第6話

 進んで。進んで。進んで。進んで。

 斬って。斬って。斬って。斬って。


 そして、ついに見つけた。


《開眼法要》の場。魔法兵器《阿修羅》。


 複数人が一か所に集まっていたのが見えたのだ。そして人と人の間に垣間見えたのは血の気の抜けた人面が三つ。気持ちが悪かった。死体を継ぎ接ぎして造ったそれは悪趣味と言ってもいい。


 魔法兵器《阿修羅》の周りにいる人たちの中に一人の浅黒い肌に焦げ茶色の髪をした女性がいた。その女性はその《阿修羅》の眼孔に眼球をはめ込んでいた。


 儀式《開眼法要》がおこなわれていた。魂たる眼球を眼孔に入れる行為――点睛。それが始められていた。


 早く止めないと。そう思い、俺は駈ける。


 奇襲同然に俺はその集団へ襲い掛かろうとするけれど、気付かれる。点睛の作業をしている女性以外が俺のことを発見し、攻撃を仕掛けてきた。女性はこちらを振り向くことをしない。気付いていないのか、それとも気付いた上で作業を続行しているのかはわからない。


 とりあえず、今は襲いかかってくる敵の対処をしなければ。


 俺は《村雨》を振り、一人を斬り、また一人を斬っていく。そして大した怪我もなく俺はそこにいた複数人を無力化した。


 俺は魔力源補給のために倒れている敵の腹を切り裂いて中から肝臓と小腸を取り出して食す。まずは肝臓からだ。


 そして。


「おい」

 と、肝臓を食しながら俺は点睛の作業をしている女性に声を掛ける。


 彼女はこちらを振り向いた。そして周囲に倒れている彼女の仲間を見て驚いたような表情をしていた。どうやら作業に没頭していたため周りで何が起こっていたのか今の今まで気付いていなかったようだ。


 女性は俺が内臓を食べているさまと俺の足もとに転がっている腹部を切り裂かれた死体を交互に見て、目を見開いて驚くというよりは恐れの表情をする。


「何を、食べているんですか?」


 俺の正体を問いただすよりも先にそんなことを言う女性。


「お前には関係ない。つーか、状況から察せられるだろ」


 俺はそう言っておく。


 女性はしばしの思案の後にこう言った。


「人肉、ですね。でもなぜ?」


 こいつも俺の正体を訊いてくる性質か。ならばさっさと言っておこうか。


「俺は人喰魔法使いだ。お前らが霊魂を魔力源とするように、俺は人肉を魔力源とする」


「ふふ」と女性は笑った。「聞いたことがありませんね。この〈日本〉は狭いのに、私の知らないことがまだあっただなんて。それにしても、なるほど。人喰魔法使い。そんな存在も世の中にあるものなんですね」


 肝臓を食し終えた俺は小腸を食し始める。うどんみたいにずるずると啜って食す。食すのだけど、俺は「べっ」とそれを口に含んだ瞬間に吐き出した。


「うわ、まずっ」


 思わずそんなことを口走る。


「どうしたんですか?」と女性は言う。その顔には笑みが浮かべられていた。


「何でもねえよ。ただ、お前の仲間の小腸がまずかったんだ。くそ何だよこれ脂っこすぎるのにも程があるだろ」


「ふふふ。それは当たり前でしょう。だって小腸ですから。小腸は脂肪を多く含みます。よく考えても見なさいな。牛の部位で喩えれば小腸はホルモンなんですよ」


 そんなこと言われてもホルモンなんて食ったことないからわからない。まあとにかく人間の部位にも吐き出したくなるほど不味い部位があるんだなってわかった。


「あ」と女性が何かを思い出したような声を出す。「ところで、訊いていませんでしたがあなたは誰ですか? 味方……ではないようですね」


 今それを訊くか。まあいいや。俺も訊きたいことがある。


「俺も訊きたい。お前は【此岸征旅】のリーダーか?」


「そういうことを訊くってことはやはり味方ではないようですね」


「で、お前は誰だ?」


「あなたが思っている通りの人間ですよ。私が【此岸征旅】のリーダーです。ついでに名前も教えてあげましょう。私の名前はラビ=ミトラ・アーディティヤです」


「そうか」


 そう言って、俺は《村雨》を構えた。


「ちょっと待ってくださいよ。私はあなたが誰なのか聞いていない。私に襲い掛かるならちゃんとあなたも自分のことを語ってください。不公平です」


「水神竜杜。お前ら【此岸征旅】をぶっ潰すよう公安から言われたただの使い走りだよ」


「そうですか」

 と、彼女は落ち着きを払った声でそう言い瞑目。そして目を開けて、こう言う。

「では水神くん。これを見てください。これは六つ目の眼球です。さぁてここで問題。この眼球をここの眼孔にはめ込んだらどうなるでしょうか?」


 は? てか、もう五つもの眼球がそれぞれの眼孔に納まっていたのかよ。


 六つ目の眼球が眼孔に納まればどうなるか? それはすなわち《開眼法要》の完了を意味し、魔法兵器《阿修羅》の完成を意味する。


 もし《阿修羅》が完成したら、俺はそれをどうにかすることができるだろうか。神にも匹敵するとは言わないが、神にも近い力を発揮する《阿修羅》。俺はこの《阿修羅》に対抗できるだろうか。


 自分よりも強いと思われる相手にわざわざ対抗しようなんて誰が思おうか。俺は無力なうちに《阿修羅》をぶっ壊してやろうと思い、駈け出す。


 しかし。


「残念。遅いよ」


 言って、ラビ=ミトラ・アーディティヤは手に持っていた眼球を眼孔にはめ込んだ。これで六つすべての眼球がそれぞれの眼孔に納まった。


《開眼法要》の完了は《阿修羅》の完成を意味する。


 ――《阿修羅》は動き出す。


 びっくりして俺は駈けるのをやめて立ち止まってしまった。


《阿修羅》は六本の腕を上げる。ざざっと。《阿修羅》の周囲の地面の砂が渦を巻く。砂は《阿修羅》の周りを舞っていた。やがて、地面から六本の青銅剣が芽吹くように出現する。六本の青銅剣は《阿修羅》のそれぞれの手に握られた。


《阿修羅》は手に持っている六本の青銅剣を一斉に振り、周りを舞っていた砂を払う。それだけの行為なのに、風が吹き、その風は俺の髪やアーディティヤの焦げ茶色の髪をなびかせた。


「はは。素晴らしい」とアーディティヤは両手を広げてそう言った。両手を広げたそのポーズはまるで支配者を彷彿とさせる。


 そりゃあ、お前は《阿修羅》が完成して嬉しいのかもしれない。けど、俺はその《阿修羅》を壊す側なのだ。こっちの身にもなってみろっつーの。


「まずはあなたで試験運用といきましょう」


 アーディティヤがそう言った。《阿修羅》は彼女の意に応えるかのように動き始める。


 最初こそはぎこちない動きだった。《阿修羅》は生まれたての子鹿みたいにガクブルと足を踏み出し歩き出す。


 しかし、そんなのは少しの間だけですぐに《阿修羅》は人間が歩くそれと同じようにスムーズに足を動かした。


 さてはていったいこいつはどう来る? 俺は《村雨》を構えている。構えは崩さない。いや、崩せない。得体の知れない相手に一瞬でも隙を見せるわけにはいかない。


 と――刹那。


「は?」


 俺の視界から《阿修羅》が消えた。


 どこに? と疑問に思う暇もなく《阿修羅》は俺の左側真横にいた。いつの間に移動した!?


《阿修羅》は俺に驚嘆する暇さえ与えてくれない。六本の腕が一斉に振られる。六本の青銅剣が襲い掛かる。俺も咄嗟に《村雨》を振る。六本の青銅剣と《村雨》が激突。


 ……重い! 斬撃が重い!


 俺は《阿修羅》の斬撃をいなし切れなかった。


 青銅剣は振り切られる。俺は飛ばされる。


「……っ!」


 飛ばされ、地面を二、三回跳ねてそれから地面を転がって、動きを止めた。砂埃が舞った。


「くそっ」と俺は毒づいて身体を起こす。


 なんかいろいろと滅茶苦茶だ。速いし強いし、だいたいなんで青銅剣のくせに日本刀の《村雨》と拮抗できるんだよ。


 もうね。神だよ。神に近いとかじゃなくて神だよ。神って言いたいくらいには神的強さだよ。


 ほんと。どうすればいい? 逃げる? いや無理だよ。《阿修羅》には小樟楠夏の身体が使われている。彼女の身体を返してもらうには《阿修羅》を破壊するしかない。


 戦え。無理と思うな。思えば、それは実現する。特に負の思いなんて実現しやすいのだ。


 立ち上がり、俺は懲りずに《村雨》を構える。


「頑張りますねえ」とアーディティヤの声が聞こえた。「いくらあなたが普通じゃなくても、神にも近しい力を持つ魔法兵器《阿修羅》を破壊することなんてできませんよ。というか、相手にならない」


「かもしれない」俺はアーディティヤの方を向かずに言う。「けど、俺は小樟の仇を討たなくてはいけない。小樟の身体を返してもらわなくてはいけない。俺は今怒っているんだよ。お前に、お前らに、そしてこの兵器に。小樟を俺たちから奪った【此岸征旅】に。怒りは視野を狭くする。だから、今の俺は目の前の敵を倒すことしか考えちゃいない。無理とかそんなの考えている暇はない」


 人生は合理的かつ効率的に生きるべきだ。しかし、人間には感情がある。合理的かつ効率的に人生を生きる際に感情は邪魔にしかならないのに、なのに人間には感情がある。感情は冷静さを削ぐ悪魔だ。その悪魔にひとたび憑りつかれてしまえば、合理化だの効率化だのは関係なくなる。そんなものを考えなくなってしまう。


 俺は今怒っている。怒りも立派な感情だ。俺の怒りは視野を狭くし、無理だとわかっていることでも立ち向かってしまうのだ。


 無理でもやる。やってできれば万々歳。失敗すればそれまでだ。


 今は。今だけは人生の合理化だの効率化だのは頭の隅からも追い出さなければならない。


 でなければ、俺は復讐を果たせない。


 飛ばされて転がって。身体中が痛い。けど、だから何だと言うのだ。動けるのなら無問題。


 俺は駈け出す。《村雨》を振る。


 振る。振る。振る。


 しかし、何度振っても俺の《村雨》は六本の青銅剣により防がれる。どこから斬りかかっても六本の青銅剣のうちのどれかが俺の斬撃を防いでしまう。六本の腕は厄介だ。一本でも斬り落とせればいいのだが、そう簡単にはそんなことさせてくれない。

《村雨》を振り上げ、振り下ろす。


 ガギン! と。《阿修羅》は右の三本の青銅剣のうちの一本が俺の振った《村雨》を防いだ。そして《阿修羅》は左の三本の青銅剣を一斉に横に薙ぐように振ってきた。


「くっ」


 俺は無理矢理に身体を動かす。腰を引き、後ずさって、なんとか避けようとした。したけれど、青銅剣の切っ先が俺の腹部を斬った。そんなに深く斬ったわけではないが、俺の腹部にはかぎ爪で引っ掻いたみたいに三本の切り傷ができあがっていた。強引に後ずさった所為で俺は尻餅を着いた。


《阿修羅》は尻餅を着いた俺を見逃すわけもなく、六本の青銅剣の剣先をこちらへ向ける。


 これはヤバい。このままでは六本の青銅剣が俺の身体を貫くぞ。


 俺は立ち上がり走って遁走するように後退する。なんか惨めな姿だ。しかし、とりあえず距離を取らねば。


 走り、だいぶ離れただろうと思ったので振り返り《阿修羅》を見据える。見据えるつもりであった。


「え?」


 振り返ればそこに《阿修羅》がいた。眼と鼻の先に《阿修羅》がいた。


 俺は走ったはずだ。走って、それで《阿修羅》と充分な距離を取ったはずだ。なのにどうして眼前に《阿修羅》がいる? 俺の走りに追いついたのか? いや、それでも何の気配もなく俺に近づくなんて有り得ない。ここまで近づいているのだ。俺が何かしらの気配を感じ取ってもおかしくはないだろう。


 ……滅茶苦茶だ。本当に、本当に滅茶苦茶だ。


 なんていうかいろんな概念を無視している。物理法則はもちろんのこと、常識ですら無視している。


 神にも近しい力を持つ魔法兵器《阿修羅》。そう言われるのも納得だ。


 俺が振り返ったその刹那。


 俺の眼前にいた《阿修羅》はその六本の青銅剣を俺の身体に突き刺した。


 六本の青銅剣は俺の身体の至る所を突き刺し貫く。身体の正面から突き刺された青銅剣は貫通して背中から出てきた。


「がぼっ、ぐっ、ばっ」


 俺は大量の血を吐き出した。口から出た血は口元をから顎へと伝い地面に落ちて染みを作った。


 右手に持っていた《村雨》も刺された衝撃で手放してしまった。音を立てて《村雨》は地面を転がった。


 ああ、痛いな。すごく痛い。意識もだんだんと遠のいていくような気がした。瞼が重い。


 死ぬのかな、俺。いやだな。死ぬのは。つーかまだ死ねないはずなのに。


 小樟の仇を討たないといけない。

 小樟の分まで生きなければいけない。


 ああ、いやだな。死ぬのは。まだまだ生きていたい。


 どうしたものか。生きるためにはどうしたものか。


 痛いからか頭はなかなか働いてくれない。それでも俺は考えている。どうすれば死なずに済むかを考えている。


 小樟のように本をいっぱい読んでいたらこの状況を抜け出す策が思いついたのだろうか。もしそうなら本をもっと読めばよかったって思う。


 知識があればどうにかできたのかもしれない。


 本をあまり読んでいない俺の知識など微々たるものだ。微々たる知識では状況を脱するだけの策は編み出せない。編み出せないわけではないだろうけど、編み出すのが難しいのは確かだ。


 知識。


 試しに俺の持っている知識を使って考えてみようか。


 目の前にいるのは魔法兵器《阿修羅》。死体を繋ぎ合わせて造られた悪趣味な兵器だ。これを造るに当たり仏教伝承に登場する阿修羅と縁がある須弥山を模した須弥山石が発掘された石神遺跡にて《開眼法要》がおこなわれた。この《開眼法要》はまたの名を《入魂式》《魂入れ》と言い、仏像や仏画の完成の際におこなわれる眼を描き入れる儀式のことだ。眼を描き入れるということはそれすなわち仏像や仏画に尊い魂を入れることを意味する。魔法兵器《阿修羅》においては眼球を眼孔に入れる行為こそが《開眼法要》と言えるだろう。つまり、《開眼法要》における眼は魂を意味する。眼=魂なのだ。


 眼=魂。


 ラビ=ミトラ・アーディティヤが六つ目の眼球を六つ目の眼孔にはめ込んだその瞬間、《阿修羅》は動き始めた。眼球一つだけでは動かないのだ。六つの眼球が揃って《阿修羅》は動き出したのだ。六つの眼球が揃って初めて一つの魂となるのだ。


 六つの眼球が《阿修羅》の魂ならば。


 もしそうならば、一つでも眼球が欠ければそれはもう魂ではなくなるってことではないだろうか。


 一つでも。一つでもその眼球を潰してしまえば《阿修羅》は止まるではないか!


 俺は腰に拳銃があるのに気付く。そういえばジュリオ・ヴェルサーチェから拝借したんだった。


 俺の右手は腰に付けたホルスターに納まっている拳銃に触れる。ろくに力も入らない右手を使って、拳銃を握る。ホルスターから拳銃を抜く。


「はは」


 笑っていた。眼球を潰せば《阿修羅》は止まる。これはまだ可能性の段階だが、俺はこの可能性が一〇〇%のものだと判断していた。つまり、俺は勝利を確信したのだ。だから、笑っていた。


 ろくに力も入らない右腕は震えていた。震える右腕を上げ、拳銃を構える。


 手の震えは止まらない。だがしかしそれがどうした。震えるから照準が定まらない? はっ。笑わせるな。


 俺は《阿修羅》の三面のうちの正面を向いている顔の左目に銃口を押さえつけた。そうすることで強引にでも手の震えを止まらせる。


 そして、


「グッバイ」


 そう吐き捨てて、俺は引き金を引いた。


 俺は魔力を拳銃に注入。注入された魔力は圧縮され、そして弾丸として銃口から射出される。


 ゼロ距離からの射撃。弾丸が射出され的に当たるまでの時間もゼロ。


 バン! という銃声。それと同時にぐちゃっと音がして《阿修羅》の正面の顔の左眼球が潰れた。


 俺は右腕をだらんと投げ出した。拳銃が右手から離れた。


 一つの眼球を失った《阿修羅》は瓦解する。繋ぎ合わされたそれぞれの部位が剥がれ落ちる。


 頭、眼、腕。小樟楠夏の身体に接合された他人の部位は反発するように剥がれた。


《阿修羅》はバラバラになり、ただの肉塊になった。


 青銅剣は俺の身体に突き刺さったままだったが、これも《阿修羅》が破壊されたことで消滅した。でも、青銅剣が消滅したからって俺の傷が癒えることはない。


 こいつは俗に言う大怪我ってやつだ。つーか、俺よくこれで死んでないよね。六か所ほど刺されたけど、どうやらいずれも急所は外れているらしい。


 でも、もうヤバいって。急所が外れているからなんだというのだ。六か所も刺されていてはまともに動く方が難しい。


 けど。


 ――まだ、だ。


 まだ終わっていない。


 戦いっていうのは、ボスを斃さなきゃ終わらないものなのだ。


 俺は地面に転がっていた《村雨》を掴み、それを杖のように支えにして立ち上がる。


 立ち上がり、そして俺は【此岸征旅】のリーダーであるラビ=ミトラ・アーディティヤの方を見る。


 アーディティヤは目が点っていう表現が似合うくらいに今の状況に驚いていた。


「そんな、どうして……? 神にも近しい力を発揮する魔法兵器、ですよ。そんな、簡単に破壊されるなんて」


「お前」と俺は言う。「お前、《阿修羅》を造ったんだろ。なら、気付けよ。《開眼法要》は眼を描き入れるという行為を、魂を入れると定義している儀式だ。《阿修羅》の場合は眼球を眼孔に入れるという行為が魂を入れるってことになる。眼は魂だ。《阿修羅》に至っては六つの眼が一つの魂なんだ。つまり眼を一つでも潰せば魂は魂でなくなり、《阿修羅》は破壊される」


「……」


「まさかとは思うが、こんな根本的なことに気付いてなかったわけないよな。眼が弱点であるってお前はわかっていたはずだよなあ? ……ああ、そうか。結局、破壊されたわけだからお前は《阿修羅》の弱点を把握してなかったんだな。もし、把握していたら何かしらの対策を講じていただろうし。俺に破壊できたってことは何の対策もしてなかったんだ」


 くくくっと俺は笑い、そして付け添えるようにこう言った。


「お前、バカだな」


 アーディティヤは膝から崩れ落ちた。ぶつぶつと何かを言っているけど俺には聞こえない。


 俺はもう動かすのも難しい身体を無理に動かす。歩く。アーディティヤに近づく。


 そうして俺はアーディティヤの眼前まで近づいた。地に膝を着けているアーディティヤに対して俺は立っているので、構図としては俺がアーディティヤを見下ろしている形になっている。


「あなたは――」


 アーディティヤは俺を見上げて言う。


「あなたは、我々魔法使いの待遇に疑問を抱いたことはないのですか? かつて、魔法体系が編み出され魔法使いが世界各地で生まれた。しかしみんながみんな魔法使いにはなれず、魔法使いになった人間よりもなれなかった人間の方が多かった。それゆえに少数の特異性を持った人間――魔法使いは迫害を受けた。迫害を受けて、その末にこんな島国に追いやられ、仕舞いにはこの国を宙に浮かせてまで迫害から逃れた。何なんですかこの仕打ちは。ちょっと人より違うからってここまで追い詰めなくてもいいじゃないですか。だいたい、我々の方が有能でしょう。強いでしょう。科学よりも魔法の方が戦闘能力は高いでしょう。それならば我々魔法使いは支配する側でなくてはいけないでしょう!? いつの世だって力ある者が支配する。力ある者は迫害されるべきじゃない。されたとしてもそれに屈してはいけない。《不可侵条約》なんてくそ喰らえなんですよ。だいたい《不可侵条約》を受け入れた〈日本〉も〈日本〉だ。こんなの受け入れた時点で迫害に屈したと表明したようなものじゃないですか。この国のためにも魔法使いのためにも戦わなければいけない。迫害される側ではなく迫害する側にならなければならない。支配されるのではなく支配しなければならない。とにもかくにも我々は下界の世界の人々に我々の優位性を示さなければならない!」


 声を荒らげながら、息を上げながら、さも演説をしているかのように彼女は言う。叫ぶ。


「あなたは何も思わないんですか。思うでしょう。思ったことぐらいあるでしょう。もし、あなたが我々の考えに少しでも共感したというのなら、あなたも我々と同じだ。支配されるより支配することを好む人間のはずだ。……一緒に。一緒にこちらへ来るつもりはないですか? 我々と一緒に、再び《阿修羅》を造り、下界へ宣戦布告をしませんか。あなたとなら私はこの世界の支配者になれる」


 彼女はこちらへ手を伸ばしてきた。


 この手を取れば俺はどうなるだろう? もしかしたらこの世界の支配者として君臨することができるのだろうか。もし俺がこの世界の支配者として君臨したとき、そのとき俺の隣にいるのは誰だ? それはきっとこのラビ=ミトラ・アーディティヤなのだろう。うむ。こいつと一緒に支配者になる。この未来は果たして人生を合理的かつ効率的に生きた結果としての未来なのだろうか。世界の支配者となり、それで俺は幸せなのか。そもそもその玉座は俺の居場所となり得るのか?


 未来は不確定だ。だから、アーディティヤと共に世界の支配者となる未来があるかどうかはわからない。こいつの手を取ってそれで戦争を起こして、俺たちが支配者となる保証はどこにもない。


 リスクを考えろ。人生を合理的かつ効率的に生きるにはリスクヘッジだって必要だ。もし、彼女と共に歩むことに多大なリスクが孕んでいるのなら、やはり俺は彼女の手を取るべきではない。


 考えてみるけれど、本を読まない無知な俺には彼女と共にすることのリスクがどれほどのものかわからない。


 考えてわかったことと言えば、俺は【此岸征旅】が赦せないんだってこと。


【此岸征旅】は俺や橘花から小樟楠夏を奪った。だから、俺たちはこうやってここへやって来て【此岸征旅】を相手取っている。


 赦してはいけない存在と手を組めるのか? 無理だ。この怒りは冷静さを欠く。この怒りは【此岸征旅】をぶっ潰さなきゃおさまらない。


 それに。もう一つ思うところがあった。


 俺の隣にいるべき人間はラビ=ミトラ・アーディティヤではないような気がするのだ。俺には想像できなかった。これといった根拠はない。けど、何故か俺には想像できない。アーディティヤと歩む未来が想像できない。よって、この先において、未来において、俺の隣にいる人間は彼女ではない。


 答えは、出た。


 俺の答えはこれだ。


「……へ?」


 あっけらかんとするアーディティヤ。


 彼女がこちらへ差し出した手は切断された。赤いものがドッと出る。


「これが、俺の答えだ」


 俺は《村雨》を振ってアーディティヤが差し出した手を斬り落としたのだ。


「ぐ――ぐぅううぐぁああっ」


 アーディティヤは切り口を抑え込み、呻く。呻く。呻く。


「お前と歩む人生を想像した。けれど、俺はそれを受け入れられなかった。それに、お前は復讐相手だ。復讐相手と一緒に支配者になる気はない。お前は俺に復讐されろ」


「なぜ……」と呻きながらも彼女は言葉を紡ぐ。「なぜですか? あなたは、支配されたいのですか。支配、され続けたいのですか?」


「支配されるより、支配する方が俺も好きだ」


「ならどうして!?」


「だから、言っただろ。俺はお前とは支配者になれない。もし俺が支配者になったとき、そのとき俺の隣にいるのはお前じゃない」


「そんなの。そんなの関係ないじゃないですか!? 想像できないとか何だとか、そんなの関係ないんです! できるならやるべきなんです。私とあなたが手を組めば支配者になれるんです。相性とかどうでもいいじゃないですか!? 二人ならできる。それだけの問題だ!」


「相性は大事だよ。だってお前嫌いな奴とコンビが組めるか? 俺には無理だね。どうしてわざわざ嫌いな奴と組まなきゃいけないんだ」


「私への怒りは抜きで考えてください! 合理的に考えてください! あなたと私が組むことは合理的だ!」


 アーディティヤは怒るというよりは叱るようにそう言った。


 小樟楠夏が本を読んでいたのは自らの人生を有意義に過ごすためであった。いろいろな本/物語を読むことで、登場人物たちの人生を知り、それを自らの人生に反映する。そうすることで人生における様々な分岐点での選択肢の数を増やすことができる。つまり小樟は人生を合理的かつ効率的に生きるために本を読み知識を身に着けた。


 そして、アーディティヤも言った。怒りを抜きにして合理的に考えろ、と。


 本を読まない俺には知識がない。


 怒りという感情を抜きで物事を考えられない。


 こんな俺は合理的かつ効率的に生きられないのだろうか。


 そもそも何を以て合理的とする。何を以て効率的とする。


 こんなのは人それぞれではないのか。


 本を読んで知識を得ることが人生の合理化/効率化に繋がると思う人もいれば、感情を抜きで物事を考えることで人生の合理化/効率化に繋がると思う人だっている。


 俺は俺なのだ。狂人でもなければ化け物でもなく、俺は俺なのだ。


 他人の考えに付き従っていてはいけない。それは自分ではない。他人の考えに従っていては、それは奴隷も同然だ。影響を受けるのはいい。だけど、まったく同じことを真似してはいけない。まるまる他人の考えを自分の考えにしてはいけない。


 さて。それでは俺の考えって何だろう。俺はどのような考えを以てして自分の人生を生きている? どのような考えを人生の合理化/効率化に繋げているのだろう。


 俺は……俺の考えはたぶん好き勝手思うように行動することなんだろうな。


 俺はいつだってそのときの感情で動いてきた印象がある。今だって小樟を殺されたその怒りから復讐に走っているのだ。


 これが俺だ。俺の考え方だ。俺は怒りを肯定する。


「お前は怒りを否定するようだが」俺はアーディティヤに言う。「俺は怒りを肯定する。これってつまり、俺とお前は対極に位置するわけだ。こりゃやっぱり無理だよ。俺はお前が嫌いだ。小樟を殺した【此岸征旅】のリーダーであるお前が憎い。だから、俺はお前とは組めない。俺はお前を殺したくて仕方ないから」


「愚か、です。それはとても愚かです」


「お前にとってはそうかもしれない。けど、俺は俺のやることが愚かだなんて思わない」


 俺は《村雨》を掲げる。


 アーディティヤはいたずらな笑みを浮かべてこう言った。


「後悔しますよ? あのとき私の手を取っていればよかった。あのとき私を殺さなければよかったって。後悔、するかもしれませんよ?」


 俺も笑みを浮かべる。どんな笑みを浮かべているか、俺にはわからなかった。


 俺は口を開く。


「そうかもしれない。けどまあそのときはそのときだ」


 さようなら、と一言添えて、俺は《村雨》を振る。《村雨》はアーディティヤの首を刎ねる軌道を描き――そしてスパァンと俺が振った《村雨》は彼女の首を刎ねた。


 身体から切り離された頭部は宙を舞ってそれから地面に転がる。


 首の切り口からは噴水のように赤い水が噴き出ていた。血である。切り口から血が出るだけ出て、出血は治まる。そして思う存分首の切り口から出血した身体はばたりと倒れた。砂埃が少し舞った。


「終わっ、た……」


【此岸征旅】のリーダーであるラビ=ミトラ・アーディティヤを斃した。


 小樟楠夏の仇はこれで討ったも同然だ。


 復讐完了。


 気分は妙に清々しい。目的を達成したからか。その達成感からくる清々しさなのだろう。


 風が吹く。涼しかった。気持ちよかった。


 俺は後ろに倒れ込み、仰向けになって空を見上げる。


 夜はまだ明けていない。空には星々がちりばめられており、煌々と輝きを放っていた。


 こうやって空を見上げているとまるで自分が宇宙に投げ出された気分になる。それぐらいに空には満点の星々が点在しているのだ。


 ああ綺麗だ。星はこんなにも綺麗なんだ。


 俺はそんなどうでもいいことを思いながら、ゆっくりと目を閉じた。

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