第14話 屋上→メインシステムエリア

 いつまでもこのきれいな光景を眺めていたい気持ちはあるが、そうも言っていられない。わたし達は逃亡中の身なのだ。

 水路につながる当の屋上まで辿りつけたわけなので、次の目的地は水路の向こうにある巨大な外壁だ。あそこまで行けたなら、かなりこの国の外へと近づく。

 そのための道は、水路しかないわけだが……。

「うえ……なんかこれ、カーブしてませんか……」

「している」

 トウヤがさらりと肯定してくれた。

 屋上よりも、外壁のほうが背が低い。必然として、水路は下向きに伸びている。しかもただまっすぐ斜め下に向かっているのではない。ゆるくカーブを描いているのだ。上向きに。滑り台として考えるととてもスリリング。

「いや、いやいやいや、これはちょ、無理でしょ!?」

 そうは言っても、道はこれしかないのだから腹をくくるしかない。側面を掴みながらゆっくり進めば、なんとかなるだろうか……。

「…………タカラ」

「ん? どした、シイナ?」

「足音だ」

「…………………………え。」

 シイナが、わたしが覗いている水路とは正反対に位置する水路を見つめながら告げた。

 耳を澄ませると、たしかにキシ、キシ、と踏みしめるような音が聞こえてくる。

「っ、ヤッバ! のんびりしすぎたパートⅡ!? ええい、トウヤ、シイナ、先行って!」

「タカラは……」

「後ろすぐ行くから! はやく!」

「……了解した」

 わたしが最後なのは、追手が何かしかけてきても勝手に動けるからだ。戦闘力低くてとっさの回避判断もできそうにないトウヤを一番遠ざけて、何かあったときすぐに頼めるようにシイナは二番手。

 自分でも、はっきり無謀だと思う。けれど、状況を判断して指示を飛ばそうとするなら、この場合、わたしがしんがりを担うしかない。

 トウヤが水路に踏み込み、キシキシと音を立てて進む。

「横の壁掴んで、転げ落ちんなよ!? カーブが急になってきたら滑っておりて!」

「……了解した」

 横の壁の上を右手で掴み、沿うようにトウヤが歩いて行く。

「ほら、シイナも!」

「……」

 シイナはじっとわたしを見上げたあと、ホルスターから銃を抜き、いつでも撃てるよう準備してから水路に入った。自然とそれを行う幼い姿はアンバランスで、恐ろしい。けれど、現状では一番頼もしいのかもしれない。

 シイナの小さな背中を見ながら、わたしも水路に踏み出す。


『――止まってください』


 この状況で、そう言われて素直に止まるヤツは馬鹿だろう。

 そしてわたしは、馬鹿だった。

「……え?」

 足を止めて、振り向いた。まさか声をかけられるとは思っていなかった。足音の主は、のそりと反対側の水路から姿を見せた。

 トウヤより幼く、シイナより大人びた風貌。服装はトウヤと同じ。シイナのようなゴーグルは身につけていない。銃を下げるホルスターどころか、武器になりそうなものは一つも持っていない。ただ、その左腕に、小型の機械を抱えている。

『そのまま、動かないでください』

 足音の主は、口を一切動かさなかった。

 聞こえてくるのは、少女のような幼く可愛らしい声。しかし、肉声ではない。常にノイズを伴っている。

「……マザー」

「うぉう!? ト、トウヤ!? シイナまで、何で戻ってきて、……って、マザー!?」

 いつの間にかすぐ後ろにトウヤとシイナが立っていたことに対する驚きは、すぐさま別のものにすり替わった。

「え、あの……パーツが?」

「違う。あれは管理パーツだ」

「あ……そか、トウヤと同じ服だもんね。え? じゃあマザーって……」

 完全に屋上に出た管理パーツが、抱えていた小型機械のスイッチを押す。ほわり、と機械上部から光が放たれ、その中に可愛らしい少女の姿が映し出された。

『《マザー》は、私の事です』

「……おんな、のこ……」

 映し出されている少女は、トウヤ達と違って白くなかった。長いブロンドヘアに、シンプルなワンピース。その上に、何故か白衣をまとっている。幼い容貌には不釣り合いなはずのその格好が、妙に様になって見えた。

『この姿はある実在した人間をモデルに構築したものです。私自身に肉体はありません。私はこの《ルーデル・ポリス・システム》を運用、管理するもの。――《AI》、と言って通じるでしょうか』

「AI……? 人工知能?」

 フィクションで得た知識から答えた。それ以外に思いつかなかった。

『そのとおりです』

 映像の少女――マザーの口が動くと同時に、ノイズ交じりの声が耳に届く。まるでそこにミニチュアサイズの人間が生きているようだ。わざわざそこまで再現するのか。

『あなたと話をするのであれば、音声だけよりも姿を伴ったほうが警戒心を和らげられると判断しました』

「話……?」

『場所を変えましょう。この場所は話をするのに適していません』

「……まあ、話をする場所じゃあ、ないわなあ」

 ここは屋上。吹きさらし。風も強い。本来ただの水路なので、話し合いをする事など考慮されているわけがない。

『降りましょう。ついてきてください』

「……とか言って、降りた瞬間武装パーツに拘束されちゃたまんないんだけど?」

『私はあなたに興味があります』

「……はい?」

『あなたが暴れでもしない限り、こちらからあなたに危害を加えることはしません。銃も向けません』

 マザーに表情はない。声も無機質な合成音声らしく、何も読み取れない。

 そもそもマザーに敵意なんてものはないのだ。マザーは機械的に、システム的に、異物であるわたし達の排除に動いていただけ。

 その前提に立つと、「話をしたい」という言葉も途端に胡散臭くなる。システム的な判断をしてきたはずのマザーが、どうして、何のために、わたしとの話し合いを望むのか。

「……AIだって、学習次第じゃ嘘つくでしょ」

『つきます』

 あっさり肯定された。

 あまりの素直さに、がっくりと肩から力が抜ける。

「……話すんのはまあいいけど。でも何の話? わたし達は外に出れれば何でもいいんですが」

『あなた自身に関わる話です』

「わたし……?」

『あなたは何故、この国にいるのか』

「――――――――」

 それは、ここで目覚めてからの、わたしにとって一番の謎。考えても考えても、答えの手がかりすら得られなかった空白の記憶。

 瞬間、わたしの中で「逃げるべき」という声は「知りたい」という声に押しつぶされた。

『あなたはそれを説明できますか?』

「……無理ッス」

『話をしますか』

「……しましょう、しますよ、むしろ何か知ってんならひれ伏してでも教えてほしいくらいだ」

『その必要はありません。わたしは、これを知った後のあなたの選択に興味があるのです』

 何だかよく分からないが、あまり趣味のよくなさそうな興味だ。が、教えてくれならありがたい。

『では、行きましょう』

「どこに?」

『この塔の最下層――メインシステムフロアです』


 * * *


『先ほどは失礼しました』

「どれの話?」

『銃撃を行った事です』

「ああ……」

 屋上から十三階へ降り、あのプライベートルームを通り抜けた際、マザー側に行動に動揺はなかった。マザーは多分、部屋の存在自体は知っていたのだ。管理パーツが知らないということはマザーが教えてこなかったということになるのだが、それがどうしてかまでは分からない。

 はしごを使ってまた十二階へ戻ると、そこはすでに無人だった。怪我をしたパーツがいたはずだけど、血の跡すらない。白い壁、白い床、整然と並ぶ花。綺麗なものだ。その光景になんとも言えない気持ち悪さを感じながら、エレベーターに乗り込んだ。

 丸い形のエレベーターは、わたしからすると少し珍しい。エレベーターの内装も国全体と同様に白かった。

 エレベーターの中には、わたしとトウヤとシイナ、そしてマザーを映写する機械を持った管理パーツ。

 言葉を交わすのは、わたしとマザーだけ。

「あれ、威嚇射撃だよね」

『はい。過去、この行動により人間の行動をコントロールする事ができました。あなたについても初回は銃を向ける事で行動をコントロールできたので選択したのですが。まさかあそこから逃げられるとは予想していませんでした』

 実際、わたし一人だったら動けなくなっていただろう。

 あのとき、シイナがどんどん武装パーツを攻撃する姿を見て……このままではいけないと、強く思った。シイナにあのまま撃たせ続けちゃいけない。シイナを人殺しにしないために。武装パーツを死なせないために。誰かが死ぬところ見ないために。

 それで結局、シイナに撃たれた武装パーツはどうなったのか。

「……ま、逃げ出す事が目的だからね」

 ふと疑問が浮かんだけど、怖くて聞けなかった。

 エレベーターのモーター音だけが響く。

 しばらくして、チーンと到着を告げる音が鳴り、一つしかない扉が開く。小型映写機を抱えた管理パーツが先に出て、わたし、トウヤ、シイナも順にその後を追う。

「……ここが最下層か」

『はい、メインシステムエリアです』

 白い壁を埋め尽くすように配置されたコンピュータやディスプレイ。照明は上の階層よりも抑え気味になっているようだが、無数のディスプレイから放たれる煌々とした明るさにより、やはり目が痛い。

 ここより上の階層に比べて無骨で異様な空間にも見える。けれど、舞台裏なんてそんなものなのかもしれない。白くて清潔な花の国、《ルーデル・ポリス》を構成する基盤。それが、この空間なのだ。

 ついて来たはいいものの、本当によかったのかと自問。答えは出ない。

 最下層。地下十三階。

 地上十三階と違って、エレベーターは通じている。しかし、階段はない。逃走経路はエレベーターただひとつ。その扉の両脇には武装パーツが銃を構えて直立している。逃走経路としてはあってないようなものだ。もしものとき、どうやって逃げるべきかと頭を押さえながら、エリア内を見回す。

 ディスプレイの前には広いコンソール。管理パーツらしい姿が六人分。彼らの目の前には、いくつもの国内らしき映像が表示されている。

「……あれ監視カメラの映像?」

「そうだ」

 右斜め後ろに控えるトウヤが答えた。

 トウヤは監視カメラの情報をかなり正確に把握していたし、このフロアには現在も管理パーツが六人いる。おそらく、ああしてカメラ映像をチェックする事は、管理パーツにとってのルーチンワークというやつなのだろう。

『こちらへ』

 マザーに促され、フロアの中でひときわ大きなディスプレイの前に立つ。案内役だった管理パーツがずっと抱えていた装置をコンソールの上に置き、スイッチを切った。

 少女の姿が消えた直後、真っ黒だったディスプレイが起動を始める。数秒のうちに、大きなディスプレイにマザーの姿が映し出された。高画質でハイクオリティな3DCG。うっかりすると、本物の人間がそこにいるように錯覚してしまいそうだ。

『あなたの話をしましょう。あなたの名前はタカラ……タカラ・ナルミで間違いないですか?』

「……ここは苗字が後になってるの?」

『そうです』

 違和感に尋ねてみればあっさり肯定。ですよね、知ってた。ここが少なくとも日本じゃないことは分かっていた。今さら、驚きもできない。

「なら合ってるよ。苗字が成海で、名前が宝良。でもなんで……何、もしかしてどっかで音声拾われてた?」

『それもあります』

 またもやあっさり肯定された。まあその点については何も不思議には感じない。音を拾うカメラだってあるだろうし、トウヤ達が耳につけていたユニットという機械にマイク機能がないとも限らない。

「……ん? それ、も?」

 つまり他にも情報源がある、という事なのか。

『それについてはこれからする話に関わってきます。――まず、タカラ・ナルミ。あなたはこのルーデル・ポリス中央塔倉庫フロアの通路にて覚醒した。間違いありませんか?』

「ないよ」

『では、その直前の記憶はありますか?』

「ないよ」

 即答してから、

「正確には、記憶が飛んでる気がする。ある時点でぶっつり途切れて、倉庫フロアで気づいたあたりから突然始まったって感じ」

『分かりました』

 ディスプレイの中のマザーが軽く腕を動かした。すると、その右手の先あたりにムービーが表示される。映っているのは、わたしだ。

『あなたが倉庫フロアに出現してすぐ、私はあなたに武装パーツを差し向けました。あなたが何者かは不明でも、パーツでない事は明白でした。勝手な行動をされては、このルーデル・ポリス・システムに大きな悪影響を及ぼしてしまう』

「まあ、そうだろうね」

 映像の中のわたしは、わめいたり頭を抱えたりとせわしなく動いている。

「で、ほっとくと危ないから、とりあえず拘置スペースとやらに放り込んだ、って事?」

『はい。しかし、あなたがどこから現れたのか、いったい何者なのか。調査が難航している間に、あなたは拘置スペースから抜けだしてしまいました。大変焦りました』

「……えーっと、それについてはすまん。けどこっちも切実に身の危険を感じたもんでね」

『パーツではないあなたを問答無用で廃棄処分にかけるような事はしません』

「けどそんな事、この国の事もあなたの事もよく知らないわたしには分からないよ」

『そのとおりですね』

 お互いの言い分を言い合ってから、ふと、首を傾げた。

「……さっき、出現したっつった?」

『言いました』

「……誰かが運び入れたとかではなくて?」

『ルーデル・ポリス構築以来、外部からの侵入者はあなたただ一人です』

「マジでか……んん? じゃあ、わたしはどうやってこの国に来たんだ……?」

『それはすでに告げました。先ほどあなたも口にしました。あなたは《出現》したのです。このように――』

 そう告げて、マザーはディスプレイの中の映像を、巻き戻した。時系列を前から後ろへと追っていく。立っていたわたしが膝をつき、倒れた。本来なら、倒れていたわたしが起き上がるシーンなのだろう。

 そして、

「……えっ?」

 わたしの体がふわりと浮かび上がり、姿が薄れ、まるでかげろうのように揺れて、消えた。

『実際の現象は、このとおりです』

 巻き戻しから通常再生へと戻された。映像の中で、何もなかったはずの通路のかげろうが生まれ、徐々に輪郭や色彩を明確にしていき、――意識がないらしいわたしの体は、力なく通路の上に落ちて倒れた。

 目をみはって、茫然と映像を見つめる。映像のわたしが起き上がったのは、倒れた数秒後の事だった。

「……何、これ……」

『この現象に、あなた自身は心当たりがない。間違いありませんか?』

「ないよ! あるわけないじゃん、こんなっ……!」

 非現実的な、事。

 言いかけて、口をつぐんだ。

 非現実的と言えばある意味この国そのものがそうなのではないか。聞いた事のない国名。人間の姿をしているのに《パーツ》と呼ばれ、消耗品のような扱いを受けている国の住人達。

 そういえば、何故わたし達は当たり前のように意味の通じる言葉を交わし合っているのだろう。何故、見覚えのない記号の羅列を文字と認識して、読む事ができるのだろう。

 トウヤもシイナも、マザーも、見るからに日本人に見えないし、実際ここは日本ではないという事までは納得している。けれど、はっきり言って、わたしが知っている外国語なんてせいぜい英語くらいだし、その英語の成績もとても良好とは言えない。そんな程度の能力で、意識せずに外国語で会話なんてできるわけがないのに。

『まずわたしは、あなた自身の検査を行いました』

「って、ちょ、いつの間に!?」

 マザーが切りだした。わたしも混乱しつつ、ツッコミを入れる。

『検査と言っても、スキャン機能を備えた一部のカメラ映像を分析した程度です。結果、あなたの肉体はごく一般的な人間のものである事が分かっています』

「に、人間じゃなかったら何だってのさ……」

 返す声が震えたが、マザーは頓着しなかった。

『ただ一点、脳に異物が付着していました』

「うえ!?」

 反射的に頭を抱えた。髪の毛、頭皮、頭蓋骨などに守られて、脳に直接は触れられないが。というか、触れたくない。

『取り出してみなければ確実な事は言えませんが』

「や、やだかんね!? 頭切り開くとか勘弁だかんね!?」

『おそらくは《トランスレーター》……言語翻訳補助機器の類ではないかと思われます』

「……げん、ご……?」

『一般流通はしていないものです。脳に埋め込むことで、外国語学習に通常必要とされる長時間の学習時間をカットする事ができます。開発と検証が行われた記録はありますが、脳に直接埋め込むという行為には大きな危険を伴うため、流通は許可されませんでした。――あなたの容貌はこの近隣国のものではない。しかし言葉は通じている。その機器をトランスレーターであると仮定した場合、によって我々の言葉を自動的に翻訳、またあなたの言葉も自動的に翻訳された状態で発声されているということになります。また、脳での理解はあなたが常用していた言語のはずなので、違和感も少ないでしょう』

「……それ、話すだけじゃなくて、読むほうも……?」

『基準をクリアしており不具合もないのであれば、可能です』

「……うっそ……」

 にわかには信じがたかった。

 まず、言語補助機器などとという機械の存在。誰だって、一度は夢に見る機械だろう。勉強しなくても、他国のひととコミュニケーションがとれるようになるのだから。

 そんなものがテスト段階にしろ開発されたのならば、たとえ普段あまりニュースなんて見ないわたしのような高校生だって興味を持ち、友人間の話題にのぼったっておかしくない。しかし、そんな記憶は一切ない。

 また、それが自分の脳に埋め込まれているらしい、という事。これはなおさら信じがたい。

「……んな、馬鹿な。わたしは頭開くような手術した覚えはないぞ!?」

『記憶にありませんか』

 意識してみれば、自分の唇や舌の動きがおかしい気もする。マザーの口の動きと音声が微妙にズレているような気もしてくる。それを振り払うように大きな声で言い返す。

「ないったらない!」

『では、肉体生成時に埋め込まれたのでしょう』

「…………はい?」

 マザーの言葉の意味を、理解できなかった。どう聞き返せばいいかも判断がつかず、目を丸くして、首を傾げて、間の抜けた声を出すだけ。

『惑星というものを知っていますか?』

 突然、まったく関係ないように思える質問を振られて戸惑うが、とりあえず答える。

「……まあ、一応学校で習った」

『では、あなたが今いるこの惑星の名前を知っていますか?』

「……《アーシス》?」

 声が出て、慌てて自分の口をてのひらで覆った。

 わたしは、「地球」と答えようとしたのだ。なのに、口から出たのは知らない単語。

「なっ……何、これっ……」

『あなたが考えた名称とは違いましたか。では、この惑星の名称は、それとは似て非なるものと判断されたのでしょう。――どうやら脳に埋め込まれている機器はトランスレーターに間違いないようですね。あなたの言葉を間違いなく我々が使用している世界共通語である《オリーデア語》に翻訳している。つまりあなたに機器を埋め込む前に、あなたが常用していた言語の解析を完了させていたという事にもなる。汎用性はありませんが、成果としては素晴らしいです』

「何……何言ってんの!? ねえ!」

 心臓が、嫌な音を立て始める。

 その先にある言葉が、怖い。想像もつかなくて、怖い。

 ただ、予感だけが嗤う。

『――惑星とは通常球体になっています。そのため、座標によって裏側に海があるか、陸があるかの違いがあります。このルーデル・ポリスの裏は、《オリーデア》という国の北端になっています』

「……そんな国、知らない……」

 わたしの弱々しい声を、マザーは無視する。

『わたしも今回の調査で知った事ですが、オリーデアでは長く、極秘にある調査、研究、実験が行われてきているようです。――まず一つは、古代遺物内の未知のシステムについて。これは専門家の間では《アルキオス・システム》と呼ばれるものです。そしてもう一つは、人工的な人体生成について』

「人体、生成……?」

 ぎゅっと、無意識のうちに心臓の上の服を握りしめていた。

『アルキオス・システムには、膨大な量と種類の情報が蓄積されていたようです。オリーデアの研究者達はその中からいくつかの情報の抽出に成功し、それが人間の個体情報である事を突き止めました。一口に言っても、情報はさらに数種類に分けられます。肉体情報と精神情報、そして付属情報。付属情報とは、身につけているものの情報のようです』

 マザーが映るディスプレイに、いくつもの文書ファイルらしきもの、画像や動画などが次々に開かれていく。

 見慣れない文字で書かれたわたしの名前に、何を示しているのか分からない数字やその他記号の羅列。

 3DCG描画ソフトで描かれたようなポリゴンの輪郭線は人間の体を表し、緩やかなスピードで横向きに三六〇度回転している。その脇には、上下左右からそれを固定して表示された画像。

 同じように、服やバッグ、ペンのような小物のポリゴン画像まで。

 目の前の事実は認識できても、それがどういった意味を持つのかまで理解する事を、頭が拒む。

『侵入に気づかれブロックされてしまい、データは一部しか取得できませんでしたが……』


『検体ナンバー〇〇〇〇〇一、タカラ・ナルミ。あなたはアルキオス・システムに保存されていた個体情報のコピーを元に、オリーデアの研究施設によって生成されたものです』


 鈍器で思いっきり殴られたような衝撃が、全身を襲った。

「は、はは……何言ってんの? 新手の冗談? あ、あれか、ドッキリか。にしたってタチ悪いよソレ。いやドッキリって基本的にタチ悪いもんか」

『あなたに冗談を告げるメリットが、私にはありません』

 震える声とぎこちない笑みを、マザーの合成音声がぶった切った。

『あなたは肉体、精神、付属情報、そのすべてを抽出できた数少ない検体だったのでしょう。まず、肉体情報により髪の毛一本の長さからすべて……おそらく表面だけではなく筋肉や脂肪の状態まで割り出し、それに合わせた肉体を生成。しかし、それだけでは意識のない肉の塊でしかない。同時に精神情報をインストールする事で、人間と何ら代わりのない《あなた》を創りだした。付属情報まで再現した事については、あまり大きな意味はなかったようです。あえて表現するなら、研究者達の遊び心というもののようです。肉体を生成するように、付属品を生成できるか。生成できたものは、この世界にあるものとどう違うのか。場合によっては、この世界においてまったく道の素材が誕生したかもしれません』

 機械的ゆえに、隙がない。疑えない。笑えない。

 笑えない。

「……何、それ……何なのさそれ……。アルキオス・システム? 個体情報? 人体生成!? 非現実的も大概にしてよ! たしかに、わたしは《成海宝良》だ! でもそんなの知らない! 研究所? そんなの記憶に、……」

 ふいに、非常階段から地上へ出るまでの間に見ていた夢を思い出した。

 たくさんのコードに繋がれた黒い箱。

 壁を埋め尽くすコンピューターとディスプレイ。

 嬉しそうに歪んだ顔でわたしを見下ろしていた、白衣を着た大人達。

「……まさ、か……あれ………………」

 夢だと思っていた。非常通路から抜ける際、立ったまま寝て見た、よく分からない不思議な夢だと。

 夢じゃなくて、夢うつつに見た、現実だった……?

『心当たりがありましたか』

 マザーの確認には、答えられなかった。

「……地図、見せて。世界地図」

『はい』

 マザーはすぐにわたしの要望を叶えてくれた。

 ディスプレイいっぱいに、世界地図が表示される。それを眺める。言葉にできないほど複雑な感情が、胸の内からあふれてきそうだった。

『現在地はここ、クラディス大陸北西です。地図上ではイリオトロという国に含まれています。あなたを生成したであろう施設があるオリーデアはこちら、ペタロン大陸の大部分を占めています』

 見た事のない形の大陸が四つ。大陸からはみ出すように伸びるいくつかの半島に、大陸から離れた島々。聞いた事のない名前の数々。どこにも見当たらない、見慣れていた生まれ育った国の形。

 淡々としたマザーの声が、なおさら、これが嘘でも冗談でもないのだと告げているようだった。

「……いないの? 両親も、弟も、友達も……住んでた家も、通ってた学校も、国すらも……どこにも、存在しないっての?」

『少なくともこのアーシス上には存在しません。それらはすべてアルキオス・システム内のデータという事でしょう』

 崩れていく。

 常識が。

 認識が。

 世界が。

 わたしが。

「は、……はははっ……」


 何て事はない。

 一番のイレギュラー(はずれ者)は、わたしだったんだ。

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