四章

―― 十二月十一日 ――

 ホールシティーに乗りこんだ翌日の早朝、会議室で俺たちの報告を聞き終えた平井は、苦笑いを浮かべた。

「もし、ロゴス博士が解読したコード内容と、それを入手したエイハブの解釈が正しいなら、大変なのはこれからだな」

 腕組みして椅子へ深々と座るホイットフィールド船長も、平井の意見を肯定する。

「白鯨が本当に、人類を愛玩動物のようにあつかうと宣言したなら、これからは戦うべき相手になる。数を減らすための間引きではすまなかろう。絶滅寸前にいたるまで駆除すべき敵と見なされる」

 メルヴィルが首を横にふる。

「それは早計すぎます。そのような拙速を防ぐために、私たちは今ここにいるのですよ。全ては南極へ行き、白鯨の正体と意思を確認してからです」

「それが、そうもいきそうにないのだ」

 メルヴィルの言葉を船長がさえぎり、平井に説明をうながす。

「金田さんたちがブルーの船、いやホールシティーと呼ぶべきかな、ともかくあちらへ行っていたその時に、問題が発生した。国連の正式な大規模調査隊が、一週間後には南極大陸まで来るという情報が入ってきたんだよ」

 メルヴィルが眉根をよせた。もちろん俺も初耳だ。

「昨日は帰りが遅すぎたし、二人とも疲れすぎていた。船長と相談して、話すのは明日朝にしようと決めたんだ」

 メルヴィルが小さく息を吐いた。

「わかりました。今その判断を論じても意味がありませんね。話を続けてください」

「まず、オーストラリア海軍が保有する調査船を中心とした第一陣が、明後日にも出港するとのことだ」

 俺は小さく挙手をして素朴な質問をした。

「口ぶりを聞いていると、平井はリアルタイムで通信について知ったかのようだが……ゴムボートはずっとホールシティーに係留していたのではなかったのか」

「俺あての通信だったのでね。携帯していた通信機でわざわざ呼び出されたよ」

「ずいぶんと急な話ですね。委託されている私たちの調査が始まってもいないのに。しかし、過去にも国際的な調査は何度もおこなわれています。規模以外は不思議ではないのでは?」

「目的が問題なんだよ。それも二重に」

 平井が会議室正面のモニターへ調査隊の計画書らしきものを映していく。メルヴィルが声をもらした。

「目的地は私たちと同じタルシシュ半島ですか」

「そこは白鯨が最も多く住んでいるらしい場所なのだろう。調べること自体は不思議ではないと思うが」

 俺の意見をメルヴィルが否定する。

「この計画書にある船団の規模に比べると海域がせますぎます。それに、私たちはその先にある通信地点という目標があります。ここまで大規模な調査隊であれば、もっと広範に調査をおこなうことが通例でしょう。たしかにタルシシュ半島周辺は多くの白鯨が生息しているでしょうが、あくまで推測にすぎませんし」

「おこなわれるのは、駆除を前提とした繁殖力の調査だよ。そして非公式な目的として、ジョン=フランクリン号の調査を中止させることもある。たぶん形式的には、国連内の立ち位置から同じ海域での調査において優先順位が高いことや、アクシネットの目的地がタルシシュ半島であることから調査の邪魔にならないよう迂回ルートを強制させる、といった理屈が使われるのだろう」

「これもエイハブの息がかかった動き、ということでしょうか。ならば恐れていたよりも、さらに早い……」

「普通にロビー活動が実ったというところだろう」

 そういったホイットフィールド船長が腕組みをとき、前のめりにメルヴィルを見つめた。

「いずれにせよ、調査を続けるかどうか、メルヴィルさんの判断をあおぎたい。これは船をあずかる船長としての質問だ」

「このまま最短で半島へ向かってください。最高速で航行した場合の損耗費や燃料費はアクシュネットが支払います」

 間髪いれずメルヴィルが答え、船長も了解したとうなずいた。そして二人はモニターへ今後の航海計画を映し、やつぎばやに針路と日時の微修正をおこなっていく。

 そのような二人を見ながら、俺は平井に耳うちした。

「しかし、どうしてそんな内部情報が手に入った」

 平井が肩をすくめる。 

「家族がオーストラリア海軍の士官なのでね」

 そういえば、メルヴィルと初めて会った時にも、平井の兄がアクシュネットへ協力していると聞いた。

「できた兄だよ。父の期待に完璧にこたえて、弟にも助けの手をさしのべる」

 葛藤をかかえているようには感じさせない、軽い口調だった。なるほど、それで平井へ直接に通信が来たというわけか。

「そうか、一度くらい顔を見てみたいな」

 つぶやいた俺を平井がしばし見つめたかと思うと、ぽつりとつぶやいた。

「少し話してみるか、通信が繋がっている」

「できるのか?」

 平井は会議室モニターの片隅に衛星通信の映像を出した。しばらくノイズが続いた後、画面が安定する。

 なぜか白く煙っているモニターの奥から、優秀な軍人というには柔和な笑みが浮かび上がってくる。

「……おい、まさかあんたは」

 言葉につまった俺の目の前で、ひとなつっこい童顔の男が笑った。その手前に置いてあるラーメンの丼から、もくもくと湯気があがっている。

「やあ、無事に弟が確保したみたいで良かった良かった。元気にしていたかい、金田さん」

 ずっと日本人、それも俺を捕まえようとしていた公安の一人と思い込んでいた相手。海上市でラーメンをいっしょに食べた男だった。

「あれは俺をアクシュネットに導くための演技だったのか?」

 問いただす俺を見て、モニター内の平井兄がきょとんとした。

「何のことだい。周りに公安がいると教えたとたんに逃げ出されて、ずっと心配していたよ。いそがしいといってアクシュネットはとりついでくれなかったし」

 心底から不思議そうな表情だった。あんた本当に優秀な軍人なのかよ。

 周りを見ると、メルヴィルも船長も不思議そうな顔をして、説明をほしがっている。

 苦笑いしながら平井がいった。

「状況が急だったからな。特に説明する機会もなかったし、誰も損しない勘違いだったから放っておいたのさ」

 ……たぶん嘘だ。きっと、優秀な兄の小さな失敗を楽しんでいたんだろう。

 いたずらっぽい表情の平井をにらみ続けた俺は、つい吹き出した。

「……まったく、間が抜けた話だな」

「いや、本当に説明を忘れていただけなんだ」

 平井が肩をすくめた。

「それにしたって似てなさすぎる」

「あっちは父親、こっちは母親に似ているのさ」

 まだ状況が理解できていないらしいメルヴィルは、笑い出した俺と平井を見て、ますます首をかしげた。

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