終章

 俺は目を開ける。


 まず初めに見たのは白い天井であった。まるで病院のような……と、周りを見回してみれば、あ、ここは病院だと気付く。


 え? 病院?


 俺は石神遺跡にいたのではないだろうか? あそこで【此岸征旅】相手に戦って、そのリーダーであるラビ=ミトラ・アーディティヤを殺したはずである。それで彼女を殺した後に俺は気を失って……なるほど、俺が気を失っていた間にここに運び込まれたわけだ。


 誰が?


 誰が俺をここまで運び込んだ? 橘花か? 橘花。そう言えば橘花はどこだ? 無事なのか? って、そんな心配をする以前にあいつは不死身ではないか。


 俺は上半身を起こした。手首には点滴の針が刺さっている。ベッドの横には点滴がぶら下げられたスタンドがあった。


「あ」


 橘花がいた。


 忍山橘花は俺のベッドの傍らで眠っていた。もしかしてこいつはずっとここにいたのか? もしそうであったなら、なんか少し申し訳ない。


「んー」と橘花が唸り声を上げた。突然のことだったので俺は少しびっくり。


 橘花が目を開ける。彼女は顔を上げて、俺の方を見た。


「あ、起きたんだー」と寝起きの所為か間延びした声で彼女は言った。彼女は微笑み「おはよう」と言う。


「ああ。橘花もおはよう」


 橘花は跳ねた髪を手櫛で整えて、ちゃんと背筋を伸ばして椅子に座った。


 俺は言う。


「ところで、俺はあの後どうなったわけ?」


「竜杜くんが【此岸征旅】のリーダーを斃した後、公安庁の人たちがやって来たわけだよ。その人たちが【此岸征旅】の残党を討伐した。竜杜くんとわたしはその公安の人たちによってここへ連れてこられたわけ」


「公安が?」


 どこから……って、そうか。そう言えば俺たちって監視されている身だったな。その公安庁の人たちは俺たちのことをずっと監視していた監視員だったのだろう。ていうか、ずっと俺たちのことを監視していたのなら、加勢してくれてもよかったんじゃね? まあ、奴らには奴らの都合があるのだろう。大人の世界はいろいろと面倒と聞くし。


「ここは病院でいいんだよな?」


「うん。そうだよ。奈良県内の病院」


 そうか。まだ奈良県内にいるのか。


「小樟の死体はどうなった?」


「父親が引き取りに来たらしいよ。それでちゃんと弔ったって」


「へえ。そうなのか」


 小樟から聞いた話では父親はとんだクズ野郎に聞こえた。しかし、曲りなりにも父親だったわけだ。ちゃんと死体を引き取り弔いまでしたってことは。


 このことが小樟にとってよかったことなのか悪かったことなのかはわからない。


 けれど少なくとも俺はよかったことではなかろうかと思うのだ。


 ちゃんと弔ってもらったのだ。本当に小樟の父親が娘である小樟楠夏に興味がなかったとしたら、きっと彼女は弔いすらしてもらわなかっただろう。弔いをしてくれたってことは、父親なりの彼女への愛情があったのだろう。俺はそう信じたい。


「で、俺はどのくらい眠っていた?」


 病室の窓を見れば空は明るかった。夜でないことは確かだ。


「えーっとね」と言って橘花はスマホを取り出した。スマホにはストラップが二つぶら下がっている。一つは白で、もう一つはピンク。色違いではあるが二つとも同じ種類のストラップだ。つか、何その変な生き物を模したストラップ。


「三日くらい、だね」


「そうか」三日ね。結構眠っていたね。でも今の俺の興味は時間ではなくストラップに写っていた。「……そんなことより、それは何だ?」


 俺はストラップを指さしそう訊く。


「え、ああ、これね。これはイエティのストラップだよ」


「イエティ、って。何そのセンス」


「えー。可愛いじゃん」


「で、なんで同じのが二つも?」


「これね、楠夏ちゃんと一緒に買ったストラップだったんだよね。白が楠夏ちゃんでピンクがわたし。まあでも、楠夏ちゃんは死んじゃった。楠夏ちゃんの死体は父親に引き取られて今頃は荼毘に付していると思う。楠夏ちゃんとの思い出が記憶だけっていうのは、なんかね。記憶ってやっぱり忘れちゃうものだから。だから、楠夏ちゃんとの思い出の品っていうのを持っておきたかったんだ。悪いと思いつつ、隙を見て楠夏ちゃんのスマホから外してこれに付けたってわけ」


「要は小樟の形見ってとこか」


「そんなとこだね」


 と、不意にがらがらと病室の扉が開く。そして入ってきたのはスーツ姿の中年の男性だった。


「目が覚めたようだね」とその男性は言った。「私は公安の人間だ。五瀬さんが急用でね。代わりに私が来た」


「何しに?」


「決まっているだろう。きみたち二人を連れて帰りに来たんだよ」


「……」


「初めからそういう約束だったはずだ。事が終われば【特異生物収容所】へ再び戻す、と。その事が終わった今、きみたちを外の世界へ留めさせる理由はない」


 戻る。あの場所へ?


 戻らなければいけないのか。【特異生物収容所】へ。


 あんなつまらない場所へ。戻れっていうのか。


「ああ、これは返してもらったからな」


 そう言って男が掲げたのは《村雨》だった。


「もともとこれはきみに貸したものだからね。返してもらうのは当然だ」


 そう言って、男は橘花が手に持っていたスマホに気付く。


「そうだ。スマートフォンも返してもらわないといけないね」


 その言葉を聞いた橘花が手に持っていたスマホを大切そうに両手で持って抱え込む。


「ちっ」と男が舌打ちをした。「渡しなさい」


 橘花は渡さない。


 たぶん橘花はスマホを取られることよりも、スマホに付けたストラップを取られることが嫌なのだ。だから、渡さないのだ。


「【特異生物収容所】の外へ一時期だけでも出られたのだから、それでいいだろう。我が儘を言うな。さっさと言う通りにスマートフォンを渡しなさい」


 せっかく外へ出られたのだから、ずっと外にいたい。


【特異生物収容所】などに戻りたくない。戻ればまた俺は化け物だとか言われて、変な輩に絡まれる。絡まれて喧嘩になって……そんなことの繰り返し。それになによりつまらない場所なのだ。あそこは。娯楽なんてないあの場所は楽しくない。外の世界を知ってしまった今となってはあの場所はつまらないってますます思う。


 なにより【特異生物収容所】は俺の居場所ではないと思うのだ。


 居場所っていうのがどんなものなのかはやはり依然にわからない。けれど、あの場所にいても俺は幸せにはなれないと思うのだ。あそこにいたってストレスしか感じない。


 気付けば俺は点滴を吊るしていたスタンドを握り、それを振っていた。


「ぐぎゃっ」


 俺の振ったスタンドは男の脳天に直撃。男は頭を押さえて呻いた。


 俺は手首に刺さっていた点滴の針を抜く。ベッドから降りる。


「この……っ、調子に乗るなっ」


 キッと男は俺を睨む。俺は手に持った点滴の針を男の左目に突き刺した。


「ぐがぁあああっ!?」


 地面に落ちていた《村雨》を俺は拾い、すぐさま鞘から抜き、居合の要領で男を斬り捨てた。


 清潔感溢れる病室は血に染まった。


「行くぞ橘花」


「え。え?」


「早く!」


 俺は橘花の手を取り、強引に引っ張る。そして逃げようとするのだが、騒ぎに気付いたらしい。ぞろぞろと病室に公安の人たちが入ってきた。


 くそ。押し通れということか。


 公安の人たちは一様に俺たちを取り押さえようと襲ってくる。俺は《村雨》を振り回し、公安の人たちを斬る・斬る・斬る。橘花の手は離さない。


 何とか病室を出たけど、やはり出たところにも公安の人が何人かいた。しかし臆している場合か。斬る! 斬って、走って、俺たちは何とか病院を離れた。


 思えば、俺は病院服のままなのだ。このままではかなり目立つ。


 俺たちは病院を離れて人目のない所へ行く。


 病院があった場所は奈良の都市部である。ならば、人目の付かない所となれば都市部から離れた場所――田圃と畑が広がる場所となる。奈良県は農業に力を入れているから都市部から少し離れれば人もいなくなり建物もなくなり田圃と畑しかなくなる。行くならそこだ。都市部から離れる必要がある。


 この恰好でバスに乗る勇気はなかった。だから走った。走った。その間も橘花の手を握ったままだった。


 どのくらい走っただろうか。


 俺たちはとにかく走り都心を離れることに成功した。周りは田圃と畑しかない。


 息は上がりに上がってぜぇぜぇはぁはぁとひどく息切れしていた。汗もどばどば出て、髪が肌にへばりついていた。


 道の両脇にはただただ広い田畑がある。もう誰も追ってこない。


 俺たちは走るのをやめて、その場に倒れ込むようにして仰向けに寝転がった。青い空が見えた。白い雲が流れていた。


「はぁ、ここまで、来れば……公安も、追ってこない、だろ」


「そう、そうだね……」


 人通りはまったくない。人っ子一人いやしない。聞こえてくるのは喧騒ではなく虫の音や風の音。


「で、これからどうするわけ?」


 橘花がそう訊いてきた。


「さぁて。どうするかね。とりあえず【特異生物収容所】に戻るってのはなしだ」


「それはわたしも同意するよ。こんな外の世界を知っちゃったら、あそこには戻れない」


「だよな」


 あそこへは戻らない。ではどうする?


 戻らないのならやはり進むべきだろう。そう思うが、どこに進めばいいのかわからない。


「どこに行きゃいいんだろうなぁ」


 そう独りごちてみた。


「別に、明確な目的地がなくてもいいんじゃないかな」橘花が言う。「進んでいればそのうち見つかると思うよ。目的地」


「そんなものかぁ」


 もしそうならば、俺の居場所も進んでいればいずれは見つかるのだろうか。


「俺の居場所も、見つかるかな?」


 俺はそう橘花に訊いてみる。


「居場所?」と橘花が言う。「居場所ねぇ。そう言われるとわたしの居場所はどこだろう?」


 橘花も首を傾げた。彼女にも居場所がなかった。俺にも居場所はない。


 俺たちは居場所を持っていない。


「探しに行こうか?」


 橘花が突如起き上がり、仰向けになっている俺の顔を覗き込み、そんなことを言う。


「探す?」


「そう。わたしたちの居場所、探しに行かない? 居場所がないならそれを探し出して見つければいい。至極簡単な話だよ」


 居場所がないなら探せばいい。それは確かに至極簡単な話だ。簡単で簡潔で、そして何より正しいことだ。


「どうせ、どうせ俺たちは追われる身だ。逃げなきゃいけない」


 公安に刃向ってしまった以上、追われるのは確定だ。捕まればどうなることやら。だから逃げないといけない。


「だから、やっぱりどう考えたって俺たちには戻るなんて選択肢はないわけだ」


 戻れないならどうするか?


「戻れないなら進むしかない。目的地はないかもしれない。でも、目的はある」


 俺は起き上がり、立ち上がる。


「行こうか」


 俺は橘花にそう声を掛けた。


 橘花は微笑んで「うん」と頷き立ち上がる。


「行こう!」


 俺たちは手を取り合って肩を並べて歩き出す。一歩一歩、足を踏み出し歩き出す。

 目的地はないけど、目的はある。だから、それに向かって歩みを始める。

 世界は広い。この〈日本〉だけでも俺たちにとっては充分広い。

 だから、どこかにあるはずだ。この広い世界のどこかに俺たちの居場所が。

 さあ、どこまで二人で歩いて行こう。

 居場所を見つけるそのときまで、どこまでも、どこまでも――

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人喰らいの魔法使い 硯見詩紀 @suzumi_shiki

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