―― 十二月十二日 ――

 俺は静かに両手でタンクをつかみ、ゆっくりジョン=フランクリン号の前甲板へおろす。百キログラムを超えるセラミック製のタンクが、衝撃を吸収するゴムシートの上へ音もなく接地した。

 タンクのフックから金属製の爪を抜き、斜め上方へ合図を送る。タンクを吊るしていた巨大クレーン先端のアームが遠隔操作で外れ、するすると上がっていく。

 ジョン=フランクリン号は今、外洋の真ん中に停泊している。そこで中継船に繋がり、長期航行のために必要な物資や燃料、消耗品を補給しているのだ。数少なくなった陸地の港湾へ停泊するよりは、ずっと距離や時間の節約になるし、何より煩雑な手続きを省略することができる。

 俺は練習をかねてワタツミズを着込み、前甲板の作業に従事していた。外洋で、すぐ近くに巨大な艦船があるため、甲板は大きくゆれつづけている。しかし最新式のパワードウェーダーは、ジャイロによる自動平衡機能と、甲板にはりつく足裏の接地機能で、ふらつくことなく作業を終えることができた。

 しかし仕事をするたびに、パワードウェーダーに自分の動きが制約されることが実感される。それは最新型のワタツミズでも変わらないどころか、思いどおりに動けないと感じることが多くなる。反応は早いが、その方向には動かないという制限をしてくるのも早い。足首の関節が人体より下にあるため、まるで小動物の背中に足を乗せているような気分もおぼえる。

 だがそれで作業がしづらくなることはない。むしろ不用意な動きをなくして、ゆれる海上での安定度を高める。

 人体には無駄な動きが多すぎる。それをパワードウェーダーがそぎおとしてくれる。

 動きたい方向へ動くのではなく、動いても良い方向をパワードウェーダーと相談しながら決めていく気分だ。関節の位置が違うことも、違和感が消えた後は不思議な一体感がある。これは騎馬民族が乗馬している時と似たような気分なのかもしれない。

 考えてみればパワードウェーダーにはじまったことではない。動力のついていない一般的な衣服からしてそうだ。人間は生身では不完全な生物に進化してしまった。全裸で生活できる地域より、衣服がないと困る地域に大多数が住んでいる。

 人類の文明そのものも、農耕や牧畜のように他の生物を育てて利用して、それで初めて成立している。漁業ですら捕獲するだけの時代は終わり、厳しく管理して維持することが基本となっている。

 多くの機械も動物の代替として誕生した。かつては動力のほとんどを牛や馬、そして下層階級の人間がになっていた。

 ならば白鯨はどうだろう。本当に高度な知性をもち、文明まで獲得しているならば、彼らもまた別の生物を利用しているのかもしれない。それこそ人類がそうなのか。

 南極からの信号を思い出さずにいられない。白鯨側から見ると、やはり人類は利用すべき動物なのか。


 ジョン=フランクリン号の船倉にタンクを収納して、上部からのぞいている空を見あげた。

 先ほどタンクを吊りおろした巨大クレーンが、折りたたまれるように中継船へ収納されていく。中継船は、下から見あげると覆いかぶさってくるような高い壁だが、上空から見ると平べったい菱形だ。自力航行もできるが、ほとんど人工の浮島に近い。海底から燃料となる資源を採取し、巨大な艦内で精製して格納している。他にも簡単な補修や食品加工も行っており、積荷の保管や中継の役割もはたしている。

 遠くから全体を見ると白い無機質な構造物だが、近くから見れば雑然として生命感がある。使用権を買っている各企業ごとに細かく区分けされ、識別用のステッカーや注意書きのたぐいが個性を主張している。海上からは何を書いているのかほとんど読みとれないが、文字列の幅や改行の癖、枠線の色合いから注意書きの配置で、文化が異なっていることはわかる。たまに企業のマスコットキャラクターをペイントしていたりする。

 この中継船は計画時は箱舟という名前で呼ばれていた。しかしそれを正式名称にしようとした時、ひとつの宗教から名前を拝借するのは問題だという批判や自省が起こった。世界的に広まっている宗教だからこそ、それと対立するマイノリティを軽視してはならないという理屈だ。結局のところ機能を説明するだけの中継船という名称に落ちついた。中継船ごとの区別は製造番号でおこなわれる。

「考えてみれば、ホールシティーは中継船の小型版という感じでもあるか……」

 中継船もまた、さまざまな国や地域の艦船を受け入れる、ある意味では擬似国家のようなものだ。もちろん、さまざまな国家や企業の調整の上に中継船は成り立っているのであって、理想郷というより商業主義の権化のような存在だが。

 物思いにふけっている俺に対し、呼びかける声がした。巨大クレーンの基部へ目をやると、中継船の手すりにしがみつくようにして、若い船員が数人、俺を見おろしていた。外洋の日差しに赤茶けた、たくましい青年達。俺も船員としては若い部類だが、彼らほどではない。きっと高等教育を受ける前から海の仕事についているのだ。

 おそらくオセアニアの出身だろう、耳をすますと、タガログ語とフランス語が混じった歓声をあげていることがわかった。どうやら、何か有名なフィクションに登場するロボットの名前を呼んでいるらしい。

 騒いでいる彼らに、俺は手を振ってやる。ほとんどワタツミズから駆動系の音は出ず、ただ船体を洗う波の音と、中継船がたてる工場のような響きだけが聞こえてくる。ワタツミズの青い腕が、まばゆい南の太陽に照らされて輝く。

 青年達が手すりから乗り出すようにして、満面の笑顔で同時に叫んだ。その名前は、おそらく世界で最も有名なロボットのひとつ。

「ドラエモーン!」

 ……青い体色しか共通点ないだろうが。

 ネコ型だかタヌキ型だかのロボットが時空を移動して未来から少年の家に来る物語。過去にアジア全域では海賊版がはびこるほど大人気だったと聞く。彼らにとって、日本から来たロボットに対して、最も連想しやすかった名前ではあるのだろう。

 考えてみれば、あれも異なる知性と同居する物語か。

 そう思いながら、俺は手をふって苦笑いするしかなかった。

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