お別れ

 ティムは一週間都合をつけてくれると言ったけれど、私は一日だけにしてもらった。ここはすごく居心地のいい場所になってしまっていたけれど、やっぱり私がいるべき場所ではないから。心配して待ってくれている人たちがいるから。

 

 夕食をとりながら話をして、明日、お別れのパーティーをしてくれることになった。真由美と加奈は文化祭の振り替え休日。大学生の三人は、私のためにわざわざ学校を休んでくれるという。


 帰れる嬉しさよりも、帰らなければならない悲しさが胸を占領してしまって泣きそうになる。


「マミったら、帰れるんだから喜ばなきゃ」


 加奈が気をつかってことさら明るく言ってくれる。


「そうだ、ここにいるメンバーはいいけど、幸也くんには今日お別れしておいた方がいいんじゃない?」


 幸也くん、か。そうだ。

 今朝、告白されたんだ。それで、キ………ス未遂…………。

 

「…………失恋の記憶でも、あるほうがいいのかな。それともなかったことにしてもらった方がいいのかな」


 今朝のことを話す。……キス未遂は省略して。


「私は記憶しておきたいわ。それもまた自分を豊かにしてくれる種になると思うもの」

「うん、あたしもそう思う」

「オレも賛成」


 杏花さんに加奈だけでなく真由美までそう言う。男性陣は何も言わない。


 ……正人さんはどう思っただろう。

 なんて未練がましい。帰るのに。もう私には関係ないのに。ううん、帰らなくても私のことなんてなんとも思ってないのに。

 それでも彼がどう思ったか気になるなんて。

 ……うん、そうだね。失恋でも私も正人さんのこと、忘れたいとは思わないもの。二度と会えなくても。忘れてしまいたくない。


「うん、やっぱりそうだね。ちゃんとお別れしてくるよ」




 夕食後、幸也くんの家を訪ねた。

 幸也くんは突然の来訪に驚いていたけれど、暗いからと玄関に招きいれてくれた。

 ティムが上手いことやってくれたみたいで、足のことは全く気にならない様子で安心した。……説明、できないもの。


「幸也くん、お別れを言いに来たの。私ね。自分がいるべき場所に帰れることになったの」

「帰れるって? どういうこと?」

「今まで、帰れなかったの。…………だけどここにいる間、あの家のみんなや幸也くんにいっぱいいろんな気持ちをもらった。だからきちんとお礼を言いたくて」

「俺は諦めないといけないってこと? いつ帰るの?」

「急だけど、明日なの。試合、応援に行けなくてごめんね。それから、好きって言ってくれてありがとう。本当に嬉しかった」

「でも、駄目なんだよね?」


 真顔で見つめられてきゅっと胸が痛くなる。自分と同じ失恋の痛みを味わわせている罪悪感。


「あ~あ、長期戦でいくつもりだったのにな」


 わざと明るく言ってくれる気持ちが嬉しい。


「ごめんね」

「何かわけありだとは思ってたけど、…………正人兄のことはいいの?」

「うん、片思いだったし、このままでいいんだ」

「いつかまた会えるかな?」

「…………そうだね、いつか会えるといいね。ありがとう」


 本当にありがとう。こんな私を好きになってくれて。……いつか会うことは、本当はないけど、応援してる。幸也くんがバスケットを頑張っていくことを。それからいつか可愛い彼女を作って幸せになることを。




 家に帰ると私はすぐに部屋に籠ってしまった。本当は残り少ない時間をみんなと過ごした方がいいと思ったんだけど、泣いてしまいそうだったから。

 今晩いっぱい泣いて、明日は笑ってさよならしよう。涙で別れるのは嫌だから。

 

 そう思って布団に潜りこんだのに。


 コンコン


 ノックの音とほとんど同時にドアを開けてなだれ込んできたのは、加奈と杏花さんだった。


「マーミー。おしゃべりしに来たよ~」

「マ~ミちゃん。お~はな~しし~ましょ」


 うわ。二人とも半分酔っぱらっている。


「加奈ったら、この前正人さんにあんなに怒られたのに」

「今日は特別だよ~」

「正人もこんな日までそんなかたいこと言わないわよ~」


 加奈はこの前もだったけど、杏花さんまでこんなに飲むなんて。



「マミ、ごめん、ごめんね。調子に乗ってたきつけて」

「私もね。一緒になって言っちゃったこと、後悔してる。ごめんね~」

「杏花さんったら、この前も謝ってくれたじゃない。それに二人が言ったから好きになったわけじゃないよ。気持ちが動いちゃったんだよ。杏花さん、言ったじゃない。『恋ってのは突然やってくるんだから』って」


 ぐすんぐすんと加奈が鼻をすする。


「こんなにすぐに帰ることになるなんて思わなかった。さみしいよぉ」


 この前は笑い上戸でけたけた笑ってたのに、今日は泣き上戸。謝ってばっかりだ。


「二人には感謝してるよ。人を好きになる気持ちを教えてくれてありがとう。二人が気づかせてくれたんだよ。…………この恋を忘れたりしないよ。先に続くことがなくても私の中の大事な思い出にする」


 ジュースのおかわりをしようとちょっと腰を浮かせて手を伸ばしたら。


 くらっ


 じっとしてたらわからなかったのに、動いたらくらりと世界がまわった。


「加奈~。私のジュースにもお酒入れたでしょ~」


 よろめいて後ろに手をつくと、かさりと何かに手が触れた。


 あ、さっき一馬さんがくれたメモ。落としちゃってたんだ。


「何それ?」

「うん、さっき一馬さんにもらったの」

「なんて書いてるの?」


 折りたたんだ紙を開いてみる。


『悲しい失恋の記憶も、いつか胸の奥深く沈んで、自分自身を豊かにする糧になる』


 うわ~。私の気持ち、一馬さんにもバレてたのか~。そんなに顔に出てたのかな。それとも杏花さんに聞いたの?


「も~、一馬ったらデリカシーないんだから。たった今失恋したばっかりの子にそんなこと言っても、傷が深まるばかりじゃない」


 横から覗き込んだ杏花さんがちょっと怒ったように言う。


「一馬さんが知ってるってことは、正人さんにもわかっちゃってるのかな?」

「うん? どうだろう。一馬は人間観察するのすきだから。でも正人も意外と鋭いところあるからねぇ」

「正人はぁ、案外…………」


 言いかけたまま加奈はこくりこくりと舟をこぎ出した。


 案外なによ~。気になるじゃない。

『案外よく見てるから』『案外どんくさいから』ってどっちでもはいるじゃない。


「加奈~。どっちよ~」


 聞いてみても返事がない。もう完全に夢の国へ行ってしまったようだ。でもこのまま寝たら風邪ひいちゃうよ。


「加奈。寝るんなら部屋に帰らなきゃ」

「そうね。もうそろそろ」


 ゆっくりと杏花さんが立ち上がる。彼女はまだ意識がちゃんとしているようだ。

 そこへノックの音がして、真由美が顔を出した。


「もうそろそろ、撤退させようか」

「真由美、グッドタイミング」


 へべれけになった加奈を連れ帰ってくれる。


「おやすみ~」


 三人に手を振ってコロンと寝転がった。そのままうとうとしかけたとき、真由美が肩をゆすった。


「マミ、お前もちゃんとベッドで寝ろ」


 促されて立ち上がる。


 うわ~。結構のんじゃったのかな。くるくる回ってる。


 慌てて支えてくれる真由美に抱きつく。


「真由美、大好きだよ。会えなくなっても、ずっとず~っと大好きだからね」

「オレもだよ」


 ぎゅっと抱きしめ返してくれる。

 ふとこの情景を客観的に見たら不思議な光景だろうなぁ、という考えが頭をよぎり、くすくす笑い出してしまう。


「ほんとにほんとにだ~い好き」


 そう言ってベッドにぽすんと倒れ込んだ。真由美を巻き込んで。

 そのまま意識がふわりと薄れていく中で真由美が私の頭を優しく撫ぜた。


「意地悪してごめんな」


 耳元で、そんな真由美の声が聞こえた気がした。

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