国の外に出てっていいよっつー事です。マザー公認だから、もう武装パーツに追っかけられる事もなし」

「……外へ行けるのか」

「そうだよ」

 今度は、私がタカラの手を握りしめた。タカラは私を見て、エガオになった。

 この、胸部が破裂しそうな感覚は何なのだろう。

 また一つ、分からない事が増えた。

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