帰れる?

 その日の夕方、私は家に戻っていた。

 私の足は完治したから。完治……とはちょっと違うかもしれない。怪我自体しなかった状態になった。


「これもボクのせいだから、なしにしてあげる」


 あの後もう一度やってきたティムがそういったのだ。


「病院と警察の方はうまくやっておくから、家に帰っててよ。後で行くから。そうそう、回診の先生が来る前にね」


 信じられないことに、私の足は本当になんにもなっていなかった。




 連絡は入れてある程度事情は話していたものの、実際に家に戻ってきて怪我も何もない私を見ると四人は心底驚いたようだった。


「ほんっとに、なんともないんだ?」 

 目を丸くして驚いていた加奈は、何度も何度も確認して本当なんだとわかると、泣きついてきた。


「…………よかったねぇ」


 加奈の多分あんまり言いたくなかっただろう話を聞いちゃったのが申し訳ない気持ちになるけど、加奈は全くそんなことは気にしてないようだ。私の足がなんともないことを心底喜んでくれる。

 それからひとしきり私の怪我の話をして。


「で、何がどうなってこうなったの?」


 訝し気に加奈が訊ねたとき、タイミングをはかっていたかのようにティムがやってきた。律儀にチャイムを鳴らして。

 リビングでみんなにもう一度さっきと同じ説明をしてもらう。


「ふう、それはまた…………意想外な話だね」


 一馬さんがメガネのブリッジをくいっとあげてまじまじとティムを見る。

 ティムは昨日と同じ黒のタキシードに蝶ネクタイという正装。


「で、お二人さんはそれを信じたのか?」

「信じたも何も、実際に足が治ってるし、この子が目の前で消えるのを見たから」

「腑に落ちないことはいろいろあるがな」


 正人さんがティムに視線を送る。


「警察と病院は任せてって言ったのからして、天使っていうのはある程度記憶を操作したりもできるんじゃないのか?」

「勿論できるよ」

「それなら、さっさとマミを帰らせて、俺たち全員の記憶を消してしまうこともできたよな?」

「マミに怪我をさせるまでは、ボクはバレないようにって思っていたから、いろんな能力ちからは使えなかったんだ」

「それは聞いたよ。でも、今は使えるんだろう? 天使の話を聞かせたり別れの挨拶をする時間を作ったりしなくても、全部なかったことにすればよかったんじゃないのか?」

「…………正人はそれでいいの?」


 つぶらな瞳でじっと見つめられて怯む正人さん。返答に詰まっている。


「嫌だよ。そんなの」

「そうよ。ちゃんとお別れしたいし、出会ったことをなかったことになんてしたくない」


 加奈と私が口を挟む。


「ボクは最初に酷いことをしてしまったから、誠意をもって対処したいと思ってる。…………ここまで言ってしまっていいのかどうかわからないけど、これも天使に戻るためのテストなんだ。ボクが君たちとどう関わってどう始末をつけるか。今言ったみたいに、全部なかったことにするのもあり。だけど、一番みんなにとっていい方法は? って考えること自体がボクをテストしていることになるんだって」

「なるほど。それで、どうするんだ?」

「みんなが納得してお別れできたらマミを連れて行く」

「もし納得しなかったらどうするんだ?」


 正人さん、ずいぶんつっかかるね。


「もし、帰らせたくないって言ったら?」


 もう一度、言い直す。


「ええ?」


 みんなが一斉に驚きの声を発する。


「それ、マミを帰らせたくないってこと?」


 加奈が代表して聞いてくれる。


「いや、そういうわけじゃないけど、もしそうならどうするのかなと思って」


 そういうわけじゃ、ないんだ。

 期待なんてしていなかったし、帰れるなら残るつもりは勿論ないんだけど、でも、がっかりしてしまう自分がいるのは否めない。


「それは…………できないよ。真由美の寿命にかかわるから」


 へ? なにそれ。ずいぶん話が飛んだような気がするけど。


「マミがこの世界に存在すべき人間じゃないのはわかるでしょ? それから、原田真由美という人物が一人しか存在しないはずっていうことも」


 もう一度みんなの顔をぐるりと見回す。


「人間には、寿命ってものがあるよね。その寿命は、すでに決められているものなんだ。一人しかいないはずの人間。一人分しかない寿命。……この条件で同じ人物が二人存在すると、さてどうなると思う?」


 それって、……それって。


「私が真由美の寿命を食い潰しているってこと?」


 ティムから真由美に視線を移す。

 困惑した真由美の顔。でも真由美は何も言わない。


「…………悪く言えば、そういうことだね」


 私は、……私は、みんなに物理的にたくさん迷惑をかけているとは思っていたけど。真由美に、そんな迷惑までかけているなんて思ってもみなかった。想像もつかなかった……。


「だからあんまり言いたくなかったのに」


 ティムは私の表情を見て苦々しく言い、恨めし気に正人さんを睨む。


「ああ、でもマミ、そんなに落ち込まなくっていいんだ。今のは理屈上の話なんだから。実際にはマミがここへん来てからとこれから帰るまでの分はボクがなんとかするよ。約束する……でも、ボクの権限でできるのは一週間が限度なんだ」


 そっか。それじゃあ、実際に真由美に迷惑をかけるわけじゃないんだ。よかった。少しほっとする。

 

「君たちは人間の寿命を自由に操れるのかい?」


 横から一馬さんが質問する。


「自由にっていうわけにはいかないけど、ある程度はね」

「ね、さっき言ってた天使の仕事の一つに、病気で気が弱くなった人を安心させるようなことがあったと思うんだけど、病人の寿命を延ばしてあげたりすることはないの?」


 杏花さんが口を挟む。


「そういうのは原則として許されてないよ。ボクたちが人間の寿命をどうこうするのは、可能ではあるけれどタブーなんだ。一週間程度なら、誤差の範疇だしなんとかできるけど」

「ふ~ん」


 一馬さんが納得したのかしてないのかよくわからない返事をする。


「一つ、聞いてもいいか? お前、『もともとは天使だった。それから天使を堕とされて時空管理の仕事についた』って言ったよな? それってどういうことなんだ?」

「『近くで見る人間はどんなだろう』って思う状況も腑に落ちない」


 ああ、何がなんだかわからなくなってきた……。


 と、うしろから加奈が私の服の袖をクイックイッと引っ張って小声で言った。


「あの二人があんな風になぞなぞやってるときは、あんまり考えずに傍観者として聞いてる方がいいよ」


 なぞなぞって。

 思わず笑みがこぼれる。


「俺の推測では、天使っていうのは役職の一つか何かと思うんだけど違うかな? 人間以外に天使がいて、どっかから見守っている…………ってそんな単純なもんじゃない気がするんだが?」

「天使になれない奴もいるってことだよな?」


 正人さんが質問すると一馬さんも質問する。二人してティムの表情を探るように眺める。


「ほんとあんたたちには適わないな」


 両方の掌を上に向けて肩を竦めるティム。なんとも大人びた表情になる。


「ここまで…………は、言わない方がいいと思ったんだけど」


 腕組みして思案する様子。


「あのさ、本当のことを言うと、とってもあんたたちのプライドを傷つけちゃうと思うんだけど…………」


 何か、とっても言いにくそう。ティムの口調はさっきまでとは打って変わってしどろもどろしたものになり、「どうしても聞きたい?」とか「聞かない方がいいと思うよ」とか言って先を話そうとしない。


「だから一体なんなんだよ!」


 溜まりかねたように正人さんが怒鳴る。


「地球上の空間は一つじゃない。これはマミがここに存在してるからわかるよね?」


 ティムは渋々って感じで話し出した。


「パラレルワールドがあるってことだよな?」

「そう、実にたくさんの空間が存在してるんだ。全て微妙に違う状態で。だからマミたちのように同一人物で存在している場合もあれば、マミの両親のように片方の世界では生存、もう片方では死亡という場合もある。それに真由美のお兄さんみたいに片方では存在すらしていない場合もある。たくさんある空間のなかには、君たちが存在しない空間や死んでしまっている空間もあるかもしれない。

 でも。それらの空間は全て”人間”のもの。

 だけど、この世の中に存在するのは、それだけじゃないんだ。つまり…………ボクたち”頂点に立つもの”――なんと言ったのかわからなかったけど、頭の中でこういう意味になった――の世界、空間も存在する。そのボクたちの空間は人間の存在する空間のように多岐に分かれてはいない絶対唯一のものなんだ。

 人間はね、実はボクたちから見てペットのようなものなんだよ。ペットっていっても飼っているっていうわけじゃなくて、この世界全体を外から自由に眺められるっていうのが近いかな。

 う~んと、例えば地球儀がたくさん並んでいて、ボクたちの世界の者は誰でも眺めることができる。どの地球儀もね。ただ、アクションできるのはさっき言った”天使”になった者だけなんだ」


 何……か、すごい話を聞いてしまったな。天使の話だけでも想像を絶するような内容だったのに。あまりの話の大きさに唖然としてしまう。

 それなのに、正人さんたら平然とした顔をして。


「なるほど。俺たちより格上の存在ってことか」

「そう言ってしまえば身も蓋もないけど…………あんまり聞きたくないかなって思ったから黙ってたんだ」

「ま、嬉しいもんじゃないけど、中途半端に納得できない説明を聞くよりいいと思ってな」


 好奇心が強いというかなんというか。


「あともう一つ、いいか?」


 正人さんが軽く手をあげてまた質問する。

 これ以上何を訊くんだろう。


「いいよ。聞きたいだけ聞いて。僕で答えられることなら全部答えるよ」

「今の話を聞いていてちょっと引っかかったんだけど、天使っていうのは人間の望むようにしてくれるんだろ? ティムのテストだってそういう内容だよな」

「そうだよ」

「それならあの公園の事件。あの事件の後始末はどうなってるんだ? こいつは帰してもらえるみたいだけど、あの時消えた人たちって戻ってないよな?」

「あれ…………は、どうしようもなかったんだ。規模が大きすぎて、手が回らなかった。ボクが時空に開けてしまった穴が大きすぎて、空間に歪みを作ってしまったから。どこへ行ってしまったかわからなかったんだ。残された人たちのケアも不十分なものになってしまって」

「事故後にもいなくなったのは?」

「修復に時間がかかってしまったから」


 ティムが顔を歪める。声が震えている。

 彼なりに苦しんだんだろうな、と思う。二年間、ただブラブラしていたのではないんだろうことが、その表情からくみとれる。


「ボクは、天使になって自分がしてしまったことを償わなくちゃいけないんだ。その人たち直接返すことはできないけど…………。おかしいよね。マミにしたこと。一人一人に返していかないといけないのに。あのときは、天使に戻ることが目的というか一番大事になってたんだ。本末転倒だよね」


 消沈したティムの様子を見て、誰もそれ以上声をかけられない。

 しばらくして、ぽつりと一馬さんが言った。 


「間違いに気づいたなら、そこからやり直せばいい。同じ間違いを繰り返さなければいいだけだ」

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