第13話 地上13F→屋上
「タカラ」
トウヤがくぐもった声で呼んだ。
「何かある」
「うな? ――うおっと!? シ、シイナいたの……」
「いた」
思考を中断して振り向くと、シイナがいつの間にかすぐそばにいた。振り向いた拍子に肘がシイナにぶつかりかけたけど、なんとか回避。シイナもぶつからないよう、軽く体を仰け反らせている。素晴らしい反射神経だ。さすが武装パーツ、といったところなのだろう。わたしなら絶対ぶつかる。
トウヤはベッドのかたわらに立っていた。わたしも移動し、トウヤの右隣に立つ。わたしの空いている右隣に、ついてきたシイナが立った。
「で、何だって?」
「何かある。何かは分からない」
トウヤがベッドの枕元を指差す。誘われるように視線を落とす。
「――――――――――っ!!」
それを見た瞬間、わたしは心の底から絶叫したくなった。しかし声は出なかった。
今は、ほこりを大量に吸い込まないために口元を押さえているけれど、たとえほこりがなくても口元を押さえただろう。
……なんて事だ。
「これは何だ」
本当に、分からないのだろう。トウヤがいつもどおりに聞いてくる。
わたしはドッドッとうるさく跳ねる心臓をそのままに、答える。
「……骨」
しかも頭蓋骨。漫画やアニメ、服のワンポイントなんかでもよく見かける髑髏マーク、のリアル版。
「……そりゃ枕元ですからそこに足があったらおかしいんだけどね! そもそも骨がひっそりベッドに横たわってるってどうなの何なのどーゆー事なのー!」
しかもしっかり上がけ布団を被っている。
つまり、この元・人間はベッドで眠りそのまま息絶えそのまま放置された結果腐敗を通り越して白骨化した、という事だ。
「っ、どんっだけ放置されてんだよっ、死後の後始末くらいしてやれよやるだろフツーっ……」
「タカラ、『ホネ』とは何だ」
小声でぐだぐだとあてのない愚痴をこぼしていると、トウヤから質問を受けた。
骨を知らないとか、骨折したときとかどうするのだろうか。そもそもこの国には治療行為を担当するパーツが存在するのだろうか……。
もし、いなかったら?
脳裏に、先ほどシイナに撃たれて血を流していた武装パーツ達の姿が過ぎる。
「……いや、いやいやいや、考えない、考えないぞー。考えたら負けちゃうよー」
どう負けなのかとかは考えない。
気持ちを切り替えるために小さく息を吐き出し、トウヤを見上げる。
「……トウヤ、腕曲げてみ?」
「こうか」
「そうそう。ここ、肘、硬いものがあるでしょ」
「……ある」
「それが骨。指にも、膝にも、体のあちこちにあるからね。あと、折れたらかなり痛いらしいから、気をつける事」
ちなみに、わたしは幸いな事に骨折経験はない。が、経験した友達いわく相当痛いとのこと。涙目で語ってくれた。
トウヤが不思議そうに自らの右肘を左手で撫でる。
「折れるのか」
「折れるんだよ。……トウヤとか骨脆そうだから、ホント気をつけるんだよ?」
「了解した」
とはいえ、気をつけていれば骨折しないというものではないのだが。気をつけていても折れるときは折れる、そういうものだ。それでも、気をつけていないよりはずっといいはず。
わたしは視線をトウヤからベッドの上の白いものに戻した。当然だが、骨はぴくりとも動かない。
「……動いたらホラーだね!」
笑えない。
この部屋は誰かのプライベートルーム。少女趣味なインテリア。白骨化した誰か。
――《この子》が、この部屋の主だ。
「……ほんっと、笑えない」
吐き捨てるように、小さく。口を覆ったままなので、くぐもっていた。きっとトウヤには何て言ったのか聞き取れなかっただろう。シイナには聞こえたかもしれない。
「……トウヤ、この骨の主、心当たりある?」
「ホネの主……」
「えーっと、たとえばだね。トウヤの体がすべての活動を停止したとする。そのまんま長期間放置。するとこういう姿になるわけだよ」
「……これはパーツなのか」
人間だと思う、と言おうとして、やめた。
「どうかな……少なくとも、わたしやトウヤみたいな体は持ってたはずだよ。でもって、この十三階を自由に利用していた。心当たり、ある?」
もう一度聞いてみたが、
「ない」
トウヤは即答だった。
ある、という答えは期待していなかった。十三階への行き方を知らないくらいなのだから、これが誰なのか知らなくても当然だろう。
「そっか……。白骨化って、どんくらいの期間で起こるもんだっけかな……」
さすがにそんなこと、学校の授業では習った記憶がない。ミステリー系の漫画で見かけたような気もするが、いい感じに記憶がかすんでいる。しかし、たしか何十年だとか何百年だなんて気が遠くなるような期間ではなかったはずだ。そんなものなのか、と思った記憶があるような、ないような……。
「……ま、考えてもしゃーないか」
この子がいつごろ死んだのか、という情報はわたしたちの今後の行動に影響を及ぼさない。
関係ないのだ。死者は生者に干渉できない。逆もまたしかり。幽霊でも存在すれば話は別だが。
「……途中で花の一輪くらい、失敬してくりゃよかったなあ。ごめんよ」
返事がない事を理解したうえで、声をかける。
忘れ去られたように朽ちた元・人間。きれいにするなり、せめて花を供えてやるなりしたいところだが、あいにくそんな時間はないし、花も持っていない。
ある意味で、この花にあふれた国そのものが、この元・人間のための棺なのかもしれない。
「……まさかね」
一瞬本気でそうなのではないかと思ったが、さすがにない。ない、と思う。いくらなんでもスケールが大きすぎるうえにそんな事をする理由が考えられない。
とにかく、この子の死後からこっち、この部屋には誰の手も入っていなかったのだろう。という事は、やはりマザーを含めて誰もこの部屋の存在を知らない、という事なのか。
そんな場所に自由に出入りする存在は、マザーの管理から外れているという事になる。
「……君はここで何をして、何を思って生きていたのかな」
手がかりはある。丸テーブルの上でほこりをかぶっていた日記。けれどやはり、そういったプライバシーの盗み見は趣味が悪いと思う。わたしなら、たとえ死んだ後だって自分の日記をどこの誰とも知らない人間に読まれたくはない。日記なんて書いていないが。
「――さってと。本筋に戻ろうパートⅢ!」
気持ちを切り替えて、現状を振り返る。
この最上階、下層のフロアと比べると違う点がいくつもあるが、外周の壁にガラス戸が取りつけられているところは変わらない。
一つのガラス戸に近寄り、ざっと作りを確認してみたが、鍵らしきものは存在しないようだ。
ガラスの壁を挟んだ向こう側の足場には、なにもない。この階では花壇として利用されてはいないみたいだ。……利用されていたとしても、この部屋への入り方を誰も知らないのでは、世話をする存在もないわけだから、今頃可哀想な状態になっていた事だろう。
さらに遠くへの視界を遮るものは一切ない。この国を囲っている巨壁も、この塔の十三階にその高さは及んでいないらしい。壁の天辺は確認できるけど、地上から見た風景からは信じられないくらいに青い空が広がり、やわらかそうな雲が自由に泳いでいて、そこを白く無粋な水路が横切っている。
ガラス戸は複数に区切られているけど、そのうちの一つにはドアノブのような取っ手が設えられている。というかドアノブ。ドアノブとしか表現の仕方を知らないわたしはボキャブラリー貧困なのだろうか。
「……もういーよドアノブで。むしろ取っ手で。誰も困らないし」
何にしろ、十二階までのガラス壁にはこんなものはついていなかった。マザーが開閉を管理しているというのだから、必要ない物なのだろう。
ドアノブにしろ取っ手にしろ、人の手によって開けるために必要なものなのだから。
「……物は試しってね」
呟くように言いながら、取っ手に手をかけて、下に捻ってみると、馴染むような手応えがあった。無意識に喉を鳴らす。そのまま、手前に引いてみた。ガラス張りのドアはあっさりと内側に移動し、外界への口をぽっかりと開けた。ふわり、と新鮮な空気が室内に入り込む。
「……開いた」
右斜め後ろからトウヤの呟き。淡々としているのに、どこか驚きを含んでいるような気がした。
わたしはゆっくりした足取りで外へと歩を進めた。
外へ出た途端、さあ、と幾分強めの風が吹いた。
「う、わっ……ちょ、死ぬ! 落ちたら死ぬ!」
なにせ十三階。おまけに一階分の高さが通常より高く作られている。おおよそ二階分として計算すると、十三階とは名ばかり二十五階くらいの高さ。どれだけ運がよくても死ぬ。
「トウヤ、シイナ、吹き飛ばされて落ちないようにね!」
「了解した」
べったりと弧を描いている横壁にへばりつきながら二人に注意を促し、ほっと一息つく。
「――うな? 鏡?」
横壁に注意を向けると、そこにはわたしがいた。室内から見ればただのガラス戸なのに、外から室内はなにも見えない。
「あ……あー。マジックミラーってやつか。初めて見たわ。……徹底してんなあ……」
そうまでして隠すか。何のためにかは分からないが。
思考に区切りをつけてから、慎重な動きで周囲を見回す。
目的の水路は目の前だけど、よじ登るにはちょっと無理のある高さの空白がある。
「んー……シイナなら跳び乗れそうだけど……わたしとトウヤは無理だな、普通に」
だがしかし、前に進むためには上に登る必要がある。この塔の屋上まで行く事ができれば、水路に入るのは簡単だ。
視線を少しずらせば、ガラス壁もといマジックミラー壁のすぐ隣に、それはあった。簡素なつくりの、華奢とも言えそうなはしご。長年の放置生活のせいで、あちこち錆びている。当然、屋上行きだ。
じりじりと移動してはしごの横へ。はしごの一段目を手に掴んで、少し力を込めて揺すってみる。華奢に見えて案外頑丈なようで、小さく軋む音を立てるだけだった。
「……登っても大丈夫そう、かな」
慎重に右足を掛けて体重を乗せると、ギッ、と怖い音が鳴った。じっと次の反応を待ってみるけど、それ以上やばそうな音はしない。意を決して、左足を一段上の段に乗せ、体重を移動させる。やはり軋むが、それだけだ。
「おーっし怖がってもしたかない! 行くぞ!」
そこから先はさくさくっと登り、あっという間に屋上へと出た。
塔の屋上も水路の一部らしく、横壁に比べて床はかなり沈んだ位置にあった。お湯を張ったらお風呂にできそうだ。しかも大きい。水路が繋がっているから、現実的には無理だろうけど。
ここに溜まった水が外壁へと続く水路を流れていくつくりらしい。今は、水は一滴もない。太陽の光はさんさんと降り注いで、とても暖かい。しかし、かなり高い位置のためか、風は少々冷気を含んでいるようだ。太陽と風の温度が混ざり合って、案外ちょうどいい気温に感じられる。
わたしは特に指示を出さなかったが、トウヤとシイナが順番にはしごを登ってくる。待っている間は手持ち無沙汰だ。
落ちないようにそろーっと下界を確認してみた。
「…………」
目が丸くなった。ぱっかり口は開くのに、言葉はどこかに忘れてきてしまったかのように何も出てこない。
すう、と空気を吸い込んで、ふうー、と吐き出す。なんだか喉から胸にかけて、熱が潜り込んだようだ。
「タカラ、どうし、……」
トウヤの声が途切れた。存在をすぐ右隣に感じる。反対側の左隣には、シイナがやって来た。二人はわたしが見ているものをたしかめようとするように、わたしと同じように軽く身を乗り出す。
わたし達はただ、この《ルーデル・ポリス》を、この国の一番高いところから見下ろした。
眼下に広がる世界を、絵画のようだ、と思った。
計算しつくされたように配置された彩が、国内の隅から隅まで広がっている。真っ白な建物や路をキャンバスに、花の色が描き出されている。鮮やかに、その美を主張している。
「この国は……こうなっていたのか……」
どこか呆然としているトウヤの声。知らなくて当然だ。普通、こんな風に国内の風景を一望することなどないだろう。
「異常があるのか」
反対側からシイナが問いかけてきた。振り向いて、シイナがゴーグルを装着したままだったことに気づく。これではせっかくの風景が見えないだろうに。
「シイナ、ちょっとこれはずしてみようか」
シイナに一声断ってから、ゴーグルの止め具部分に手を伸ばす。シイナはじっとしていた。
「はい、いいよ」
「…………」
ゴーグルをはずしたシイナは、改めて眼下に広がる国の姿を眺めた。言葉はなかった。思う事があっても、トウヤもシイナも、それを表現すべき言葉を知らないだろう。
わたしもたいしてボキャブラリーがあるわけではないし、今言う事ができる言葉なんて一言しかないのだけど。
――綺麗だ。
地上に出て抱いた巨大な違和感なんて大した意味はないような気さえしてくる。ここからこうして眺めるこの国は、花に飾られたこの国は、とても綺麗だ。たとえそこに、人のあたたかな存在が感じられなくても。
「……これが、《ルーデル・ポリス》……」
比喩でも何でもなく、この国は、《花の国》だ。
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