裏切りの騎士

@kokonoku

第1話  3年前 旅立ち 

「別れてほしいんだ」


 俺は目の前の彼女に告げる。

 肩まで伸びたつややかな黒髪に、質素な黒のシャツとズボン。その姿から高価な服ではないが綺麗に身を整えているのか分かる。又、身動きしやすように体に合った服を着ているためか、その布地の膨らみから少女としてのシルエットが浮かび上がってくる。


 ここは街の貧民街にある一軒のぼろ屋の一室。古ぼけたドアの前にはナッシュと書かれており、それが俺の名前。

 部屋を照らすランプの灯りがこの部屋唯一の光源で、年数が経ち痛んだ壁と無数の切り傷に影を落としてこの部屋の雰囲気を強調している。それはここでやっかい事が起きた証だ。

 貧民街にも街の治安部隊はいるが、治安維持活動はあまり重要視されていない。小競り合いぐらいでは部隊は出動せず、自分たちで解決することが求められる。ここでは自分の身は自分で守る必要がある。


「突然、どうしたの?」


 目の前の彼女、俺が付き合っている少女のミリアがやや顔を強張らせて俺を見る。俺と同い年で約15歳。ここでは正確な歳が分からない者が多いので、皆勝手にそれっぽい歳を名乗る。それが本当かどうかは分からないがそういうことになっている。

 ここでは珍しいぐらいいつもニコニコしてぽわ~んとしている彼女だけど、今の彼女にその雰囲気はない。その温かな雰囲気に影がさしている。


 俺は再度念を入れて言葉を音にする。

 彼女の伝わるように、ゆっくりと話す。


「別れて、ほしいんだ」


 彼女は俺の雰囲気から冗談や嘘ではないと察したのか、表情を曇らせる。そのまま俺の顔を信じられないものでも見るように眺める。


「なんで?」

「そうしてほしいんだ」


「いきなり言われても分かんないよ。なんで?なんで急にそんなこというの?」

「別に、急じゃないよ。ずっと思ってた」


 ミリアが目を見開き、口元を歪ます。

 その唇は僅かに震えている。


「・・・いつから、ねぇ、いつからそんなこと思ってたの?」

「分からないけど、半年ぐらい前からかな」


 彼女は何かを思い出そうとしているのか、目線を右上に上げて記憶を探っているようだ。

 でも、それには意味がない。なぜならそこには答えがないから。


「別に、何か具体的な出来事があったわけじゃないよ」

「なら、なんで別れるの?なんて?それなら別れなくていいでしょ。そんなの変だよ、おかしいよ」


 ミリアは俺に近づき服の両腕の袖を小さな手で掴み、僅かに自分の体の方へひっぱる。その弱い力で俺の体が揺れる。そして俺の表情から何かを察するように、顔を食い入るように見つめる。

 俺はその視線を逃げずに受けとめる。


「少しづつ、ずれていたと思うんだ。俺達、合わないだろ」

「そんなことないよ。三年も一緒にいたんだよ。会わなかったらそんなに長い間一緒にいないよ。私、ずっと楽しかったよ。ナッシュもそうでしょ?」


「楽しかったけど、それだけじゃ駄目だよ・・・だから別れたいんだ」

「嫌、ねぇ、具体的な理由言ってよ。曖昧にいわれても分かんないよ。全然わからない。それに、なんでその時いってくれなかったの?ねぇ、なんで?」


 彼女は瞳を震わせて、上目づかいで俺を見る。彼女の身長は俺より10cm程低いので自然とそうなる。その悲しそうな表情を見ると、俺の心の中に罪悪感が沸き起こってくる。


「そんなこと、いえないよ。そういうものじゃないし。それに、まだその時はよく分からなかったんだ。ただの勘違いかもしれないと思ったし、そんな事を言ってミリアを不快な気分にはさせたくなかった」

「私、何かした?ねぇ、何かしたなら言ってよ。私、謝るから。それに、直すから」


「何もしてないよ」

「嘘。ねぇ、言って、怒らないから。何でもいいから。私の嫌なところ言ってよ」


 俺は頭をめぐらす。

 彼女を傷つけたくないが、それで彼女が納得するのなら・・・


「それじゃ言うけど、ミリアがこの事に気づかなかった事が全てだよ。俺はずっとそういう空気を発しているつもりだった。そんなに驚いてるってことは、ミリア、気づかなかったんだろ?」

「そんなの・・・分からないよ。口に出して言葉でいってくれないと分からないよ。だって、ナッシュはそういう事言わないタイプでしょ。そんなのずるいよ。すっごく卑怯だよ」


「そうだけど・・・そこは察してほしい」

「そんなこと、できない・・・できないよ」


「・・・」

「分かった。ねぇ、今度からちゃんとそうするから。ねぇ、本当にするよ、だから別れないでよ。ずっと一緒にいてよ」


「多分、意識してもできることじゃないと思う。それは」

「できるよ、ちゃんとするから。ねぇ、いいでしょ。私、今度からはちゃんとするから」


 瞳から涙をポロポロと流すミリア。

 その涙が頬をつたり、華奢な顎に落ちていく。


「もう遅いよ。言ってなかったけど、俺、街を出るんだ。もうこの街には帰ってこないから。こんな錆びれた街とはおさらばする。これ以上この街にいたくない」

「待ってよ。そんな大事な事、今言わないでよ。もっと前に言ってよ。それに、一人だけ逃げるなんて、やっぱりずるいよ。私を置いてかないでよ。それに、外は危ないよ。魔物もたくさんいるんだよ。ナッシュ一人じゃ無理だよ。お金だってどうするの?」


「隠してたけど、ずっと旅の準備してたんだ。お金もアイテムも、装備だって問題ない」

「・・・」


 彼女は口を開けてこちらを見て驚いている。その口からかわいらしい白い歯が覗いている。俺の準備に気づいていなかったのかもしれない。それもそうかもしれない、彼女にばれないように細心の注意を払って準備してきた。彼女に気づかれるとこの旅は上手くいかないと思っていた。


「なんで?ねぇ、なんで隠れてそんなことするの?私の事好きなんでしょ。ならなんでそんな大事な事隠してたの?おかしいよ」

「付き合ってても、全て話す訳じゃないだろ」


「違うよ。普通、そういう大事なことはちゃんと話すんだよ。私は、全部言ってたよ」

「それは、ミリアがそうしたかっただけだろ」


「やっぱり、ずるいよ。そんなの卑怯だよ」

「・・・・」


「ねぇ、それなら私もついていくから。そうした方がいいよ。二人の方が安全だよ。いつもみたいに二人なら魔物だって倒せるよ。ねぇ。ナッシュが怪我しても私が回復してあげるから。ナッシュには私が必要だよ。ねぇ」

「いいよ。俺、一人で行くから。それに旅は危険だから、俺は自分自身の事しか守れないと思う」


「そんなの・・・だめだよ。ううん、絶対にだめだよ。置いてかないでよ。やだよ。私を一人にしないでよ。街と一緒に私を捨てないでよ」


 泣いて俺の服を掴むミリアを払い、装備を一式持って部屋の出口へと向かう。


「待ってよ。ねぇ、私も行くから。ヒーラーがいない戦士の一人旅なんて危険だよ。外には魔物も盗賊もいるんだよ。ナッシュ、魔法使えないでしょ。怪我したらどうするの?いつも見たいに私が直してあげらえないよ。ねぇ、彼女じゃなくても、仲間としてついていくから。それならいいでしょ?」


「傷薬やポーション類はたっぷりあるから大丈夫。それに、そこいらの野盗には襲われても問題ない。俺の実力はミリアがよく知ってるだろ」

「そうだけど・・・一人じゃ無理だよ。ナッシュより強い人だってたくさん死んでるんだよ。ナッシュも知ってるでしょ。危ないよ。やめた方がいいよ。この街で私と一緒にいようよ」


「もう、決めた事だから」

「それなら、ねぇ、私も一緒に連れて行ってよ。そう・・・私もこの街を出たいの。こんな街に一人でいたくないの。いいでしょ?私、役に立つよ」


「俺、一人で行くから。それと、これ」


 ポケットから小さな袋を出す。それは旅ために貯めた金の一部だ。

 ミリアはその袋を受け取り、中身を確認する。

 彼女は口を開けたままその中を見ている。


「それだけあれば暫らくは暮らせると思う。それで元気でやっていてほしい」


 ミリアの手が震え、袋を持つ手に力が入る。

 袋がくしゃげ、顔を上げて俺を見る。


「こんなお金で・・・私を捨てるの?」

「違うよ。捨てるとかそういう事じゃないよ。勘違いしないでほしい。それは別れる事とは関係ないよ。俺はずっとこの街から出て行きたかったんだ。そのお金はミリアを好きだから渡すんだよ」


「私の事好きなら、一緒に連れて行ってよ。ナッシュは私と離れても平気なの?」

「寂しいけど、そういう問題じゃない。それに、ミリアの腕じゃ無理だよ。次の街までもたどり着けないだろ」


「できるよ。それにできないなら、ナッシュが守ってよ。いつもみたいに」

「そんな簡単じゃない。それに、ミリアも一人で生きていけるぐらいの技術は身につけた方がいい。そのための金だから」


 部屋の出口へと歩きだし扉に手をかけると、ミリアが後ろから腰に抱きつき、ぎゅっと抱きしめる。その小さな手の感触と彼女の匂いが心を揺らす。でも、それは今は無視しなければならない。


「離せよ」

「嫌、絶対に離さない。ねぇ、どこに行くかだけ教えて。教えてくれるだけいいから。私、後つけたりしないから。心配なの。ねぇ、それぐらいいいでしょ?」


 ミリアを見る。

 彼女の泣き顔を見ると決意が鈍ってくる。ずっとこの街では彼女の事を守ってきた。

 でも、彼女のために自分の人生を捨てるつもりはない。俺がもうちょっと強ければ彼女を連れて行けただろうけど、今の俺はそれ程強くない。自分自身を守ることしかできない。いや、自分自身さえ守れないかもしれない。


「東に行く。そして王都に。だから、かなりの長旅になる。順調にいっても半年以上はかかる。途中で死ぬかもしれないけど、この街で腐って死んでいくよりはいい」

「ねぇ、お願い。私も連れてって。私も頑張るから。足引っ張らないようにするから。私だけ置いていかないで」


「俺、いつもミリアにいってたろ。ちゃんと修行して自分の力を高めろって。それをしなかったのミリアだろ」

「今さら、そんな事言わないでよ。あんなに軽くいわれても本気にしないよ。それに、旅の途中でちゃんと努力して上級魔法も使えるようになるから」


「無理だよ。三年も一緒にいて、ミリア、全然実力が向上しなかったろ。魔術の才能があるのに。俺が訓練してる時もミリアは遊んでただろ」

「それは・・・今からちゃんとするから。ねぇ、毎日練習するから」


「そうした方がいいよ。ミリアは才能あるからこの街でもやっていけるよ。魔術師は貴重だから困らないし、問題が起こったら俺の知り合いを頼ればいい。ミリアによくしてくれるように頼んでおいたから。皆いい人だから心配ないよ。傍にいられないけど、俺も応援してるから」


「そんな大事な事、人任せにしないでよ!ずっと、ずっと傍にいてよ。前に言ってくれたでしょ。ずっと私の事守ってくれるって。あれは、嘘だったの?」

「3年間傍にいただろ」


「嫌、これからもずっと、ずっと傍にいてほしいの」

「あまり、困らせないでくれよ」


「ナッシュが変なこと言うからだよ。いきなり言われても、私、どうしたらいいか分からないよ」

「ミリアはミリアの道を行けばいいよ。俺は俺の道を行くから」


 腰にしがみつくミリアを放そうと、彼女の手に触れる。

 その時、俺の手には彼女の涙がついた。


「ねぇ、お願い、あと一日だけでもいいから傍にいて。それだけでいいから」

「そんな事しても意味ないよ。逆に悲しくなるだけだろ」


「意味あるよ。あるの。私にとっては大事な事だから。ねぇ、お願い。それがだめなら後一時間だけでもいいから。ねぇ、それぐらいいいでしょ。三年間も一緒にいたんだよ。少しぐらい、私のお願い聞いてくれてもいいでしょ。最後になるかもしれないんだから。ねぇ」


 確かに、このまま別れるのはよくないかもしれない。

 3年間一緒にいて楽しかったの事実だし、ミリアには俺がいなくなってもちゃんと生活していってほしい。だから金を渡した。ミリアの願い、それで、彼女の気持ちが晴れるのなら・・・


 俺を掴むミリアの手を優しく掴み、彼女に向き合う。

 泣き顔の彼女と見つめ合う。


「一時間だけだから。それ、だけだから」

「・・・うん」


 何度もキスをしたぷっくらとした唇と、何度も抱いた少女と女性らしさが入り混じった発達途中のその身体。それが彼女の泣き顔により魅力を増している。


 彼女を優しく抱きしめると、彼女の髪と肌から甘い匂いがたちこめる。

 彼女の腰に手を回してその華奢な感触を感じながら瞳を合わすと、宝石のような茶色の瞳に吸い込まれる。


 お互いに目を閉じ、どちらからともなく顔を寄せる。

 その直後、唇に感じる彼女のそれの感触。涙で濡れた唇の感触と、鼻に当たる涙で濡れた彼女の頬。

 甘くてしょっぱいキスをする。その唇の感触を味わいながら、徐々に開いていく彼女の唇。その隙間に舌を入れると、いつものように彼女の舌がそれを迎える。彼女は俺を求めるようにいつも以上に激しく舌をからめてくる。


 彼女は唇を合わし、お互いの生温かいその肉の感触を味わう。生物としての生々しい感触を舌で感じながらお互いの舌を愛撫しあう。

 彼女の腰に手を回すと、彼女も同じように俺の背中に手を回してくる。

 

 くちゅくちゅという音を出しながら、お互いに舌を絡め合わせ、そして唇を離す。

 俺と彼女は触れそうなほど近い距離で瞳を見つめあう。


「本当に、1時間だけだからな。それが終わったら、街を出るから」

「・・・うん」


 彼女と再び唇を合わし、舌を絡み合わせながらベッドに倒れこむ。


 最後になるかもしれない彼女とのそれ、俺と彼女は貪りあうように行為をした。いつもより情熱的に、そして積極的に。彼女の肌の感触と匂いを俺の肌に刻み込むように、同じように俺のそれを彼女に摺り込むように。彼女の感じるような、感情を発散させるような甘い鳴き声が部屋に響いた。

 

 その行為は約束の1時間を過ぎても続いた。

 ただただ、お互いを求め合った。

 



 そして数時間後。

 窓から見える外では、夜が明けて朝が始まりかけている。


 ベッドから起き上がり自分の体を見る。彼女の匂いや唇の感触、歯形や爪の跡が俺の肌に刻み込まれている。付近にあるタオルで体についた汗や愛液を丁寧に拭きとると、服を着て装備を身に着ける。


 ミリアはベッドの中ですやすやと寝ている。感情を発散しすぎて疲れてたのかもしれない。目の周りは晴れているが、その表情は澄んでいる。そんな彼女の愛らしい寝顔を見ていると決意が鈍りそうになったけど、それを振り切った。もうずっと前に決めて準備してきた事だ、ここで決意を変えることはできない。そんな事をすれば一生この街から出ていけない気がする。


 彼女の小さな手を見ると、その左手の薬指には銀色の指輪がついている。俺の同じ箇所にも同じ物がついている。いつの日か買ったお揃いの指輪。それを外してベッドの傍に置こうと指輪に触れるが、手が動かない。未練が残る様な物は持って行きたくない、だから全てこの街に置いていきたい。

 でも、頭ではそう思っても指輪に触れている手は動かない。肌の温かさを伴ったミリアへの思いは、そう簡単に断ち切れるものじゃないのかもしれない。タオルで拭きとったが身体の深い所には彼女の匂いが染みついており、その甘く心地よい匂いが心を高ぶらせ、俺の手の動きを止めているようだ。

 

 指輪を外すことは止めて、彼女の手に触れた。

 その白く繊細で溶けそうな程柔らかい手に触れると、これまでの思い出がよみがえってくる。でも、それはこれからどんどん薄れていくんだろうし、彼女の温かさを俺の中では失われていくだろう。それを思うと名残惜しい。


 でも、王都までの道はそれ程簡単じゃないし、たどり着ける者の方が少ない。最近は治安が悪化し、野盗や魔物がうようよしていると聞く。しかも、噂に聞くドラゴンが出没しており有名な冒険者や騎士も餌食になっているらしい。


 しかし、こんな未来の無い街にいるよりかはましだった。この錆びれて死んだような街で一生を終える事などしたくなかった。自分の力で自分の未来は切り開く。例えその結果死んだとしても後悔はない。


 ミリアから手を離し歩き出そうとすると、ぎゅっと服の袖を掴む彼女の小さな手。振り返ると彼女は寝ているようで、無意識に俺の服を掴んでいるようだ。俺の肌に何度も触れ、喜びをもたらしてくれたその愛らしい指を一本ずつほどいていく。その一本一本が俺と彼女の別れだった。


 全て外しおえると、部屋のドアを開けて出て行く。

 さびれたドアがキーッという音を鳴らし、この建物のを古さを俺に知らせる。この音を聞くのも今日が最後だろう。その音は胸に悲しく響いた、


 その音を懐かしく思いながらも足を進めていく。

 

 建物外に出ると、夜明けの街は薄暗かった。シーンと静まり返った街の空気は澄んでおり、肌に染み入る。だが、空の向こうは明るくなっており、これからこの街も太陽で照らされていくのだろう。

 街の出口に向かって歩き出した。



 これが冒険の始まりだった。

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